第一話 出会いと自壊 / 5〜6
面倒くさい設定が沢山あります。
5
「どう? 何か思い出したかしら?」
今、私と有は応接間にて特別に用意した小さな机を挟んで座っている。本来客が座るソファーだと仰々しいとのことで有が隅に置いてあった椅子にコソコソと座ったためだ。智爺は別室で待機しているので二人きりでもあるため、ここは有の意見に賛同して高校生らしい形にしてみたのだ。有は頭をぐるぐる回して応接間の様子を興味津津の模様で目玉を動かしている。この様子では体の方はもう心配がいらないようね。
「少しは……ねえ、さっきの人達は何なの?」
私の言葉が耳に入ると止めどなく動いていた有の体はピタリと止まり、その目は私にまっすぐ視線を注いできた。どうやら記憶をしっかりと取り戻したようだ。
「その前に貴女に謝らなければならないわね。ごめんなさい、有。もう一人いたことを見落としていたわ」
そう、最初に私の目は八体まで捉えていたはずだ。だが立ったのは七体だけだったのだろう。私は使者らを見くびっていたものだからそのまま敵の中心に飛びかかり、入り口付近にいた一体を見逃してしまったようだ。
何たる不覚、その所為で有を傷つけてしまったのだ。
「……あの人達はどうなったの?」
「還したわ」
「返した? 何所に?」
「違うわ。還したのよ。他のと同じく土へね」
「……殺したってことなの?」
小さく押し殺された驚きの声は、それでもなお私に対する警戒や絶望を隠せないでいた。やはり有は何も知らないようだ。だが彼女が作り出したあの壁は完璧であった。さらに間違いなく無意識下における行使であっただろう。ああなるには数年はかかるでしょうに。
「そのことは後で全て話します。それより今は貴女のことよ、有? 貴女が使ったあの力、はっきり言ってそこらの者に真似できる代物ではなくてよ? 空気から生み出していると私は考えたのですけど、それでも私には理解できないわ。一度たりとも有の力に似た様な代物は見たことが無いのよ。いつからあのような力を取得したの?」
私は本当に驚いたのだった。立場上広い知識を持っている私ですら聞いたこともない力であったためだ。確かに世界には召還なる魔法を使う人間は多い。だがアレはそのようなレベルではない。私の予想ではあの奇跡は状態を変換するのでもなく、形状を変えるのでもなく、 組み替えたのだ。しかも一を十にまで引き延ばして。せめてもの救いは無から有を作ることは出来ないという点だろうか。
だがそれでも在ってはならない能力だ。
もしその予測さえ、無からは何も創れないという予測さえも間違っていたなら、それは…………
「朱水はアレを見て変だと……思わないの?」
「変、ねぇ……」
私の態度に何らかの恐怖感を覚えたのだろうか、有は制服のスカートをギュッと握り私と目を合わせようとはしない。それでも勇気を出して彼女は次の言葉を吐いた。
「ねえ、朱水は……何なの?」
言うしかないようね。いえ、今言わなければ取り返しのつかないことになってしまう可能性が十分ある。有そのものが消えてしまう事態だって、彼女の力を考慮すれば十分に考えられることだ。いや、消えてしまうでなく消されてしまうの方が的確か。
「私は貴女と一緒よ、有。いえ、貴女が私と同じなのでしょう」
「同じ?」
有はいぶかしげな顔を作る。
「そうです。貴女は私と同じ……人ならざる者、『魔』よ」
▽▽▽▽▽
「え?」
今、朱水は何て……?
「そう、貴女は魔の家系に生まれし娘よ。ただ、貴女の血筋は既に大半人間の血が混ざっていますけどね。私もそう。でもこの一色家は純粋な魔の血を引くのよ」
何 言って るの?
