はじまりの海岸線
翌朝、外に出てみるとようやく雨が収まっていた。
風は少し強いが、これくらいなら活動に支障はないだろう。
拠点は案の定、雨風でボロボロになっている。修理するだけでも一仕事かもしれない。
「何か落ちてるといいが……」
ひとまず拠点の修理は後回しにして、海岸線を散策しながら何か打ち上げられていないか探し歩く。
嵐のあとの海岸には流木や海藻が散乱していたり、たまに小魚の死骸が転がっているが、特にめぼしいものはない。
それでも散策を続けると、岩場の向こうに明らかな人工物が転がっていた。
「これは……船の残骸か?」
流木に混じって加工された板切れが流れ着いている。他にもマストの切れ端や中身の詰まった樽も打ち上げられていた。
これだけ色々落ちてれば使える道具も見つかるかもしれないが、目立った収穫はそれだけではない。
船の残骸に混じってドレス姿の少女が倒れている。
「女の子……いや、子供か?」
慌てて駆け寄ると、思ったよりも幼い。小学校高学年くらいだろうか、透き通るような銀髪に、青と白を基調としたドレス。まるでお姫様のような外見である。
童話の中から出てきたような容姿に一瞬見とれてしまうが、今はそれどころではない。
「おい、大丈夫か?」
「……ぅ……」
かろうじて息はあるようだが、軽く頬を叩いても意識は戻らない。脈も正常なようだが、このままにしておくわけにはいかないだろう。
華奢な体を抱え上げ、拠点まで戻る。
「むぅ、アッサム、やめるのです。くすぐったいのですよ……」
冷えた体を温めるために焚火を準備していると、女の子が寝言で何事か口走っていた。
うなされている様子はないので、焚火を用意して寝かせておく。
少女の身体を温めている間、こっちはこっちで拠点の修理を進めるが、一人用しか想定していなかったため拡張しようか迷っていると、突然表から悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーーーーっ! な、何なのです?!」
「どうした?」
見ると先程の少女が半裸で何やら喚いている。どうやら思ったよりも元気らしい。
「あ、あなたは誰なのです? わ、私をどうするつもりですか!」
「どうって……別にどうするつもりもないが」
「じゃあなんで服を脱がせたのです! まさか、へんたいさんなのですか?!」
酷い言われ様だが、単に体が冷えるといけないので脱がせておいただけである。特に他意はない。
「いや、そもそも子供の裸なんて興味ねぇよ」
「む、心外なのです! 私はもうすぐ15歳、立派な大人なのですよ!」
「マジか……」
どっからどう見ても小学生くらいにしか見えないが、14歳だとするとさすがに男の視線は気になるのだろう。
羞恥に顔を赤らめながら、両手で肢体を隠し睨み付けてくる。
「いや、すまんすまん。謝るから……さ」
「こうなったら証拠隠滅なのです。消し炭になるといいのですよ!」
少女が何やら詠唱を始める。いわゆる魔法だろうか。ここにきてようやくのファンタジー要素だが、このまま見ているわけにもいかない。
「ちょ、待てって!」
「問答無用、炎よ踊れ!」
「…………?」
慌てて身構えるが、何も起こらない。
見ると少女も呆然としている。
「つ、杖がないのです。杖をどこにやったのです?」
「杖は見てないと思うけど……」
「そんな……あれがないと私は魔法が使えないのです」
シュンと落ち込んだ様子の少女であるが、どうやら攻撃される恐れはないらしい。
「このままではへんたいさんにあんなことやこんなことを……」
「しないって」
「しないのです? もしかして不能さんとか、それとも男にしか興味がないとか?」
「ないない」
何やらとんでもないことをさらっと言われた気がするが、とりあえず聞き流すとして。
「もしかして私を助けてくれたのですか?」
「そうなるのかな」
「私に欲情しないのは腑に落ちませんが、助けてくれたことには感謝するのです」
口は悪いが礼は述べる。思ったより根は素直なのかもしれない。
「それで、ここは何処なのです?」
「俺の島だ。名前はまだない」
「そうなのですか……てっきり、女神の島かと思ったのですが」
「女神の島?」
「そうです。伝説のアスタリテ島……我々はそれを探して長い航海を続けていたのです。ああでも、船はもう……それに、杖もなくしてしまっては、これ以上探索はできないのです」
何やら取り乱す少女だが、念のため女神を呼び出して情報を聞き出すことにした。
(おい、ポンコツ。聞こえるか?)
