腹黒少女
「今日はもう襲ってこないで欲しいな」
独り言を呟きながら、家への帰路を歩いていると、家の前に楽器ケースを手にした小さな制服少女がいた。
何かを探しているかのように、秀の家の中を覗き込んでいる。
見覚えのあるその小柄な容姿を見ていると、なんだか疲れが和む気がしたが、本人に言うと怒られるかもしれない。
「何してんの、未羽ちゃん」
「先輩、帰ってなかったんですか? どうりで」
「まぁ………色々あってね」
「………くんくん」
未羽は犬のように、秀の制服の匂いを嗅いだ。
「………先輩、もしかしてなんですけど、女の子と一緒でしたか」
「げっ!」
「今のげってなんですか? 図星ですか? 女の子とよろしくやってきたんですか、まぐわって来たんですか、それとも離れたくないとか言われて制服の袖を掴まれるとか言う全国の男子高校生が夢にまで見ているような展開を体験したんですか、なんですかそれ、だからリア充爆発しろだとか言われるんですよ。 お兄ちゃんは昔からそうです、モテるとかじゃなくて気がついたら女の子と一緒にいるし、だから私も無理にオシャレしたりとか、お兄ちゃんの好みに合わせたりとかしたのに、またですか、またなんですか」
「………まぐわうってどこで覚えたの、そんな言葉」
頭をかきながら困ったように未羽に尋ねると、不機嫌そうな顔がさらに不機嫌そうな顔になった。
未羽は昔からわかりやすいタイプだ。 楽しそうな時はよく笑うし、悔しそうな時は必死に涙をこらえるし、不満そうな時は頬を膨らませたりする。
そのせいで何度かクラスを仕切るタイプの女の子と衝突したこともあり、その度に未羽の両親は職員室にまで未羽を迎えに行っていた。
「お兄ちゃん、女の子が性知識が無いとか、興味がないとか、単語の意味を知らない無知だとか思ってませんか」
「思ってないよ、女の子だって歳頃になればそれなりに興味はあるでしょ」
「その言い方が………もう」
ぷんすかっと言う効果音が聞こえそうなほど、未羽の顔はぷっくりとしていた。
「で、何か用だったの?」
「先輩に借りた参考書を返しに来たんです、これお返しします」
「あー、ありがとう。 っていうか、未羽ちゃん俺の呼び方安定してないね」
「うっ……………だって、学校でお兄ちゃんっていうのはからかわれますし、男子に勘違いされるから」
「勘違い???」
秀には未羽の言葉の意味がわからなかったが、大変になるということだけはなんとなくニュアンスで理解した。
「それで、本当は誰と会っていたんですか?」
「あっ、さっきのは本気ではないのか。 えっと、知ってるかな、俺とクラスの氷の女王?って呼ばれてる人なんだけど」
「あの人ですか、確か名前は柳瀬姫華先輩でしたね」
「知ってるの?」
「私のクラスの男子が何名か玉砕しましたから。 先輩もああいう人が好みなんですか?」
「好みとかじゃないよ、ただ話す機会があっただけだよ」
「そうですか」
どこかホッとしたように未羽は胸を撫で下ろした。
「未羽ちゃんは好きな人とかいないの?」
「…………」
「えっ、なにその目は」
「べーつにっ」
「そ、そうか………っ!?」
「どうしたんですか?」
姿は見えない、しかしどこかにいる。
いつもそうだった。しかし何度かグレイズに遭遇して気づいたことが一つある。
それは、気配は感じるということだ。
これがグレイズに何度も遭遇したからなのか、それとも誰が与えたのかわからない謎の能力のせいなのかは定かではないが、気配は感じるおかげで戦闘前に気持ちを作ることが出来る。
「どうしたんですか、遠くなんて見て。 死に別れた妹のことでも思い出してるんですか? 」
「………未羽ちゃん、早く家に帰ったほうがいい、それは今度返してくれればいいから」
「そんなに私と話したくないんですか……………」
