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5章 ハートの騎士

「美羽~! 何処に行ってたのよ~! もう~、探したのよ~」

「え? アリン? って、うわ! 冷たい! 濡れててる! グショグショじゃん!」

 ぐっしょりと濡れた塊が、突然、美羽の胸に飛び込んで抱き着いてきた。反射的に引きはがして投げ捨てようとして、寸でのところで思いとどまる。美羽にしがみついて、ぼたぼたと水滴を垂らしているその塊は、水も滴るお姫様、アリンだった。

 濡れそぼったアリンを抱きしめようかどうしようか腕を彷徨わせて、手に持っているハートのカードが目に入った。

 美羽はアリンの目には入らないように、そっとカードをスカートのポケットにしまう。どうして、そうしたのかは自分でも分からない。ただ、何となく、体が勝手に動いてしまったのだ。

 アリンを疑っているつもりはなかったが、霧の中での出来事を、どうアリンに話したらいいのか、分からなかった。

 自分でもまだ、あれがどういうことなのか、整理がついていないのだ。

 マネキンにされてしまった女の子が言っていたことも。

 絵本の魔女が言っていたことも。

 いずれ、異形に遭遇すればカードを使う必要に迫られるだろう。そうしたら、結局は、美羽がカードを手に入れたことがバレてしまう。だったら、まだカードの使い方をマスターしたわけではないのだし、いざ異形に遭遇した時に慌てなくていいように、アリンに使い方を教わって練習しておいた方がいいだろうということは、頭では分かっていた。分かっていたけれど、それでも。アリンにカードを手に入れた経過を話すことを、美羽は躊躇った。

 ポケットの中で、しばらく指を踊らせた後、美羽はカードを奥へと押し込み、空になった手を引き出す。

 カードのことは、とりあえず保留にすることにした。

 それよりも、今は濡れたアリンだ。

 絞ったら怒られるかなぁと考えながら、空になった両手でアリンを掴んで、自分の体から引きはがす。自分の体も濡れていれば、再会を喜び合って抱擁したいところだが、今の美羽はサラサラに乾いている。せっかく乾いている制服をこれ以上濡らされたくなかった。

「あら? 美羽。あなた、いやにサラっとしているわね? いつの間に服を乾かしたの?」

「さあ? 気がついたら、勝手に乾いてたんだけど。風通しがよかったとか?」

「いくら風通しがよくったって、そんなにすぐに乾くわけないでしょ! …………美羽。わたしとはぐれている間に、誰かに会ったりしなかった?」

「え? う、ううん。どうして?」

 心臓をドキリと跳ねあがらせながらも、美羽は空惚けた。

 アリンは笑顔の刺繍のまま、疑わし気に美羽を見上げてくる。内心冷や汗をかきながらも、美羽はなるべく何でもない顔をして、アリンと見つめ合った。

 絵本の魔女と会ったことを、見透かされているような気がしてきた。

 美羽の制服を乾かしてくれたのは、絵本の魔女なのではないかと美羽は思っている。本来なら、アリン同様ぐっしょりと水を滴らせていたはずの自分を、ほんのわずかな時間で乾かすなんて、魔女の魔法でなければ不可能だろう。たぶん、アリンもそれを疑っているのではないかと思う。

