妖怪退治物
思いついて勢いで書いた短編です。設定など甘いところはお見逃しいただけるとうれしいです。
世に人ならざる者あり。
闇にうごめき見えざる手を招く。
人を好み、恨み、蔑み、羨む。
その者たちの名は……。
見事な月が赤く染まる。赤い月光を背に浴びながら二つの影が雑居ビルの屋上に立っていた。
どちらも近隣の学校指定の制服の上に防寒用のコートを身にまとっている。
一人はぴんと背筋を伸ばした鋭い空気を纏う年頃なのにそうは見えない迫力の少女、もう一人は少し猫背で制服を着崩した見るからに軽そうな高校生の少年だ。
少女の方は静かに何かを待ち、少年の方は手すりに背を預けながらどこからともなく取り出したみかんの皮をうれしそう剥く。
何がしたいのかいまいち読み取れない二人組みである。
少年がきれいに剥けたみかんを二つに割るとぽいぽいと口に入れて食べてしまう。
すると魔法のように再びみかんがその手にあられ少年は皮をむき始める。
剥いて食べてまた出して。
「…………飽きないの?」
「んぁ?」
十五個目のみかんが少年の胃袋に消えた段階でついに無視しきれなくなったらしい少女が少年の方へ呆れた視線を向けていた。
少年は口にくわえたみかんをまるでトカゲのように口の動きだけで口内へと納める。満足したのかそれともついにみかんが尽きたのかその手に新しいみかんは現れない。
唇に残った汁を舌で舐めると少年は「飽きない」ときっぱり言い切る。
そしてその後、いかにみかんが美味いのかすばらしいのか健康にいいのかを切々と語りだす。
目はきらきらで饒舌に語るその舌は少女がやめろというまで止まらなかった。
「ちぇ、ちょっとぐらい聞いてくれてもいいじゃんかよ」
「あんたのは度が過ぎる」
少女の目が如実に唇を尖らす少年に対して呆れたものになっていたが向けられている当人は意に介さない。
真逆の性格をしてそうな二人だが間に流れる空気はそこまで険悪ではないようだがますます二人がどういう関係でなぜ、こんな時間に雑居ビルの屋上などにいるのかは謎だ。
「それよりさ……遅くねぇか?追い込むのにどんだけかかってんだ?」
手すりから乗り出すようにビルの下を覗き込む少年。
少女も気になるのか同じように覗き込むが薄暗い裏路地が広がるばかりで先ほどからなんの変化も見つけられなかった。
「誘導のやつら、なんかヘマやったんじゃねぇだろうな」
「…………」
明らかに面倒と顔に書かれた少年の言葉に少女の方は考えこむように口元を手で覆う。
そしてもう一度少女は手すりから下を覗き込むがやはり何一つ変わらない光景が広がるばかり。
「ねぇ……」
「……ん?どした……?」
「誘導からの連絡はなし。対象が所定の場所に追い込まれない場合は次の指示を待てというのがセオリーよね?」
「ああ。そうだけど」
「所定の場所ってこのビルの下、間違いない?」
「?お前何言って……」
何かに気づいたように少年の指が静かに懐に伸ばされる。
少女の左手が淡い青の光を放ち始めた。
「この場合どうすればいいと思う?」
月の光が翳る。
それと同時に禍々しい気配が二人の背後に生まれた。
禍々しくそしていやに体に馴染みその気配を二人とも知っていた。
「そりゃお前」
少年が懐から取り出した札を指に構える。
にやりと笑う。この場に似つかわしくないひどく好戦的で楽しそうなガキ大将の顔。
「先手必勝。たった一つしかない命、守るのがセオリーだろっ!」
「……あんたに賛同するのは癪だけど……同感!」
少女の手から生まれた光が一瞬にして日本刀に姿を変える。手品のように現れた抜き身の日本刀が赤い月光をはじきながら不気味に光る。
先ほどまで二人がいた場所は突如として現れた巨人の腕によって抉られいくつものコンクリート片が当たりに飛び散った。
それは異常な光景だった。
空間が切り裂かれる。そうとしか表現できない破れ目の間から巨人の腕が伸びている。
地面を抉った腕とは別の腕が空間の破れ目を無理やり広げ向こう側にいるものがこちら側にやってこようとしていた。
巨人……人によく似た三メートルはあるであろう化け物は顔の中央にひとつだけ存在する巨大な一つ目をクルクルとまわしながらゆっくりと腕を上げる。
まぶたは存在しないのか瞬きはしない。だかその代わりといわんばかりにその目はクルクルとせわしなく回り、左右に分かれた少年と少女を眺める。
「ぐ、らぁ……ぐぁぁぁぁぁらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
上半身のみをこちら側に出した巨人はこちら側に出られないのが不満なのか盛大にほえた。
