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奴隷少女とカエサルの後継者  作者: ビジーレイク
第五章 独宰官カエサル
11/25

第一話 属州総督

閑話休題的な内容です。

        1

 丘の(ふもと)で、カエサルとヒスパニアの軍団が、対面した。

 横一列に並ぶ二つの軍団であったが、顔つきが対照的だった。カエサル軍は血色よく、意気揚々としている。ヒスパニア軍団は、追撃され続けた結果、弱っている。泥だらけの姿、頬は痩せこけ、髪は乱れている。

 報告の兵士が、カエサルに耳打ちした。

「マッシリア海域にて、ポンペイウス艦隊が我が軍を強襲。デキムス・ブルートゥス殿が応戦しておりますが、少数にして、圧倒的不利でございます」

 カエサルは「わかった。すぐに救援に向かうと伝えよ」と兵士を送り出した。

 マッシリアで味方が危機に陥っても、優雅な足取りで、軍と軍と中間に歩いていく。私も書記として同伴した。他に護衛をつけていない。

 ヒスパニア軍団の中から、老将アフラニウスが目の下に大きな(くま)をつくり、死人のような足取りで、敵味方の兵士が見守る中、カエサルの足下に平伏した。

「今回の戦、この老骨に、責がございます。兵に(とが)はありません。閣下におかれましては寛大なる処置を(たま)うよう……」と、力なく頭を下げた。

 カエサルはアフラニウスを助け起こし、優しく諭した。

「そもそも此度(こたび)はポンペイウスの一方的な猜疑(さいぎ)(しん)が引き起こした戦である。御身は職務に忠実であっただけにすぎぬ。何故、責があると言えようか」

 息を吸い込み、声を張り上げる。

「アフラニウス、ペトレイウスの両将を、無罪放免とし、ポンペイウスの(もと)に戻ることを許す。ヒスパニア軍団は解散、兵は武器を捨て帰宅せよ。カエサルの軍に加わりたい者は、ここに残れ」

 生命の安全を保障され、ヒスパニアの兵士たちは喜んだ。歓喜が響く中、私は公文書にカエサルの宣言をしたためる。

「カエサル及びその兵は勝者の権利を行使してはならない。すなわち、ヒスパニアの兵を追撃してはならない。近辺の村々を略奪してはならない。婦女子を陵辱(りょうじょく)してはならない」