 ふと、アリンと絵本の魔女が、絵本の中の王子様を巡るライバル関係にあることを思い出して、少し気まずい思いをする。

 でも、だからと言って。いや、だからこそ、今更、絵本の魔女と会って話までしたことは言いづらい。

 美羽は、そのまましらを切りとおすことにした。

「…………やけに疑ってるみたいだけど、なんか心当たりでもあるの?」

「え? う、ううん。そういうわけじゃ、ないのだけれど。まあ、誰にも会ってないのなら、それでいいのよ。それじゃ、行きましょうか」

 逆に美羽の方から尋ねてみると、アリンはあっさりとそれ以上の追及を諦めた。

 何となく、何かを誤魔化しているようにも感じられたけれど、美羽にも隠し事をしている負い目がある。

 きっと、恋のライバル相手には、いろいろと複雑な何かがあるのだろうと自分を納得させながら手の中のアリンを見下ろす。

 まあ、可愛い。可愛くはある。けれど、材質のせいかもしれないが、お姫様の割には何というか素朴で平凡な可愛さだ。美少女かどうかと言われると、正直微妙だった。

 対して、絵本の魔女の方は、文句なしに美少女だ。息を呑むような仄暗いオーラを身に纏う、掛け値なしの美少女。

 布製の人形とビスクドール。

 そもそも、人形の種類が違うのだから、比べることが間違っているのかもしれないが、人形になる前の当人たちの印象も、たぶん、今とそうかけ離れてはいないと思うのだ。

 絵本の王子様が選んだのは、アリンだ。

 選ばれたのはアリンだが、どちらの方が美少女かと言えば、やはり絵本の魔女の方だろう。

 アリンを見つめながら、後藤加奈の顔を思い出す。絵本の魔女のような影はないが、同じように目鼻立ちがはっきりとした華やかな顔立ち。後藤加奈は、美貌を鼻にかけた嫌な子だと思うが、あの美貌自体は正直なところを言えば羨ましいと思う。

 美羽の王子様が選んでくれたのは美羽であって、華やかな顔立ちの後藤加奈ではない。

 そのことに優越感を感じつつも、それでも、やはり羨ましいと思うのだ。女の子として。

 アリンも、同じようなことを感じたりしているのだろうか。

 そう考えると、手の中の人形に、急激に親近感が湧いてきた。

「ねえ、美羽。あなた、何か失礼なことを考えたりしていないかしら?」

「え? う、ううん。ソンナコトナイヨ」

 アリンに考えを見透かされ、美羽は片言で目を逸らす。

 逸らした目線の先に、河が見える。美羽はついでに話も逸らすことにした。

「そ、そう言えばさ。服が渇いていたのも不思議だけど、あたしたち、どうやって岸までたどり着いたのかな?」

「ああ、それなら。あそこに銀色の大きな魚がいるのが見えるかしら」

 アリンが腕で指し示した先を目で追う。斜め前方に銀色の魚らしきものの背が見えた。銀入りのビニール製の魚。鱗は模様がペイントされているわけではなく、ご丁寧にも一枚ずつちゃんと作られている。

 異形と遭遇した時とは違った種類の戦慄が背筋を駆け抜けた。

 美羽は魚が苦手なのだ。

 少し離れたところを泳いでいるので、サイズが分かりづらかったが、ワゴン車くらいはありそうだった。あれなれば、確かに美羽を背に乗せることも出来るだろう。

 もしかしたら、気を失っている間に、背中に乗せて岸まで運んでくれたのだろうか。そう考えるとゾッとするが、記憶がないのはある意味幸いかも知れなかった。

「わたしたち、河に落ちて直ぐに、あの魚に飲み込まれたのよ」

「え?」

 全身に鳥肌が立つ。

 信じられない思いで、アリンを見下ろす。手が震えて、今にも取り落としそうだった。

 背中に乗せられただけでもかなりギリギリのラインなのに、魚に丸呑みされたなど、たとえ記憶がなくても許容範囲を大幅に超えている。出来れば、知りたくなかった。

「つ、つつつつ、つまり。つまり、飲み込まれて、岸に向かって、吐き出されたってこと?」

「うーん、吐き出されたっていうか……」

 カチカチと歯を鳴らしながら尋ねると、アリンは言葉を濁した。

「な、何? 何なの? 何があったの?」

「えーとね、気を確かに聞いて欲しいのだけど、その。…………わたしたちと一緒に飲み込んだ水ごと、お尻からブシャーって……」

「お、おおおおおおお、お尻から……。魚の、お尻から……」

 美羽の瞳から光が消えた。そのまま、膝からへなへなと力なく座り込む。

「あ、あたしは、魚のお尻から出てきた女の子…………。こんなことが、王子様に知られたら……う、うう、どうしよう、王子様に嫌われちゃったら……。魚の……お尻…………」

