月明かり
「人間の欲望ってなんだと思う?」
「食べることとかじゃないのか」
「キリスト教では七つの大罪と呼ばれる罪がある、傲慢、色欲、怠惰、憤怒、暴食、嫉妬、貪欲」
「さすが学年主席の柳瀬さんね、でもどっちも不正解で正解かな」
「どういう意味だよ」
彩乃は席に座っている三人の真ん中で本を開いた。 そこには暗い影の怪物が人を食らう伝承が描かれていた。
「キリスト教は7つの罪、煩悩は108とか言われてるけどおそらく人間の欲や罪はそれ以上あるのよ」
「人の罪?」
秀の言葉に彩乃は黙って頷いた。そしてゆっくりと三人を見つめつつ口を開いた。
「何かを食べるということは命を奪うし、幸せになる人が入れば不幸になる人もいる変な言い方になるけどこれも罪」
「でも、それは自然の摂理ではないんですか」
未羽の言葉に秀も頷いた。 姫華は頷くことはせずただ彩乃を見つめている。
「この話は答えもないから終わりにしましょう、ただあの怪物グレイズは人の欲を喰らう、いや人の欲の塊ってことなの」
「欲の塊………?」
「桐谷君、君はこれがやりたいとか、こうしたいとか思ったことあるわよね」
「あるよ、雑誌の懸賞当たったら良いなあとか思ったりな」
「そのくらいなら良いけど、それが大きくなるとグレイズになる」
「は?」
「グレイズのことを調査している機関があるの、その人たちからの情報だから間違いではないと思う、欲に闇が加わるとどこからともなくあいつらは現れる」
秀は黙って手のひらに炎を出す、メラメラと綺麗なオレンジ色の炎だ。
「ならこの力はなんなんだ、あいつらに対抗できるただ1つの手段だ」
「私たちは何かを願ったのかもしれない、そしてこの力を手に入れた」
「願った?」
「例えば私は結界を張れる、それは結界を使って何かをしたかったのかも」
彩乃はパタンを本を閉じて元の場所に本を戻した。 彩乃は面接のように姿勢良く座る三人の前に座る。
「みんなにも協力して欲しいの、グレイズを倒すためにあいつらは能力者を襲うわけではないの、欲が強い人を襲うのよ」
「私には関係ないわ」
姫華の冷たい一言が書庫の中に響き、反響している。
「ちょっ、待ってよ今なんて」
「私には関係ないわって言ったのよ、私がこの力を手に入れた欲とやらも今後どうなるかも興味ないし、ましてや赤の他人がどうなるかなんて知ったとこではないわね」
「さ、さすがに言い過ぎではないですか! あなたのご両親だって襲われるかもしれないんですよ!」
「その通りよ、だからお願い協力して」
未羽の意見に対して彩乃は姫華の協力を求めたが、姫華は首を縦に振る前にゆっくりと席を立ち、カバンを手に持った。
「グレイズを倒すことは構わないけど、それは私があいつらに襲われたらよ、助けたりしないわ」
そう言って、姫華は部屋を出て行った。
「やな……姫華!」
秀は部屋を出て行く姫華のことを慌てて追いかけた。
「姫華! 待ってくれ!」
「桐谷君、どうして来たの」
「姫華が悲しそうに見えたからっていうのはダメかな」
「……………そんなことないわ」
ビューと強い風が姫華の長い長髪を揺らした。 風になびいている彼女の髪は空から降っている月光を浴びてさらに輝いていた。
「私の涙はもう凍ってるのよ」
「……………」
姫華は家族と離れて暮らしていると言っていた、それが自分の能力が原因だとも。
自分は家族には能力のことは秘密にし、家族ではないが、身内に近い人間で自分の能力を知ったのは小さい頃からよく遊んでいた未羽だった。
姫華は誰もいなかったのだ、家族にも友人にも能力のこともグレイズのことも話せずに今まで生きてきたのではないだろうか。
もしそうならば、彼女の孤独はどれほど濃く、深いものだったのか。
「………姫華、家まで送るよ」
彼女はきっと今まで相当苦しんだのだ、ならばこれから幸せになったとしてもバチは当たらないだろう。
「……………うん」
「しっかし、驚いたよなあ、グレイズのことを研究している機関が居たんだなあ」
「……………」
姫華は何も答えず、ゆっくりと秀と歩幅を合わせていた。
「姫華ってさ、モテるんだろ? 羨ましいなあ!」
「……………」
また姫華は答えない。 何かを考えているのか、話を聞く気がないのか、秀にも姫華の意図が汲み取れなかった。
「ねえ、ずっと思ってたんだけど」
「な、なんだ! 相談か! 人生相談に乗れるほど経験は少ないけど愚痴くらいなら聞くぞ」
「カバンは良いの?」
「え?」
姫華に指摘されて初めて気がついたが、自分のカバンは書庫の机の上に置いたままだ、未羽が明日にでも届けてくれるとは思うが、追いかけることに必死になっていたからかすっかり手ぶらになっていることに気がつかなかった。
「言ってくれれば良かったのに…………」
「桐谷君の趣味かなと思ったから」
「どんな趣味だよ」
「カバンにえ、エッチな本とか入れてバレるかどうかっていうのを楽しむのが男子のトレンドってこの前読んだ雑誌には書いてあったし………桐谷君もそういうことするのかなあって」
「しねえよ!?」
どこの雑誌の情報なのかはもはやどうでも良いが、姫華がそのような雑誌を読むことも少しだけ驚いた、やはり彼女もクラスメイトたちと変わらない普通の学生なのだと秀は感じた。
「じゃあ、男が好きなの?」
「やらないか?じゃなくてさ、お前のことが心配だったからだよ」
「私のことが?」
姫華は同じことを言われたような感覚が体の中を駆け巡った。
「(昔そんなことを言ってくれた男の子がいたのよね、私を人にしてくれた人)」
「姫華? ぼーっとしてどうした?」
「桐谷君、ありがとう」
夜風に吹かれ彼女の髪は大きく靡き、月夜の光が彼女を照らした。