 最後の一言に、クピドゥスの件を思い返した。私は硬直した。カエサルの視線を感じ、異常に気付かれないように平静を装う。

 カエサルとアフラニウスは、各自の指輪を取り出し、調印した。

 ヒスパニア軍団の解散を見送った後、カエサルは即座に次の行動に移った。

 マッシリアに背を向けて、ヒスパニアの奥地に向かう。そこは、ポンペイウスの腹心のヴァッロが守備していた。

 このヴァッロは、作家として高名な人で、ポンペイウスに演説原稿を任されるほど信任が厚かった。だが、軍事的才能はなく、カエサル軍の接近を知ると、すぐに降伏した。

 カエサルは、この文人ヴァッロも許す。兵士を帰宅させ、ヒスパニアの武装解除は完了した。

 カエサルは取って返し、マッシリアを目指す。

 マッシリアの包囲戦は、まだ終わっていない。カエサルに焦りが見えた。ヒスパニアでは戦後処理を手短に済ませたものの、攻略に時間を掛けすぎた。

 行軍が止まる。天幕でもカエサルは休まない。報告書に素早く目を通し、指示を出す。

 私が書類の整理をしていると、クピドゥスが書いた報告書が目に留まった。クピドゥスの字を見ると、怒りが込み上げてくる。

 カエサルの目を盗み、悪事を働くクピドゥスの笑う姿が、許せない。

「ねぇ、カエサル……このクピドゥスなんだけど」

 他人に罪をなすりつけて村娘を強姦したり、私も襲おうとした……。だが、言葉が出ない。

 告発は、同時に告白でもある。自分が襲われそうになった事実を思い返し、私の身体が震え出した。

「どうした。クピドゥスが、何だ? そなたら知り合いか?」

 言い(よど)む私をカエサルが(いぶか)しげに見る。

 事実を伝えるべきだ。だが、告白したくない。身体が拒絶している。あのときは何も感じなかった不快感が、私を襲った。

「伝令、伝令っ。マッシリアより、伝令っ」

 外から、兵士の叫び声が聞こえる。悲痛な声から異常を感じ取った天幕の兵士たちが、一斉に飛び出た。

 カエサル軍は息を呑んだ。報告の兵士が、深呼吸して、叫んだ。

「ブルートゥス殿、またも勝利! ポンペイウス艦隊は敗走。マッシリアは補給を断たれ、降伏しました」

 歓声は起こらなかった。爆笑だった。笑い声が陣を包む。少数のブルートゥスが、多勢のポンペイウスを二度も追い払った。もはや、喜劇であった。

 クピドゥスの件は有耶無耶(うやむや)になった。

        2

 マッシリアの門外には、兵士の死体が累々と積まれ、煙を立てて燃え上がっている。城門を潜ると、街の内部自体は無傷であった。

 住民たちは身を寄せ合い、怯えていた。最近まで激しい抵抗をしてきたので、カエサルの苛烈な処置を想像していた。

 だが、カエサルの処置は、ヒスパニアの場合と同じだった。

「マッシリアの諸君よ。これまで通り、諸君の自治を認める。カエサルとその兵は、そなたらを傷つけなどはせぬ」

 マッシリアの人々は抱き合って喜んだ。街の有力者たちはカエサルの寛大さに、感謝の意を表した。

 反対にカエサルの兵士たちは、不満で肩を落としている。勝者なのに、敗者のようだった。

 マッシリアは地中海でも屈指の海港都市で、金銀財宝に(あふ)れているのに、略奪できない。

 略奪や強姦といった勝者の権利は、敗者である住民の猛反発を招く。カエサルは内乱を平定した後の政局を見通して、勝者の権利を禁止している。

 落胆している兵士たちはカエサルの意図を理解していない。

 次にカエサルはデキムス・ブルートゥスを呼び出した。

「デキムス・ブルートゥスよ。そなたは、ローマ史上最高の勇者である。これより、余を父と呼ぶがよい」

 ブルートゥスは呆然としている。何が起きているのか、理解できていない。

 カエサルは真紅の戦袍(せんぽう)を自分の肩から外し、腰から宝剣の入った(さや)を併せてブルートゥスに手渡した。

「これが、その証だ。我が息子よ、受け取れ」

 戦袍と宝剣を手にして、ブルートゥスは数歩あたふたと後退し、石畳(いしだたみ)の道路に平伏(ひれふ)した。

「身に余る光栄、慎んで承ります!!」

 ブルートゥスの叫びがマッシリアに響き渡る。

「ローマの法務官レピドゥスに伝えよ。デキムス・ブルートゥスを、ガリア・キサルピナの属州総督に任命する」

 これには兵士たちも(どよ)めいた。異例の抜擢である。

「我が息子、デキムス・ブルートゥスよ。マッシリアを拠点とし、ガリア・キサルピナに善政を敷け」

 カエサルは、暖かい眼差しを向けた。ブルートゥスは、平伏(ひれふ)しすぎて地面と一体化している。

 カエサルは戦後処理を早々と済ませ、門を出る。街の外で陣を構えた。

「あれ、誰もいねえ」

 ブルートゥスが、我に返った。石畳に膝をつけたまま、周囲を見回した。

「カエサルなら、もう出て行ったわよ」

 私はブルートゥスの起床を待っていた。ブルートゥスは顔を上げ、嬉しそうに笑顔を見せた。

「お前、生きていたのか」

私は、この男が生きていても、嬉しくない。

 本当に大軍を追い払ったのだろうか。気になったので訊いた。

「ブルートゥス。漁船二隻で、どうやってポンペイウスに勝ったの? 戦艦を奪う戦術だったけど」

「そりゃ、お前。敵とお友達になれっつったのは、お前だろ? これ、漁船な」

 掌を見せる。船に見立てているつもりらしい。左右で二隻だ。例の漁船二隻らしい。

「お魚をいっぱい獲った」

「本当に釣りをしていたの? 戦争中に?」

「獲った魚をマッシリアの商人に売り払った」

「商売しているし」

「マッシリアの商人と仲良しになったら、漁船を改装し、商船にした。今度はポンペイウスの兵士たちと仲良くなった。……で、兵士たちに商品を売った」

「魚を売ったのね」

「違う、カエサルの情報だ」

「ブルートゥス、カエサルを裏切ったのね!」

 なんという男だ。ブルートゥスが手を振って否定した。

「偽情報だよ。信頼してもらうために、多少は真実も混ぜたけどな……戦艦の中を自由に歩かせてもらった。内部が分かってしまえば、後は忍び込むだけ」

「そうやって、戦艦を奪っていったのね」

「岸に孤立している戦艦を奪ったりもしたけどな。結構な苦労をしたが、敵の兵力も削れるから、楽しかった」と、子供のような感想を述べた。

「実際ポンペイウスとドンパチになったとき、マッシリアに停泊している船に火を点けた。燃えて燃えて面白かったぞ。敵の援軍が慌てまくって、邪魔してやったら、陣形が崩れた。そこをボコ殴りよ」と、両手をひらつかせ海戦を熱心に説明している。

