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◆ 06 君のことは今でも愛してる

 ……妻が亡くなってから五〇年の歳月が過ぎた。

 息子は八〇歳を越え、老人となっていた。


 わたしはというと、そのタイミングでは二〇歳前後に見えるように容姿を調整していた。

 妻が亡くなった当初は、息子と同じペースで外見の年齢を重ねていたのだが、余りにも長期間ひとりの女性が企業グループ内で辣腕を振るえば、どうしても目立ってしまう。


 わたしは約一〇年おきに他人の戸籍を手に入れ、法律的には別人となって過ごしてきた。

 そして、息子の意志の代行者という体裁を整えて企業グループを率いるのだ。

 まったく「お金さえあれば大抵のムチャは通るもの」だ。


 今のわたしと息子が一緒にいると、恐らくは祖父と孫娘の関係に見えることだろう。

 周囲の爺さま方……わたしから見れば実のところ小僧のような年齢なのだが、彼らはわたしに腕を捕まれて歩く息子を見て羨望の眼差しを向ける。

 息子はその視線を感じると照れくさそうな表情を見せるが、わたしの手をしっかりとつかんで決して離さない。


 それは愛情だけが理由ではない。

 最近息子の足取りがおぼつかなくなってきていることにわたしは気づいていた。


 ……そろそろ、息子も神の許に召されておかしくない年齢だ。

 医者……より正確には医学者というべきなのだろうか。

 その職業柄、自分自身の健康に気をつかっていたこともあってか、息子は同年齢の男性に比べれば壮健ではあった。

 それでも、肉体の衰えは隠せない。


 息子が彼の世話をするに向かって「まるで介護だね」と言ったことがある。

 わたしは冗談で返すことができずに泣き出してしまった。


 妻の残してくれた企業グループは、時代の荒波に揉まれながらも順調に成長し、

 すでにわたしの研究のために資金を援助していた会社も参加に収めていた。

 息子には企業グループの全力をあげてさまざまなアンチエイジングを施した。


 ……それでも時間は無情にも息子の寿命を奪っていく。


 ああ……神様。


 どうか、もう少し。

 もう少しだけ。

 わたしと、わたしの最愛の息子に時間を与えてください……。


    ◇    ◇    ◇


 それから何年のときを経ただろうか?

 今、わたしはひとりで墓の前に立っている。


 亡き妻の眠る場所の前に。


(……ごめんよ。君のことは今でも愛してる)


 そう謝った。


 もう妻に出会ってから一〇〇年以上の時が過ぎていた。

 古い知人はみな地下で眠りについている。

 妻の顔を思えている者も、わたし自身を除けばほとんど残っていないだろう。

 それでも、わたしは生きていた。


 シンプルな洋式の墓石。

 その下で眠る妻に向かってわたしは呟いた。


「君を待たせてごめん……でもまだしばらくはそっちには行けないみたい……」


 まだわたしは死ねなかった。

 すでに息子がいなくなって二年を経た今も、

 それでもなお、わたしには死ねない理由が残っていたのだ……。


  *  *  *


「ちょっと! 何やってるの!」


 目の前にいる人物はわたしの声で「ハッ!」と我に返る。

 今、目の前にいるその人は、風呂上がりで素っ裸のまま、バスタオル一枚で体を拭きながら冷蔵庫から麦茶を取り出している。


 女体で。


 妻の墓参りをすませ家に帰り着いた目の前には、今や女性の肉体へと変化した息子が「しまった」という表情を浮かべて立っていた。


「お、お父さんはだって昔、風呂上がりはこうだったじゃないか……」

 いかん。

 本人は反論しているつもりのようだが、

 気圧されて声が出ていない。

 こんな弱々しい声じゃ……。


「昔とは違うでしょ!? あなたは女なんだからそんな格好でうろうろしちゃだめでしょ!」


「メッ!」


 という感じで、娘……かつての息子を叱るわたし。


 そう、間に合ったのだ。


 息子がその生涯を閉じようとする直前に。

 わたしの体を研究した延命技術の確立に成功したのだ。


    ◇    ◇    ◇


 妻の葬儀の後、息子がわたしに打ち明けた秘密。

 それは、息子の研究内容についてだった。

 彼は、わたしの体を調べた成果を活かした延命技術を確立すべく研鑽を続けてきたのだ。


 ……もっとも、成功率は問題にならない程低いそうだ。

 息子以外の成功例もあるのだが、ほとんどは数年程度で年齢を制御できず、結局死亡してしまっているとのことだ。

 息子が生き延びることができたのは、多分に偶然と、遺伝子の半分がわたしから受け継いだものだからだと推定されているらしい。


 また、この延命技術は女性には使用できず、男性は必ず女性化し、肉体年齢の低下をともなうという問題が残っていた。


「……男性のまま延命できるならもっと早く利用したんだけどね」

 とは息子の言。


 彼……今や彼女となった息子は、わたしと共に現世を生きるために、

 一世紀にならんとする男性としての人生を捨て去ったのである。


「後悔はないの?」

 と尋ねたところ。

「夢だったから」

 と答えた。

 入院した病院で始めて女性化したわたしを見たときに。

「この人と一緒に、ずっと生きていけるようになりたい」

 と決意したんだそうだ。


 結局男女として息子とわたしが結ばれることはなかった。

 その代わり、息子も尽きることのない生を授かり、しばらくは一緒に生きることができるようになった。


 歪と言わば言え。


 わたしと息子……いまや娘だが……彼女との間は、この世界に他に類のない愛情で結ばれているのだ。


 わたしとしては、娘にも企業グループの経営を手伝ってもらうつもりだった。

 しかし、彼女には次の研究テーマがあるそうなので、それが実現するまではわたしひとりでがんばるつもりだ。


 彼女の新しい目標は何かって?

 なんと、「女性同士で子孫をもうける方法」だそうな。


「お父さんとオレ……あたしの子供を作りたいの」


 そういう娘に、わたしに反対する理由はなかった。

 人生の張り合いが出てきた結果なのか、わたしは精神的にも若返ったような気がする。

 わたしと息子……娘の人生はまだまだこれからなのだ。


「くしゅん!」

 娘がかわいいくしゃみをする。

 わたしはそんな様子を笑顔で眺めながら言った。

「もう、早く服を着なさい。風邪をひくよ」


― END ―


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