◆ 03 こんなお父さん……恥ずかしいよな?
一方で微妙になってしまったのが息子との関係だ。
息子は若いころのわたしに似て、これと言って特徴のない平凡な少年である。
まあ、よく見ると顔立ちも悪くなく。
なにより優しくて、親切で、意外に頼りがいがあって……。
……いやいや、これは親のひいき目だろう。
緊急入院して半年後。
息子の強い要望でわたしとの面会が許された。
それまでは免疫系の問題がどうとかで、わたしは無菌室におり、外の人間と接触できない状態だった。
病状が落ち着いて身体の安全が確保できるまでは、息子はわたしを見舞うことができなかったのだ。
入院の直前。
記憶に残る息子の最後の様子は、高校生だというのにべそべそと涙を流しながらわたしを心配していた姿だった。
さしてよい父親だった記憶もないのだが、息子はわたしのことを好いていてくれたらしい。
そうして半年ぶりに面会できた我が息子は……。
わたしの体を見て、驚愕に目を見開いていた。
無理もない。
父親が少女になっていたのだから……。
そのときのわたしは小学生か、せいぜい中学生くらいに見えるほどに若返りが進行していた。
散髪にも行けず髪は伸びたまま。
膚は日に当たらないせいか西洋人形のように白くなっていた。
身長は一四〇センチ程に縮んでしまっており、息子を見上げるような格好になっていた。
彼はそんなわたしを……最初は目を見開いて見つめ。
その後は目もあわせず、口もきいてくれなくなった。
わたしは激しい寂しさを感じたが、無理もないことだと納得もしていた。
いい歳をした中年の父親が、自分より幼い少女の姿になってしまったのだ。
ショックを受けないわけがない。
わたしには息子を抱きしめながら、「ごめんな、ごめんな……」と謝ることしかできなかった。
もしかしたら気持ち悪がられるかもしれない……とも思ったのだが、息子はそんなわたしを突き放すようなことはせず、ぎゅっと抱きしめてくれた。
息子の優しさに、嬉しくて体が火照るように熱くなった記憶は、今でも決して忘れることなくわたしの中に残っている。
妻の話によると、その数日後から息子は猛勉強を始めたそうだ。
もともと成績は悪くなかったが、それはもう鬼気迫る勢いでがんばったという話だ。
息子の努力は報いられ、めでたく今年の春から日本人であれば誰でも知っているであろう有名大学の、それも難関と言われる医学部にストレートで入学できた。
わたしは入学試験より少し前に許可を得て自宅へ戻っていた。
息子の合格を聴いたときは驚きと共に喜び、ちょっぴりうれし泣きをしてしまった。
少女の体になったせいか、わたしはずいぶん涙もろくなっていたのだ。
息子の合格はめでたい話だったが、とはいえ心配もあった。
彼が受かったのはいわゆる“良家の子女”が通うような大学だ。
息子が周囲から浮いてしまわないだろうか?
しかし、わたしの心配は杞憂だったようだ。
大学に通い出してからしばらく経つと、食事時に息子は大学の友人たちの話を楽しそうにしてくれるようになった。
話を聴くと、ずいぶん友人がたくさんできているようで……。
その中のずいぶんな割合が女子のようで……。
父親としては間違いをしでかさないかが心配だったのだが……。
そう口に出したら、「そんな心配は無い!」……と、息子に怒られちゃった。
うん。
お父さんは心配だったんだよ。
美人の女子大生のお姉さんたちに息子が取られるんじゃないかって……。
………………違う!
かつての自分のように、学生のうちに女子に手をつけてしまうんじゃないかって、それが心配だったんだよ!
でも、そう言ったら、正座させられてさらに怒られた。
……お父さんはお前が心配なだけなんだよ?
◇ ◇ ◇
わたしの体が女性化し始めてから二年近くたつ。
最初の一年半ほどは病院にいて、世間と触れる機会はなかった。
さらにその前は半世紀近く男性だった。
そのため、わたしは女性にしては「はしたない」とされる所作をときどきしでかしてしまう。
……これでも、妻による半年ほどの特訓で、ちょっと見くらいは誤魔化せるようになったんだよ?
しかし、家の中で……特にひとりでいるようときはつい気が抜けて失敗してしまう。
そんなところをたまたま息子に見られてしまうと、大目玉を食らってしまうのだった。
わたしの息子は堅物なのだ。
家に戻ったわたしは、息子が大学に通い始めたのと同時期に、高校への通学を始めた。
自宅から電車を使って一時間ほどの距離にあるそこは、いわゆるお嬢様学校だ。
高等部の一年生として、女子高校生生活を開始することになったわけだ。
本来再就学の必要はないのだが……。
「今後女性として生きるために、必要な知識と経験を身につけるために、きちんと教育を受けるべきだろう」
そう家族会議で決め、約三十年ぶりの高校生活を送っている。
躾にやかましい女子校を選択したのはそのためだった。
なお、この決定を息子は最も熱烈に支持した。
当然学費は心配だったし、そもそも本来は五〇歳近いオヤジが女子校に通うなどできるものか疑問だったのだが、その辺は万事妻が上手くやってしまった。
「お金さえあれば大抵のムチャは通るものよ」
そう言ったときの妻の笑みは……うん、なんだかずいぶん世慣れた感じであった。
わたしの不摂生が思わぬ事態を招いてしまったこともあり、わたしたち家族はより絆を大切にするようになったと思う。
妻がどれほど忙しくても家に帰って来て食事を取ろうとするように。
息子が休みの日にあまり外出せず、家で過ごすようになったり。
ときには家族揃って旅行に出かけたり。
家族の皆が、このいつ失っても不思議ではない結びつきを、大事にするようになった。
それはもしかすると不幸中の幸いというものかもしれない。
妻がサルビアの花を、室内に飾るようになったのはそのころからだったと思う。
サルビアの花言葉は“家族愛”だそうだ。
わたしたちにとって、それは最上の宝物を意味する言葉だった。
ところで……わたしの体は極端に早く老いることはできないものの、ある程度意図して肉体年齢をコントロールできるようになっている。
もう少し詳しく説明すると、わたしの肉体は投薬治療を受けずにいると、どんどん肉体が若返ってしまうのだ。
それも、時間と共に若返りのペースも速くなる。
果たして最終的にどこまで若返りが進行するのかはわからない。
恐ろしくて試してみようと言う気にもならない。
別に永遠の命が欲しいわけじゃない。
ただ、家族と共に一年ずつ時を刻んで生きていければ、わたしはそれで満足なのだ……。
そんな理由で、わたしは加齢治療のためを投薬をおこなった。
息子と再会したときに比べると、背も伸びたし、なにより体型が女性らしくなった。
誇らしいような恥ずかしいような……もと男性としては複雑な気分である。
日増しに体型が女性らしくなっていくわたしに対して、妻は大喜びだったが、息子はときおり複雑な表情を見せるようになっていた。
「ごめんな。こんなお父さん……恥ずかしいよな?」
一度そう謝ったことがある。
そのとき、息子ははじめて彼の方から抱き寄せてくれて、黙ってわたしの頭を撫でてくれた。
わたしは本当に申し訳なくて……。
ボロボロとこぼれる涙を止めることができなくて……
しばらくそ身体を息子にあずけ、そのまま泣きじゃくっていた。
本当にこの体は涙もろい。
―続く―