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第四話 イキトシイケルモノ / 9



 必死に上半身を足に近づけようと呻いている友に声をかける。あれだ、その必死な顔を見ているとついイジワルしてみたくなるものだろ? それがいつもは強気で意地っ張りで実は負けず嫌いな可愛い女子だと特にさ。

「相変わらず体固いなお前」

 そう言いつつ体を床に押し付けてやる。あくまでサポートだ。うむ。

「っ痛! 痛いから止めれ!」

 ウチの体重の半分もかけていないのに何と軟弱な。これじゃ先が思いやられますな〜。

「何ぶつぶつ呟いてんのよ! さっさと退きなさいよ。重いのよ」

「失礼な。これでも結構痩せてる方よ」

 勿論そんなこと今の鏡の耳に届くわけもなくウチの足をバンバンと叩くので、しょうがなく退いてやることにした。背中の重みが消えるとバネのように上半身を跳ね起こし、勢い余って床と背中がくっついた。

「あ〜も〜最悪よ。何でこんな所まで来てこんな事しなくちゃいけないのよ」

 仰向けのままでいる鏡は周りの人間が分からないように日本語で不平を漏らす。

「あら、あの先生見たら分かるでしょ?」

 そう言ってウチは校舎の一教室にいるよぼよぼな教師を指さしてやった。あの人はまだそんなに歳食っていないのに研究に精を注ぎすぎているため体の方が音を上げている、典型的な魔法使いの姿として良い例だ。

「…………いや、確かにある程度は体力も必要よ。でもわざわざ体育の時間なんて入れなくても良いじゃない」

「そうか? ウチは結構嬉しいが」

 鏡はウチの顔を暫し見つめると、急に蔑むような含み笑いを見せた。見せやがった! どうせ『あんたは体を動かす方が好きなタイプだものね。っぷ』とか考えているんだろうな。いや、事実先週似たような言葉がこいつの口から飛び出たからな、大方間違いではないだろう。

「なんだ、また背中押して欲しいのか?」

「あら、私そんなこと考えてないわよ〜」

 鏡はふざけてコロコロと転がってウチから逃げていった。

「あ……」

 そして辿り着くは仁王立ちしている教師の足下とな。全く、何て罪作りな女だい、ウチという人間は。


 その後授業中に遊んでいたとして軽く説教され、見るからに落ち込んでいる鏡はウチの方に戻ってくるといきなり靴を踏んづけてきやがった。他人の前では立派に振舞いたい見栄っ張りな性格がよくわかる。他人に少し注意されるだけでこれだ。

 いい加減あしらい方に慣れてきたウチなら冷静に構える事が出来るから構わないんだが、もしまかり間違って赤の他人にこれが働いたと想像したらゾッとするな。

「あんたの所為よ」

「はは、面目ない。お詫びに今日はお前が好きなあれ奢ってやるよ」

 鏡様があまりに憎しみに満ちた目をしなさるので、対鏡用最終兵器の一つを繰り出す。これは鏡の中でも中々な不機嫌度だ、最初から全力解放で行かせてもらう。

 鏡は一度目を反らしてから、ほんのちょっとだけ顔を赤らめてウチに歩み寄る。

「……まあそこまで反省したなら良いわ〜」

 コウカハバツグンダ。むしろ何故か頭を撫でられるというお釣りを貰えたというこの威力! イチコロである、可愛い奴よのう。


「ならこれが終わったらさっさと着替えるわよ。良いわよね?」

「はいはい」

 表情が一瞬で反転してうきうきな鏡さん。叱られたという事実を忘れ去ったのは明らかだった。

「ふふふふ〜ん」

 ……何と言うことだ。あの運動が大の苦手な鏡が体育で鼻唄混じりにストレッチとな。これ程までにあの最終兵器は少女を無力化してしまう物なのか。恐ろしき物よ。


 その後も授業中はずっと上機嫌で、滅多に見られない「体育を熱心に受ける鏡」を存分に振舞っていた。



「もう、遅いわよ〜」

 更衣室の前に行くと大きな声がウチの鼓膜に揺らす。

 まだまだ頭のどっかがおかしな鏡さんは、手を振る等という、普段のこいつを知っていると思わず目を逸らしたくなるような行為を大衆の面前でして見せた。いや、ウチ以外の人々は逆に珍しい物を見たとしてその光景に釘付けになるようだ。皆が皆、鏡を興味深げに見ていた。ただでさえさっきまで普段の体育の授業では見られない状態になっていた故人目を集めていたのだからまずい。