「何言ってるのかわかんねぇよ!人様の世界にお邪魔するんならもうちっとお行儀よくしなっ!」
獲物を逃がしてしまったため機嫌の悪そうな唸り声をあげる巨人に少年がいくつもの札を指ではじく。
小さく文言をつぶやくと札にかかれた文字が輝き始め見る見る間にそれは炎の竜となり巨人へとその牙を向ける。
「ぎゅぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!」
炎の竜に飲まれ絶叫する巨人。だがその一つ目からは怒りがあふれ戦意はいくらも喪失していない。
燃えたからだのままなおも空間の破れ目を広げこちら側に出てこようとあがく。
異常なまでにこちら側に出てこようと執着する巨人の姿に見慣れていても舌打ちをしたくなった。
「あいつを押し返す。みかん男、手伝って」
「おう!って誰がみかん男だ!みかん馬鹿にすんなよっ!」
「……気にするのはそこなの?」
どこまでみかん好きなんだこの男は……などと思いつつ少女は炎をまといながらも空間を広げようと躍起になっている巨人にむかって走り出す。
それと同時に少年が再びいくつもの札を構えはじいていく。
ある札は再び炎となり巨人の身を焼き、ある札は暴れる巨人が壊し飛ばした破片から少女を守る。
巨人が動くたびに炎が踊り熱気が離れた箇所にいるこちらまで伝わる。熱さをはらんだ風に髪やコートがはためくが札の効力のおかげか少女の動きにはまったく支障はない。
無軌道に振り回される腕を軽やかな身のこなしでかわしながら少女はぐんぐん巨人に接近していく。
巨人が小さな少女の存在に気づいたのと少女が刀を構え巨人の眼前まで飛び上がったのはほぼ同時。
巨人の一つしかない目と少女の目が合う。
まるで今宵の月のような怪しく光る紅の左目と何の変哲のない黒い瞳が違わず刀の終着点を見据える。
それを邪魔するかのように巨人の腕がうろちょろする小さな少女を叩き潰そうと腕を伸ばしてくるが少女は顔色一つ変えずにそれを手の中の刀を振るった。
少女を叩き潰すはずだった腕は日本刀によって切り裂かれ黒とも赤ともつかない体液をあたりに撒き散らす。
耳をふさぎたくなるような咆哮。
その声を聞きながら少女は迷わず巨人の一つ目に己の刃を深く突き刺した。
むせ返るような血の臭い。肉を絶ついやな感触を手に感じながら少女は腕と瞳両方から激痛を感じ暴れる巨人から日本刀を引き抜きさっと離れる。
「みかん男」
「だ~~か~~ら~~!みかん馬鹿にすんなって!」
軽口をたたきあいながら走ってきた少年が少女に変わって前に出る。手にした数枚の札を全てはじく。
札一枚一枚に小さな陣が浮かび上がりそれらは瞬く間に一つの大きな陣を形成していく。
「とっておきの一撃だ。くらいな!」
仕上げの一枚を呪文とともに放つ。完成した陣は連鎖的に光を強めやがて大きな爆風を引き起こした。
断末魔とも無念のうなり声ともつかない巨人の咆哮とともに巨体が向こう側へと倒れていく。
それと同時に巨人が広げようとしていた空間の破れ目も自然と修復されていき、二人の前であっという間に消え去ってしまう。
まるで幻のように巨人も空間の裂け目も消え去ったが破損した屋上とあたり一面に飛び散った血があれが現実だと訴えていた。
「どうやら今回の裂け目は自動修復してくれたみたいだな」
あたりを探っていた少年が非常に満足そうに頷いている。
よきかなよきかなで、ある。主に彼の手間が省けるってところが。
「ってことで仕事終わりにはやっぱりみかんしょ!」
仕事終わりに一つとサラリーマンのようなことをいいながらみかんをおいしそうに頬張りだした少年の頭をうっかり至近距離で巨人の血を浴びてしまい不機嫌な少女がはたく。
ちなみにパーではなくグーであり、結構な勢いであった。
「いてっ!なにすんだよ!この暴力女!」
「なに仕事を終わった気になっているのよ、このみかん大好き男。私達の本来の任務はこちら側に紛れ込んだはずの妖怪の駆除掃討よ。仕事は何一つ終わっていないわ」
「あ、そういえばそうだったな。……なんで追い込まれてくるはずの対象がこなくて別口がでてきたりしたんだ?」
気持ち悪そうに頬についた血をハンカチで拭いながら少女は肩をすくめた。不思議なことに戦闘中に紅に染まっていた少女の瞳は両目とも黒に戻っていた。
「さぁ、わからないわ。何か予想外なことでもあったのか……。でもたぶんそろそろ連絡ぐらいあるんじゃない?」
「そだな。今回は俺らがなにか失敗したわけでもねぇしおっちゃんの小言は聞きたくねぇし」
ぱくりと二つ目のみかんを少年が口に放った所で彼らの制服のポケットで携帯が震えた。