“何よもう、こっちからの通信はスルーするくせに”
(いいから、ちょっと聞きたいんだが、ここって女神の島……アスタリテ島でいいのか?)
“そうよ、人間たちはそう呼んでるわね”
(わかった、サンキュー)
通信の向こうでは何やら文句を言ってる気配がするが、とりあえず無視するとして。
「あー、どうやらここがアスタリテ島らしいぞ」
「急に何なのです? そんな都合よく女神の島が見つかるわけないのです。私が子供だと思ってバカにするのもいい加減にするのですよ」
「だよなぁ」
自分にとっても初耳なのだ。いきなり言われて信じろという方が無理がある。
「それで、そのアスタリテ島に何の用なんだ?」
「我が国セイローンを魔王の手から守るため、女神の力をお借りしようと仲間と旅をしていたのですよ。ただ、途中で嵐に巻き込まれて……」
言って少女は俯く。はぐれた仲間のことを考えているのだろう。
彼女を助けた時、他に人の姿はなかった。運良く生き残っていたとしても、この島に流れ着くとは限らない。
そもそも、ここが女神の島だとして、肝心のアスタリテが駄女神でポンコツじゃ意味もないだろう。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はカイト。海の人と書いてカイト」
「カイトさん……私はリンティ・ダージュ。セイローン王国のダージュ公爵家の一人娘なのです」
「公女様だったのか」
どうりでお姫様のような見た目である。今は下着姿であるが。
「そろそろ服も乾いたみたいだし、そっちの小屋で着替えるといい。
俺は他に何か流れ着いてないか確認してくる」
「わかったのです。あんまり遠くへ行っちゃ駄目なのですよ」
ちょっとだけ心細そうな少女に見送られ、再び海岸線の探索に戻る。
だが、彼女の仲間らしい人の姿はない。
それでも打ち上げられた船の瓦礫を見付けては、集めてストレージに放り込む。船の留め金など金属パーツも多いので、これらを加工すれば、もうちょっとマシな道具も用意できるだろう。
あとは杖があれば、リンティも魔法が使えるとのことだが。
「杖か……」
それらしいものは見つからないが、どうにか代わりになるものを用意するか、あるいは作るなどできないものか。
とはいえ工作スキルではさすがに魔法の道具は作れないようだし、自分にできることは何もないのかもしれない。
それでも。
「まあ、気休め程度にはなるかな」
ありあわせの材料で杖を製作する。あまり凝ったデザインはできないが、女の子でも持ちやすいように小型にして。
そんなことをやってると、女神が何事かと話しかけてきた。
“何やってんの?”
「杖を作ってるんだ。話しかけるな、気が散る」
“ふーん、でもそれじゃ魔法の杖にはならないわよ。付与のスキルがないと”
「わかってるけど、護身用の武器くらいにはなるだろ」
“…………。ちょっと待ってね。えーと、これでいいか。ほら、これ使いなさい”
女神の言葉の後、虚空からポトリと何かが落ちてきた。
慌てて受け止めると、それは彼女が身に着けていたイヤリングの片方である。細長い宝石が付いているが、淡く光っており材質はよくわからない。
「これって……」
“私が身に着けてたものだから多少は加護があると思うわよ”
「む、ありがとう。感謝する」
彼女なりに気を使ってくれたのだろうか。
これからはなるべくポンコツとは呼ばないようにするかと思いながら、最後の仕上げに取り掛かる。
「これでよし」
樫の木の杖with女神の宝石ってところか。
完成した杖を手に、意気揚々と拠点へと戻る。既にドレス姿に着替えた少女が手持無沙汰で待っていたが、こちらの姿を見咎めて一瞬安心したような表情を浮かべ、しかし照れたように慌ててそっぽを向く。
「一通り見てきたけど、やっぱり他の人は見つからなかった」
「そうですか……そういえば、何持ってるのです?」
一瞬彼女の表情が曇るが、すぐさま後ろ手に持った杖に目を付ける。
「目ざといな……本物の杖の代わりにはならないだろうが、ちょっと作ってみたんだ」
「これは……杖? これを作ったのです?」
手作りの杖を受け取った少女は、不思議そうな表情でまじまじと眺めていた。
軽く振ったりしながら、手に馴染ませようとしている。
だが、一番目を惹いたのは。
「この宝石……どうしたのです?」
「んーと、その辺に落ちてたんだけど」