 しかし、更衣室の入り口で既に制服に着替え終えている鏡は周囲の目など気にせずにまだ着替えてないウチの手を取り、更衣室の中へと強引に引っ張った。

「ほら、ちゃっちゃと着替えなさいよ。何でこんなに遅いのよ」

 そうは言いながらも満面の笑顔なメルヘン空気漂う少女、鏡さん。凄く気持ち悪いです。

「あら、今なんか聞こえたわよ」

「いや、何も言っていないよ。それに遅れたのはウチが今日後片付けの係だったから。失念していて授業終了直前に思い出したのだけど、お前ってば既に校舎寄りに立っていたから間に合わなかったの」

「いや、言い訳は良いからさっさ着替えなさいな」

「…………」

 いや、今はただ従った方が良さそうだ。今の飢えた鏡に口で勝てそうにない。……普段から勝てたことは皆無だけど。


「ん? 何?」

 ふと、ウチと鏡の目ががっつりと合う。そりゃそうだ、何故か着替え中ずっと見られているのだから。

「いや、お前女の着替え見て楽しいか?」

 流石にここまで至近距離だと、いくら同性でも恥ずかしいものだ。まあウチの場合はそれだけでは無いんだけどね。

「う〜ん、楽しいと言うよりは興味深いとかかな」

 そう目を細めながら言う。その表情にウチの心臓はとくんと一拍跳ねた気がした。

「貴方の躯って綺麗ね」

「……絶交して欲しいのか?」

「そ、そう言う意味じゃないわよ!」

 分かっているって。それに今のは照れ隠しだ、察しなさいな。

「そんなこと言われたの初めてかね。自分から見たらこんなの普通すぎて特徴のない体型だと思うのだけど」

「そう? 私からしたら結構理想の体型よ。羨ましいわね」

「ふ〜ん。よく分からないね」

 っと、着替え終わったのだからさっさと向かわなくては。と言うかこいつは急かせていた割にまだ机に全体重預けっぱなしじゃないか。

「ほら、早く行くんだろ」

「おっと、そうだったそうだった。あんたがゆっくりしてたから私までゆっくりしちゃったじゃない」

 どんな理屈だよ。

「ほら、さっさと行くわよ」

 今度は我先にと教室の扉まで走る。恋は盲目、食欲は猪突、ねこまっしぐら。




「はぁあぁあぁ 最高だわ〜」

 鏡は自分の部屋に戻って早々机に買ってきたケーキを並べ始めた。並べる事でまずは視覚的に楽しみたいのであろう。小奇麗な小さなケーキが六つもあるとなんだか輝いて見えるね。

「で、あんたはどれが欲しいの」

「お、くれるのか。てっきり独り占めする気だと思ってた」

「流石にそれはないわよ。ただし一つだけよ」

 まあ今回はわびの意味もあるからそれはしょうがないか。むしろ一つ恵んでくれる方が奇跡かと。

「好きなのどうぞ」

「迷うね。六つも選択肢があると一つ選ぶのに色々考えちゃう」

「そうね。でも一つよ」

 にこやかに『一つ』という言葉を強調する鏡、少し意地汚い中身が漏れ出ているようだ。

「それにしても随分奮発してくれたじゃない。ありがとね」

「そりゃね〜」

 お前がショーケースの前で涎垂らす寸前まで屈んで選んでいるものだから……。

「え、私そんなだった?」

「ああ、あれは流石に他人様の目に晒すものじゃないと思って取り敢えずお前が好きそうな奴まとめて買ったのさ」

「うわ、恥ずかしい」

 いや、今更恥ずかしがって意味無いぞ。その場で気付かにゃならん。

「まあ過ぎたことは良い。取り敢えずウチはこれを……」

 そう言って恐らくブッシュドノエルを小さく切り分けた後で更にクリームを載せた物へと手を伸ばすと、

「…………」

 あからさまに機嫌を損ね、ぶすっとする鏡の視線にその手が射抜かれた。

「っと思ったがこっちが良いかも」

 しょうがないと、今度はその横のモンブランのような物に手を伸ばす。

「…………」

 ……一体どうしろと?