「いや、そうじゃな………っ! 来る」
黒い穴から、グレイズがゆっくりと姿を現した。
「マズイな」
今までの経験上はグレイズが一般人に襲いかかるのは見たことがない。 見えてない者には襲いかかって来ないのか、それともたまたま秀や姫華のような能力者しか襲って来なかっただけなのかはわからない。
しかし、秀と一緒にいるこの状況、未羽の身の安全を確保しなければいけないのではないか、直感でそう感じたものの、未羽は秀の態度が気に入らないらしく突っかかるばかりだ。
「秀お兄ちゃん、私の目を見て言ってください、迷惑なら迷惑と! 口にしないとわからないじゃないですか!」
「未羽ちゃん」
「えっ、な、なんですか、そんな真剣な目で見つめられたら………こ、心の準備が、それにそういうことはもっとこう………ロマンチックで暗いところが」
「逃げよう、未羽ちゃん」
「にににににににに逃げる!? そ、そんなこの歳で逃避行だなんて…………………でも、お兄ちゃんと一緒なら私は」
「こっちだ!」
未羽の手を握りグレイズとは反対方向へと走り出した。
未羽はグレイズのことが見えていない。ということは能力は使えないと考えていいはずだ。しかし、グレイズが絶対に一般人を襲わないという確証を持てているわけではない。未羽のことを守るためには今は逃げるしかないのだ。
「あ、あの子供は何人欲しいですか? わ、私はお兄ちゃんが望むなら何人でも………♡」
「逃げたのは良いけど、どこに行けば」
噛み合わない会話の2人は気がつけば駅前にまで逃げてきてしまった。
そして、その時だった。 ドカンと地元でも有名な中華料理屋の前に止めてあったトラックが突如爆発した。 いや、何かに押しつぶされていると言ったほうが正しいだろう。
「なんでこんなに早く」
「で、電車で駆け落ちですか? 私今あまり持ち合わせなくて。 でも、お兄ちゃんとなら何処へでも♡」
「(人前で能力は使えない、どうする、俺)」
先程から、未羽は幸せそうにクネクネと体を揺らしている。
「で、あの黒いのってなんですか?」
「なにって、グレイズ……………えっ、今なんて」
「だから、今トラックを押しつぶした黒いのって何かなって」
「見えるの?」
「はい、昔から見えるので特に気にならなかったんですけど」
衝撃の発言だった、未羽はグレイズを見えていなかったのではなく、見えいなかったのだ。
「てっきり私には霊感があってって思ってたんですよ。 でも、お兄ちゃんも見えてたんですね」
見えるのが当然だという未羽の顔、彼女はあの謎の存在に恐怖を抱かなかったというのか。
「未羽ちゃん、何か能力とか使える?」
「なんですか、急に。 見えるだけですよ。 あまりに女の子にモテなさすぎて今度は二次元に逃避ですか、惨めですね」
「この際なんでもいい、あいつは俺と未羽ちゃんのことしか見ててないはずだ」
「何してるんだ、火が出てるんだ早く逃げなさい!」
爆発が起こったことで、付近にいた通行人たちはみな反対方向へ走っていく。
爆発が起こった場所で動かない2人はさぞおかしく見えたことだろう。
「とりあえず、あの黒いのをどうにかすればいいんですか?」
「まぁ、できればだけど、出来るのかい?」
「私が嫌いなことを教えます。一つは鈍感な人、二つ目は出来ないっていう人、三つ目が信じてくれな人です!」
未羽は大きく息を吐いて、楽器を吹く者として最大限の声量で叫んだ。
「我が右手に宿る、漆黒の黒き龍よ、大地を黒く染め上げ、貴様の力を契約者である我の前に示せ! バーニングファイヤー!!!! …………………なーんて」
「………………………それ、俺が中学生の時に書いていた勇者が魔王を倒す小説のセリフじゃねえか!!!!! な、なんで未羽ちゃんがそのセリフを……………」
