第三話 水鏡 / (終)「ふたり」(2)
壁に寄りかかるその体には首と両腕が欠損している
「この程度なのかしら」
金髪の女は自分の足下に転がっている槐の首を、目の前にあるその死体へと蹴り上げながら鼻で笑うような仕草を見せた
彼女の履いている靴は赤に染まっている
「まぁ気にすることもないわね。私達は自分の仕事さえ終わらせればいいのだし」
長い廊下に血潮の臭いが充満する
出会い頭に金髪の女は槐の首を切り落とし、包帯の女は腕の付け根を続けざまに切り落とした
人外をより迅速に排除する方法を彼女たちは熟知していた
固い靴音が響く
振り返ると女が部屋に逃げ込む姿が見えた
「いくわよ」
金髪の女は楽しそうに廊下を走る
それは正に得物を狩ることに快感を覚えた鯱であった
包帯の女もそれに続く
こちらも大きな剣を軽々と片手で持ち上げて目を充血させて得物を狩らんとする
扉を蹴破る
勢いが良すぎたのだろう、扉の蝶番が吹き飛び大きな音を立てて倒れた
部屋の中には誰もいない
「姉さん、ここにいたわよね?」
金髪の女は包帯の女を姉さんと呼んだ
「間違いないわ」
その部屋は広く、天井にあるシャンデリアの光でも部屋の隅では暗くなっている程である
部屋の奥には椅子が何脚か扉の方を向いて並べられていた
他には何も無く、不気味にその椅子の存在だけが際立っていた
「隠し扉があるかも知れないわ」
その言葉でお互いの行動を開始する
盾にもなる大きな剣を持った姉は入り口に、相手が熟知してなかろう得物を扱う妹は部屋の探索に
これは長年連れ添って人外を滅してきた姉妹の常套手段であった
「何も無いみたい」
妹が部屋を一周すると姉は入り口を防いでいた大きな剣を退け、妹に先を促す
それはいつだって同じやり方
細かい動きが利く得物を持つ妹が先を歩き、その後を必殺の得物を持つ姉が追う
これが二人のやり方、生き方である
出会い頭の衝突では身を守るよりも相手の首を刈る方が生き残る確率が格段に上がる
攻撃は最大の防御、剣は最高の盾、命と言う制限がある物体の常である
「馬鹿みたいね」
二人の他に誰もいないはずの部屋で誰かの声が凛と響いた
二人は振り返らなくとも声の主が分かった
いや、無理矢理理解させられたという方が近い
「私の屋敷に忍び込むなんて愚の骨頂としか言えないわよ」
妹が部屋を出ようと足を廊下に踏み出した途端、今まで存在しなかった、そして二人の人生で感じたこともない程の『魔』の存在を感知したのだ
「そう、貴方が鬼神ね」
妹は首刈り器の刃を下に構えて振り返る
「一色朱水」
姉は盾になろうとその前に立ちはだかる
椅子には鬼神だけでなく鬼神城と思われる者も座っていた
「……ああ、そういうこと」
鬼神の横には先程殺したはずの椚の姿があった
「幻視か何かかしら?」
妹はその言葉に内心の焦りを含ませないよう努めた
自分達にはそのような簡単な呪術は通用しないはずだった
今までに何度もそのようなくだらない呪術を仕掛けてきた愚か者の首を悠々と刈り落としてきたのだ
私達の体にそのようなものは通用しない、そう信じてきたのに
「そうですよ〜」
間の抜けた声を鬼神の二つ隣に立っている女が放った
鬼神の他に微笑みを浮かべているのは彼女だけである
他の鬼神城二人は殺意に目を光らせている
「梧ちゃんと私が組めばこの屋敷で侵入者さんに勝手はさせませんよ〜」
そう良いながら鬼神の隣にいる梧の肩を抱く
その梧は拳をさげたまま仁王立ちして侵入者を睨み続けている
「そう、驚いたわ。まさか私達が幻術なんておふざけに掛かるなんて」
妹も負けじとそれを射返すように目を剥く
「槿の幻視はそこらの輩では到底抵抗できない代物よ。貴女達のように囓った程度にしか魔法を扱えないような輩にはまず無理ね」
鬼神は既に姉妹の魔力を見極めていた
「そう。でもね、私達はそう言う類の物を武器にしてきた訳じゃないの」
妹は鬼神の目力に押し潰されぬように自分を奮い立たせようと再び姿勢を低くとり身構える
だが分かっていた
鬼神城を殺せる可能性を持つのは姉だけだと言うことを
一色朱水を殺せるのも姉だけであるということを
自分の体では鬼神に対抗する手段が皆無だと言うことを
(((まったく、遊び過ぎたわね)))
妹が身構えるのを見ると椚が鬼神の前に立ちふさがった
「貴方達は私一人で十分です。御嬢様がお相手するような存在ではありません」
椚は一歩前へ歩み出る
「何より私が貴方達を殺したいんです」
声だけが笑っている
「例え幻視の中でも貴方達は梓を殺しましたから。許せません」
声が響く
音としてではなく風として椚の言葉は響いた
それは彼女が本当に怒っている証
殺意が滲み出ていた
しかしその緊迫の状況に待ったをかける者が現れた
「待ってください。その人達の相手は自分っす」
姉の後ろから部屋中に響き渡る少女の声
「自分が処理した方が何かと都合が良いと思うっす」
皆の視線が現れた少女、菅江由音に集まる