「ふ〜。ケーキだけでお腹いっぱいになると言うのも中々乙ね」

「そうね。ついでに貴方のお腹も『乙』の漢字みたいに膨らむことでしょうね」

「今言うな!」

 鏡はやや涙目になり横で一緒に寝ころんでいるウチの足を蹴った。気にしていたのだろうか? 可愛いやつめ。

「あんたは良いわよね。痩せていて」

「そうか? それにお前だってそんなに太ってないだろ」

「『そんなに』?」

 嗚呼、横から凄い形相で睨まれているのが見なくても分かるやい……。

「ちっとも、からっきし、これっぽっちも。貴方考え過ぎじゃない?」

「そうかな。あ、丁度いいから見てよ」

 そう言い、起きあがってするすると服を脱ぎ始めた。おいおい、女同士だからっていきなりそれはないだろ。少しは了承得てから行動しような?

「って……あれ?」

 そして現れたのはどう見てもぽっこりと膨らみかけている小さなお腹だった。どう言葉で表現しようとも、どんなに言い繕ってもそのお腹は膨らんでいる、間違いなく。

「まああれだけ食べればお腹の一つや二つ、膨らむわね」

「うう」

 鏡は自分の体の現状を知り、呻き始めた。気持ちは分からんでも無いが女二人の個室で、片や半裸のこの状況で泣かれるともし誰かがこの部屋に訪れたら色々誤解を招いてしまうので止めて欲しい。

「あんたは良いわよね。痩せてるものね!」

「いや、単に食べた量の問題だろ」

「へぇ、痩せている奴は余裕ね」

 こいつは何言ってんだか。

「はいはい。何だか分からんがウチが悪うございますよ」

「…………」

 おっと、人生の選択肢を誤ったか? 何故だか震え始める鏡さん。ウチ、貴方の怒りを買うようなこと言いましたっけ?

「脱げ……」

 は? 今こいつは何て口走ったんだ?

「あんたも脱げ!」

「ちょっ、お前頭大丈夫か?」

「うるさい! あたしだけ恥ずかしい思いするなんて悔しいじゃない!」

 出た、いつもの『悔しい』発言だ。こいつはよく悔しいって言葉を使う人間である。それに今ウチのお腹を見たって膨らんでいるわけもなく、より一層鏡の頭に血が上るだけだろうに。こいつは根に持つからな、それだけは避けるべきだ。

「お前ってよく悔しがるけどな、それって可愛くないぞ」

「……うがあああああああああああああああ」

「待て待て……おい、正気か?」

 オーケー、分かった、了解だ。今のは間違いなくウチの口が滑った。そこは認めよう。だが今すべき事は何故か手をワキワキさせながら迫ってくる親友の事だ。

「何する気だよ」

「何って脱がすに決まってるじゃない。女同士だもの、恥ずかしくないでしょ?」

「この世には同性でも恥ずかしい事っていっぱいあるんだゾ! 新しいこと学べて良かったな、友よ」

「さて、まずは上着からよね〜」

 ああ、駄目だ。確実にこいつはウチの話なんて聞いてない。座りながら両手両足で後ろに逃げていたウチの背中に壁が迫ってきた。


 ジ・エンドって言う奴?