今から約三十年ほど前、日本において異常な生き物の目撃証言および被害報告が報告されはじめる。
鬼、一つ目、天狗等まるで御伽噺に出てくるような妖怪と酷似した「化け物」達は知性らしい知性も見当たらず言葉による意思疎通は不可能。また、その姿を認識できるものとできないものがおり、現場に混乱が広がる。
動植物だけでなく人間を捕食対象にする個体も確認。警戒態勢および避難指示急ぐ。
通常の銃や刃物などによる攻撃にもたいした傷は確認できず。しかし、若干名の攻撃にのみ通常とは違った反応があったとの指摘あり。
暫定的に「妖怪」と区分されたこの未確認生物は空間を裂いて現れていることを確認。空間の「向こう側」については詳細不明。荒唐無稽ながらも異世界であるという説が有力。
民間の数少ない「異能者」による妖怪の駆除および空間の修復成功。以後、彼らと国の連携による掃討作戦開始。
異能者改め退魔士を中心とした対妖対策本部発足。政府の管理下に入り、本格的に一機関として機能し始める。それにともない敵を正式に「妖怪」と呼称。彼らの生態および空間亀裂に関する研究チームも発足。
妖怪がらみの事件に巻き込まれた胎児を含む七歳未満の幼児の多くに「異能」の発現を確認。あちら側から流れてくる空気に触れたことが原因と推察されるが多くの子供達に従来の「異能者」と違う能力発現が確認される。長期にわたる観察が必要。
最初に能力を発現を確認されたのは五歳の少年。両親ともども妖怪がこちら側に出現するのに遭遇し、両親は死亡。その直後能力発現。その後は政府直轄の孤児院にて生活。自らの意思にて手から妖怪にたいしてきわめて殺傷能力の高い武器を創造する。
彼は高校卒業後対妖対策本部に就職を希望。その能力から採用される。後に彼のように妖怪にたいしてきわめて有効な能力をもつ者や逆に空間亀裂を修復するなどの後方支援に特化したものも現れ、その能力もきわめて効果的と判断され、昨今では深刻な退魔士不足から本人の希望さえあれば未成年であって現場にでるようになってきている。
ある研究者のきわめて私的なレポートより抜粋。
イレギュラーな仕事から一時間後。
対妖対策本部室長である男があごの下で手を組んでにこにこと笑いながらだるそうにあくびを噛み殺す少年と淡々と仕事結果とイレギュラーな仕事について報告する少女の言葉に耳を傾けていた。
「……以上が今回の任務の全容です。詳しくは後ほど報告書を提出しますのでそちらでご確認お願いします」
「うん、ありがとう」
「ふぁ~~。ってかさぁ、おっちゃん。なんで本来の仕事の対象が来なかったわけ?った!」
上司にため口おっちゃん呼ばわりの少年の足を少女がさりげなく踏みつける。よく見れば踵で小指の付け根を的確に抉っていた。あれ、痛い。
上司は笑っているが勿論踏まれた方は笑い事では済ませられない。
「なにしやがる!この暴力女!」
「黙りなさい。室長の前よ。あとあんたの態度がなれなれしくし過ぎ。敬意を持って接しなさい。下っ端」
「お前と俺は同い年ジャン!俺が下っ端ならお前も下っ端だろ!ってか謝れよ!今の涙出るほど痛かったぞ!」
「退魔士としての実績年数は私の方が上よ。下っ端でも経験が違う」
ふぅ~やれやれこれだからお子様は。
嫌味たらしく肩をすくめられ沸点が低い少年は早くも限界突破してしまう。
「なっ!こ、このっ!デカ乳!牛女!」
少年が身体的特徴をとらえた悪口を言葉にした途端、少女の手が少年の顔を万力のような力で締め上げていた。骨が軋みをあげるような痛みに少年の全身から冷や汗が流れ落ちる。
同年代の少女達よりもやや(と主張する)ふくよかな胸に果てしないコンプレックスを抱いている人間になんてことを言うのだこのデリカシーのない男め、滅べ、むしろもげろとそのしゃれにならない殺気の篭った目が雄弁に少年に語りかけてきた。
「……その顔、みかんをつぶすみたいにぐちゃぐちゃにしてあげましょうか?」
いっそ怒鳴られた方が怖くない。そう思わせる静かでやさしげでさえある声で少女は己の言葉を証明するかのように手に力をこめる。
あ、俺、死ぬかも。
どんな任務のときも感じたことのない生へのあきらめをこのとき少年は感じた。
「い、いや、その、みかんは大好きだけどつぶされるのはいやかなぁ~~」
「…………」
みしみしみし。
「いたいいたい!すいませんごめんなさい俺が悪うこざいましたぁ!」
両手を挙げて全力で謝り倒す少年に溜飲が下がったのか少女は手を放す。若干手を放す瞬間に全力で力をこめていたようにも見えたが真偽のほどは定かではない。
「今度馬鹿な発言をしたら本当にあんたの大好きなみかんと同じようにつぶすから」