「にわかには信じられないでしょうけど本当のことなの、有。私達は人と共に暮らしている人外なのよ」
人外……その言葉を聞いたとたん私は大きな衝撃に襲われた。
考えなかったことはない。自分が人ではないという想像。明らかに人の力ではないあの壁。
「そう、あの力は貴女が魔であるという証なのよ」
「……違う」
私は人間だ……。頭の中で考えていることとは違い、自分の感情から出てくる言葉はまだ自分を人間だと主張するものだった。
「違わないわ。貴女も理解できるでしょう? あのような力を持つ権利は人間には与えられていないって。それに私は貴女を助けようとしているの」
「助ける?」
朱水は机を越えて私の手をとる。その冷たく細い指で包まれた私の手は焚火に当てた様に急激に熱くなった。その熱は私の動揺を落ち着かせるように手から腕、胸と温めてくれている様だった。
「ええ、それも教えなければね。生きていくためには」
朱水が言うには日本には昔から魔という者達を狩る機関があるらしい。最初は神社で、次に幕府、政府と受け継がれてきたという。最初はただ一部の人間と魔との争いでしかなかったが、次第に平民を巻き込み、挙げ句の果て飢饉をも生みだし多くの餓死者を出したらしい。
「その時は幕府だったわね。魔と人間の間に協定を結ぼうとしたのです。しかし荒々しい魔達はそれを拒否しようとしました。ですがある僧が突然、当時魔王と呼ばれていた魔の城の前に現れ、手紙を置いていったのです。その手紙には現在の言葉に訳すとこのようなことが書かれていたと言われています。『そなたらが死ねば我らは生きる。我らが死ねばそなたらも死ぬ』と。これを読んだ魔王の重臣は魔王に人間との協定の必要性を説いたのです」
「どういうこと? 人間の方が強いってことなの?」
私の言葉は朱水の小さな笑みで否定される。
「違います。魔に比べたら人間など微々たる者です。しかし当時の魔は人間を食す者が大多数だったのです。魔が死んでも人間は安全に暮らせるようになるだけ。一方、人間が死ねば残った魔も当然餓死します。魔王は人間との協定に応じました」
協定の内容は、特定地域の人間において、その命を奪うことや五体が失われるようなことが無い程度に摂取は許される
人の姿をしていない者、つまり異形の者は人村から離れたところに住む
お互いの中心機関には近づかない
「そして最後に、有、貴女に今一番知ってもらいたい事よ。
『危険因子は魔が漏出した場合、人間側が勝手に排除しても文句を言えない』」
「危険因子?」
「ええ、世界は常に均衡を保とうとしているのは知っていますか? 魔はその現象をねじ曲げて『奇跡』を行います。その力を私達は『霊力』と呼称しているの。それは場合によっては世界を壊してしまう。人間だけでなく魔達もそうなることを恐れています。だからあまりに甚大な霊力を使う者は同族に殺されてしまう。人間に殺されるよりは私達の手で殺してあげたいですし」
朱水は淡々と言葉を連ねるが、私の手を包む力は言葉が重なるにつれて強くなっていった。
「でも……人間には到底届かないくらい強いんでしょ?」
「確かに差は歴然としています。しかし人間達も考えたものですね。式典兵器と呼ばれる物を作り出しました」
「式典……『兵器』? 随分物騒な名前だね」
「その実、物騒なのです。古くからの儀式における行動には一つ一つ意味がありました。その意味を、より神聖な儀式道具に埋め込んだのです。例えば浄化の儀を埋め込んだ儀刀は、普段はなまくらでも神官などが持つと破魔の剣となったのです。そして決定的なのは外国から流れてきた物でした」
「外国? と、言うことは意外と最近のことだよね。何のこと?」
朱水の手は私の手を離れ、人差し指だけを立てくるくると宙に渦を作った。何かのおまじないみたいだ。
「魔法ですよ。これは私達の霊力に拮抗するくらい力がありました。魔は血筋によってある程度能力が決まっているようなものです。しかし魔法は行使者を選ばない。まあもっとも、魔法の場合は秘学を学ばなければならないという欠点もありますがね」
すごい、魔法まで出てきた。
「ム、ちょっと有。そんなワクワクした顔をしないでちょうだい。貴女に関わる話なのですから」
