◆ 05 ひとりぼっちはいやだよぅ……
息子が大学に進学してから五年の歳月が流れた。
その時期のわたしは、二度目の大学生生活を送っていた。
進学先は、女子校からエスカレーター式に上がれる女子大だった。
息子と同じ大学に進もうかとも考えたのだが、あまりにも難関過ぎることに加えて、わたし自身が希望する進路とは相容れないので諦めた。
わたしは医学よりも経営の道に進んで妻を手伝いたかったのだ。
そんな理由で、わたしは女子大の経営学部への進学を決めた。
このころには妻のビジネスは拡大し続け、名の知られた上場企業さえ傘下に持つ企業グループに成長していた。
「お爺さんばかりの業界だから、ちょっと若い女性は目立って得なのよ」
そう妻は謙遜するが、それだけでビジネスが上手くいくわけはない。
彼女自身の才能に加え、日々の努力のたまものだったろう。
おかげで息子は学業に専念できたし、わたしも不自由なく学生生活を満喫することができた。
そういえば、女子校に通いはじめたときは、自分が三〇歳以上も年下の少女たちと仲良くできるものか心配したものだが、杞憂ですんだ。
数日を待たずして仲のよい友人の集団ができ、わたしはその一角を占めることができた。
どちらかと言えば小柄なわたしは、年下の少女たちに小さい子扱いされることも多かった。
でも、過ぎてしまえばそれもまた思い出のひとつだ。
大学でも、いわゆる内部進学だったために高校時代から付き合いのある友人が多く、いわゆる“ぼっち”になることはなかった。
もとも、友だちが多ければそれだけ色々なお付き合いも発生するという問題はあった。
例えば“合コン”にはしょっちゅう誘われたものだ。
わたしの進学先はそこそこ著名な女子大であるためか、その手のお声掛かりはずいぶん多かったように思う。
さらに、友人からは「あんたがいると、野郎どもの食いつきがいいのよねー」と言われ、わたしは引っ張りだこ状態。
……なんでだ?
ときには、友人の頼みを断り切れずに出席したこともあったが、
顔だけ出すとすぐに帰るのを繰り返しているうちに誘われなくなった。
そこは勘弁して欲しい。
実の子供より若い男子とお付き合いをするなんて論外だ。
妻は「せっかく若い女の子になったんだから、もう少し遊べば?」なんてことを言う。
わたしが頬を赤く染めて反論するのを楽しみにしているのだ。
……まあ、その策にやすやすとのってしまうわたしがいけないんだけれど。
もっともわたしにもお楽しみはあった。
合コンで出会った男子の話をすると、息子がわたしにあれこれと説教をするのだ。
そろそろ医学部を卒業するような年齢だというのにウブなものである。
一度、「じゃあ、どんな男の人ならいいの?」
と聞き返したところ、拗ねて丸一日相手をしてくれなかった。
だいたい、息子はわたしに厳しすぎる。
特に身なりに関しては容赦がない。
外出時はそれなりに大人しいお嬢さん風の装いをするわたしだが、夏ともなれば自宅ではそれなりに素肌を出すことだってある。
というかタンクトップにホットパンツくらいは許可して欲しい。
夏は暑いんだよー!
◇ ◇ ◇
わたしが大学を卒業して、一〇年もの歳月が過ぎた。
息子は三十路を越えていた。
わたしももう子供とは言えない年齢に見える程度には歳を重ねていた。
息子は無事大学を卒業すると、そのまま母校の大学で研究員になった。
わたしはエスカレーター式の女子大に進学し、卒業後は予定どおり妻の仕事を手伝っていた。
取り立てて優れたところがあるわけではないわたしだが、それでも実際には六〇年以上の齢を重ねている。
周囲の人間が何を考えているのかくらいはわかるようになっていたし、どうすれば自分の意図通りに他人が動いてくれるかは理解できるようになっていた。
その上、わたしの外見は若い女性のそれだ。
元男性のわたしには、若い男の子にどんな態度を取ると張り切って仕事をしてくれるのか、身にしみて、よーくわかっているのだ。
わたしは一生懸命妻のサポートをし続けた。
その甲斐あってか、妻に企業グループのうちいくつかを任せてもらい、幸いにもそこそこの成功を収めることができた。
順風満帆。
……そう思っていた。
妻が病気で倒れる……そのときまでは。
……健康には人一倍気をつかっていたいたはずの彼女だが、急性の癌が進行するとあっという間に亡くなってしまった。
世界に知られる企業グループの女性オーナーが死亡したということで、テレビや新聞でも報道され、それなりに世間を賑わした。
幸いわたしの立場の秘密は厳格に守られ、好奇の目にさらされるような体験はせずにすんでいた。