「真顔でこぇこと言うなよ」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて」
温和な声で再び騒ぎ出す二人を止める室長がその年齢もあってか孫の喧嘩をいさめる祖父に見えてくるから不思議だ。
ここは妖怪なんていう摩訶不思議で物騒なものを相手にしているというのになんだろうかこのほのぼのとした空気は。
「それにして君達二人は相変わらず仲がいいんだねぇ~~」
「誤解です。室長。私達は仲良くなどありません」
「当然!おっちゃんわかってんじゃん!」
室長の何気ない一言に返ってきたのは正反対の言葉。
お互いがお互いの回答に不満があるらしくしばし沈黙が流れた。
「……はぁ?何を言っているの?誰と誰が仲がいいと?」
心底理解できないしたくないといった顔で少女が睨めば少年はあっけらかんと。
「え?俺とお前?」
自分と少女を指差し笑う。一ミリたりとも疑ってない。
「……どこが?」
「仲いいじゃん!ずっと同じ学校だし今年はクラスも一緒、寮も一緒でよく飯も食うし仕事でも相棒じゃん!」
ほら仲良し!と少年が胸を張って言い張れば少女は疲れ果てた顔でもう何度も繰り返した反論を今再びする。
「学校が一緒なのは退魔士育成が目的の学校で選択肢がなかったから。クラスが一緒なのはたまたまで違う時の方が多い。寮が一緒なのは学校が寮生活を義務化しているから。あと、食事はあんたが無理やり押しかけてきて仕事もあんたが私とでなければ嫌だってみっともなく足にすがり付いて泣き喚いたからあきらめただけ。私は相棒だなんて認めてない」
「あ~~ははははっ!相変わらずの恥ずかしがりやだな。お前。照れて理屈で誤魔化してらぁ」
「あんた……なんでそう間違った方向に前向きにとらえるのよ……」
同じ事柄にたいしてものすごく平行線な認識をもつ二人である。
少年はばんばんと少女の背中を叩き、少女は少女でこの馬鹿、本当にどうにかして欲しいと頭を抱えていた。わりといつもの光景であった。
「まぁまぁまぁ。二人とも僕の話を聞いてくれないかい?」
お仕事の話だよという言葉にどうにか意識を立て直した少女と途端に面倒そうな顔になる少年。
「え~~なんすっか?まさか今回のことで始末書とかじゃねぇすよね?俺ら別になに失敗してねぇすよ」
「……」
微々たる口調の改めに口を出すべきか流すべきか悩む少女。ちなみに改善だとは当然思っていない。
「あははは。大丈夫。今回の任務失敗について君達に罰はないよ。ただ、どうして任務が失敗したかは知らせておこうと思ってね」
「あ、それ確かに気になる!」
少年が真っ先に食いつく。
身を乗り出さんばかりに前のめりになる少年の首根っこをつかんでもとの位置に戻しながら少女が先を促した。
「まぁ、たいしたことじゃないんだけどね。フリーの退魔士に横槍入れられた、ただそれだけだよ」
さらりと言われた言葉に少年があからさまに顔をしかめる。
「げぇ」
基本的に退魔士は国直属である対妖対策部に所属しているがそれはあくまで個人の意思によってであり強制ではない。
国の管理を嫌ったもの。束縛を嫌うもの。そういった退魔士たちは各々に仕事をしており、時にフリーの退魔士と対妖対策本部の退魔士が仕事上で対立することはままあることだ。
国では把握対処しきれない民間レベルの依頼や要人警護に雇われたりとフリーでもかなり需要があるためそれなりに数はいる。
だが中には対妖対策本部の仕事を横取り邪魔することを楽しみ退魔士もいる。そいつらは腕がいいのに性格が……という奴が多いため必然的に対応する者たちは少年のような反応をしてしまう。今回もその類だったのだろう。
不快そうに顔をしかめる部下二人に室長は「違う違う」と朗らかに手を振る。
「君達が考えている方じゃないよ。今回は二重依頼?あれ?違うかな?でもそんな感じだったんだ」
「「?」」
室長の説明によると……まず、どこからともなく小さな空間の亀裂が出来、そこからねずみによく似た小さな小型の「妖怪」がわんさかこちらに流出してしまう。
このねずみ妖怪は人や動物を襲ったりはしなかったがあっちこっちの食料を大量に食べ散らかすという被害が続出。
政府関係機関も被害にあったことから対妖対策本部の退魔士が動き出したのだがこの段階でなんと複数の民間企業が共同でフリーの退魔士に駆除依頼を出していたからさぁ大変。
つまり違う依頼主から同じ依頼が発生していた上に作戦結構がよりにもよって同じ日だったために現場で鉢合わせ、混乱しつつも臨時で共同戦線が張られ戦力が大幅アップした結果、雑魚を排除しつつボス級を所定の位置に誘い込み待ち伏せして駆除という最初の作戦は決行される前にボスを倒してしまったことで頓挫し、結果年若い退魔士二人は待ちぼうけを食らわされることになったというわけである。
