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第五話 貴女と私 / 3



 煤けた壁に小さくある円い窓からは暗い空が見えた。暫くスッキリと晴れた青空を拝めていない私は今日も自分の心に陰鬱な靄を溜め込むしかないのであろうか。

 隣の部屋から漏れてくる軽快な音楽に耳を傾けながら私は空をよく見ようと窓に顔を近づけてみる。

「いやねぇ」

 丁度私の息が窓に白い曇りを作るほどに近づいたときにぽっぽっと水滴が窓に当たり始めた。

「今日も雨なのね」

 窓の木枠は長年の結露で黒い染みを作っていたがそんなことは気にせずそこに顎を乗せてじっと外を眺める。外の世界は確かに暗いが存在する人々は天候に左右されることなくいつもの生活を送っているようだ。

「人間は強いわね。既に天候からは逃げられる程の力を持っているのだから」

 うっすらと窓に映る自分の分身に話しかけてみたところで相槌という反応は来ない。勿論始めから分かっていることなので何も落胆すべき事ではないのであろうが、今の私は切に変化を求めているためにその様な妄想を思い浮かべてしまう。外が晴れれば庭に出ることを許されるのだがこのような天候ではあの過保護男は私を出させてくれないだろう。

「はぁ……陰鬱だわ」

 漏れ聞こえる音楽が邦楽から洋楽に変わると、隣の部屋から足音が立ち始めた。

「御嬢様」

 襖がゆっくりと開かれ、黒髪の男子が現れた。

「何かしら?」

 彼は私をまるで鉱物のような目で見る。氷のように冷たいわけではなく、ただただ無機質な視線であった。

「お庭に出たいのですか?」

 ゆっくりとそして落ち着いた様子で言葉を並べる。彼はいつも落ち着いていた。

「そうね、でも貴方がそうさせてくれないのでしょう?」

「私とて御嬢様の気が晴れるために努力するのはやぶさかではありませんよ」

 そう言って近づき私の手を引いて立たせようとする。普段になく乱暴な様に少し戸惑いながらも私はそれに従い、慣れない姿勢のために痺れた足を頑張って立たせた。

 彼は私よりもやや背が低い。その事を彼は気にしているようであまり私に近寄ろうとしない。勿論私から近づけば逃げるようなことはせずその場に留まり私に応じてくれるけれど。

(あつし)、貴方少し背が伸びたんじゃな い?」

「……先に庭に下りていますので多少濡れても構わないような召し物に着替えてからおいで下さい」

 私の言葉をさらりと流して彼は部屋から出て行った。やはり身長は気にしているようで例え背が伸びたところで私より低くては彼にとって意味がないのだろう。

 私は彼に言われた通りに革作りの上着を羽織り、後を追った。




 長い長い廊下の先にはY字に別れた分岐点があり、私は庭へと続く方へ足を進める。もう一方は屋敷の本館へと繋がっているが、普段は何枚もの厚い鉄扉(てっぴ)で閉鎖されていて誰も通過できないようになっている。私達は二人だけで別館に住んでいるのだ。

 食料はリフトというのだろうか、エレベーターが上下に動く箱なら、あれは横に動く小さな箱であり、唯一常時本館と別館を繋いであるその線で運ばれてくる。また、内線で連絡すれば機械に入る程度の代物ならば簡単に要請できる。機械に入りきらない大きさの物は隔月で開かれる鉄扉を擦り抜けなければならず不便であるがまあそこは諦めるしかない。




 再び長い廊下を突き進み大きな部屋へと出る。そこにはガラス製の大きな戸があり庭へと下りることが出来る。

 ガラス越しに見える暗い昼空に再三の溜息を漏らしつつも、久しぶりに庭へと下りられる事への喜びによる高鳴りが入り交じる状態で温の姿を探す。

「温〜何所〜?」

 辺りを見渡したが彼の姿は見あたらず暫く私は立ち呆ける事しかできなかった。幾らかの時が経ち私の頭もそろそろ冷静でいられなくなってきた頃にようやく男は登場したのだった。

「何所行ってたのよ!」

「そう邪険にならないで下さいな」

 彼の手には恐らく今まで作っていたのであろう湯気の立っている白い液体が入ったマグカップが握られていた。

「ホットミルクです。今日は少し冷えますのでこれをお飲みになって下さい」

 またいつもの過保護っぷりが露出しだした。この男はいつもこうだから困る。

「あのさぁ、私の体ってそんなにひ弱だったかしら? 一々私に構わないでくれない? 過剰は嫌いよ」

 私は差し出されたホットミルクを飾り棚の上に置いて、彼の手にある唐傘を奪い取り勝手に庭へと下りる。彼は私の反応を予見していたようで、当たり前のようにミルクを再び手にとってしなやかに歩き、私が丁度傘を広げた際に傘の下へと潜り込んできた。

「傘は私が持ちますので御嬢様はこちらをお持ち下さい」

 彼は素早く私から傘を奪い返すと空いた私の手にマグカップを滑り込ませる。少し冷えていた指先にじわりとマグカップの熱が伝わり、それが何とも心地良く私は少しだけ興奮していた自分を鎮めることが出来た。

「では参りましょうか」

 そう言って私の行きたい方向へと勝手に歩き始める。まあ行きたい方向とは言っても探索経路はいつも同じなので別段驚くべき事ではない。



 雨降りる庭を歩くのは幾らか久しく、私の頭の中では既にその時の光景は失われているようで、見る物見る物その全てが違う物に見えていた。露滴る樹木の葉や、ぽちゃりと響く池に垂れる水滴の音、雨粒による少しぼやけた景色、何より新鮮なのは私の手に付く雨の感触と音と冷たさだった。雨で冷たくなった右手を、持ち替えたマグカップで暖めつつ私はずっとその新世界に浸っていた。それこそ本当に自分が世界へと溶け込んでしまったかのように静かに……。