私の顔を見て朱水の眉が少しつりあがった。
「えっと、さっきから言っていること、よくわからないんですけど……」
あまりに私の常識とかけ離れている話をされて、私の高二脳では追いつくことすらできないのだった。
「…………単刀直入に言わせてもらいます。貴女はこのままでは危険因子と見なされ、削強班によって消されてしまう可能性が大いにあります」
朱水は一度長く瞼を閉じ、再び開かれた目をまるで敵を見るかの様にぶつけてきた。
「私が……危険因子……なの?」
朱水は何を言っているんだろう……。私なんかがさっき朱水が言っていたモノだとでも言うのだろうか? まさか、そんな、ありえないよ。
「ええ、貴女の能力は神に近い。『創造』一歩手前まできているのよ? それをあのマガリ者達が野放しにするはずはないでしょう」
創造? 話が突飛すぎて追いつけない。
「サッキョウハンって? それとマガリモノって言うのも何?」
「現日本政府に秘密裏に設置されている魔を狩る機関よ。さっき話した機関は今ではそう呼ばれているの。詳しく言うと『削魔遂行部強行班』だったかしら」
削魔遂行部強行班の三文字をとって削強班とし、それをサッキョウハンと読むらしい。
「じゃあマガリモノって言うのは?」
「根性が曲がっているから『曲がり者』…………と、言いたいのですけど実際は読んで字のごとく『魔狩り者』よ。簡単に言えば対象が人外の死刑執行人ね。一応公務員らしいから税金から給料が下りてくるらしいわ。殺しているだけでお金が手にはいるっていうある意味そう言う趣味の輩共には楽園みたいなところね…………って!」
朱水がジト目で睨んできた。何やら御怒りの様子である。
「有! その余裕は何なのですか? 貴女の命がかかっているのですよ?」
「うん……言いたいことはわかったんだけどさ、実感がわかないというか」
そのような事を知ったところで私は何をどうしていいのかわからない、と言いたい気になるが、目の前にしている朱水さんの表情から察するにそんな事を言ってしまったらさらに不機嫌になるだろうから黙っておこう。
「そう。今まで人として生きていたのだから仕方ないのでしょう。ですが有、安全に生き延びる方法は一つしか無いわ」
「一つ……。それは何?」
朱水は一度咳払いをすると椅子から立ち上がり私を見下ろす。
「私の配下に入りなさい。そして自分の力と向き合いなさい」
私はすぐに了承した。頷くしかなかったんだ。私には理解し難い話だったが、朱水は本当に私のことを心配してくれているようだし、朱水なら守ってくれそうな気がしたからだ。なんとなく、そう思える力が朱水にはあるんだ。
あの後、明日また学校の帰りに朱水と共に彼女の家に向かう約束をした。執事さんに車で送ってもらっている間、朱水の言葉が思い出された。
『貴女は魔としたら低級の血筋に生まれてきたの。でもその力はどんな魔でも持ち合わせない希有な能力なの。それも、良い意味でも悪い意味でも多大な可能性を秘めた、ね。けれども貴女は魔としての価値がかなり欠落しているわ。それは貴女が悪いのではなく家系がそうさせたの。貴女は回復能力とさっきの力以外はただの人間と同じ。貴女が今、一緒に暮らしている叔母さまは恐らく魔としての知識は皆無だわ。だから家では今まで通り暮らして。それでは、また』
…………朱水、私の親がどうして死んだか知っているのかな
6
「とりあえず貴女には討滅に参加してもらいます」
学校が終わって朱水の家に向かっている最中、朱水はそう切り出した。朱水は登校時には車で来るが、下校時は歩きである。なので私達はよく一緒に帰っているのだ。
空には雲一つ無く、風が心地よい帰路だった。午後の授業が無い日だったため他の生徒は部活かとっくのとうに帰って行った様で、帰り道には誰も他に存在しなかった。私達はこの時間まで私の教室でお喋りをしていたために二人きりの下校となった。
それは名残惜しさからか。学校にいれば魔とか人間とか関係のない時間が過ごせる……そんな考えが二人にはあったんだと思う。
昨日までと大きく変わったことでもう一つ明らかなものがあった。