まぁ、イレギュラーな遭遇もあったので結果としてはよかったのかもしれないが。
「国と民間レベルでの情報共有はまだまだ上手くいかないねぇ~~まぁ、現場レベルでは邪魔しあいではなく共闘できるぐらいには良好だからまだましかなぁ~~」
仲良きことはいいこと、だよね。と笑う室長。そして笑顔のまま口調を上司としてのものに変える。
「安部遥くん。安部花さん。君達もイレギュラーな事態に遭遇されましたが見事に対応されましたね。感心です。でも器物破損と体液による汚れは修理や掃除に馬鹿にならないお金を使うので最小限に防いでくださいね」
同じ後見人のため同じ苗字を名乗っている二人の若き退魔士は室長の笑顔による圧力に同時に視線をそらした。
器物破損については完璧に不可抗力だがあまりまわりに気を使っていなかったのは事実。
ついでに言えば派手に腕を切ったり目をつぶしたりして血を噴出させる戦法をしてしまったため反論できない。なにせもっと穏便に被害は防げなかったのか、と問われるとこれが最善でしたとはいえないのだから。
本当は時間をかければ被害を最小限にできたとは思う。面倒だけど。
面倒だけど束縛系の術とか使えば血の池地獄のような惨状はさけられたかもしれない。面倒だけど。
「お願いしますね。二人とも」
部下の物臭を正確に見抜いている上司の笑顔の圧力に部下二人はこくこくと頷く他なかった。
失礼しました、と室長室を退出する遥と花。両者の顔には疲れが見えていた。
「まったく結局おっちゃんから小言を食らったぜ……」
「小言というか……遠まわしに釘を刺されたとうか……ってあんたまたみかん食べるの?」
花が見ているだけで確実に三十以上は食べている。食べすぎだ。
「またとはなんだまたとは!これは瀬戸内みかんだぞ!今日はじめてたべるみかんだ!」
ぷんすか頬を膨らませながら(みかんが入っている)花の眼前に瀬戸内みかんとやらを突きつけてくる遥。よほどみかんをひとくぐりにしたことが許せないようだ。花はみかんを押し返しながら歩き出す。
「みかんの種類なんて知らないわよ」
どうやらその時々で取り出しているみかんは品種が違うらしい。別に知りたくもない小ねただ。
「みかんの種類を知らない、だとっ!あのなみかんには少なくとも……」
薀蓄を語りだそうとする遥。本当にこの男は初対面のときからみかんみかんみかん尽くしだ。
みかん男とは的を得たあだ名だと思うが本人は言うのを嫌がる。本当に理解不能である。
遥の薀蓄を聞き流しながら花は歩き続ける。向かう先が玄関でないことに気づいたらしい遥が首をかしげる。
「ん?おまえどこに行くつもりだ?帰らねぇのか?」
「シャワー浴びてから帰る。軽く拭いてはいるけど気持ち悪いしこの格好じゃ帰れない」
ある程度は帰ってきてからぬれたタオルでふき取ったが彼女の制服やコートには任務で浴びた返り血がべったりと残っている。本部に報告に来るまでは仲間の送迎の車に乗って帰ったから目立たなかったがここから二人の住む学校の寮にまでは徒歩だ。返り血を浴びたままでは最悪通報される。
もともとこういう事態のために本部の花のロッカーには着替えもあるしシャワー室も完備されている。
「だから先に帰っていい……」
「お前、シャワー浴びんの?なら俺も浴びてか~~えろっと!」
「…………」
出会って二年ぐらいたつがこの男は出会った当初からなぜか花に懐いてきた。それはもう異常なまでについて周り何かにつけて花と一緒にいたがる。
喧嘩もするし時に教育的指導もするのに彼の懐き方は出会った当初から一向に衰えることがない。
『なぁ、あんた安部花だろ?俺遥っていうんだ!よろしくな!そんでもって今日からお前の相棒だ!』
初対面でそんなことを言ってきた彼の真意は花には読めない。
「シャワーシャワー!」
「……あんたは大して汚れてもいないのに何でシャワーを浴びるの?」
るんるんとスキップしながら上機嫌に鼻歌まで歌いながら軽やかにシャワー室に向かう遥の背中に思わずそんな突っ込みを入れてしまう花。
返り血を浴びた花ならともかく札主体の攻撃を得意としている遥にはシャワーを浴びるほどの汚れがあるとは到底思えない。
ついでに言えば目の前の男は少しの汚れも許せない潔癖症ではないことだけは確かだ。
だからますます不思議に思うのだ。
「ん?何言っているんだよ花。シャワーだぜ。シャワー!相棒とシャワー!裸の付き合いっていうのは絆を深めるもんだと先輩も言っていたからな!機会を狙っていたんだけど意外と早く来るもんだ!」
…………ん?
