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奴隷少女とカエサルの後継者  作者: ビジーレイク
第六章 双星を分かつ
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第三話 水と食と防壁と

カエサルのデレ回です。

        1

「ポンペイウスの騎兵が、現地の村を略奪しております」と報告が入る。

 私たちの補給源を断つつもりだ。

 カエサルは、略奪を嫌う。ヒスパニアと同じ方針で、食糧を地元の住民から現金で調達していた。

 カエサルは小さく頷いて、地図を広げた。

 ペトラの東を、険しい山脈が南北に縦断している。その山脈に細かい道が複数、横切っていた。

 敵の騎兵が、この道を通り、村々に火を放っている。

 私は地図を覗き込んだまま、「こっちも騎兵を出しましょう」と、提案した。

「敵よりも先回りして、道を塞げばいいわ。後で工兵を送って防壁を造らせる」

 カエサルは「着眼点は面白い」と口元を綻ばせた。有用な意見を聞くと、笑顔になる。

「だが、封鎖するには、やや範囲が広すぎる。もう少し狭めたいものだ」

 口に手を当て、(まぶた)で噛み締めるような瞬きをする。カエサルが思考に(ふけ)るときの癖だ。カエサルの癖が分かってきた。

「敵は近隣の村に、馬に食わせる(まぐさ)を用意させているはずだ。村にも入れないように、封鎖位置を敵陣に近づける。敵の馬を弱らせようぞ」

 封鎖だけでなく、敵の弱体化も狙う。一挙両得の思考は、カエサルにとって、お手の物だ。

「でも、ペトラの丘を包囲するのは、止めたほうがいいわ。低い位置から高所を包囲するのは、危険だと思うの」

「そうだな。ペトラの周囲に、いくつかの丘がある。それらに兵を送り、占領しようぞ。占領してから、防壁を築いて道を塞ぐ。防壁を真横に広げ、丘の上で繋ぎ合わせる」

 と、カエサルと知恵を出し合い、二人で戦術を組み立てていく。

 胸に気持ちのいい風が流れ込んできた。カエサルとの共同作業が楽しい。

 カエサルと一緒に地図を見る。複数の川が、高地からペトラの海岸に向かって流れている。

東方の兵法書によると「高所を占領し、草や水源を押さえれば、必ず勝つ」とある。

「向こうが、あたしたちの食糧を断つ気なら、こちらは水を断ちましょう。防壁でペトラの丘を包囲して、周囲の川を()き止めるの」

 防壁を建てると同時に、ポンペイウスから飲み水を奪う。

 カエサルは、顔を上げた。内側から悩みが溶けていくような表情である。

「そなたは、賢いな。ラビエヌスと劣らぬほどである。……一度、ラビエヌスと話をさせてみたいものだな。そなたら二人がいれば、地中海の端から端まで、この世界をカエサルが物にできようぞ」

「褒めすぎよ。カエサル、貴方には人を見る目がないわね」

「ラビエヌスほどでなくても、そなたは我が息子、デキムス・ブルートゥスと同じくらい賢いぞ」

 私は吹き出した。予想外の名前であった。

「意外だったか? 奴はガリアで善政を()いておるぞ」

 カエサルは、顔を緩めて褒めた。自分の子供を自慢している親のようだった。

 本当に、人を見る目がないのかもしれない。

 カエサルが部下を集め、説明をする。

 横で説明を聞いていると、先ほどの心地よい風は吹き去っていった。代わりに苦々しい風が入り込み、私の胸に留まった。

 なにかが、おかしい。この戦術には、決定的な欠陥が存在している。

 急に叫びたい衝動に駆られた。叫んで、嫌な気分を吐き出すように、戦略の中止を訴えたくなった。

 だが、余計な口出しをして()み出されるのも想像にたやすい。静かに下を向いた。

        2

 丘の上に辿り着くと、風が吹いた。

 風は力強く、私は髪を押さえた。ローマを出てから、ずいぶん髪が伸びた。  

 丘の上では、味方の兵士たちが材木や岩を積み上げている。兵士たちは鉛のような身体を引き()り、黙々と作業に徹している。  隣から、馬の生温(なまあたた)かい息づかいを感じた。

