第四話 イキトシイケルモノ / 4
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「あら、珍しいわね。ここに来るなんてどんな風の吹き回しよ」
久々にあったソイツは言葉とは裏腹に微塵も驚きを含まずにウチを部屋に招き入れた。
「いよぉ。久しぶりだな」
鏡はウチが靴を脱いでいる隙に部屋の奥に何かを隠した。ま、そこら辺はお互いの立場上仕方のないことで、一々気にしていたらこいつとは付き合えないから見なかったことにするのが一番だ。
「前に会って一年は経ったわよね。生きてて安心したわよ」
これまた微塵も思っていないことをぺらぺらと口にしやがる。既に鏡の身内ではないウチは、鏡に心配されるようなことはない。こいつはそういう女なのだ。
「ま、お互い連絡は取りづらいからな。で、どうよ?」
「どうって、何がよ?」
冷蔵庫の中から冷えたクッキーをいくつか投げてよこす。ウチはそれをあの頃のように当たり前のように軽く摘んで受け取る。
「あの野郎だよ。落としたン?」
おうおう、動揺しちゃって。鏡は閉めようとした冷蔵庫のドアに指を思いっきり食われながら頬を赤くして言い張る。
「いや、前にも言ったけどあいつとはそう言う関係じゃないから」
その態度で大方の人間はわかっちまう物なんだよ、お嬢さん。昔のこいつでは考えられない話だが、こいつもいつの間にか女になっていたってわけか。
「もう、そう言う話は無し! したら追い出すから」
「はいはい」
ウチはあの頃のようにいつもの場所にかけてあるステンレス製のコップを取り、クッキーの後に腹に向かって投げ込まれたペットボトルのミネラルウォーターをそれに注ごうとした。
が、しかし躊躇ったあげくポケットに突っ込んであった硬貨を数枚、鏡に先程の危険投球の仕返しとして勢いよく投げた。
「お金なんかいらないわよ」
それを大して見向きもせずに受け取った鏡は、同じ飲み物を取り出し封を開けて飲んだ。
ほんと変わったな、ウチ等
「で、どうしたのよ。何かあったの?」
落ち着いたところで鏡から当然の質問を受けた。
「まあ、ね」
「何よ、歯切れ悪いわね。あんたらしくないわよ」
けっ、お前が言うなってもんだ。
「あんたとの接触自体危険なんだから用がないなら帰ってくれないかしら?」
「いや、用はあるんだ。うん、大いに」
ウチは何を躊躇ってるんだ……聞くだけだ、何も問題ないはずだ。それなのに私の喉から肝心な単語が這い上がってくれないのだ。
「ウチの職業は理解してるよな?」
「勿論」
ウチは目の前にいる高海鏡とは反対と言うべきグループに付いている。
削強班が魔を殺すなら、ウチの方は魔を生かすという表現が適切だろうか。つまり『逃し屋』みたいな物だ。この職についている輩共はウチのようにまともな人生を送れなくなったならず者の魔法使い達がほとんどである。しかも大部分は『転落』した奴であり、つまりは前身よりそれなりのことが出来た奴だったのが多い。 自分達は先の見える人生を送る資格がないことにやっと気付いた輩共によって門戸が叩かれるという、まさにアウトローのために存在する職だ。
ウチ等の仕事は主に魔の保護であり、それは時として削強班との殺し合いも勃発させる。幸いな事は、ウチが殺してきた魔法使い共に高海鏡という女が混ざっていなかったことだろう。もしウチがこいつを殺していたらその『ウチ』は自分でも想像できないことをしでかす危険人物になっているだろうな。
しかし今回の件は……異質だった。
「尼土有、聞いた事あるか?」
やっとこさ口から必要な単語が滑り落ちた。尼土有と言う人物の名を聞くと鏡の目が変わった。
「……さぁ」