「うりゃ!」

 壁にぴったりと背中が張り付いているウチに鏡がのし掛かってきた。

「ほら、加々美ちゃん。脱ぎ脱ぎちまちょうね〜」

 何故か鏡の口から赤ちゃん言葉が出る。なんだか耳に気持ちいい甘い響きだった。

「……分かったよ」

 鏡がウチの制服のボタンを外していくのを止めずにずっと見守ることにした。下手に逆らうと何されるか分からないからね。

「はい上手に脱げまちたね〜。偉い偉い」

「その口調どうにかならないか?」

 そうは建前として言うが実はもっと鏡のこの口調を聞いていたい自分がいたりする。不思議と心が落ち着く心地よい魔法だった。

「あら、もう言葉しゃべれるようになれまちゅたか? 加々美ちゃんはかちこいんでちゅね〜」

「…………もう好きにして」

 そしてウチのお腹を注視する。当たり前だがウチのお腹は出ていなかった。

「やっぱり」

「うん?」

 鏡の口からため息が漏れ出す。

「あんたの体って綺麗ね。何でそんなに痩せてるの?」

「ま、一応毎日何かしら運動して体動かしてるからな」

 運動という言葉に顔を思いっきりしかめる。そんなに嫌なのか。そんな心構えだと一生痩せることは無さそうだ。

「ちょっと触って良い?」

「お好きにどうぞ」

 そんな子供のような好奇心で満ち輝いている目をされてしまっては、断るに断れないよ。

 ウチに言われたように本当に鏡は好き勝手にベタベタツンツンとウチの体を触りまくった。

「うへ、ここってこんな風に筋肉付くのか。それにここも随分固いのね」

「腹筋すご……あんた腹筋の筋トレしてるの?」

「何よこれ。足の太さ私とほとんど変わらないのに筋肉が詰まってるのね。人体って不思議ね〜」

と、まあ本当に好き放題に。

 そして行き着くは……

「えっとここも触って良い?」

 鏡の顔の目の前に位置するウチの胸である。

「お前にもあるだろ」

「いや、筋肉質な人の胸ってどんなかなって凄く興味があるンよ」

 そう言うとウチの返答を待たずにいきなりブラをずらし上げ、当たり前のように揉み始めやがった。おいおい、それはないだろ。

「何だ、期待はずれ〜。普通じゃない」

「当たり前でしょ。筋肉が詰まってるとでも思ったの?」

 そうつまらなそうに呟きながらも、未だ胸を揉む手を止めないでいる。こらこらお嬢さん。

「いい加減にしような。いつまで人の胸触ってる気だ」

 胸を揉まれ続けて何だか間違いが起きそうだったので、ウチは逃げようと壁を使って起きあがった。……のだが目の前にいた鏡のスカートに思いっきり足がひっかかり大きく前にずっこける事となった。

 そしてお約束の展開が待ち受けていた。先に言っておくがウチは計ってこうなったわけでなく、偶然こうなっただけ。そう、何かの間違いで。


「あのさ」

「何よ」

 やはり鏡は不機嫌だった。当然か、思いっきり床に押しつぶしているからな。

「事故だ」

「分かってるわよ。でも取り敢えず明日もヨロシク」

 それは……きついね。流石に出費が大きすぎるわ。でも明らかに怒りに満ちた目で見上げてくるそのオーラに反論する気は削がれ、ただ頷くことしかできなかった。

「でもお前痩せたかったんでしょ?」

「………………」

 無言でより一層眼力を強めた視線に下から射抜かれる。あちゃー、やっちまったなおい。

「ちょっと待って、今のは流石に口が過ぎたから謝るわ。だからそのウチの腰に回した手で何かするのは止してくれないかい?」

「うらああああああああああああああああああ!」

 鏡は腰を持つ手を思いっきり横に引っ張ってウチを投げ飛ばし、その勢いのまま今度はウチの上に乗り上げた。お腹に鏡の重さと熱を感じる。そしてふわりと鼻に届く鏡の髪の匂いがウチの心を支配した。

「あ〜も〜あったま来た。こうなったらもっとあんたの体を弄くりまくってやる! っと……加々美?」

 ふと気付くと鏡はウチの顔を至近距離で覗き込んでいた。女のウチですら惚れ惚れするような曲線美を描く鏡の目がウチの目の前にあった。そしてより一層髪の毛のシャンプーの匂いと、いつも鏡が愛用しているフレグランスの柑橘系の匂いが強く折り重なり、ウチの頭を朦朧とさせる。

「……ん?」

「良かった。てっきり頭でも打って、呆けたのかと心配したわよ」

 ああ、それも当たらずも遠からずだな。実際今一時だけ意識が薄かった気がする。

「お前が思いっきり床にたたきつけてくれたからな」

「あんたが私にしたことをやり返しただけなのだけれど?」

 まあ、それもそうか。でも事故と故意ではかなり違うと思うぞ。そう思っていると今度は鏡が無言でウチの顔を覗き込んでいた。どうしたのだろう。

「鏡?」

「貴方って……結構綺麗な顔しているのね」

 いやいや、娟雅(えんが)を具現化したような姿をお持ちな鏡さんには到底及びませんよ。



 声をかけた理由は同じ日本人だからと言うだけじゃなく、本当は一目で憧れてしまった貴方に近づきたかったから。ウチは初めて貴方を見かけたときに貴方の側で貴方の笑う顔や泣く顔をずっと見てみたいと思ったわ。