「前に、先輩の部屋に入った時にノートを見つけまして、そういえばこんなの一生懸命に書いてたなあって思いながら、先輩が言われたら恥ずかしいだろうなあってセリフを暗記しました」
「なんていう地味な嫌がらせ! 普通に音読されたほうがまだマシだ!!!!」
未羽の見かけによらない腹黒さに頭を抱えていると、グレイズが2人を睨みつけ、低いうめき声を上げながら、口を大きく開けた。
「何する気だ、あいつ」
「あくび………とかじゃないですよね」
「まずい!」
その瞬間、凄まじい風圧と共に、高温の光線が、2人めがけて飛んで来た。
「炎の盾!!!」
秀が地面に手をつき、能力を発動する。
秀の右手から溢れ出した炎が、秀と未羽を守るように盾になり2人から光線を防いでいる。
「おいおい、なんだよこの熱さは……………」
ゴオオオオオオオオと轟音を立てながら、秀の作り出した盾をグレイズの吐き出した光線が徐々に押し始めている。
「お兄ちゃん、その力…………」
「は、話は後だ! 逃げろ、こいつは普通の人間には倒せない! 」
「……………邪魔してんじゃないわよ」
「な、なに?」
「……………せっかくお兄ちゃんの2人きりだったのに、邪魔してんじゃないわよっ!!!!!!!!!!」
怒り心頭の様子の未羽の身体をグレイズと同じような黒く禍々しいオーラが小さな未羽の体を包み込んで居た。
「これは………異能か?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
「あれは、薙刀…………??」
地面から生えて来た薙刀は黒いオーラを放ちながら、未羽の手に収まった。
「攻撃止まったよ、お兄ちゃんは休んでて」
ゆっくりと未羽は咆哮を吐いていたグレイズに近づいていく、1歩づつ、しかしその1歩の歩みの重さはドシンと大きく響いているように秀には感じ取れた。
怒っている、すんごい、怒っている。
可愛い外見とは違い、それなりにキレやすい性格しているということは、秀もよく知っている。
対戦ゲームで負けた時はコントローラーを投げ、秀が受験で忙しく遊べない時も不機嫌になったりした。
未羽はとにかく性格が悪い、いや正直過ぎるのだ、子供らしいといえばその通りではあるが、とにかく一度キレると
「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
グレイズの頭上に飛び上がった未羽は回転しながら勢いをつけ「嘘だろ………」
若干恐怖を覚える秀の元に、未羽がゆっくりと戻って来た。
「ん〜〜〜〜〜〜、すっきりしたあ♡」
これ以上ないくらい、すっきりとした表示で未羽はその場をスケート選手のようにクルクル回っている。
通行人が何事かとチラチラと2人を見るが、カップルの戯れだろうと思ったのか、怪しまれている感じではない。
「未羽ちゃん、今の力は?」
「いやぁ、なんかあの黒い何かをぶっ殺したくなって、カッとなってしまって」
「ニュースで殺人犯した犯人がいいそうなセリフだな」
地面に落ちた鞄を拾い上げ、ポンポンと叩いてホコリを落とす。
「私からも質問いいですか」
「ん、うん、この力は…………」
「お兄ちゃんが小学生の時にプールの授業がある日に下着忘れて水着履いて帰ったってマジですか」
「それかよ!」
秀はせっかく拾い上げたカバンをツッコミの代わりに地面に叩きつけた。
「他には〜」
「この力だろ?」
「良かったですね、お兄ちゃん。 異能力に憧れ続けてついに成れましたね」
「…………驚かないの?」
「驚きませんよ、これでお兄ちゃん攻略ノートが捗ります」
「ちょっと、待て。 攻略ノートってなんだ」
「………女の子の秘密ですよ♡」
「可愛く言えばなんでも許されると思うなよ!」
「べー♡」
未羽はペロッと舌を出してニコッと笑った。