◆ 04 ひとりでは帰せないよ
多分、息子との関係も基本的には悪くないのだと思う。
ただ、ときおり会話をしている息子がそっぽを向いたり、わたしの仕草を見て真っ赤になって怒り出すことがある。
ごめんな。
父さんちゃんとした女の子らしくできなくて。
息子は二〇歳に近いとはいえ未成年。
まだまだ微妙な年頃だ。
父親としては息子の負担にならないように、しっかり精進せねばなるまい。
そんなある日、女子校から帰ってきたわたしは息子の部屋から彼の携帯電話の呼び出し音が鳴っているのを聞いた。
息子の部屋に入ってみると、彼が忘れていったのであろう携帯電話がスタンド型の充電器に刺さっていた。
そういえば、息子は大学に出かけていて、今日は「実験があるから遅くなる」と言っていた。
と、なると……。
……携帯電話がないと何かと不便だよね。
うん。
「ここは父親らしく、息子に携帯電話を届けてあげなくっちゃね!」
そう独り言を呟いたわたしは、私服に着替えると、もう手慣れてしまったメイクをすませ、髪の毛を整えてから、息子の大学へと出かけた。
……家を出て最寄り駅に着いて、電車に乗って……その後で気がついた。
実は、わたしはこの体になって以来、学校への行き帰り以外でひとりでの外出はほとんどしたことがなかったことに。
周囲の人々……。
主に男性がわたしに目を向ける。
中には顔をのぞき込むようにしてガン見する者もいる。
(やはりどこか変なのか? 元は男だってバレているのか?)
(こんな短いスカートをはいてくるんじゃなかった!)
そんな、ネガティブな想像が頭の中でグルグルと回転する。
内心不安で半泣きになりながら、なるべく表情にでないようにがんばった。
大学の最寄り駅に到着すると、ドアが開くのが早いか電車を降り、早足で改札口を抜ける。
そのままの勢いで数分歩くと、息子が通う大学へとたどり着いた。
本来外部の人間は大学の校内に入れないのだが、そこは(外見は)若い女の子である。
警備員に家族であることを説明し、
「兄に頼まれまして」
とちょっぴりウソを交えたらあっさりと構内に入れてくれた。
(ここが息子の通う大学かぁ……)
感慨にふけりながらキョロキョロと辺りを見回す。
歴史と伝統のある大学だが、キャンパス内の建物は意外に新しい。
おそらく、必要に応じてどんどん施設を更新しているのだろう。
「ま、お金持ちの通う学校だよな……」
と小さい声で呟いてしまう。
だって、きれいに整えられたキャンパスを歩くお姉さんたち……。
……わたしの実年齢からすると少女と言って差し支えない若さだが。
彼女たちの装いが、いかにも品があってキレイだったから……。
なんとなく、複雑な気分になりながらわたしは息子のいるゼミ室へと向かった。
◇ ◇ ◇
わたしは息子の所属するゼミ室の前へとたどり着いた。
息子はこのゼミで教授の元に付きながら、研究をしているということだ。
わたしは廊下のガラス窓に映る自分を見ながら、おかしいところがないかチェックした。
……よし!
わたしは覚悟を決めてドアノブに右手をかけ、回した。
「失礼しまぁす」
そう言いながらドアを開け、部屋へと入る。
息子はわたしを見て、「ぽかーん」という音のしそうな表情になった。
そのあと、憤然とわたしに詰め寄ろうとする……
が、周囲に人目があることに気がついたのだろう。
ギリギリで冷静さを回復させ、人前で説教をするのを諦めたようだ。
息子は「はあ……」と、深いため息をつくと、
「ダメじゃないか、ひとりで勝手に来ちゃ」
とコツンとわたしの頭を叩く。
わたしは、「お兄ちゃん、ごめんなさい」と謝った後、ゼミ室の面々に「自分は息子の妹です」と名のり、ぺこりと体を曲げて挨拶した。
その時期には、外出先で息子を兄と呼ぶのにもずいぶんと慣れていた。
部屋には息子と同じゼミ生が四人いた。
三人が男性でひとりが……すごい美女だった。
いかにも育ちが良く、そして庶民の持たないオーラのような輝きを発している。
わたしの妻も美人女子大生だったが、彼女のようなゴージャスな感じはしなかった。
むしろ気さくそうに見えて話しかけやすかった記憶がある。
わたしを見てなぜか黙り込んでしまった男子たちを尻目に、そのゴージャスなお姉さんは……。
「かわいい! かわいい!」
といいながらわたしに触ってくる!
抱きついてくる!
わたしも女子高生的なスキンシップになれてきたものだが、ちょっと大人のお姉さん相手だったこともあって、緊張で体が動かなくなっていた。
でも……。
「この娘、あなたの彼女かと思ったわ」
お姉さんがそう息子に言った瞬間、なんとなくわたしの中で緊張がほぐれた。
リラックスしたわたしはしばらくの間“兄”の仲間たちと会話を楽しんだ。
だんだん打ち解けてきたのか、質問攻めを始めた男子ゼミ生たちから引き離すように、息子はわたしの手を取ると大学構内にあるカフェテリアに案内した。
ゼミ室の面々は名残惜しそうな表情をしていたが、いつボロがでないかと心配だったわたしとしては息子の配慮はありがたかった。
「ここで待ってて」
そう息子に言われ、わたしは自動販売機で買った甘いカップ式のミルクティーを「ふうふう」と冷ましながらすすって息子を待った。
……ようやくわたしが紅茶を飲み終えたころ、息子はひとりでカフェへとやってきた。
「さあ、一緒に帰ろう」
「え? おま……お兄ちゃんは今日は実験で遅くなるって……」
「他の人に頼んで代わってもらったんだ。だから今日はもう帰れるよ」
そう言うと、息子はわたしに近づいて、他の人には聴かれないような小さな声で、諭すように言った。
「もう遅い時間だ。ひとりでは帰せないよ」
息子のためを思って携帯電話を持ってきたのだけれど、かえって迷惑を掛けてしまったことに気づきわたしはシュンとしてうつむいてしまう。
そんなわたしに、息子は耳打ちをする。
「いいんだよ。父さんがオレのために来てくれて嬉しかった。ありがとう」
わたしは、もうそれだけで幸せになってしまうのだった。
本当に……。
親子関係など易いものである。
その日、わたしは息子と手をつないで家まで帰った。
―続く―