ああ、わかった。やっぱり面倒事だったか。受ける時点でこの件のきな臭さは感じていたんだがな。
「ここは監視されているのか?」
「いえ、監視はないわ。盗聴も盗撮もされていない」
言葉とは違ってそれとなく視線を多方に巡らす鏡。しかし本当に無いのか、次に開かれた口からは知りたいことが発せられた。
「尼土有、有さんには関わらない方が良いわよ。あの魔は特別だから」
「何故だい? その特別であるが所以を知りたいんだ」
「馬鹿ねぇ。いくら何でもそれは話せないわよ」
緊張しきった顔の眉を無理矢理曲げて微笑もうとするが感情が顔に出やすい鏡には難しかったようだ。口元がひくつくだけで不気味な貌が出来上がっている。
「例えばだ。お前がウチの立場だった場合、お前だったら莫大な金が用意されていてもソイツに関わることを拒否するか?」
鏡は少し黙りこくると、何を思ったのかすくと立ち上がり、星空がちりばめられた天上が覗ける窓のカーテンを閉めると小さく呟いた。
「愚の骨頂よ」
そうか。わかったよ。
「なぁ、今晩泊めてくれよ。いいだろ?」
振り向いた鏡の目は無機質な視線をウチに突き刺す。
「帰った方が良いわ。もしかすると私の手が何かしでかしてしまうから」
「そう。それは恐ろしい」
やはり、か。高海鏡、お前は深く関わっているんだな。
この件は最初乗り気ではなかった。それは当然だ。名も知らぬ魔について調査してくれと言われることはたまにある。魔に関する情報網を本来の目的外で使用するため、やってはいけないことだが、そんな規定など無法者共には鍵の開いた檻だ。縛られるような真面目ちゃんは存在しない。小遣い稼ぎのために依頼を受けるのはざらである。
だがしかし、その報酬が莫大だったらどう思うか?
一攫千金のチャンス? 馬鹿な、有り得ない。わざわざ自分から墓穴に飛び込むようなもんだ。大金を払って頂けるならどうぞ上から砂をおかけください、ってな。こんな危険な臭いしかしない依頼、まともな奴は無視を決め込むってもんだね。
でもウチは違った。否、ウチが違ったのではなくウチにとって違ったのか。
その依頼書の糞長く、細やかな字で紙面いっぱいに書かれていた吐き気を催すような文章の一角に故き友の名を見つけてしまった愚かな人間は、遙々地球の反対側に来てしまったって分けだ。
鏡は尼土有のことを有さんと呼んでいた。つまりは何故か『高海鏡と尼土有には繋がりがある』と言うことか。わざわざウチに対して尼土有と親しいことをアピールしてきたのだ、余程のことなのだろう。
でも、ウチは異常者だから余計に尼土有に興味を抱いてしまった。何故かはわからないが今のウチは高海鏡よりも尼土有という名の方に引きつけられている。会ったことも見たこともない魔にだ。
ウチを威圧的に部屋から追い出そうとする鏡の視線を背に受けながらゆっくりと体を動かす。気持ち悪い程に興奮している。
「じゃあな。この件が終わったらまた顔出すわ」
生きていたら、の話だけどな。
「ねえ、加々美」
零れた様に小さく響いた音を拾ったウチは背後にいる鏡に顔を向ける。その姿は何かを纏っているか、ウチの目に眩しく映った。
「私、あんたのこと未だに好きよ」
「嘘つけ」
「そう嘘でもないわ。でもね、これだけは言っとくわ」
俯くように立っていた鏡は右手をゆっくりと挙げウチの心臓の辺りを指さした。前髪の奥に隠れた水晶の危険な光に気圧される。
「しかるべき状況で出会ってしまったら……私は何ら躊躇せずに貴方の心臓を撃ち抜くわ」
それは重い覚悟の響きが幾重にも反響した聞こえを覚えさせる声だった。
「ああ、ウチもだゾ」
階段をゆっくりと下りるウチの足は震えでちぐはぐな位置に落ちるが、そんなことを認識できない程……
ウチは期待と快楽とに酩酊していた。
「鏡を……この手で……」