一部、理解しがたいというか理解したくない言葉があったような気がして花は足を止めて先を歩く遥を呼び止める。
何?とのんきに振り返った遥にもう一度問いかける。
「今、あんた、裸の付き合い、って言った?」
「おう!言った!相棒って一緒の風呂に入って絆を深めるんだろ!まぁ、風呂だけど原理は一緒だよな!」
大丈夫全部わかってるから!
とドヤ顔でそんなことを言う遥の顔面を花は再び手で鷲掴みにした。
「その頭をみかんのようにつぶす」
「え?な、なんで!どうして俺、また頭を握りつぶされる危機に陥ってんの!」
「理解できない脳みそなら握りつぶされて飛び散って一花咲かせてみれば?」
「こわっ!言っていることもやっていることも浮かべている表情もこわっ!」
何、怒っているんだよ!と涙目になっている遥は何が問題かまったくわかっていない。
それこそが問題であり花の逆鱗に触れているのだ。
「あんたは一回常識を叩き込んだ方がいい」
「?どういう意味だ?成績なら俺、そんなに悪くねぇぞ?」
「…………」
みしみしみしみし。
「のぁぁぁぁ!割れる、飛び出る、飛び散る!」
痛みにのた打ち回る遥をみてダンボールに入れてこいつどっかに捨ててきたいと花が思ったとか思わないとか。
「妖怪」がこちら側に出現したのを始めて公式に記録された事件については悲惨としかいいようがなかった。
空間の亀裂もそこから出てくる「妖怪」の姿も多くの人は見ることができなかった。
そして空間の亀裂が生じたのがよりにもよって首都東京の渋谷。宙に浮かびわけもわからぬまま「妖怪」に踏み潰され引き裂かれ食い散らかされていく人々。数少ない見えるものたちは恐慌状態に陥り、大多数の見えない人間は目の前で人が異常な死に方をしていく光景に叫んだ。
この時、現れたのは五メートルはあろうかという額に角を生やした「鬼」。人肉を好み目に付いたものを手当たりしだい破壊して回る習性が確認されている。
認識できないものに対処するのは難しい。警察も銃器も何の役にも立たない。ただ「見えない」何かに人が物が壊されていく恐怖。
当時の混乱の中それでも事態が収束に向かったのは少数の「見える人間」が見えない人間の避難誘導を買って出たこと。そしてさらに現場に「見える」だけではなく「倒せる」力を持ったもの……退魔士としての能力を有した存在がいたことが大きい。
まだ年若い二人の退魔士は一人は右腕を失い、一人は命を落としながらも鬼を倒すことに成功した。
この事件を境に退魔士の重要性が説かれ政府は「妖怪」対策へと乗り出していく。
とある研究者の極めて私的なレポートより抜粋
年頃の男女が入浴を一緒にするわけない。この非常識。爆ぜろ。
冷たい声と口調と表情でそう罵った後、花はのたうちまわる遥をおいてさっさとシャワー室へといってしまった。
少し離れた場所でドアが荒々しく開閉する音が響く中のぁ~~と奇声を発し頭を抱えながら廊下を転げまわる遥。
「……なにをやっとるんだ。お前は」
足元に転がってきた遥を足で止めると野太い声の主は左手で彼をまるで猫の仔のように持ち上げる。
「のぁぁぁ~~ってあれ?おじちゃんどったの?」
どがぁ!