朱水が何かにつけて私に触れるようになったのだ。今までは確かにお互いの体が近いということはあったが、肌と肌が触れるという事は滅多になかった。あってもお互いの手が触れる程度だった。でも今日の朱水は何かが変わった様でべたべたと私に触ってきたのだ。それもびっくりするくらい熱を持った視線を添えて……。
あまりのボディタッチに、そのようなものに慣れていない私はたじたじとなりどうにもできず固まることしかできなかった。朱水が私の顔を撫でてきた時には小さい叫び声すらあげてしまい、朱水の目を丸くさせることとなった。それでも朱水は手を私の顔から外すことなく再び私を見つめ直すのであった。私の心臓さんは朱水の異様な熱視線によって拍動を加速させることを我慢できなかった。
「討滅?」
「はい。昨日のことは覚えていまして?」
……あ、聞くのを忘れていた。自分のド忘れっぷりには感心すら覚えるよね。
「じゃあ、昨日のが魔なの?」
「いえ、アレは人です。元々人と言った方がわかりやすいかしら」
「元々人? だったらどうしてあんなことに?」
そう言えばあの時、私から見る限り朱水は襲われていた様だった。
「私が襲いましたの」
「…………」
しかし私の見解は大いに外れたらしい。
「そうでした、まだ今回のことについては何も説明していませんでしたね。昨日言ったとおり、魔は人に近い容姿をしているのなら人の住む場所に定住しても良いことになっています。それは人を襲うことを明確に許しているということです。まあ、命を奪ってはならないということですから村に住む魔は人を殺すことはなかったはずです」
「どうして? 村の人々は知らないんでしょ?」
そう言ったら朱水は鋭い目で見つめてきた。
「有、貴女は変わらなければならないわ。魔であることを自覚しなさい」
朱水は立ち止り、私の反応を待っている。人間としてではなく魔としての発想を求めているということだろう。
「…………うん」
そうして朱水は麗雅な眉をひそめながら私に言い放った。その歩みは先程までと同じ様であったが、私には一歩一歩が雑になっていると思えた。
「世界というのは綺麗事だけで成り立っているわけではありません。多くの死者を出すよりは一部の平民を繰り返し食べさせる贄として私達に差し出した方が良いと考えたのでしょう。そういうものなのよ」
つまり大体は人間の体の中で再生しやすい部位、要するに血液等だという。
「…………私はそれを非道いと言っちゃだめなんでしょ?」
「ええ、そうよ。弱肉強食は当然の事なのだから、見逃したのはこちらの優しさよ」
「うん、頑張って慣れるよ……」
「…………」
お互いに言葉を失い、それからの二人は無言で歩き続けた。ただでさえ誰もいない道、商店街までに耳に入ったのは遠くに鳴った車のクラクションとお互いの足音だけであった。
▽▽▽▽▽
少し焦りすぎたかしら。有は昨日まで人として生きてきたのだ、私とは勝手が違うでしょうに。私は有がこちら側の住民になることに心底歓喜している。初めてできた『タイセツナモノ』。それを根こそぎ独占したいと思うのは罪なのでしょうか?
昨日までの自分と今日の自分は全くの別人だと自分でも気づいていた。昨日までの私は有と、人間という皮を被って接した方が幸せなのではないかとどこか思っていたに違いない。しかし有から魔の方に接近してきた以上、私の箍は外れどんどん彼女に溺れていってしまった。自分でも分けが分からないほどに彼女の熱を知りたくその温もりを求めていた。もはや私を止める壁など消え去ってしまったのだ。知り合ってから溜まりに溜まっていた欲望は堰を失ったために勢い良く溢れ出してしまった。
この子が欲しい、ただその欲望だけで今日の私は動いていた。
門までやってきた。相変わらず有はずっと黙って私の横を歩いていた。私達の間でこんな空気は初めてのことだ。でも私はそれさえも愛おしい。有と過ごす時間は何でも私の心を温める。失うことなど考えたくもない。
有は私が守る
「朱水? 大丈夫?」
門に手をかけたまま止まっていた私を心配に思ったのだろう、有は心配そうに覗き込んでくる。その瞳に見つめられると益々保護欲を煮えたぎらせられる。
「え? ええ平気ですわ。有、貴女は先に昨日の部屋に向かって下さい」
「わかった。行けると思う」