 アリンを放って、蹲ってぶつぶつ言い始める。

 アリンは慰めるように、グショグショの手を美羽の頭に置いた。髪が濡れて、水滴が落ちていくが、美羽はそれにも気が付かない。

「しっかりしなさいよ。魚って言っても人形なのだし、そんなに気にすることはないと思うわよ?」

「…………………………そ、そうだよね? 人形、人形なんだもんね? 別に汚くないよね? そうだよ、魚の形のオブジェの中を潜り抜けただけだと思えば……」

 美羽は、がばッと顔を上げた。瞳にほんの少しだけ光が戻っている。

「そうそう、そうよ。それに、王子様には、黙っていれば分からないわよ。こんなこと、わざわざ伝える必要もないし。……伝えられても困ると思うし」

「そ、そうだよね?」

「そうそう。わたしと美羽の秘密ってことにしておきましょう。女は、秘密がある方が魅力的に見えるものよ。そう、むしろ、わたしたちは女を上げたのよ!」

「…………いや。こんな秘密で女を上げても……全然、嬉しくないし……」

 美羽は複雑な顔で、乾いた笑いを洩らした。

「はあ。行こっか」

 ため息をついてアリンを持ち上げ、そのままじっと、水を吸ってすっかり重くなったアリンを見つめる。アリンの足元からは、ぼたぼたと水滴が落ちている。

「どうしたのかしら?」

「………………」

 濡れそぼったアリンが、美羽を見上げてくる。

 美羽はそれには答えず、無言のまま、アリンの体を雑巾のようにキュッと絞った。

 たちまち人形の下に水たまりが出来上がる。

「な!? ちょっと、何するのよー!」

 アリンの抗議は無視して、そのまま絞り続ける。

「このくらいなら、まあいいかな?」

 完全に水が切れたわけではなく、まだポタポタと滴が落ちてはいるが、大分マシにはなった。

 美羽はアリンの脇の下辺りを片手で掴むと立ち上がった。

「えーと、お城は…………あっちか」

 木の上を見上げて、お城の方角を確認する。

 いろいろとアクシデントはあったが、幸いにもお城がある側の岸に飛ばされたようだ。こんもりと生い茂った森の向こうにそびえ立つお城の姿が、大分はっきりと見えるようになっていた。

「よし。出発!」

「……………………」

 片手に持ったアリンを振り回すようにしながら、美羽は意気揚々と歩き出す。

 手荒な扱いにすっかりへそを曲げてしまったらしく、アリンからの返事はなかった。


 アリンから何の指示もないまま、美羽は河沿いの道をお城に向かって進んでいった。何も言わないということは、間違った道を進んでいるわけではないのだろうと勝手に解釈していた。

 その間、誰にも会わなかった。

 人形にも。異形にも。

 人形は兎も角、異形にはなるべく会いたくはない。このまま、何事もないまま、王子様の元へとたどり着ければいいのにと願ったが、見透かしたようなアリンに甘くない現実を突きつけられた。

「お城側の異形たちは、王子様に執着していて、あまりお城を離れないの。武器も持っているし、動きも素早いわ。正直、手強いわよ」

「え? な、何体くらい、いるの?」

「さあ? 数えたことないから、分からないわ」

「あ、数えないと分からないくらい、たくさんいるんだ……。そうなんだ……」

 米神から嫌な汗が伝い落ちる。

 どうやら、道中で楽が出来る分、お城についてから複数の異形をまとめて相手にしないといけないようだった。

 ポケットの中のハートのカードに意識が向く。

 やはり、カードを手に入れたことを打ち明けて、お城に着くまでに使い方の練習をしておくべきだろうか?

 絵本の魔女が美羽に何を伝えたかったのかは、考えてもよく分からなかった。

 でも、美羽の腹は決まっていた。

 人形の魔女の過去がどうであっても。絵本の魔女の思惑がどうであっても。

 美羽は、美羽の王子様を救いだす。

 王子様の心を、人形の魔女から取り返す。

 美羽にとっては、それが何よりも優先すべきことだ。

 その為には、やはり。

 スカートのポケットに手を伸ばした、その時――。

「そろそろ、彼女のテリトリーね。彼女は、異形たちとはまた違った意味で手強いけれど、あなたなら大丈夫よ、美羽。自分に自信をもって。あなたの愛と勇気を見せつけるのよ。そうすれば、必ず道は開けるわ」

 アリンが思わせぶりなことを言ってきた。

 彼女とは、新しい人形のことだろうか。

 歩きながら手の中のアリンに視線を落として首を傾げ、それからまた頭を上げる。

「うわ! 何かいる!」

 そして、発見してしまった。

 たぶん、あれがアリンの言う“彼女”なのだろう。

 足を止めて、まじまじとそれを見つめる。

 左斜め前方。小道を外れた所に立っている大きな木の幹に、白い甲冑が腕組みをしてもたれ掛かっていた。その木の周りだけ、なぜか草が刈り取られている。

 もしかして、この登場シーンのために、あの甲冑の人形が自分で草刈りをしたのだろうか?

