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奴隷少女とカエサルの後継者  作者: ビジーレイク
第六章 双星を分かつ
13/25

第一話 和平文書(毒入り)

双星は「そうせい」と読みます。

造語です。

正しくは「双子星ふたごぼし」ですね。


         1

 ローマの東、海港都市ブルンディシウム。港湾に軍艦が、冷たい冬の風に耐えていた。

 艦隊を背にしてカエサルは、「荷を捨てよ」と兵士に命令した。

 戦艦の数が少なく、すべての兵士を乗せられない。ましてや、食糧や物資を運ぶ余裕は一切ない。カエサルは、兵士たちに最低限の装備のみを許した。

 限界まで兵士を乗せたので、戦艦が大きく揺れた。兵士たちは同僚と肩をぶつけ合い、不安がった。

「このまま沈没するのでは? 我らを殺すは、ポンペイウスではない。アドリア海という名前の女だ」

「おい、誰か。この女が癇癪(かんしゃく)を起こさないように、ご機嫌をとってやれ」

「こんな身体の大きい女、御免だね。……お前に譲るよ」

「バカを言え。お前んちのカカア、もっとデカかったぞ」

 カエサルの艦隊は東のアドリア海を渡った。

 難なくギリシア西岸部に到着。カエサルは、軍艦の半数を、まだ軍団が残るブルンディシウムに送り返した。

 私たちが到着した先は、港町オクリウムだった。北には湾岸に街道が伸び、敵の本拠地デュラッキウムを目指している。ギリシア人特有の白い住宅が緑の丘に建ち並ぶ。

 カエサルは異国の景色に目もくれず、港町オクリウムを奇襲した。カエサルがポンペイウスの守備隊を一蹴すると、住民たちは、あっさりと開城した。ヒスパニアのような抵抗は全くなかった。

「北のアポロニアに向かう。次々と城を落とすぞ」

 ギリシアの海岸道を突き進む。偵察を周囲に飛ばし、索敵を怠らない。

 密偵の報告によれば、アポロニアもオクリウムと同じく、全体的にポンペイウスの支持率は低い。ヒスパニアと違う。

 ギリシアの住民からしてみれば、ポンペイウスなど「勝手にやってきた厄介者」にすぎなかった。

「交渉次第で無血開城もありうる」と、カエサルは分析した。

 夕方になり、陣を構える。ギリシアの海岸が赤く染まると、南のオクリウムから兵士が報告を持ってきた。

「敵襲っ。アドリア海にて、敵将ビブルスが、我が艦隊を襲っております」

 カエサルは報告を聞いて、「ビブルスか」と、少し笑った。

「知っているの?」

「とても優秀な男である。按擦官(あんさつかん)と法務官、執政官と歴任して、数々の功績を立てた。だが、一つだけ不幸があった。このカエサルが、いつも同僚にいたことだ」