有はたどたどしく進んでいった。エントランスからはそう遠くないからきっと無事辿り着くだろう。私は私で倉庫に向かい頭首以外禁制の扉を開けた。鍵など存在しない。扉が開ける者を選ぶのだ。
「あら、座って待っていれば良かったのに」
応接間では有が居心地悪そうに手をぶらぶらさせながら歩きまわっていた。
「何か落ち着かなくってね。……それ何?」
む、目敏い。有は私の手にある代物に一瞬で気づく。
「腕輪……ブレスレットですね。貴女にこれを貸します。効果は各自に区々(まちまち)ですので実際に着けてみるまでわかりませんわ」
有はしげしげと眺めてから腕輪の名前を聞いてきた。もう、妙なところで好奇心旺盛なのですから……
「正確な名前は伝わっていません。お父様は『鬼眼の輪』と呼んでいました」
「鬼眼? そうは見えないけどなぁ」
その至ってシンプルな装飾しかされていない腕輪を弄くり尽くす。確かに名前のわりに目を表すような形状もシンボルも無いのだ。不思議に思うのも無理はない。
「目と眼は別物です。目はただの視覚器官の事を表しますが、眼はその力も表します。これの場合は『見抜く』でしょうか。装着者によって効果が違うのは、この輪が相手を選ぶからです。まずはいつも身に着けておいて下さい」
有の左手首に着けようと触ったとたん、心の臓が跳ねた。また欲望が働く……。
「ひゃぁ」
私の突然の行動に全く予期していなかった有は腕輪を落としそうになるくらい跳ね上がった。一瞬でその白い頬は朱を帯び、その丸くなった目は潤いを持って私の次の行動を見守っている様だった。
「っ、ちょっと有! 変な声を出さないで下さい。こっちまで……」
恥ずかしくなるじゃない……。どうしましょう。自分でもわかるくらい顔が火照っている。
「と、とにかくずっと着けていて下さい。私だと思って大切に扱って下さいね」
……! この口は何を言っているのでしょう!
ほら、有の頬がさらに赤くなってしまったじゃない。
「え、えっと、お風呂の時とか……は?」
有は赤面した顔を隠すように俯きながら結局自分の手で付けた腕輪の輪郭を指でなぞる。
「お、お風呂ですか? はずしたいならはずしてもかまいませんよ、ええ勿論」
勿論、勿論、と何度も繰り返してしまう。
「うん、そうだよね。恥ずかしいもんね」
「ゆ、有! 何を言っているのですか、貴女は」
「ご、ごめん」
「いえ……」
なんでしょうこの空気の甘さは……
▽▽▽▽▽
「有、貴女にはもっと知ってもらわなければならないことが沢山あります。とりあえず今回のことに関わる話をしますわ」
椅子に座り直すと朱水は急に落ち着いて話し出した。まるで人が変わったように瞳に冷たい光が走る。椅子の肘掛に乗せた手を胸の前で組む。その姿は不可解な威光を放っている様に私には見えた。年齢にそぐわない鋭い重圧を今目の前にいる朱水は纏っていた。
「今、この町に流れの魔が居座っています。最初は大人しかったので放置をしていたら最近になって急に勢力を増してきました」
「勢力? 戦争ってこと?」
「ええ、簡単に言えばそうなりますね。戦争と同じように無関係の者も巻き込まれていますし」
あくまで彼女は冷静である。
「でもどうして? そんなことをしたら削強班に目をつけられるんじゃないの?」
「…………驚きました。少ない情報でよくそこまで考えつきましたね。ですが削強班は同族争いには手出しできません。彼らがこちらに乗り込むのは危険因子の排除の時だけ。同族同士の争いに加わる権利は与えられていません」
たとえ一般人が死んでもその数がまだ穏やかな場合は削強班ではなく警察が扱うらしい。
「どうして争うの? 国同士の戦争みたいに領地やお金の問題なの?」
「いいえ。確かに領地という概念はあります。しかし実際はそのような考えを気にしているのは一部の魔だけでしょう」
だったらどうして。
「魔は欲望に忠実なのです。人間は理性というモノで本能を隠していますが、それは個々の存在が微弱な種族にとっては仕方がない事なのでしょう。そのおかげで知性を手に入れたのですし、対比に使われる獣達には知性と呼べるほどの思考段階の複雑性がありません。ねえ、有。人間と魔、どちらが後に出てきたのだと思いますか?」