「この宝石からは澄み切った清い力を感じます。見ているとまるで王都のアスタリテ大聖堂の中にいるような……静謐な気持ちになるのです」
魔法使いとして何か感じるのだろう。見たことのない穏やかな顔をしているが、鼻眼鏡の女神を見たらきっと正反対の顔をするに違いない。
それを知ってか知らずか。
「ありがとうなのです。大切にしますね」
そう言ってはにかむ少女は、年相応の表情を浮かべていた。
だが、その表情が一瞬で恐怖に強張る。肩越しに見詰める背後を振り返る余裕はなかった。
「ッ、リンティ!」
咄嗟に少女を庇うように飛び掛かる。先程までいた場所に何かが叩きつけるような気配を感じ、ようやく振り返ると巨大な蛇が這いずっていた。
太さだけでも人間の胴体ほどはあるだろうか。
全長は10m近く、人間など簡単に丸呑みにできるだろう。これほどの生き物が近寄ってる気配にも気付かないとは迂闊である。
「……ここから立ち去れ!」
慌てて“黒舵”を発動するが、大蛇は一瞬怪訝な反応をしただけで、効いた様子はない。
やはり、自分より強い相手にはあまり通用しないのか。
せめて少女だけでも守ろうと立ち上がり。
「カイトさん!」
リンティの叫びが木霊する。その声は突風となって目の前の大蛇に叩き付けられた。
詠唱も何もない、純粋な力の発露。これも魔法なのだろうか。
「今のは……?」
「わかりません。でも、これなら!」
少女は改めて詠唱を開始する。彼女の周囲の空気が渦巻いていく。
「炎の主、その吐息を今ここに。立ち込める闇を焼き払い、炎よ踊れ! ファイアボール!」
リンティの生み出した火球が、大蛇に襲い掛かる。だが、野生生物の反射神経はそれすらもかわそうとし。
「今度こそ……動くな!」
再びの“黒舵”が大蛇を縛る。操れなくてもいい、一瞬だけ動きを止められれば、それで充分だった。
火球が大蛇を吞み込む。
鱗の焼ける不快な匂い。燃え盛る炎は哀れな獲物を喰らい尽くし、周囲の砂をもガラスに変える。
こんなのを人に向かって撃とうとしてたのか。
助かった喜びよりも、背筋が凍る感覚が強い。これからは彼女を怒らせないようにしよう。
「やったのです! でも、どうして魔法が使えたのでしょう?」
無邪気に喜びながらも、少女は自分の持つ杖を不思議そうに眺めている。
やはり、女神から貰った宝石の影響だろうか。
「だけど、力は感じるのですが、実際に触れてみると妙にあやふやなのです。つかみどころがないというか、適当というか。力加減が難しいのです」
まあ、元があの駄女神の持ち物なのでその辺はどうしようもない。
とはいえ、リンティが魔法を使えるようになったのは大きな収穫である。
「今度は助けてもらったな。礼を言う、ありがとう」
「それほどでもないのですよ。それに、これはカイトさんの作ってくれた杖のお陰なのです」
小さな杖を小さな胸で抱きながら、彼女は今度こそ満面の笑みを浮かべていた。
だが、あんな生き物が徘徊しているとなると、これからの島の探索は慎重にならざるを得ない。
リンティの魔法にばかり頼るわけにもいかないので、自分用の武器も用意しなければいけないだろう。
(拠点の修理に武器の調達、それと並行して飲料水や食料の確保か……先が思いやられるな)
彼女の魔法次第では飲料水の確保くらいはできそうだが、それでもやらなければならないことは多い。
孤島でのサバイバル生活は前途多難だった。
それに、リンティがいつまでもここにいるとは限らない。
もし彼女の仲間が迎えに来た時、自分はどうするべきか。今から考えておく必要があるだろう。
「まあその前にメシだな」
倒れた大蛇も大事な素材だ。肉はもちろん、毒腺付きの牙や皮も回収する。大部分が炭化してしまっているとはいえ、採れる素材は見逃せない。
「な、何をしてるのです?」
「食糧調達。ここでしばらく暮らすなら、こういったものにも慣れておいた方がいいぞ」
お嬢様だけあって生き物を解体するのは見慣れていないのだろう。
ドン引きのリンティであるが、次の瞬間にはぐぅとおなかが鳴って赤面していた。
「な、なんですか? 別にそんなの食べたくはないのですよ」
「まあ、女の子にはキツイよなぁ」
仕方ないので保存していた干し魚を焚火で炙って渡してやる。
「これなら食えるだろ?」
「はい……いただきます」
少女は一瞬だけ逡巡していた様子だが、空腹には勝てず串刺しにされた干し魚に噛り付いていた。