 派手で人気者のカエサルに、手柄をすべて横取りされた、哀れな人である。だが、カエサルの陰で、実務能力を培っていた。

 陰の実力者ビブルスは、カエサル本隊がオクリウムから離れる時機を待っていた。

 狙いは、ローマに戻る艦隊だ。非戦闘員の船乗りを殺し、船を焼いて廻る。味方の船は、すべて沈んだ。

 報告を聞いて、カエサル軍全体が怯んだ。海上の補給経路が断たれる。現状の装備は最小限で、食糧も僅かだ。

 兵士の一人が、カエサルに進み出た。焦りに満たされた顔つきで、進言する。

「オクリウムに戦艦を残しております。残りがビブルスの手に()かれば、私たちはギリシアで孤立いたします。早急に引き返し、ビブルスを撃退するべきです!」

「陣を(たた)め。すぐに出立(しゅったつ)する」

 カエサルは強行軍を決意した。

 私は、カエサルの顔を見た。カエサルは私の視線に気づき、意見を聞いてきた。

「今からオクリウムに向かっても、敵が先に着くであろう。ギリシア人のことだ。すぐに敵に寝返る。……そなたであれば、どうする?」

 兵法書に頼りたくなった。だが、カエサルの眼前で兵法書を開くわけにはいかない。目を閉じると、言葉が浮かんできた。

重地(じゅうち)それまさに食を()がんとす」

 重地――つまり敵地奥深くである。敵地に進入した場合、食糧確保が第一優先事項となる。

「本当に間に合わないのですね」と念を押し、提案した。

「北のアポロニアを制圧しましょう」

 私の発言に兵士たちが、「なに? 南のオクリウムを見捨てるのか?」と、非難の声を上げた。

 (すが)りつく思いで、カエサルを見た。目を閉じて、話の続きを待っている。

「アポロニアを補給基地にします。食糧を確保したのち反転して、オクリウムを制圧したビブルスを挟み撃ちにしましょう。……貴方の海上戦力と一緒に、ね」

 私の提案に、カエサルは驚きもせず、低い声で返事をした。

「その案や良し。ただ、アポロニアが猛烈な反発をするかもしれぬぞ」 

 アポロニアの住民たちの心理を読んだ。アポロニアに関しては、私は心配していない。

「ここは、ギリシアです。ヒスパニアではありません。ギリシアの住民は、貴方であろうと、ポンペイウスであろうと、強い側につくのです」

「兵力の総量は、ポンペイウスが優勢である」

 カエサルも結果を知っている。周囲の兵士たちを納得させるために、わざと私に説明をさせている。

「たとえ総合的な兵力で、ポンペイウスに負けていても、関係ありません。貴方の兵力が、アポロニアに駐在しているポンペイウスの守備兵力を上回っていればよいだけです。アポロニアの住民にとって、自分たちの目先の生存が、最優先事項なのですから」

 私の説明が終わると、カエサルは北の進軍を指示した。オクリウムを救援しない。

 兵士たちの中には、「味方を見捨てるのか」と不満を言う者もいたが、カエサルに従いていった。

 カエサル軍は列をなして、夜間の強行軍である。今度は私が不安になった。

「これで良かったのかしら」

 もしも、ビブルスがアポロニアに「カエサル孤立」の連絡をしたら、アポロニアの抵抗は激しくなる。

 アポロニア攻略に手間をとっている一方で、ポンペイウスが本隊を率いてくれば、終わりである。食糧がない状態で敵の大軍に包囲されれば、私たちは全滅する。

 だが、カエサルの考えは、違っていた。

「案ずるな。余に競争心を持ったビブルスだ。必ず功に焦る。アポロニアに報告するのは、後回しにするはずだ」

 ビブルスの心理を、同僚だったカエサルは読んだ。安心した私は、さらに提案した。

「オクリウムに残した軍を海岸道に並べましょう。薄く横に並べて、大軍に見せかけて、ビブルスを騙すの」

 指示書を早馬に出す。完全に博打である。

 アポロニアに急ぐ。未知の土地での行軍、しかもビブルスの報告との競争である。

 アポロニアの門に到着する。カエサルは周囲に「剣と盾を打ち鳴らせ」と命令した。

 兵士たちが威嚇をしている中、カエサルは、雷のような怒号を上げた。

不埒(ふらち)なポンペイウスの家来どもよ。このカエサルが成敗しに来たぞ」

 この示威行為は、アポロニアの住民に作用した。住民が我先に開門した。

 ポンペイウスの守備隊は持ち場を放棄して、裏門から逃げていった。

 アポロニアに入城した。カエサルが住民に感謝の意を表している横に、報告の兵士が駆け寄った。

「ビブルスはオクリウムに進行中でしたが、退却しました。こちらの反転攻勢を予期したものと見られます」

 カエサルは、何も聞こえていない振りをして、兵士に食糧の補給を命じた。

        2

 アポロニアで補給を済ませたのも束の間、カエサルに危急の報せが飛んできた。

「ここより北、デュラッキウムに、敵軍が集合しています」

 ポンペイウスの考えは、明白だった。軍を集め、カエサルを一気に叩くつもりだ。

 カエサルの兵力は僅かで、増援の期待は薄い。退却しようにも、ビブルスの艦隊に退路を塞がれている。退路は存在しない。孤立した死地にいる。

 殺戮(さつりく)の情景が、頭に思い浮かぶ。このアポロニアが血に染まる……。

 兵士の中には口を抑えて、込み上げてくる胃液を我慢している者もいる。

 だが、カエサルの反応は、兵士たちとは全く反対であった。姿勢を正し、厳かに命令を出した。

「こちらも出るぞ」

 なんて勇敢な男だろう。兵士の中には「無謀です」と感想を述べる者もいる。

 カエサルの軍はアポロニアを出発し、街道を突き進む。

 アプスス川に到着した。アプスス川は、西から東に走る。川の向こう岸に、ポンペイウスの大軍が姿を現した。

 カエサルは間に合った。川沿いに横陣を敷き、防衛線を張った。

 私は川の前で跪き、冷たい水面に触れた。

 このアプスス川に足を踏み入れた者は、冷気で力を奪われ、投げ槍と弓矢の犠牲になるだろう。カエサルが即座に出撃を判断しなければ、自然の防壁ともいうべき川を失う結果になっていた。