「誰がおじちゃんだ。ナイスミドルに向かって失礼な」
「のぁぁぁぁぁぁ~~~脳天、脳天に激痛がぁぁぁぁぁ!」
余計なことを言って傷だらけの拳でようしゃなく拳骨を食らわされた遥が宙ぶらりんのまま再びのた打ち回る。
「で、お前はなんで廊下で奇行に走っていたのだ?」
「今の俺の行動が奇行に見えるならそれは間違いなくおじちゃんのせいだよ!ったぁ!」
口は災いの元を体現しすぎである。
「ナイスミドルと呼べ」
しれっと拳骨を落としながらもそこは主張し続ける強面巨漢、体中傷だらけの三十六歳。
実に大人げがない普通にしゃべっていても脅しているかのごとく響く低い声を持つ自称ナイスミドルであった。
「って~~花もあんたも容赦なしでやりやがって~~」
痛む頭を撫でながら涙目で睨む遥の頭を原因の片割れであり、遥達にしてみれば大先輩に当たる男は大きな手で容赦なく撫でる。
「ぐぁ~~!ゆ~~ら~~す~~なぁ!」
「はっ~~ははははっ!男がこんぐらいで悲鳴あげてんじゃねぇぞっ!それになんだぁ?お前、また花を怒らして折檻されたのかよ?」
「違うっ!怒らしてなんてないぞ!あいつが勝手に怒り出しただけだ!まったく!俺はただ相棒として交流を深めようとしただけだのに……」
何キレてるんだよ、い~~いじゃん風呂ぐらい相棒なんだかよぉ……などとぶつぶつ呟く遥は相当花からの仕打ちに納得がいっていないようだ。
そして遥のだだもれぼやきから一連の流れを読み取った男が「あ~~」と遠い目になり先ほどよりかはやさしい手つきでうつむいていた遥の頭を撫でる。
「なんだ?その……常識を知れ、この非常識」
父性にあふれた珍しく優しい笑みで言いよどんだわりには直球をぶん投げる男である。
「うっせぇよ!っつか何だ!お前も花も常識常識って!俺は常識はわきまえた男だぞ!」
頭に乗せられた手を勢いよく顔を上げた遥が払いのける。
「……己を知れ、小僧」
どこまでもどこまでも優しい声と表情で肩を叩きつつど真ん中をつく男。
「だ~~か~~らぁ~~!どこが悪いんだよ!一緒に風呂入るだけじゃんか!」
地団駄を踏んでわめく遥は十八という年齢よりもずっと下に見える。図体もデカイし癇癪を起こさなきゃ年相応に見えなくもないのにこのお子様は……。
頭が痛い。ものすごく。
「それを悪いと思わないから非常識と罵られるんだよ。お前は」
「なんで!」
「曇りなき眼で俺にそんなことを聞くな」
小さな子供の「なんでどうして?」と聞いてくるのと同じ瞳でこっちを見るな。
「罵られて放置って納得いかね~~!ありえねぇだろうがぁ!」
「お前の申し出の方が花には有り得ないことだったとおもうぞ?」
花も遥と同じ十八歳。遥と違って一般的な感覚を持つ彼女からしてみれば遥の申し出など受けるわけがない。むしろ五体満足で遥が無事でいられているのは彼女の優しさであろう。
これが下心なんてあった日にはあの感情が薄そうに見えてなかなか激しい内面をもつ少女のことだ再起不能なまでに叩きのめしていたに違いない。
「くきぃぃぃぃ!わかんねぇ!どうして女とか男とかで一緒に入っていい悪いがあるんだよ!別に何もしねぇぞ俺!」
ただ一緒に風呂入って話するだけじゃん!
それは彼が五歳の子供ならまだ可能性はあったが十八の立派な男なため彼の望みが叶う確率はどこまでも低い。
懐から取り出しタバコを咥えながら男はライターを探す。が、どうやら自室に忘れてきたらしく見つからない。納めるのもなんだしと火のついてないタバコを持ったまま話を続ける。
「まぁ、世の男の大半の本音はきれいなねぇちゃんと混浴さいこーとか思ってんだろうが」
「そうなのか!」
ならなんで俺だけこんな目に!と憤る遥をどうどうとなだめながら男はなんとなく手の中のタバコをもてあそぶ。
「でも口に出したらお前のように制裁を加えられた挙句ゴミ虫を見るかのごとく見下されるのがわかりきっているから大半は思ってても口にはださねぇな。特に女の前では」
「??なんで。入りたいなら言えばいいじゃん」
入りたいのにそうとは言えない男の気持ちも一緒に入ることを嫌がる女の気持ちも遥には理解不能だったようでしきりに考え込んでいる。
「まぁ、わからないお前はまだまだガキだって話だ」
「はぁ!何だよそれ!俺は十八だってあんた知ってるだろうがぁ!」
「年とって図体だけでかくても中身がお子ちゃまではなぁ……そりゃ花の怒りも買うわな」
「一人でわかったようにうなずくなよ!おじちゃん」
「ナイスミドルと呼べと何度も言っているだろうが。教育的指導をするぞ。小僧」
「うっせぇ!おじちゃんをおじちゃんと言って何が悪い!ついでに言えばそう何度も鉄拳食らわされてたまるかよ!」
そう言って落ちてきた男の鉄拳をひょいと避けてみせた遥が得意そうな顔になる。仕事中はもう少しまともな顔をするのに気の置けない仲間の前だとどうにもこの少年は言動の幼さが目立つて仕方がない。
「大体お前は花……じゃねぇな女の裸を見てなんとも思わないのか?」
「?別に?」
何か思うもんなの?と普通に聞いてくる遥(十八)をガキだと改めて認定した男であった。
「じゃあ花のことはどう思っている?」
「?相棒」
「……相棒だから付きまとっているのか?」
「おう!相棒は一緒にいるもんだろ?それに俺はあいつのことが好きだからな!」
「……その好きは一体どんな好きなんだか……」
「はぁ?何言ってんだ?好きは好きだろ?種類なんてあるのかよ」
「お前……花を見て触れたいとかキスしたいとか思わないのか?」
「触れたいって……意味もなくなんで触れたくなるんだ?それにキスってあれだろ、人工呼吸って奴だろ?なんでもないのにキスなんてしても意味ないじゃん」
「あ~~」
何変なこと言ってんだよと胡乱な目で見られて男の言葉が泳ぐ。誰だこいつの教育担当した奴。
明らかに情緒面において間違っているようにしか見えない。
どう考えても戦い方優先で鍛えて内面を後回しにした結果がこれだろ。いいのか、保護者。
安部の後見を受けていることを考えると安部家の責任か?