 新しい世界を味わっている私の目に何かが映り混んだ。私は無意識にその方向へと振り向きそれを確認する。

「あら、まだあの子ここにいるのね」

 それは見覚えのある傘であった。そしてその傘の持ち主はこの世でただ一人であり、その人物は今現在本館で(かくま)われているのだ。その旨は内線で連絡を受けているのでこちらも承知している。

「ええ、未だいらっしゃいますね。それと最近はあの方の御客分も本館にいらっしゃるとか」

「あれ、そうだったの? 変な気配がしていると思ったら本館の方だったのね」

 なるほど納得である。最近になって胸がむかつくのは近くに新たな異分子が加わっていたからなのね。

「そうだ、今度その方も含めてこちらにお招きできないかしら?」

 きっと私に新たな刺激を与えてくれるに違いない。もう何年もこの箱庭に押し込められているのだ、たまにはこういう我が儘を吐いたところで大きく反発されることもないだろう。


 と思って口にした言葉であったが結果的には温の眉を縦にするだけであった。

「御嬢様、我々はですね……」

「あー分かっているわよ。はいはい、了々な弟様の言うことはちゃんと聞きますよーだ。御免なさいねー」

 まったく、たまの我が儘、それも数年ぶりの我が儘くらい大目に見てくれたって良いじゃないのさ。

「御嬢様、今恐らく『たまにはいいじゃない』とでもお考えでしょうが」

「…………」

「我々は存在自体が危ういのですから勝手は許されません」

 分かっているわよ……言ってみただけよ……。




 私達は人間と魔の間で取り決められた定義によって『危険因子』へと認定されているのだ。生まれついたこの力が私達を苦しめているのだ。


(いえ、苦しいと思ったことはないわね)


 何故ならこの状態が『当たり前』だと思わされて生きてきたのだから。

 本館に住んでいる者達は私達の肉親であり監視員でもある。この大きな牢屋から私達が逃げ出さないようにと言うよりも、むしろ私達に誰も近づかせないように。


 危険因子に認定されている私達がこうやって生きていられるのは私達の能力の特殊性にある。

 それは条件的な能力だからである。そして破壊的でもないため、限定さえ設ければ私達は「無害」であるためである。つまり『事実上の排除済み』となるため生きる事を許されているのだ。しかしこの管理から一度でも外れた場合は即座に物理的な排除を行いに使者がやってくるだろう。



 伏原(ふしはら)家に生まれし男女の双子、(たすく)(あつし)


 二人は生まれるべくして生まれた存在


 予め予言されていた誕生


 既知であった二人の誕生はこの大きな檻を作らせるにあたった


 全ての準備が整った上での生誕故に私達は生かされている


 何もかもが予定通り


 周りの人間は私達に人を近づかせないだけで良い


 そして必要なときは力を利用すればいい


 そう、私達は有益な道具なのだ


 その名が意味するは「あい」と「をん」


 その意味は「始まり」と「終わり」


 始まりは終わりまでを見つめ、終わりは始まりまでを見返す


 私達は双子でなくてはならなかった


 一人で生まれてしまえばたちまち消えてしまうから


 一つの存在で()()も見ることは出来ない


 人間が同時に前後の光景が見られないのと等しい


 二人で生まれなくてはならなかったのだ


 そう、私達の力は未来視と過去視


 姉の伏原相が未来視、弟の伏原温が過去視の能を有する


 私達は魔にとっても人間にとっても至宝となる可能性を持つ存在なのだ




「御嬢様、これ以上はお体に障ります」

 私が立ち呆けているのを横でただ見守っていた温は雨脚が激しくなったのを確認すると小さく私に声をかけた。その声で自分を取り戻した私は既に目先にあの傘の人物がいないことを今更知った。恐らく何分も前に通り過ぎていったのだろう。

「……そうね、戻りましょうか」

 温は私の冷えた肩へと手を回しゆっくりと肩を押してエスコートしてくれた。彼は私の身の回りの世話をするように教育されている。私達に接近することが一応は許されているのは両親だけであり、それも時間を限られているので会える短い期間で弟は教育されていたようだ。

 私はそれを横目で見るだけでのうのうと育ってきた。この違いは私達の能力の違いに由来する。一般に過去を覗く者は未来を覗く者よりも下に見られるためだ。私はその事にあぐらをかいて今まで生きてきた。


 弟は何も言わない。不平不満を言うこともなくただただ私の世話をしてくれる。


 いつも思うのだ、私は弟無しでは生きられないのだと。




 ガラス扉を閉じ、冷たい風がようやく肌を撫でなくなると私の心を締め付けていた感情が昇華していった。

 上着に張り付いている雨粒を備え付けのタオルで拭き取っていると温が新しいタオルを渡してくれた。

「御嬢様、先程の件ですが一応申請だけでもしておきますか?」

「……どうしてかしら?」

「彼女はあの方の関係者ですので恐らく無理が通るかと」

 そう言えばそうだった。現在の魔の重鎮として君臨するあの方に縁深き彼女なら、私達との接触もあの方の手助けで容易になるのかも知れない。

「そうね、お願いして良いかしら?」

「はい、承りました」

 雨で濡れたタオルを温に手渡すと彼は相も変わらず鉱物のような目のままニコリと笑った。

「御嬢様、御気分は晴れましたでしょうか?」


 私は心の中で首を横に振った。






 二人は対となる者


 『あい』の前には何も無く、『をん』の後には何も無い


 よって二人は互いにだけは干渉できないのである


 二人は対となる「もの」



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