 カエサルとポンペイウス。川を挟んでの睨み合いが始まった。

 だが、改めて見ると、敵の天幕が圧倒的に多い。ポンペイウスの大軍が川を越えれば、カエサルの薄くて細い防衛線など、一瞬に消える。

「アントニウスは、まだか」

 カエサルは、軍机を叩いた。

 海上のアントニウスは、ビブルスに封殺されていた。人数、艦隊数といった物量の点でビブルスに負けている。

 物量以前に、ビブルスには強い執念があった。夜は甲板で寝泊まりし、昼間は舐め尽くすようにアドリア海上を警邏(けいら)している。

 若く経験の乏しいアントニウスに、勝ち目はない。

 海軍の指揮をアントニウスではなく、もしもデキムス・ブルートゥスが執っていたら、状況は変わっていたかもしれない。……空虚な妄想にすぎないが。

 カエサルは軍机を前にして「時間稼ぎをするぞ」と、決意した。

 カエサルは、静かに興奮していた。新しい遊びを思いついた子供のようだ。私に口述筆記をさせる。

「ポンペイウスよ。我ら双方ともに被害を受けた。これ以上の戦は、(いたずら)に人々を苦しめる結果になる。武器を収めるべきである。我々は常に、好敵手であった。いわば、互いを知り尽くす仲である。我らの勝敗を決めるのは、ローマ市民と元老に委ねよう……」

 和平を持ちかけて、時間稼ぎをする気だ。

 とある考えが思いついた。

 現況、我々は追い詰められている立場にある。和平交渉を持ちかけると、敵に弱さを見抜かれてしまう可能性がある。

 和平文書には、読む人間に有無を言わせない、迫力を持った筆跡を選ぶべきだ。

 ポンペイウスも目を通すのだ。カエサルの字は悪くはないが、力強さよりも美しさが強調されていて、不向きである。

 私は裁判所で、判決文を模写した経験がある。裁判官の字には、反論を許さない強さがあった。カエサルの草案を耳にしながら、記憶を頼りに、裁判官の字を再現した。

 カエサルは文書の出来具合を眺め、いつもと違う筆跡に、一瞬ちらっと戸惑った。

 だが、すぐに和平文書を丸め、指輪印を押した。

「そなたは、賢いな」と目を細めて喜んだ。最近、誉められる回数が増えてきた。

 ルフスを呼んだ。ルフスはポンペイウスの参謀だった人で、ヒスパニア攻略したときにカエサルの軍門に下った。ポンペイウスの交渉役として適役だった。和平文書を、ポンペイウスに届けさせる。

 すぐにルフスが手ぶらで戻ってきた。

「ポンペイウス殿は、お姿を見せませんでした」

 敵側は静かだった。

 予め敵陣に放っていた密偵が、戻ってきた。

「敵内部で主戦派と非戦派に分かれ、議論しています」

 敵の中には戦争に疲れて、ローマに帰りたがっている者もいる。

 カエサルは、鋭い目つきで密偵に訊いた。

「ポンペイウスは、主戦派か非戦派か」

「なんら意見を言っておらず、ただ沈黙を保っているようです」

 密偵は直接ポンペイウスから話を聞いたわけではなく、敵陣に広がる噂を収集しているにすぎない。どうしても伝聞推定の報告になってくる。

 カエサルは「解せぬ」と、首を捻って私に質問の矢を向けた。

「そなたがポンペイウスならば、どうする?」

「あたしがポンペイウスでしたら、今が最高の好機だと思います。兵力差は歴然ですから、アプスス川を越えて攻めます。……他の元老たちに遠慮してできないかもしれませんが」