 だが、さっぱり意味が分からない。

「そんで、グワッシャーとやったら、勝てた。まあ、とにかく一生懸命に頑張れば、人生なんとかなるっつーことだ。ぶはは」

 腹の底から笑っている。

 デキムス・ブルートゥス。この男は、本当に愚か(ブルートゥス)だ。

「しっかし、マッシリアってぇのも辛気くせぇ名前だよな。俺が総督になったから、改名してやる。お洒落(しゃれ)な感じがいい。そうだな……マルセイユとか」

「勝手に変えないで!」

 戦争は強いかもしれないが、ブルートゥスに政治を任せてはいけない。黄金の布、絹を貰ったお礼をしたくて待っていたが、馬鹿馬鹿しくなってきた。

 ブルートゥスに背を向け、街の外に出る。後ろから、ブルートゥスが「待てよ」と(わめ)いて追いかけてくる。

「なんで、従いてくるのよ。貴方は、マッシリアに残るんでしょ」

「俺も、ローマに帰る必要があるんだよ」

        3

 陣には、カエサルがいなかった。

 カエサルの居所を兵士に聞くと、「ここから北東の都市、プラケンティアで暴動が起きた。カエサルは、そこの鎮圧に向かった」と、答が返ってきた。

 ブルートゥスは私を馬に乗せ、自身も馬上の人になった。

「カエサルを追いかけるぞ」と、私の背後で叫ぶ。

 私の意向など気にしない。太くて(たくま)しい腕が私の両脇から這い出てきて、手綱(たづな)を掴んだ。

 ブルートゥスの掛け声とともに、馬が発進する。街道を突き進む。速い。まるで矢になったようだ。

 ルクルスに乗せてもらった経験があるが、ルクルスの場合と比べたら、速さが違う。

 振り降ろされまいと、私は必死になって馬にしがみついた。

 だが、ほどなくして、馬の速度は徐々に落ちていった。ブルートゥスは、「乗り換えるぞ」と、私を降ろした。

 目の前には、宿場があった。

 ローマの街道には、宿場が等間隔に設置されており、早馬の旅人は、ここで馬を乗り換える。

 街道を照らす太陽が沈み、空は赤みを帯びてくる。

 速さに身体が慣れてきた。風が爽快だ。(ひづめ)の音が心地よい。馬に乗る楽しみを理解できた。

 ブルートゥスの手綱を捌く腕の動きは、普段のブルートゥスから想像できないほど、無駄がなく、繊細であった。

 馬を乗り継ぎ、プラケンティアに到着する頃には、すっかり暗くなっていた。

 プラケンティアは静かだった。街の外でカエサル軍と暴徒たちと思しき集団が向かい合っている。

 意外にも、暴徒たちは拘束されていない。整列して、その場に座り込んでいる。

 松明の明かりに照らされ、暴徒たちの顔が見えた。見覚えがある。意外な犯人に、ブルートゥスは声を上げた。

「お前ら、第九軍団か」

 暴徒とは、カエサル軍の精鋭部隊、第九軍団であった。カエサルは第九軍団に問い(ただ)した。

「市民諸君。そなたたちは何故、暴動を起こしたのか。諸君の義務はローマの安寧ではなかったのか。その職務に背くのか」

 第九軍団の誰かが叫んだ。

「背いてはおりません。ただ権利を主張しただけです」

 一声を皮切りに、口々に申し立てた。

「ガリア遠征が始まって以来、一度も休んでいない」「我々は市民であって、奴隷ではない。休む権利がある」「貴方には、これ以上ないほどの忠勤を捧げた」「苦労の割には報酬が少なすぎる」……。