人間と魔……やっぱイメージで言うと、
「人間かな。魔は昔から住んでいたってイメージがある」
「でしょうね。なら、どちらが優れていると思いますか?」
「それは……魔、なんじゃないの? 運動神経とか全然違うんでしょ?」
「ええ、そちらは正解です」
そちらは、ってことは、
「魔の方が後に生まれたの?」
「そうです。人間と同じくらい、いえ、寿命を考えたらそれ以上の知識をため込むことができる脳、人間を遙かに超える運動能力、極めつけは世界そのものに干渉できること。この点から言って魔と人間とでは圧倒的に魔の方が優れていると考えられます。優れているモノを作るためには元となるモノが必要でしょう? 魔にとって人間がそうであるのです」
スゴイ、何かの授業みたいだ。
「だったら魔っていうのは人間が進化したモノなの?」
朱水は私の言葉に苦笑する。
「まさか。人間がどんなに進化しても魔には届けません」
「ん? なら魔はどうやって生まれてきたの?」
「『世界は常に均衡になろうとしている』。そう言いましたね」
「……『世界』そのものが人間を減らすために魔を作ったってことなの?」
「ふふ、ホント理解が早くて助かります。そう、私達は世界に作られたのです」
朱水の言う『世界』というモノが良くわからない私だが、現状の知識でわかる事は、
「でもその割には……」
人間は相変わらず地上を支配しているという事だ。
あ、また朱水の眉が……
「ええ、言いたいことは十分わかります。ですが魔は存在し始めてからまだ数千年しか経っていないのよ? 完全な魔として存在するには短すぎたのよ。それに、その間に人間は魔に耐性をつけてしまった」
興奮し、目を攻撃色に光らせる朱水さんは机をバンバンと叩く。どうやら私の言葉は朱水の逆鱗に触れてしまったようだ。
「あれ? 魔って大昔には存在しなかったの? だったら遺跡の壁とかに描かれている人外は何なの?」
「……ホント鋭いですね。ええ、アレは確かに魔ではありません」
魔ではない? だったらアレは?
「わかりません? 魔でもなく人でもない。残った選択肢など一つくらいしかないでしょうに」
……まさか
「動物なの?」
「半分正解ね。あれは獣なの」
「そんな……」
あんな怪物が動物だなんて信じられない。いや「動物」という言葉が担う範囲をよくよく考えれば確かに動物とみなすことはできるけどさ。
「驚くのは仕方ないでしょうけど、私達を例に見れば案外納得できるモノですよ? 簡単に言えば私達は二番目の駆除剤です。一方で一番目の駆除剤は獣を元に作られた。ですが結果は人間側の勝利でした。ですから次は人間を元にして魔を作ったのです。これも拮抗となった。そこで世界は新しい駆除剤を作ったのですよ」
「それは?」
「人間そのものに入っていって破壊行動をする物と言ったら?」
「……ウイルス?」
「ええ、ウイルス及び微生物の類です。もっとも、あれは地球上に昔から存在している物です。ですから世界がほんの少し後押しするだけで結果を出しました。ペスト、コレラ、最近では方向性を変えてエイズ、全て人間を減らすために世界に後押しされたと考えられています」
……話が大きくて頭が壊れそうだ。
「なら……人間は世界の敵って事なの?」
「いいえ。アレも世界によって作られた物、敵という表現は不適切です」
「『均衡』のためだね。だったらウイルスさえも克服したら四番目の駆除剤が作られるってことかな」
朱水は私の言葉を聞くと指を私にドーンと突きつける。「好く言った」という意味だろうか。
「はい。魔達は次には地球そのものが手を下すか、神と呼ばれるモノを作り出すか、そのどちらかだと考えています」
地球そのもの、つまり天災とかか。
「その時は、私達も?」
言いたい事が分かるのだろう、私の中途半端な質問でも朱水は深く頷く。
「でしょうね。人間だけを過剰に減らしてしまったら均衡はまた、崩れますから。駆除剤も一緒に破棄してしまわなければならないのですよ」
「理解できるけど…………怖いね」
怖いという言葉と同時に私は背筋に何か冷たいものを感じた。
「ええ。……話が大きくなりましたね。要するに魔は人間を襲いやすいよう、最初から欲望に従うように作られていると言いたかったのです」