慌ただしい葬儀がひととおり終わり、ようやくわたしと息子は自宅へと帰った。
自宅といっても、わたしがサラリーマン時代に建てた家ではなく、妻の事業が軌道に乗ってから引っ越した広いお屋敷である。
普段は世話をしてもらうためにハウスキーパーに来てもらっているのだが、今夜は葬儀が終わって皆疲れているだろうという理由で自宅へと帰していた。
今、家にいるのは私と息子のふたりだけである。
◇ ◇ ◇
わたしは喪服を脱ぐとシャワーを浴び、バスルームを出るとそのままリビングへと向かった。
そのまま、ぐんにゃりとソファーに倒れ込む。
息子もくたびれ果ててソファーに崩れるように座っていた。
「父さん、風邪をひくよ?」
そう注意する声も弱々しい。
「……いっそ風邪をひいたまま死んでしまった方がいいのかもな」
ぼそりと言ったわたしの言葉に、息子が跳ね起きる。
立ちあがってなにかを言おうとして口を開きかけるが、結局声にはならず、やがて黙り込んでしまった。
そのまま息子は立ち尽くす。
ふたりとも無言のまま、時間だけが過ぎていった。
どのくらい、沈黙が続いたのかは憶えていない。
次に口を開いたのはわたしの方だった。
「このまま生き続けたら、わたしはお前より長生きするだろう……」
そう言われた息子は真剣な表情で頷いた。
「わたしはお前の葬式にもでなくちゃいけないのかな?
わたしは顔を歪め、それまで何とかこらえていた涙を流し始めた。
「もうお前の母さんもお前も知る人がいなくなっても生きなければいけないのかな?」
そう言うわたしに対して、息子は無言だった。
「みんな死んじゃったあと、わたしだけが生きるのは……イヤ」
わたしはうつぶせになると、ソファー置かれたクッションに顔を押しつけながら涙を流していた。
「ひとりぼっちはいやだよぅ……」
あっという間にびしょびしょになったクッションから、わたしは顔を上げることができず、泣き続けた。
(なんでこんな体になってしまったんだろう?)
(どうしてわたしがこんな目にあわなければいけないのだろう?)
(何を恨み、何を呪えばいいのだろう?)
ふと、気配を感じて顔を上げる。
すると、わたしの目前に息子の顔があった。
お互いの息が掛かる距離だ。
わたしは「ドキリ」として顔を上げ、上半身を起き上げる。
息子は優しい表情で言った。
「父さんは、母さんとオレを置いていっちゃった方がよかったの?」
そして、息子は……。
ひと言付け加えた。
「そんなの、オレだってイヤだよ……」
ふたたび沈黙がリビングを支配する。
その間わたしの胸の中を、さまざまな思い出が流れていった。
妻から「できちゃったの」と言われて狼狽したあの日……。
職場の人間に祝福されながら出産直後の病院に駆けつけたあの日……。
ランドセルを背負って小学校に向かったあの日……。
そして、少女と化したわたしを始めて息子が見たあの日……。
風呂上がりにバスタオル一枚でうろついて怒られあの日……。
息子の大学からふたりで帰ったあの日……。
どれほどの時間が経ったのだろう?
「父さん……。残ったふたりで生きていこう」
それは強い決意の言葉。
「そして、母さんのことをふたりでずっと忘れないようにしよう……」
息子の、静かな、しかし固い決心を告げる。
「父さんとオレは、お互いたったひとり残った……家族だよ」
そう言うと、息子は力強くわたしを引き寄せ抱きしめた。
紛れもない大人の男の胸が、わたしの顔にあたる。
わたしも息子を抱きしめる。
お互いに抱き合いながら、わたしと息子はしばらく無言で涙を流す。
「でも、このあと、お前はどうする?」
わたしはこのまま生きていけばいい。
しかし、息子はそうはいくまい。
「お前もずっと独身というわけにはいかないでしょう?」
だから、いずれ結婚を……。
と、言いかけたわたしの唇を優しく塞ぐと、息子は恥ずかしそうにある秘密について打ち明けてくれた。
それを聴いたわたしは……。
喜びを爆発させると、ふたたび息子に抱きついた。
◇ ◇ ◇
しばらく時間が経ってから、わたしと息子は今後のことについて話し合った。
息子は彼自身に経営能力がないことを認めたが、正体を隠しているわたしが表立って経営を引き受けるわけにもいかない。
その結果、企業グループは形式的には息子が引き継ぎ、わたしは表向きは秘書として息子の指示を受けている振りをしながら経営を続けることになった。
妻を失った虚無感は耐えがたかったが、
それでも息子の存在がわたしの心を支えていた。
―続く―