件の当主を思い出し、なんとなく納得してしまった。
(あれに育てられたんじゃ常識は身につかない)
同じ後見人を持つ花がまともなのが不思議だがあの二人は引き取られるまでの生活があまりにも違う。
(そう考えると正反対の二人だな。こいつらは)
なんとなく火のないタバコを咥えなおしながらぼんやりそんなことを考える。
性別はもとより攻撃方法も性格も育った環境も正反対といえる。
正反対の相棒。
遠い昔、そんな二人組みがいたことがぼんやりと頭に浮かんだ。
「なぁ……遥」
「なんだぁ?おじさん」
「ナイスミドルと呼べ。……お前、相棒を目の前で殺されたらどうする」
思い浮かんだ昔の光景に残酷な「もしも」を投げつけてしまう。
守りきれず無力に無残に目の前で殺されたら……お前はどうするのか、と。
「殺すよ」
笑みさえ浮かべ幼子のようだと思った少年はあっけらかんと言い放った。
「俺の相棒殺した奴なんて生かしておくわけないじゃん」
相棒と彼がそう呼ぶたびに彼の脳裏に浮かぶはたった一人だけなのだろう。
二年前に出会った同じ苗字を名乗る一人の少女だけ。
そしてそれがもし理不尽に奪われたのなら彼は決して相手を許しはしないとそう、言った。
昔、「もしも」話が「もしも」ではなく現実になった若い退魔士が選んだ答えそのままを目の前の少年は言ってみせた。
「即答で返すか」
殺す、と何の迷いもなく言い切る遥に質問したくせに男はそんな返事しか返せない。
「当たり前のことを聞いてくるからだろ?まったく縁起でもねぇこと聞いてくる」
「当たり前、か。ならその後は?相手を殺してその後お前はどうする?生きるのか?後追いでもするか?」
これもまた趣味の悪い質問。だが、聞いてみたいのも男の本音だ。
「その後……?」
「ああ、その後、だ。相棒のいない世界でお前はどうする?」
「…………」
そんなこと考えてみなかったという顔でこちらを見てくる遥。撤回すればいいのだろうがなんとなくそんな気にもなれず男は黙っていた。
わずかなような長いような沈黙が訪れる。
「俺、は……」
「何をしているの」
つむぎかけた言葉を消し去るように少女の言葉が二人に届く。
男はその声にふいに現実に引き戻されたような気分に陥った。
それは遥のほうも同じだったのだろうどこか気の抜けた声で己の相棒の名を呼んでいる。
「花」
振り向けばシャワーを浴びたばかりの花が不信そうな顔で遥と男を見比べている。お湯を浴びたせいか頬はほんのりと上気していていつもの無表情でも人間味が増して見えた。
「どうしたの?二人ともいつものうざいテンションが薄れているけど」
「うざいっ!ひでぇ!ひでぇよ花!」
「おいおい。俺はそこまでひどくねぇだろうがよ」
「ナチさん、自覚がないようですけどあなたも結構うざいテンションをしています」
「直球投げつけてくれるじゃねぇかおい」
「俺は無視かよ!」
遥のテンションと一緒くたにされて納得のいかない男……改めナチと二人に盛大に蚊帳の外に出されてご不満な遥(お子ちゃま)が盛大に異議を唱えてきて花がうんざりしたような顔を見せた。
「ほら、どちらもうざいテンションじゃない」
そのままの顔を指摘してみるが男二人が納得するはずもなくしばし廊下は煩いままであった。