 そんなことを考えながら、ぼんやりと甲冑を見つめていると、甲冑は木の幹から身を起こし、脇に立てかけてあった槍を掴むと、小道へと歩み出て美羽の前に立ちふさがる。

 手にした槍のお尻の方で、トンと地面を叩くと、甲冑は言い放った。

「わたしはハートの騎士。魔女の挑戦者よ、城へ行きたければ、まずはこのわたしを倒してみせよ!」

 少し低めの凛とした声が響き渡る。

 見ただけで、村娘などとは格が違うのが分かった。

 アリンや村娘とは、何かが違う。どちらかと言うと、絵本の魔女に近いタイプの人形だろうか。身長も、絵本の魔女と同じくらい、美羽の腰辺りまである。

 塗装したプラスチックだと思われる、白い甲冑。露出はなく、完全に体を覆っているのに女性なのだと一目で分かる、アニメやゲームに出てきそうなデザイン。

 だが、美羽が一番気になったのは、フルフェイスの兜の隙間からチラチラ見える蛍光ピンクの光だ。たぶん、兜の中にはハートの形をした何かが入っているのだろう。

 兜を剥ぎ取って中身を確認したい誘惑にかられながらも、美羽はアリンに尋ねる。

「えーと。人形なのに、魔女の手下なの?」

「失礼なことを言うな! わたしは、アリン姫と王子にお仕えする騎士。これも、すべてお二人のため。アリン姫と王子の物語を取り戻すためだ。そのために! おまえに、魔女を倒して王子を救う力があるのかどうか、確かめさせてもらう!」

 美羽の問いに答えたのは、アリンではなくてハートの騎士だった。

 アリンはと言えば、美羽の手を振りほどこうとさっきから暴れている。思わず取り落とすと、意外と見事に着地して、小道の脇の草むらの中に身を隠す。

 ひょいと草むらから顔だけ出して、アリンは無責任な声援を送ってきた。

「大丈夫よ、美羽。ハートのカードがなくても、あなたならなんとかなるわ! あなたの真実の愛と勇気を、ハートの騎士に見せてやりなさい!」

「え、えぇ!? 何、それ!? もっと、具体的に何をどうすればいいのか教えてよ! てゆーか、アリン姫にお仕えするって言ってたよね? アリンが命令すれば、どいてくれるんじゃないの?」

「ファイトよ! 美羽! 愛の試練を乗り越えるのよ! ここを越えられないようでは、ハートのカードを持たないあなたが王子様を助けるなんて不可能よ! 頑張って! わたしはここから応援しているからね!」

「フッ。おまえ、ハートのカードを持っていないのか? それでいて、ここまでやってくるとはあっぱれだ。さあ、おまえの愛と勇気、見せてもらうぞ!」

 ハートの騎士は、手に持っている槍をバトンのようにクルクルと回した。

 人形なのに器用だなぁと、状況も忘れて思わず感心していると、ヒュッと音がして右の耳の脇を何かが掠めた。髪の毛が宙を舞うが、幸いにもどこも切れたりはしていないようだった。髪の毛の一本さえ。

 いつの間に距離を詰められたのか、ハートの騎士が美羽の頭の脇をめがけて下から槍を突き出したのだ。

 あまりに一瞬のこと過ぎて、まったく動きを追えなかった。

「さあ!」

 ヒュンッ。

「さあ!」

 ヒュンッ。

「さあ! さあ! さあ!」

 美羽が一歩後ろへ下がるたびに、ハートの騎士の掛け声とともに、槍が右へ左へと繰り出される。当てるつもりはないのか、槍は美羽の髪を弄ぶだけだった。

「さあ! どうしたのだ? 逃げてばかりでは、王子を救うことなど出来ないぞ! おまえの愛と勇気を見せてみろ!」

「そ、そんなこと、言われても」

 見せてみろと言われても、困る。

 もっと、何をどうすれば、愛と勇気を示せたことになるのか、具体的に教えて欲しい。

「おまえの王子への想いは、その程度のものなのか?」

「そ、そんなこと、ない!」

「ほう?」

 美羽の鼻先で、槍の動きが止まった。

 話を聞いてくれるということなのだろうか?

 美羽も足を止めた。

 槍を突き付けられたまま、兜の奥で光るピンク色を見下ろす。

「王子様は、王子様は、あたしを選んでくれた。他の子じゃなくて、あたしを! だから、あたしは、絶対にその期待に応える。あたしが、王子様を助ける。だから、だから! あなたなんかに、負けない!」