一方こちらは蛇肉のうち、中途半端に火の通った部分を焚火でキチンと火を通してから噛り付く。
「毒はない……ようだな」
味に関しても鶏肉とあまり変わらない。回収した分で当面の食糧は賄えるだろう。
この日は軽い食事を済ませてから、改めて拠点の拡張を行うことにした。鉄屑などで簡単な道具を作り、それから簡易拠点に取り掛かる。
「それ、変わった能力ですね」
“黒舵”で木を動かしていると、改めて少女が興味深そうな顔をしていた。
魔法でも奇跡でもない力、女神によれば世界に一つだけの固有能力である。まだ使いこなせてるとは言い難いが、詠唱も祈祷もなしに木を動かせるのは魔法使いの彼女にとっても珍しいようだった。
「あなた、何者なのです?」
「俺にもわからん。気付いたらこの島にいたからな」
嘘は言ってない。そもそも異世界人だとか魔王を倒すために女神に呼び出されたとか、説明しても理解してもらえるかどうか。
リンティもあまり深くは追究してこなかった。思ってるより大人なのかもしれない。
「君は島を出る当てはあるのか? 魔法使いなら空を飛ぶ魔法とか……」
「風の魔法はあまり得意ではないのです。魔法学校の友達にそういうのが得意な子はいますけど」
言いながら少女は目を細める。しまった、いろいろ思い出させてしまったか。
「あとは、アッサムとか」
「アッサム?」
「ハウンドドラゴンの子供なのです。あの子の背中に乗って飛ぶのは爽快なのですよ」
目を輝かせながら、こういう話をする姿は年相応という感じがする。なんというか、表情がコロコロ変わるのは見ていて飽きない。
「アッサムが一緒ならみなさんを探しに行くこともできるのに……アルトさんたち、無事だといいのですが」
仲間のことを思い出してるのだろう。
少しだけ寂しそうな横顔に、思わず心が痛む。チート能力があっても、今は何もしてやれない。
その後は黙々と作業を続け、ようやく拠点がそれらしい形になる。道具を新調したのと、リンティも少しは手伝ってくれたので、何とか陽が落ちるまでに三人分程度の寝床は確保できた。
「やりましたね!」
彼女も心なしかうれしそうである。工作スキルもないのに一所懸命頑張っていた姿は微笑ましい。
「なんとかな……これなら、明日は島の探索に専念できそうだ」
「島を探索するのです?」
「ああ、あんな化け物が他にもいたら、おちおち隠居生活もできないからな」
島の全容を解明し、安全を確保してからちゃんとした拠点を建てる。当面の目標はこのあたりか。
「この島、一体何があるのでしょう。もしかしたら、カイトさんの言ったこと、信じてもいいかもしれないのです」
「女神の島ってこと?」
「はいなのです。この杖の飾りもそうなのですけど、この島からは何か不思議な気配がするのですよ」
女神の島であることは間違いないのだろうが、魔法使いが感じる何かがあるとなると、探索は慎重に進めないといけない。
本人に聞けば教えてくれるだろうか。
「なので、私も探索に同行するのです」
「いいのか? どんな危険があるのかわからないぞ?」
自分一人なら、いざとなればストレージに避難するなりやりようはあるのだが、彼女の火力も魅力的ではある。
結局、探索効率を上げるには戦力は多いに越したことはない。
「……わかった。だけど、無理だと思ったら引き返す。それでいいな?」
「了解なのです!」
ふんすと意気込むリンティ。
そうと決まれば、明日に備えて今日は寝ることとしよう。
「変なことしたら駄目なのですよ」
「しないしない、生きたまま火葬されるのは御免だからな」
信頼関係があるのかないのか、いまいち判断に困るが、それは時間をかけて埋めていくしかない。
「アルトさんが言ってたのですよ。男はオオカミだって。さもなくば不能か男好きらしいのです」
お嬢様のわりにたまに下品な発言が飛び出すのは、そのアルトとかいう人物が余計な入れ知恵をしたためだろう。
生きているなら会えるのだろうか。
「そのアルトって名前、良く話に出てくるけど、どんな人なんだ?」
「アルトさんは……私をいつも子ども扱いして……すぅ」
話し込んでいると、程なくして小さな寝息が聞こえてくる。
色々あって疲れていたのだろう。最初は慣れない寝袋に戸惑っていたが、思ったより順応性は高いのかもしれない。
「俺も寝るか」
手作りの杖を大事そうに抱えながら眠る少女を眺めてから、自分も寝る準備をする。
無人島生活三日目の夜は、少しだけ安心して眠ることができた。