 カエサルは私の回答に賛成したが、それでも腑に落ちない。

「ポンペイウスであれば、反対意見を押し切ってまで攻めるはずである。……それとも、ローマの英雄ポンペイウスも老いたか。戦うより守りに入ったのやもしれぬ」

 カエサルの疑問を置き去りにして、和平の皮を被った時間稼ぎは機能していた。

 二ヶ月が過ぎた。アントニウスの到着はまだであったが、敵も攻めてこない。

 たった一枚の和平文書が、ポンペイウスの大軍を足止めにしたのである。

        3

 昼食後、私はお椀を洗いにアプスス川の水辺まで出た。

 毎日の習慣だが、命の危険を伴う。幅の狭いアプスス川は、敵兵の顔が見えるほど距離が近い。対岸には木々が多く、敵が潜むには恰好の場所だ。

 向こうの茂みが揺れ、私は反射的に身を伏せた。弾みでお椀を川に落としてしまった。

 茂みをもう一度さっと見たが、誰もいない。気のせいだ。水面に目をやると、お椀が下流へと流されていく。

 お椀を追いかける。冬の川に素足を踏み入れる勇気はない。

 進行を、木と茂みに邪魔された。迂回して、森の中に入った。森から出て、水面を見たが、完全に見失った。

 人の気配を感じる。水辺に騎士……平均的一般人ルクルスが歩いていた。最近、全く話をしていない。理由は分からないが、私を避けている。

 今も逃げようと、私に背を向けた。だが、馬が突然の方向転換に対応できず、まごついている。

「どうして逃げようとするの」

 ルクルスの腕を捕まえた。ルクルスは下を俯いて、小さく呟いた。

「プラケンティアの件なんだけど」

 反乱の首謀者に仕立て上げられた体験を、まだ引きずっている。

「首謀者も死んだし、第九軍団もカエサルの命令に素直に従っているわよ。もう解決済みでしょう。貴方の疑いは晴れたんだから、今更グズグズ言って、どうするの」と早口で慰めた。

 だが、ルクルスは夢でも見ているかのように、私の話に興味を示さない。

 口を重そうに開いた。

「反乱の首謀者は、僕だ」

 意外な告白だった。ルクルスから嘘をついている気がしない。ルクルスが身体を動かすと、私は身を縮めた。たとえ友達でも、反乱の首謀者である。秘密を知ったからには、殺されるかもしれない。

 ルクルスは馬を引き、森の中に消えていった。

 いつルクルスが翻意して私を殺しに来るか分からない。私はルクルスとは反対方向を歩き出した。

 だが、数歩ほど進むと、考えが逆転した。

 平均的一般人のルクルスが反乱を企てる理由が想像できない。ひょっとして、誰かに脅されて、自分が首謀者だと言わされているのかもしれない。

 それに、私を殺して証拠隠滅をしたいなら、今あの場で殺せたはずだ。告白した動機は罪の意識から逃れたいからかもしれない。

 追いかけよう。理由を聞かなくては。

 私は、ルクルスの後を追った。森の中に入ったが、ルクルスの姿は見つからない。

 ルクルスの居場所より、自分の居場所が分からなくなってきた。

 迷った挙げ句、ようやく森を出られた時には、夕日が沈んでいた。

 川辺に出た。味方の兵士たちが(かがり)()を囲っていた。

 兵士の一人が石を拾い上げ、向こう岸に投げた。石の水没音が聞こえた。

 向こうから石が飛んで来て、兵士の足下に水飛沫が上がった。兵士が笑った。向こうからも笑い声が聞こえた。ふざけ合っている。

 敵味方の兵士が川を挟んで話を始めた。お互いの出身地や名前を知り合っていた。

 敵味方とはいえ、同じローマ軍の兵士である。平和な時間が二ヶ月も過ぎると、自然と仲良くなるのも、無理はない。

「なにをしておるっ」

 切り裂くような一喝が響いた。

 兵士たちが一斉に静まり返った。聞き覚えのある声だった。

 向こう岸を見ると、甲冑姿の男がいた。月明かりを背にして、顔がよく見えない。全身の輪郭に、見覚えがある。

「勇ましいローマの兵士諸君……。諸君らの職務は、敵と仲良くすることか? 敵を打ち破ることであろう」

 カエサルと口調が同じだ。カエサルが向こう岸にいるのかと勘違いしたくらいだ。向こう岸のカエサルが、冷たく言い放った。

「和平は、ありえない。……カエサルの首こそ、和平の条件である」

 語気に、どこか底知れぬ迫力があった。

 カエサルを殺せ、と言っている時点で、この男はカエサルではない。

 顔を覗き込もうとすると、戦袍(せんぽう)を翻して闇に消えていった。

 私も陣に戻ろうと振り返った。闇の中で誰かにぶつかった。見上げると、カエサルだった。カエサルが二人いる。

 カエサルは私を見下ろした。私の体当たりなど意に介さない。

「アントニウスが到着した。敵に妨害される前よりも先に合流するぞ」

「アントニウスは、ビブルスの防衛網を突破できたのね」 

「違うぞ。ビブルスが死んだのだ。……身体が任務に耐え切れず、船の上でな」

ありがとうございました。

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