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奴隷少女とカエサルの後継者  作者: ビジーレイク
第七章 軍神突破
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第五話 軍旗

書いていて楽しいキャラクターです。

          1

 列が動揺した。列を乱し、中には伝令の顔を覗き込む者もいる。

「嘘だっ。ラビエヌス殿が裏切るはずがない!」と、誰かが叫ぶ。否定、というより願望であった。

「嘘じゃない! 目撃者はラビエヌス殿の部下でした。見間違えるはずがありません」

 列をなす兵士たちの表情から、闘志が消えていく。

 ラビエヌス――カエサルの口から何度も聞いた言葉だった。まさか敵の一番先頭で軍を率いているとは、想像もつかなかった。

 百戦錬磨で勇猛果敢なカエサルの兵士たちが萎縮している。これまでに何度も恐怖を味わったが、比べものにならないほど、異常動作を繰り返していた。行動そのものを止めようとしている。思考が止まっていた。

 ラビエヌス。防壁の突破も手伝ってか、名前だけでカエサルの軍団は動揺している。

 しかし、何故、ラビエヌスが敵の先頭にいるのだろう? 

「敵が、この丘に攻め上がってきたぞ」と、誰かが声を出す。私に考えさせる時間を与えてくれない。

「まさか、どこから?」と、泣きそうな声が聞こえる。

「ペトラの丘から直接こっちに来たんだ。もうすぐ、ここに来る!」

 どうも現実味のない情報である。どうやって防壁を越えて来たのか分からない。だったら、なぜ、これまで越えて来なかったのか。

 臆病になった者は、臆病な憶測をする。臆病な推測はたとえ非現実的であっても、臆病者の集団に循環する。判断を狂わされ、兵士たちの列は崩れ去った。

「ラビエヌスがやって来る!」

 カエサルが動けない事実が知れ渡るよりも、兵士たちは戦意を失った。

 ルクルスが「まさか、ラビエヌスが敵に寝返るなんて」と、周囲を見回した。

 兵士たちが肩をぶつけ合い、自らの逃走先を探している。陣は崩壊した。

「カエサルを荷車に乗せて逃げましょう」と、私はルクルスに提案した。

 ルクルスと力を合わせ、カエサルを荷車に乗せた。カエサルの上に毛布を掛け、馬を繋いだ。裏口から出る。

 行き先はゴンフィス。誰かが向かってくれればいいが、誰も向かっていないのなら、私たちで行くしかない。

 丘を下る。敵は、もちろん来ていなかった。駆け下りる味方の兵士たちを横目に、慎重に降りていく。

 暗闇の中を歩く。

 背後から戦況が聞こえてくる。

 防壁が崩壊していく。アントニウスが軍を纏め、敵の突破をくい止めようとした。だが、ラビエヌスに蹴散らされた。

 私たちの周りに、味方の兵士たちが集まってきた。逃走経路が明確な私たちから、確信めいた感情を感じ取ってもらうしかない。 

 小高い丘の上で、篝火が焚かれていた。私の命令書どおりだ。

 炎の隣に、(わし)の飾りがついた軍旗が立っていた。「軍旗は無事だ」と、味方が喜びの歓声を上げる。

 篝火の隣で、一人の兵士が軍旗に寄り掛かっていた。足下にある壷から、水を汲んでいた。

「水、旨し」と水を飲んでいる。

 味方の一人が、「助かった」と私たちの列から離れ、軍旗に駆け寄った。が、すぐに倒れた。倒れた兵士の足下から、赤い血が流れる。

 敵だ。味方たちは槍を構えた。

 丘を半包囲して、敵兵の近くまで接近して、一斉に飛び掛かった。血風が巻き起こり、兵士たちが崩れていく。

 立っている影は一体のみだった。全身は、返り血に塗れていた。槍を縦に振り、血を払った。先ほどと同じ姿勢に戻り、杯を口に運ぶ。

