両親
「ただいま」
誰もいない暗い部屋に姫華は独り言を呟きながら靴を脱いだ。
玄関の鍵を閉め、靴を脇に揃えて置きつつ今日の出来事を思い出していた。
「桐谷君はずるいな」
秀はいつも自分が驚くような発言ばかりしてくる。 あれが意識的なのか、無意識なのかわからないがもし無意識ならば相当の天然なのではないか。
一人暮らしの姫華は自分で料理をするか弁当を買わなければ食卓に料理は出てこない。
そのため料理スキルに関してはそれなりのものを持っていると自分自身でも感じることがある。
「暑いな、氷は…………無いか」
冷蔵庫の中には氷が無かった、トレイに水を入れ忘れてしまっていたようだ。
「あんまりしたく無いけど」
姫華は水を入れたコップの淵に手を触れ、小さく呟いた「発動」
するとぽとんっと氷がコップの中に現れ沈んだ。
「まさかこの力を使うのに抵抗感が無くなるなんて思わなかったな」
昔のことを思い返すと嫌な記憶しか浮かばないが、不思議と秀の顔がちらつくとそんなに嫌な感覚はしなくなった。
「………食欲ないし寝よ」
コップに入った冷えた水を飲み干し、姫華はその場で制服を脱ぎ始める。
スカートとネクタイはシワにならないように綺麗にたたんでテーブルの上に置き、下着姿のまま自室に向かう、姫華はそのままベットに横たわる。
「彼といると不思議と楽しい気分になるのはなんでなんだろ」
姫華はゆっくりと瞼を閉じ、瞬く間に寝息を立て始めた。
「なんであなたはいつもそうなの! 」
「遊んでいるわけじゃないだろ! 仕事なんだ、誰のおかげで暮らしてると思ってる!」
あ、そうだ、お父さんとお母さんっていつもこんな感じだったけ。
お父さんは毎日働いて家にいても書類製作をしているくらいのビジネスマンで、お母さんはそんなお父さんと毎日口喧嘩してたっけ。
お母さんはいつも優しかった、お父さんとどれだけ強い口調で喧嘩してても私が話しかけると何事もないような顔で私の頭を撫でてくれた。
2人はいつからあんな風になってしまったんだろう。
お母さんとお父さんが新婚の時のビデオを見せてもらったことがある。その時の2人の幸せそうな顔を私は今でも覚えてる。
「なあ、千里、体調は大丈夫か」
「ええ、ほら未来の姫華〜あなたがお腹にいる時はこんな感じでーす」
お父さんが撮影するカメラに向かって幸せそうにピースサインをするお母さん。 2人は高校生の時に付き合い出してそのまま結婚した仲だったって聞いていたから私もいつかそんな人ができたらな、なんて思うようになっていた。
けど、ある日お父さんとお母さんが喧嘩をしていたのを初めて見た時のこと。
喧嘩の理由は私が楽しみにしていた旅行があったけれど、お父さんの仕事が急に入ってしまい、お母さんは私のために喧嘩を始めた。
「この子は毎日旅行に行くために勉強も他の子より進めてるのよ、どれだけ楽しみにしてたか」
「仕方ないだろ、仕事なんだ、この仕事が片付けば昇級できるらしいし、お前たちのために休みもきっと取れるさ」
最初に喧嘩しているのを見た時はものの数分程度で終わったと思うし。 お母さんも元々会社で働いたこともあるようだからお父さんの気持ちも理解できたのかなと思う。
その後も何度か喧嘩もあった、仲良くしてるのって私が物心ついてからはあまり記憶がない。
私は毎日毎日塾の宿題に追われ、家に帰ればお父さんとお母さんの喧嘩が始まり、テーブルの上に置かれた温かいご飯が冷たくなったくらいに食事を始める日々。
誰かと美味しいご飯を食べるなんていつからしてないだろう。
少女は泣いていた。 公園のブランコに座りながら、泣いていた。
出された宿題のプリントは少女が強く握りしめていたせいでくしゃくしゃになってしまっていた。
「ねぇ、どうして泣いてるの?」
「お母さんとお父さんが喧嘩してて………」
「君のお父さんとお母さん仲悪いの?」
「わからない、いつも喧嘩してるから」
「うーん、じゃあ遊ぼうぜ!」
少年は泣いている少女を元気付けるためだったのか、それともただの思いつきだったのかはわからない。
それでも少女は小さく頷き少年に手を引かれ公園の遊具で思う存分遊び倒した。
そこからのことは姫華はよく覚えていない。
「ちゃん」
「…………」
「お兄ちゃん!」
「……………」
「起きろやアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
未羽の一蹴が秀の股間を直撃した。
「ぬなあなたまなにたなゆあぉうああああ!!!!!!!!!!????????」
言葉に表せない未羽の行動以上に秀の心配は自分の股間に向かっていた。
「うぅ、使えなくなったらどうするんだよ!」
「えっ、使う日なんて来ないですよね?」
未羽の日に日に自分に対する煽りスキルの上達に驚きながらも未羽がなぜ自分の部屋にいるのかと言うことの疑問の方が頭に浮かんできたのでまずはそちらを優先することにした。
「なんでここに? 鍵は閉めてたはずなんだが。 母さんまた閉め忘れたのかな」
「幼馴染舐めないでください、鍵の隠し場所くらい知ってますし、合鍵も作ってますから」
「そうか!なるほど……………………ってなるかあああああああああああああああ!!!!!!!!!何してんの!? 人の家の鍵なに勝手に作ってんの!?」
「お兄ちゃん、世の中にはこう言う言葉があるんですよ」
「言葉?」
「バレなきゃいいんだよ…………フッ」
「フッ……………じゃねえ! 何名言言ったみたいな顔してんだよ! 犯罪だぞ!」
未羽は秀の言葉を無視するように携帯の画面に光を反射させて髪型のチェックを始めていた。自分に対して暴力が飛んでこないという余裕なのだろうが、はっきり言って少女に手をあげるほど秀も内心まで腐ってはいないので、行き場のない痛みと怒りをぐっとこらえた。
「ていうかさっさと起きてくださいね、ご飯温め直したんですから」
「お、おう」
秀の父親はエジプトに勤務しており、3年に一度のペースくらいでしか日本には帰ってきていない。母親もバリバリのキャリアウーマンとして朝早くに家を出ていくため、未羽は度々秀の面倒を任されている。
「あの女にメインヒロインの座は渡さないんだから」
「未羽?」
「なんでもないです、私は先に降りてますから」
タンタンと音を立てて、未羽は階段降りていった。それを見送って秀は壁に掛けてある制服に着替えた。