 見上げると、カエサルが乗っていた。美しい姿勢を保ち、部下の仕事ぶりを監督している。

 カエサルから視線を外し、丘からの外界を見下ろした。茶褐色の大地が、広がっている。

 他の丘にも、味方の兵士が集まって、こちらと同じ作業をしている。遠く離れていても、防壁を築く動作から、作業音が想像できた。  

 防壁は未完成で、途切れ途切れであったが、輪郭を見せ始めている。  

 風が和らいだ。柔らかい風が、私の頬を撫でる。カエサルの戦袍(せんぽう)が、風に、優しく揺れている。  

 カエサルが静かだ。寝息を立てて眠っている。職務中なのに、珍しい。  

 起こすわけにもいかないので、もう一度、視線を外界に戻す。  

 気持ちの良い風が、私の頬を撫でる。  

 味方の防壁は、まるで蛇のように伸びていた。蛇から離れた位置に、もう一つ輪郭があった。  

 敵が我々と同じく木の柵を設け、石を積み上げていた。  

 こちらの蛇に追いつこうと、もう一体の蛇が現れた。

 「敵も防壁を造ってる!」  

 カエサルを見上げると、そこには、カエサルがいなかった。カエサルがいるはずの場所に、骸骨(がいこつ)のように(しぼ)んだ老人がいるだけだった。  

 今まで、カエサルを観察する余裕はなかった。夜は暗く、昼は忙しすぎた。こうして、じっくり観察する機会は、カエサルと初めて出会った……サトゥルヌス神殿以来だ。  

 心労と空腹が、カエサルを内側から食い破った。

 後退した前髪や、顔に刻まれた深い皺は、変わらない。だが、以前と比べ、身体が小さく萎んでいる。  

 冷たい風が、私の胸に吹き荒れた。カエサルの死は、味方の敗北を意味していた。カエサルの代わりに、誰が指揮をするのか。  

 不意に突風が吹いた。切り裂くような風の響きに、カエサルは目を開いた。  

 (おびただ)しい地鳴りが響く。大量の槍が、敵が陣取るペトラの丘から、こちらの陣地である丘の麓を目指してきた。  

 均質な歩幅で、草の根を踏み潰し、丘の頂上に乗り上がる。  

 敵兵の行進が大地を蹴って、長い大蛇のように地を這った。神話に出てくる怪物のように、首を分ける。

 長い首は無数に増え、それぞれ目的の丘に登っていく。  

 丘の一つで作業をしている味方の兵がいる。その向かい合わせの丘に敵が陣取った。  

 最初は小競り合いだと思っていた。  

 敵の後続が丘の(ふもと)から木材を引き上げて、(やぐら)を瞬時に組み上げた。部品を予め準備していた。  

 櫓から、矢の雨が降ってきた。作業中の味方は工具を捨てて、大盾の陰に隠れた。  

 矢の雨には、握り拳ほどの鉄の弾が混ざっていた。防御が間に合わなかった者は、顔面から血を吹かせて絶命した。  

 生き残った兵士たちは、鈍い鉄の雨に耐えている。  

 カエサルは、「あの丘を捨てよ」と命令した。  

 伝令が伝わると、すぐに丘は放棄された。兵士たちが列を作って戻ってくる。  

 だが、狭い退路に足を取られ、なかなか進まない。最後列の者たちが、背後から飛んでくる投げ槍の餌食になった。  

 カエサルは空に向かって叫んだ。

「アントニウスっ。障壁車を出せ」  

 麓に軍を構えていたアントニウスが、カエサルの怒号に震え上がった。すぐに襟を正し、配下に笛を鳴らせる。  

 下部で控えていた兵士たちが車輪つきの壁……障壁車を押し出してきた。逃げ切った兵士たちは、障壁車に回り込む。  

 味方は障壁車を盾に一息つく。背後で、槍や矢の音が鳴る。  

 助かった者は少数派だ。逃げ遅れた者が、まだいる。  

 盾と盾、槍と槍がぶつかり合う音とともに、砂嵐が巻き起こった。内部が見えなくなった。

 アントニウスが必死に指揮する声が聞こえたが、殺戮の音で掻き消されていった。  

 何かが音を立てて、私の頬を掠めた。それが矢だとすぐに理解したが、それどころではない。  

 黒い馬が丘の上から現れた。敵の騎兵である。味方と同じローマの武装だが、表情には殺意がこもっていた。  