 話しているうちに、段々気持ちが昂ってきて、涙ぐんでくる。最後に叫ぶと同時に、美羽は衝動的に、槍の先を右手で掴んでぐいと脇によける。

 やってから、少しだけ冷静になって、しまったと思う。

 興奮して我を忘れていたとはいえ、どうして刃の部分を掴んでしまったのか。

 さっきまでの勢いが嘘のように、恐る恐る右手に視線を動かした。

 そして、首を傾げる。

 痛くないし、血も出てないし、それにこの感触。

「プラスチック?」

 呆然と呟きながら、そう言えばと思い出した。村娘が振り回していた斧も、厚紙で出来ていたな、と。

 首と一緒に、右手も顔の前に戻す。

 プラスチックでできた槍の先は、丸くなっていた。

 厚紙よりは威力がありそうだが、所詮は子供のおもちゃだ。

 美羽はがっくりと肩を落とす。

 また、やられてしまった、と思った。

 ため息をつきながら槍を離すと、ハートの騎士は槍のお尻の方で地面をトンと叩いた。

「うむ。見事だ。おまえの愛と勇気、確かに見せてもらった」

「は、はあ…………」

 芝居がかったハートの騎士のお言葉に、力なく答える。

「美羽―! よくやったわ! あなたなら、きっとやれるって信じていたわ! 見事だったわよ!」

「そ、そう…………」

 草むらからアリンが飛び出してくるが、それすらもどうでもいい。

 茶番だ、と思った。

「てゆーか、ハートの騎士に負けた女の子って、いるの?」

「いいや。みな、勇敢な女子ばかりだった」

「よかったわね。第一号にならなくて」

「あ、そう」

 やっぱり茶番だ、と美羽は思った。

 ハートの騎士とアリンの盛り上がりを余所に、段々とどうでもいい気持ちになってくる。

 本気で熱くなっていた自分が、馬鹿みたいだった。

「あれほど見事な勝利を収めたというのに、美羽殿はクールなのだな」

「え? いや、そういうわけじゃ……」

 クールと言うよりも、今の心情はドライだった。

 心の中に乾いた風が吹き抜けていく。

 ドライヤーとか、乾燥機とか……。

 乾いた心で、美羽は身近な家電を思い浮かべた。

「武器って言っても、本物じゃないじゃん。アリンは最初から、そのこと、知ってたんじゃないの?」

「ええ、もちろん。知っていたわよ」

「知ってたなら、もっと早く教えてよ! 無駄に緊張したじゃん!」

「あら。先に教えてしまったら、試練にならないじゃない? それに、冷静な子は、一目見ただけで偽物だって気が付いていたわよ。美羽だって、最後には気が付いたのだから、いいじゃない。偽物だって気が付いたから、刃の部分を掴んだのでしょう?」

「うっ。ま、まあ、そう、だね。そう、だけど。うん、そうだね。そうだから、まあ、しょうがないかな。あはは……」

 槍が偽物だと気付いたのは、槍の先を掴んでみてからなのだが、美羽は笑って誤魔化すことにした。

 そう言われてみれば、確かに。鼻先にまで近づけられたのに、どうして気が付かなかったのか。今見れば、おもちゃにしか見えないのに、どうしてあの時の自分はこれを本物だと勘違いしたのだろうと思う。

「わたしたち人形は、基本的には人間を傷つけることは出来ないのよね」

「え? そうなの? なんで?」

 美羽が呻いていると、アリンが大事なのかそうでもないのか、微妙なセリフを思わせぶりに呟いた。美羽は呻くのを止めて、目を瞬かせる。

「さあ? なんでかしらね? 兎に角、そういう仕様なのよ」

「し、仕様って……、まあ、いいか」

 とりあえず、この話題は早々に切り上げることにした。

「そ、それよりも! あたしが勝ったんだから、ここは通してもらえるんだよね?」

「ああ、もちろんだ。見事、王子を救い出してやってくれ。城を守っている異形は手強いが、美羽殿ならば、きっと何とかなるだろう」

 ハートの騎士は脇にどくと、槍で小道の向こうに見えるお城を指し示した。

「あ、ありがとう」

 何の根拠もなさそうな上に、他の女の子にも同じことを言ったのだろうなとは思ったけれど、美羽は大人しくお礼を言っておいた。

 たとえ根拠がないとしても、おまえには無理だと言われるよりは、何とかなると言われる方がいい。

 それにしても、と美羽は思う。

 この茶番は一体、何だったのだろうか?