「で、その欲望が同族争いなの?」
「いえ、結果的にそうなってしまっただけなのです。魔の欲望は『力』、最初はちゃんと人間を相手にしていたのですが、世代が変わってくると魔同士で争うようにもなってしまったのです」
残念ながら、と朱水は頭を左右に振りながら言った。
「力を求めて、ってヤツ?」
ゲームで出てきそうなチープな言葉だが、実際に目の前に「ゲームの様な力」を持った人を前にした私は言葉に何ら恥ずかしさを抱かなかった。
「ええ。情けない話ですが昔の魔は単純すぎたのです。その欠陥を引き継いだのでしょう」
「なら今この町にいるのも単なる力比べのために?」
「ええ、恐らくは。ですが少々違和感があるのです。力を求めるのは前提であって、どうやって求めるか、どのような力を求めるかは区々ですから断定は出来ません」
「え? どういうこと?」
そう聞くと、朱水は急に声を低くして、
「……いるのですよ、多大な犠牲を糧に大きな力を求めようとする痴れ者が。どんなに大きな力を具現しても世界がそれを許さないというのに」
と言い、宙を睨めつけた。その手は怒りに震えている様だった。
(何があったんだろう……)
「あら、ごめんなさい。また話が脱線してしまいましたね」
話を変えようと咳払いをする。それだけで怒りの模様は風に流されていった様だ。
「今回の方針は使者の排除、叶えば使役主の討滅です」
「使者?」
「魔によって支配された人間のことをそう呼称します。私達の様に一切支配しない魔もいますがね」
「何のために人間を?」
「純粋な強さを持った魔による使者は、強力な剣となります。その剣を操り、相手の気がそちらに向いている隙にさらに駒を増やして王手という感じですね。しかし魔でもこの方法を使うような者は、日本では少ないんです」
朱水が言うには、吸血鬼というものは海外の代表的な第二のイメージだという事だ。日本以外でも血液だけを搾取することを許した国は多く、そもそも日本自体海外の事例を模倣したと言われているらしい。その血液を奪うシーンや、朱水が言ったような人間を操る事がくっつき、吸血鬼という固定イメージができたと言う。一方で日本では「人間を操る」という事を良しとしない風潮があったとのこと。自身の力だけを本丸とし、争い合ったらしい。
「本当に戦争みたいなんだね。で、今この町は攻められているんでしょ?」
「はい。ですが使者は微弱、おまけにどうやら主とは繋がっていない様なのです」
「繋がる?」
「ああ、言い忘れていましたね。普通、使者と主は繋がっているのです。それにより集団行動を指揮したり、撤退命令を出したりと、現場にいなくとも操れるのです」
「う~ん。何となくわかった気はする。それで、私もその使者と戦えと言うんでしょ?」
尤も「戦え」と言われたところで私に何ができるだろうか。そもそも昨日の朱水の様……に…………
「有? どうしたの? ボーとしていたわよ」
いつの間にか私の目の前に朱水の心配そうな顔があった。どうやら私は固まっていた様だ。
「いや、何でもないよ。私にも手伝えってことだよね?」
「ええ。貴女の先には必ず争いがある。魔ならば逃れられない宿命なのです。その時までに戦い方を知らないと犬死にします。そうならないためにも今は私に付いてきて、戦いを学びなさい」
朱水は言いきった。私を死が立ち込める世界へと誘っているのだ。今の日本では考えられない世界なのだろう。
昨日の出来事から私はどこか遠い世界に迷い込んでしまったのだろうかという考えが度々頭の中にわき出ていた。そう、限りなく元の世界に近い、だけど明らかに違う、そんな世界に。実は夢を見ているのだと……。
しかし目の前にいる朱水はそんな希望的逃避論を否定するには十分すぎる存在感を滲み出していた。
「……わかった。私に何が出来るか知らないけど、朱水とならいける気がするよ」
「ええ、暗闇の舞踏会へとエスコートさせていただきますわ」
「同性なのに?」
「あら? 私はそこらの男性より数倍頼りがいがあると自負しておりますが?」
「うん、そうだろうね」
私達は笑い合い、また昨日と同じ約束をし、玄関で別れた。