 カエサルを見るや、槍を向け、馬を駆った。カエサルに撤退を提案したかったが、意味をなさない言葉を叫んでしまった。  

 カエサルは堂々とした姿勢を崩さない。  

 騎兵の背後から一体、一体と敵兵が這い上がってくる。  

 私も応戦するしかない。だが、どうやって? 両手で顔を隠すぐらいしか仕事がない。

 衝突音がした。衝突音が、一瞬の静寂を招いた。

 指と指の間から、状況を確認する。  

 敵の騎兵が、槍で兜ごと頭を打ち砕かれていた。血と肉が()き出しになり、騎兵は馬から崩れ落ちた。  

 槍の持ち主は、味方の騎兵だった。私たちと敵の間に(おど)り出た。  

 曲芸師のように槍を頭上で旋回させ、新手の敵を叩き割った。馬を細かく操って、群がる敵の刃を軽やかに回避していく。

 歩兵を槍で横殴りに凪払(なぎばら)い、崖に突き落とす。  

 敵が(ひる)む。怯んでいるうちに、味方の兵士たちが集まってきた。防御陣形を作り、それぞれの大盾で、カエサルと私の周囲を覆った。  

 防御陣形の一部が、本体から分離して、敵に突撃していった。土煙が巻き上がる中、殺し合いが始まった。  

 カエサルと私は味方の兵士に守られ、敵から引き離されていく。  

 敵中に、あの騎兵が飛び込んでいった。  

 勇ましい。あの姿は初めて見る。こんな強者が、カエサル軍にいただろうか?  

 名前が思い浮かんだ。今、その名を呼ぶべきだ。

「ラビエヌスっ」  

 私の呼び掛けに騎士は一瞬、動きを止めた。だが、すぐさま、殺戮(さつりく)が渦巻く土煙に飛び込んでいった。

        3

 騎士が消えた別方面から、敵の密集隊形が乗り上がってきた。カエサルは「突撃っ」と叫んだ。

 味方の密集隊形が、巨大な生物となって、敵に体当たりを食らわした。

 敵の密集隊形は衝撃で、後退した。巨大生物の戦いのようだ。

 カエサルはもう一度、突撃を命令した。味方の人数は少なく、体積で負けているが、躊躇(ちゅうちょ)もせず、大盾で敵を突き飛ばす。

 敵は一瞬、動きを止めた。前列の大盾は曲がり、足下には死体が転がっている。

 敵の背後から、軽装歩兵の部隊が現れた。羽虫の集団のように散らばってきた。

 動物の革を(なめ)した鎧で胴を守り、巨大な鎌を両手で構えた姿から、大鎌部隊、と私は勝手に名付けた。

 二手に分かれ、こちらの右翼、左翼についた。大鎌に全体重を乗せて、振った。

 湾曲した大鎌の刃が、直立する大盾を避け、持ち主の腕を切り裂いた。

 悲鳴を聞いた味方が、大鎌部隊を槍で突き殺す。だが、他の大鎌の犠牲になった。

 味方の陣形が、両翼から崩れていく。カエサルは、一手を打った。

「後方の者、散開して敵の軽装歩兵を蹴散らせ」

 一対一ならば、軽装の大鎌部隊など重装歩兵の敵ではない。槍で退治していく。害虫駆除でも見ているかのようだ。

 カエサルは現実的な指示をしながら、「前方の者は、腕を切り落とされても盾を離すな」と無理な指示もする。

 大鎌部隊の処理が終わり、「突撃っ」とカエサルは叫んだ。

 何度か衝突を繰り返すと、敵味方ともに密集隊形が崩れ始めた。そのまま、乱戦になった。

 軍靴が入り乱れ、金属音と断末魔が交互する中、私は身を屈めていた。

 馬上のカエサルは長剣を振り、敵の頭を叩き割っている。総大将が矢面に立つとは、ほぼ負け戦にしか見えない。

「カエサル、逃げて!」

 私が叫んだ。老人が自力で戦っても、そのうち限界がある。

「カエサルは、逃げぬ。そなたは、逃げよ」

 カエサルは事務的に応えた。自暴自棄や蛮勇を感じなかった。強い確信を、勝利の確信を感じた。

 このカエサルの胆力にはつくづく驚かされる。しかし、私には「逃げろ」と命令する。

 が、どこに? 

 そう口に出そうとしたとき、私は何かに頭をぶつけた。

ありがとうございました。

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