彼女の手には小さな剣と幾本かの釘のような物が握られていた
朱水は笑劇を観賞している客の様ににやけて皆に 聞こえる様に叫んだ
「一色朱水はこの出来事を『記憶していない』。そしてこの場に私は居なかった」
朱水がそう叫ぶ共に、梧が朱水の肩に触れそれを真似するかの様に他の鬼神城も梧に触れた
するとたちまち四人は霧散した
「ご理解いただけましたか?」
由音は消えた四人の気配を姉妹が感じとろうとしているのを嘲る
「貴方達がこの屋敷で出会ったのは自分一人だけって事っす」
姉妹はこの部屋にいることは危険と悟り由音に先制の一閃を噛ました
由音が横に飛び退くのを感じてそのまま廊下に逃げ出す
「良い選択っすね」
由音もそれを追う
姿が見えない四人を意識して戦うのは不利だと考えた二人は廊下に移動した
それは彼女達の得物を考慮すると当然の選択となる
広い部屋より狭い廊下の方が見えない四人を自分達に安易に近づけさせないようにできるからである
狭いと言ってもその廊下は彼女達の獲物を振り回すには十分であった
見えない存在を相手するのはどんな屈強な相手よりも恐ろしい物であることを彼女達は理解していた
「姉さん!」
廊下の中程に立つと二人は再び同じ陣形をとる
この陣形を崩すことは出来ない
今まで生き延びてきたこの陣形こそが彼女達の最後の死線の渡り橋となるからである
「貴方達の目的は何ですか?」
由音は二人と十歩ほどの差を開けて立ち止まった
「言えないわね。そう言うあんたこそ何なのかしら?」
今日この館に目標以外の客が居るなんて情報は無かった
少なくともあの鬼神の知り合いであることから姉妹達と同類の存在であることは確かだ
何も知らない一般人がこんな場所にいるはずがない
「それはこっちも教えられないっす。まぁ貴方達と同じく魔法使いの端くれっすよ」
彼女は不敵に笑った
▽▽▽▽▽
「またやってしまったのですか」
また彼女はしでかした。
「現場の監督責任は君達にあるのですよ?」
春日井総班長は玄が持ってきた報告書を見るとすぐに頭を抱えてしまった。
「そうは言ってもあいつを現場に向かわせるのはあんたなんだから、あんたが止めればあいつはこんな事出来なくなる」
「それはそうですが……」
もっともなことを玄に言われ春日井総班長は少したじろいだが、コホンと咳払いをして誤魔化した。
「とにかくあの子にまたきつく言っときなさい」
「へいへい」
既に何度も同じ事を言われている玄は適当に返事をして部屋を出た。
廊下を歩いているとこちらの存在に気付いた人々が引き返していく。普段から矢岩玄は周りの人間から避けられている存在だが、今回は他に理由がある。
数ヶ月前から彼等の初めての部下となった菅江由音が悪化させてしまっているのだ。彼女は『やり過ぎる』のである。本来の対象でない魔をも殺してしまうと言う大問題を彼女は既に何回も起こしているのである。故に誰も厄介事に首を突っ込まぬよう三人には関わりたくないのだ。
「面倒な奴が部下になったなぁ」
自分も人のこと言えないと心の何処かで思いながらも彼は静寂に悪態をついた。
「よう」
「…………」
与えられた部屋にいた由音に声を掛ける。入居数カ月後ともなると色々と私物が増えてきてもおかしくないのであるが彼女の部屋は物が無く殺風景であった。ベッドの上にちょこんと足を抱えて座っている。もともと体躯が小さいためか縮こまると小さな箱に収まってしまう程であった。こんな小さい少女がこの数カ月で幾人もの魔を屠るほどの実力者に育つとは誰が予想していただろうか。いや、あの男だけは感じていたに違いない。
部屋に入ってきた玄に視線を移すことなくまだ何も無いはずの床を眺めていた。
「よう」
「……何か?」
数日前から玄は由音が同じ言葉を複数回聞くのが嫌いだと言うことを発見していた。だから返事をさせるためには同じ挨拶を繰り返すだけで良い。
「また同じ事を言わなきゃならない」
「言わなくて結構です。何度も聞きましたから」
由音は先程まで目を向けていなかったテレビに今更目線を向ける。
「俺も何度も言いたくないんだが、お前がそうさせているんだろうが」
テレビと由音を遮る様に玄は立つ。そこまでされてやっと由音はうざったそうにしながらも顔を玄に向けた。
「もう一度言う、対象外は殺すな。どれだけ危険なことか分かってないなら今一度教えてやるから耳の穴かっぽじれ」
「必要ありません。それに……」
由音は狂気を含ませた目で玄を見上げる。
「あいつらは死ぬべき存在でしょう? 今は私達の方が強いんだから殺しちゃっても構わないでしょうに……」
その姿にむしろ呆れを覚えた玄はそのまま何も言わず由音の部屋を出て行った。
「私は間違ってない。悪いのは消さなきゃいけないんだ。私は間違ってない……」
ここ数日彼女の口からは何度もこの言葉が漏れていた。
その目は『狂気』と言う言葉以外で表現できないほどに危なげな輝きで満ち満ちていた。