 銀の腕輪が、炎で()めいた。ポンペイウスの陣で見た、解放奴隷のアルミラだった。

 ルクルスが目を見開いた。アルミラを知らなくても、危険な存在だと、本能的に察知した。

 アルミラが、杯を宙に投げた。全身を反らして、槍を投げた。放物線を描き、私に向かって飛んでくる。

「危ないっ」

 ルクルスに突き飛ばされた。地面に手を突く。

 槍の轟音が、悲鳴に混ざる。ルクルスは腹に槍を受けていた。

 私に何かを話し掛けている。だが、口から血が泡になって吹き出し、思うように話せない。

 ()飛沫(しぶき)が私の顔に掛かる。ルクルスは白目を()いて、そのまま倒れた。

 誰かの悲鳴が聞こえた。丘の上を見ると、アルミラの背後から、数人の兵士たちが姿を現した。敵兵が潜んでいた。

 私の思考は、敵に読まれていたのだ。

 敵も味方も、素早く密集隊形を作った。敵は「すべては、ローマのために!」と、自信に満ち溢れた声で、丘を駆け下りて来る。

 少数ながらも、装備は充実し、表情は勝利を確信していた。味方は悲壮な表情で、着の身着のまま逃げてきた姿で迎え撃つ。

 両者が激突した。結果は当然、味方が吹き飛ばされた。

 陣形が乱れる。乱れたところを、敵が散開して槍で殺される。

 乱戦になり、敵の一人が私に気づいた。

 私はルクルスを揺り動かした。ここで寝ていたら、危ない。カエサルを連れて逃げなくては。ルクルスと一緒に、逃げるのだ……。

 敵兵の槍が私に迫る。

 いや、ルクルスは死んでいる。私は何を考えているんだ!

「こらこら、いけませんよ」

頭上から声が聞こえた。

        2

 一体の騎兵が、私の前に立ちはだかった。

「戦場の掟、その一」と呟いた。曲芸師のように槍を頭上で振り回し、敵兵の頭を粉砕した。

「余所見をしては、いけません」

 兜から、見知った顔が見えた。

「あなたは……」と、私は息を呑んだ。

「デキムス・ブルートゥス?」

 あのブルートゥスが、目の前で暴れている。亡霊か、と思った。

 ブルートゥスは、「戦場の掟、その二」と、身を反らし、槍を投げつける。敵の大盾に突き刺さり、穂先が折れ曲がった。敵は、重心の狂った大盾を放棄した。

「盾を失ってはいけません」

 ブルートゥスは、自分の大盾を敵兵の顔面を叩き潰した。

 敵兵が集まって、槍で一斉にブルートゥスの馬を突き殺した。

 ブルートゥスは、横倒しになる馬を蹴って、地面に着地する。いつの間にか、敵兵一人を槍で殺していた。

 槍を捨て、剣を抜く。槍を構えた敵が一斉攻撃を放つ。

「戦場の掟、その三」

 身体を一回転させ槍を避け、敵一人の背後に回り込んだ。

「足下にご注意ください」と脛裏を切りつけた。ギリシアの英雄アキレスよろしく、腱を切られた敵兵は地面に這い蹲り、苦痛に悶えた。

 敵味方ともに、身を引き、ブルートゥスの周囲に空間ができた。

 ブルートゥスは、視線を感じた。丘の上で、カエサルの兵士を虐殺しているアルミラだ。

 二人は一瞬にして、通じ合った。

 アルミラは、海でも泳ぐかのようにカエサルの兵士を殺しながら、ブルートゥスに向かって歩き出した。ブルートゥスも剣を振り回し、敵の()飛沫(しぶき)を海水浴しながら、距離を縮めた。

 それぞれが最後の一人を殺し終えた。瞬間、遠くから銅鑼(どら)が鳴った。

 誰もが動きを止めた。

 また響いた。

 アルミラはブルートゥスに背を向け、丘の上に歩き出した。

 ポンペイウスの兵士たちが「退却だ……」と、ざわついた。ポンペイウスの兵士たちが身を引いて、去っていく。味方は追撃しなかった。余力がなかった。銅鑼のおかげで命拾いした、といえる。