 美羽の視線の端で、アリンとハートの騎士は、何やら頷き合っている。

 特に会話はなく、目線だけで分かり合っているようだ。ハートの騎士に目があるのかは分からないが。

 まあ、ハートの騎士はお姫様であるアリンに仕えているのだと言っていたし、何かいろいろあるのだろうと、美羽は勝手に納得した。

「さあ、美羽、モタモタしていないで、行くわよ! これから先は、手強い敵が待っているわ! 気を抜かないようにね!」

「はーい」

 謎の会談は終わったらしく、びしっと城を腕で指し示すアリンに、美羽はやる気のない返事で答える。そもそも、美羽の気が抜けたのは、人形たちの茶番のせいだ。当の人形に言われたくない。

「もう、何なの、その返事は! これから、厳しい戦いが待っているって、ちゃんと分かっているんでしょうね!」

「………………」

 アリンのお小言には答えずに、無言で抱き上げると、美羽はハートの騎士に形ばかりの挨拶をして、その場を後にした。

「ちょっと! 美羽! 返事がないわよ!」

 アリンは怒って美羽の手を殴りつけてくるが、布と綿で出来た腕で殴られても、少しも痛くない。

 異形に遭遇した時と人形に会った時の差が激しすぎて疲れるなと、美羽は心の中で呟いた。

 霧が晴れたばかりの時に感じた人形たちを疑う気持ちは、今はすっかり消え去っていた。

 それどころか、疑っていたことすら忘れて、美羽はアリンの小言を聞き流しながら、お城へ続く小道を進んでいった。

 王子様との、幸せな未来だけを信じて。



★★★


「そう言えば、聞くのを忘れていたわね。私に黙って女の子を招待したのは、一体何のためなのかしら? 何を企んでいるのかしら?」

 絵本を覗き見ながらの魔女の質問に、3号はテーブルの上に用意したティーカップに紅茶を注ぎ入れようとしていた手を止めた。それから、何事もなかったかのようにポットを傾ける。白い陶器のティーカップの中に、赤茶色の液体が注がれていく。カップの中には、予め温めたミルクが入っていた。赤茶色は、カップの中でミルクの白と混ざり合っていく。

「何も、企んでなど…………」

「正直に言いなさい?」

 魔女はソーサーの上に用意してあったシナモンスティックで、ティーカップの中をクルクルと掻き混ぜた。

「最近、絵本のゲームの内容が似たような展開ばかりでつまらないと仰っていたので、サプライズとして新しい趣向を用意してみようと思いまして。魔女様が選んだ挑戦者と、僕の選んだ挑戦者を、同時にゲームに招待したら、少しは面白くなるのではないかと準備をしていたのですが。怖気づいたのか、何か用事が出来てしまったのか、魔女様の選んだ挑戦者が訪れなかったのは誤算でした。昨日の熱のあげようでは、間違いなく、挑戦を受けると思ったのですが。僕の魅力が足りなかったということでしょうか?」

「ああ、あの子なら、ずっと無断で部活を休んでいたのが祟ったみたいね。本人は、挑戦を受ける気だったみたいだけれど、顧問の教師に捕まって、逃げられなかったみたいよ?」

「そうでしたか。やはり、サプライズなどと考えずに、魔女様に話をしておくべきでしたね。そうすれば、足並みをそろえられたのですが、残念です」

 ずっと洋館に籠っていたはずの魔女が、なぜ挑戦者の動向を知っているのかとは、3号は問わなかった。知っているのが当然のように、受け入れている。

 実際、当然なのだ。

 魔女の力を持ってすれば、洋館にいながら、別の場所にいる挑戦者の動向を探ることなど、容易いことだった。

「サプライズの目的は、本当にそれだけかしら?」

「………………もちろんです」

 紅茶を一口飲んでから、魔女はまた尋ねた。尋ねておきながら、魔女はチラリとも3号を見ようとはしなかった。その視線は絵本に向けられている。

 答えは直ぐには返ってこなかった。

 それでも魔女は、口の端に薄い笑みを浮かべるだけで、それ以上は追及しようとしなかった。

「そう。では、そういうことにしておきましょうか?」

 そう言って、紅茶を飲み干す。

「…………………………」

 ソーサーに戻されたカップに、3号は無言で二杯目の紅茶を注ぎ入れた。

 サーブが終わると、ポットをテーブルに戻して、魔女の背後に控える。

 3号は魔女の肩越しに、ジッと絵本を見つめている。

 人形にされたはずの3号の瞳の奥で、ほんの微かに、揺らめくものがあった。

 3号に背を向けたままであるのに、魔女はそれを感じ取り、微かに笑う。

「あなたの興味の対象は、一体、誰なのかしらね?」

「もちろん、僕のすべては魔女様のものです」

「魔女様、ね……?」

 人形のように、無表情のまま答える3号。

 密やかに笑う魔女は、どこか楽しげだった。


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