 これまでの不平不満が(せき)を切って溢れ出た。休暇と報酬を求めて、暴動を起こしたと主張する。

 カエサルは静かに聞いていた。第九軍団の訴えをすべて聞き終え、口を開く。

「第九軍団を十分の一刑に処せ」

 周囲は一瞬、唖然としたが、慌てて止めに入った。

「おやめください。十分の一刑は極刑です。我が兵は少数。主力である第九軍団を失っては、これからの戦に勝てませぬ」

「構わぬ。ローマの兵が、無辜(むこ)の民を襲うとは何事か。クジの準備をいたせ」

 聞き慣れない単語を聞いて、私は隣のブルートゥスを突っついた。

「十分の一刑って、なに?」

「十人の兵士にクジを引かせる。アタリを出した奴を棒で打ち殺す。……他の九人が打ち殺す。反逆罪とかにやる、一番重い刑罰だな。実際に運用されるのは、初めて見る」

 カエサルの怒りは収まらない。雷鳴のように喚いた。

「首謀者は誰だ。煽動した者がいるはずだ」

 あまりの怒気に、第九軍団はお互い顔を見合わせた。兵士の一人が、震える指を突き出す。方向は第九軍団ではなく、カエサルの背後だった。

「あの男ですっ」

 一人の男が、皆の視線を集めた。平均的一般人のルクルスだった。

 ルクルスの顔から血の気が引いていく。細い足が震え始めた。

 周囲の兵士たちに両脇を抱えられ、連れて行かれた。

 その様子をクピドゥスが見ていた。嘲笑(あざわら)っている。強姦犯のときと同じだ。

 今回も、クピドゥスの仕業に違いない。無実のルクルスに自分の罪をなすりつけた。

 怒りが込み上げてくる。我慢できず私は走った。クピドゥスに飛びかかりたいところだが、女の私では返り討ちに()うだけだ。

 カエサルの天幕を見つける。陣の中央にあるので、わかりやすい。中に入り、明かりを点けた。

 心を落ち着かせてクピドゥスの筆跡を思い返す。

 白紙のパピルスに指示書を書く。第九軍団に向かって、叛乱(はんらん)(そそのか)した内容である。最後はルクルスに罪を被せる……。

 署名は、クピドゥス。怒りに任せて、一気に書き上げた。指輪印は必要ない。非公式の文書だから。

 天幕を出て、走った。

 息を切らせて、ブルートゥスに「これを、カエサルに渡して」と、パピルスを渡す。ブルートゥスは文書に目を通し、首を(ひね)った。

「これ、本当にクピドゥスって奴が書いたのか。あからさまにクピドゥスを犯人に仕立て上げようとしているぞ。証拠過剰ってやつだ」

 この男、妙なところで鋭い。議論している暇はない。ありのままを話した。

「クピドゥスは、強姦の常習犯なの」

 私はクピドゥスの悪行を、訴えた。他の人に強姦の罪を(なす)り付けたり、私を襲おうとしたたりした。ブルートゥス相手だと、何故か抵抗なく告白できた。

 私がすべてを言い終える前に、ブルートゥスは、飛び出していた。カエサルにパピルスを突きつけた。

 私の偽造文書を読み、カエサルは即座に叫んだ。

「クピドゥス、どこにおる。そなたが首謀者であったか!」

 雷に撃たれたかのようにクピドゥスは背筋を延ばした。

 周囲の兵士たちは、巻き込まれたくないとばかり、さっとクピドゥスから離れる。クピドゥスが、弁解した。

「違います。何かの間違いです。カエサル、私が貴方に逆らうはずがありません」

「証拠は、ここにある。何を弁解するか」

 カエサルに見知らぬ文書を見せられ、クピドゥスの目が泳ぐ。クピドゥスは私に気づいた。

「お前の仕業だな。お前が何かをしたな。俺になんの恨みがあるって言うんだ?」

 だが、次の言葉は悲鳴になった。後ろにいたブルートゥスに羽交い絞めにされた。処刑場に連行されていく。

 ルクルスが、クピドゥスの入れ替わりに戻ってきた。

 棒打ちされる前に救出できたので、身体は無事だった。だが、目は死人のようだ。私が呼んでも、返事をしない。

 刑が始まった。棒を打つ音と兵士たちの断末魔が夜空に響く。私は耳を塞いだ。

 ヒスパニア軍団やマッシリアを許した寛大なカエサルは、どこに行ったのか。

 クピドゥスは自業自得(じごうじとく)だが、第九軍団は、自らの権利を主張したにすぎない。敵を生かし、味方を殺す。カエサルの思考についていけない。

 私はブルートゥスに(すが)りついた。

「ねえ、ブルートゥス。カエサルの考えが合理的だと、思えない。カエサルは怒りで気が触れたのかしら」

 ブルートゥスは少し考えて、説明した。

「カエサルは、かなり冷静だぞ。第九軍団の全員を里帰りさせるより、十分の一を殺したほうが、マシだろう。十分の九が残るって計算だわな」


ありがとうございました。

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