 丘の上では、馬上のアルミラが片腕で軍旗を地面から引き抜いた。自らの戦利品だと誇示すべく振り回しながら、馬で丘を駆け下りる。

 走り去るアルミラを遠目に、ブルートゥスが悔しそうに肩を怒らせていた。

        3

「あのう、すみません」と、私は遠慮がちに声を掛けた。あまりにブルートゥスが自然にいすぎる。

「お前か。なんとか無事だったようだな。敵は逃げちまったが、俺たちはどこに逃げるんだ?」

「どこに逃げる、とかじゃなくて。なんであなたがここにいるの? ガリア・キサルピナの属州総督なんでしょ?」

「ガリアが暇だったからな。途中で抜けてきたんだ」

 ブルートゥスは、口に手を当て目を逸らした。何を考えているのかよく分からない。

「属州総督が勝手に属州から離れたら、軍法会議ものよ。死罪だわ」

「いんだよ。人間、追い込まれたら、普段以上に力を発揮するのでね」

 ブルートゥスは手を振って、大笑いをした。この男から知性を感じない。頭が悪すぎる。頭が悪すぎて、思考がまったく理解できない。

「いつからいたの?」

「兵士に紛れて、ローマから船に乗ったよ。鎧を失った奴を覚えているか? あのときの鎧泥棒は、俺だから」

 まったく覚えていない。目の前で下品な大笑いをする。話をしても無駄だ。

「ルクルスを連れて行かなくちゃ」と、ルクルスの亡骸に目を移した。

 ブルートゥスは声を低めた。

「やめとけ。敵がなんで退却したかも分からねえ。いつ気が変わって攻めて来るかも分からんぞ」

 カエサルを乗せた荷車に、顎を向けた。

「その大事な荷物も、早く届けなきゃいけないんだろ」

 頭は悪いが、勘は良い。

 敵味方の死体を放っておく。これほどの屈辱はない。誇り高きローマの軍ではなくなった。ただの野獣の群れである。

「ルクルスはね、反乱の首謀者だったの」ゴンフィスに向かって、荷車の馬を()いた。

「反乱って、第九軍団のか」と、ブルートゥスが馬上で応えた。

 いつの間にか、馬を調達している。装備を一新させていた。

 私はブルートゥスにルクルスの話をした。

「変な人だった。自分を平均的一般人だの、カエサルは略奪すべきだの。でも、いい人だった」

 最期は私に身を(てい)して(かば)ってくれた、本当の友人だった。

「変じゃねえよ」と、馬上のブルートゥスが口に手を当てた。

「略奪がどう、とかいう件だが。ルクルスが正しいぞ。お前が間違っている」

「略奪なんかしたら、住民から嫌われるわよ」

「ほおん。じゃあ、どうやって兵士に給料払うんだ?」

「兵士の給料ですって? 税金でしょ」

「出るっちゃ出るけど。日当をパーニスでいったら、一、二枚分くらいかね。そんなんで、家族を養えますかってんだ」

ブルートゥスが大げさな手振り身振りで反論する。子供の言い争いのようだ。あるいは、馬鹿にされているのかもしれない。

「そんなに少ないの」

「そりゃそうよ。税金で兵士の懐を賄っていったら、市民が重税で死ぬだろうが。だいたい戦争中は誰も働けなくなるぞ。隣で殺し合いやってんのに、お店を開けますか? 畑を耕せますか?」

 戦争が始まったとき、ローマの生産や流通は停止した。買い占めが横行し、小麦粉の値段が高騰して、市民の生活は一気に苦しくなった。

「戦争で人殺した奴に、あー、いつもお世話になっております。今回は、よくうちの兄を殺してくれましたね、お金を差し上げます、なんて奴は、いるか? 人殺しそのものは、金にならねえ。何も生み出さねえからだよ。じゃあ、どうやって兵士たちは自分の給料、いんや自分が働いた分を稼げって言うんだよ」

 ブルートゥスの発言に、反論できない。

「奴隷の娘っ子。お前こそ、略奪が兵士の給料である証拠だよ」と、ブルートゥスが私を指さした。

 私は奴隷である。厳密に言えば、奴隷の子供であるが。

 兵士たちは侵略先で金品を奪い、住民を攫い、売り捌いていく。奴隷は、安価な労働力であり、商品そのものだ。

 古来より、略奪は兵士の給料だった。ローマのため、名誉のため、色々と大義名分はあっても、給料がなくては生きていけない。むしろ兵士たちの中には、略奪目的で従軍している者もいる。

 プラケンティアで第九軍団が略奪を行ったのも、当然の権利だった。死に物狂いで働いたのに、故郷にはパーニス数枚しか貰えないのだ。第九軍団やルクルスの気持ちは、いかなるものだったのだろうか。

「ルクルス……。あなたは平均的一般人じゃないわ」

 ルクルスは、心のどこかで、カエサルを憎んでいた。それでも、カエサルに仕返しをしなかった。その気になれば、私を殺して、カエサルをポンペイウスに突き出せたはずだ。それをしなかった。

「……立派で誇り高いローマ人よ」

 私たちは、ゴンフィスに着いた。


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