 最初はこの学校に来てもそんなに勉強するつもりは無かった。しかし鏡が優等生だという事を知るとウチもその横にいたいがために少しだけ勉強するようになったんだ。

 ウチがこの学校が好きなのは鏡がいるからなんだ。長期休みだって実家に帰る事無く寮にいるのは、家に帰り辛いという理由以上に鏡もここに残るからだった。

 気付けば自分の生活に全て鏡が関わっているんだ。

 恥ずかしいから口には出せないけどね。



「お前にはかなわないよ。自分でも分かっているんだろ? みんながお前のこと敵視している理由の一つにお前が凄く目立つ顔しているからと言うのがあることくらい」

「その言い方だと逆の方向に聞こえてしまうわね」

 普段と違う小悪魔の様な仕草で微笑む姿に再び心臓の鼓動が速まる。

「ねえ、加々美」

 その降りかかってくる熱い息に鼻を焼き付かれる。その瞳の潤いの熱さに目を焼かれる。

「貴方、顔が真っ赤よ」

 分かってるわ。でもどうしようもないのよ。

「ね、私達女同士よね」

 そうね。だからウチは簡単に貴方に近づくことが出来たわ。でもだからこそそれ以上近づけないと言うことに気付いたときは一人で部屋に籠もって泣いたわ。あれ程までに泣いたのは初めだった。それほどまでにウチの中で貴方のことが大きかったのね。


 今ウチの頭を覗くことが出来るならきっと今までずっと見てきた『親友』の姿が映像として延々と流れているでしょうね。


「……惜しいことにね」

 …………言ってしまった。この状況で自分の本心を隠しきれるほどウチは大人じゃない。


 もう、楽になりたい。貴方がウチを見てくれる度にウチは不安でたまらないの。

貴方の目に映るウチは可愛いのかな? 

貴方はウチの何所を見ているの? 

貴方の一番の仲良しはウチでいいのかな?

貴方はウチのことどう思っているの?


そんな、自分らしくない乙女な部分が膨らみ爆ぜそうになる。抑えていた自分の感情が目の前の鏡によって引き抜かれていく様だった。


「そう……そう……」

 苦しさから逃れたいがために放ったウチの言葉の意味を理解したのだろう。いや、前々から気付いていたのだろうか。ずっとウチの目から逸れないその堅い視線はウチにその事を教えているような気がする。


 違うかも知れない。ただそうであることをウチが勝手に想像し、勝手にこじつけているだけに過ぎないかも知れないのだから。


「ならさ、今から私がすることも女同士なら悪戯に過ぎないわよね」

 そう言って瞼をぎゅっと下ろした。


 自分から『する』と言ったくせにさせるのか。そこがまたフェミニンで、ウチの心をかき乱す。


「鏡、もう戻れないよ」

「…………」

 閉ざされた瞳に涙が浮かぶ。その涙はどういう意味なの?

「ウチね、貴方のこと……」

「悪戯よ。悪戯なんだから言葉は必要ないじゃない」

 鏡はウチの言葉を遮るように小さく叫んだ。言わせてくれない。


 そもそも言って良かったの?


「わかった……。ちょっとの間だけでいい、目をぎゅっと閉じていて。そうすればウチ等はウチ等のままでいられるから」

 もういい、ウチの手が短い所為で高い嶺に優雅に座っている貴方を手に入れられないのなら刹那に感じるだけでいい。届かないのならウチの風が貴方の髪を躍らすだけでもいい。


 それだけでも、ウチは嬉しい。



 自分がどれほど小さな人間だったかを自覚しているウチは、


 ただ立つだけで大きく眩しく強く気高く美しく在る貴方に憧れたウチは、


 貴方と一緒に時を過ごせるだけで今まで生きていた意味を見いだせるわ。



 親に見限られ、周りの者に疎まれ、壊れそうだった自分のちゃちな心を、これ以上ぼろぼろにならないように、これ以上毒針で抉られないように護るために必死で逃げ込んだここで、ウチはウチの生きる理由を見つけることが出来た。



 貴方はウチを受け入れてくれた。


 貴方は誰もが無視するウチを見つめてくれた。


 貴方はウチの声に応えてくれた。


 どんなにそれが嬉しかったことか。



「鏡、ずっと友達でいさせて」


 それだけでもウチは生きられるから、生きる気力がわき上がるから。


 貴方の横にいたいから。


「貴方が私を嫌いにならない内はずっと友達でいてあげるから安心しなさいな」


 有り難う。好きよ、鏡。



 そしてウチはぎゅっと目を閉じたままの鏡の首に手を回し、そのまま軽く、お互いが簡単に離れられるように柔らかく、引いた。




   鏡の唇はとても甘かった


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