出発
「See you later(また会おう), alligator」
アンドロイドはその太古の挨拶に対して、考古学的な感動を覚えた。それは懐古的な再発見の味と似通っていた。
「After a while(また後で), crocodile」
人間たちとアンドロイドの世界には巨大な時間のずれがあった。その時間差は例えば言語において確認できる。
彼らの使用言語には新英語の面影があり、発音といくつかの文法において明らかにスウェーデン語の影響を受けていた。とても奇妙なのは、女性の発話には音節の結合が数他所に見られるのに対し、男性の発話には音素に微妙なタンギングが確認できる。性差における明確な言語表現の差異が見られるということは、あるいは日本語あたりの影響を受けている可能性もある。
それにしても。とアンドロイドは思った。アンドロイドと(緑の人間)を乗せた空飛ぶ葉の絨毯は高度約900フィートを滑空している。アンドロイドは足元を見る。葉に巡る葉脈がくぼみを刻み、気流を作り出している。
それにしても。と、アンドロイドはもう一度思った。懐かしい歌だ。
See you later, alligator.
After a while, crocodile.
物理的な論理で言えば、その歌がアンドロイドにとって懐かしいものであるはずがない。それを理解しているにも関わらず、彼はそのメロディに懐かしさを覚えないわけにはいかなかった。
アンドロイドとして彼はその感覚を不思議に思う。だから彼は自らのデータベースを検索し、その歌詞やメロディについての情報を確認する。仮想思考領域にリストが表示されるまでに0.000183秒を要した。少し遅い。外気温の影響だろうが、それは完全に無視できる誤差だった。変動の予測数値を加味しても一切の問題は存在しない。
どれだけ詳細なデータを辿ったところで、その歌の正確な情報を確認することはできなかった。それは彼が製造された段階で人類が持っていなかった情報だと言うことだ。
宇宙の始まりを知り、DNAを知り、ゲノム配列を解析した人類がまとめ上げることができなかった情報だ。
Bye-bye, butterfly.
Give a hug, ladybug.
大雑把に確認できるのは、その歌が西暦1900年代のいつか誰かによって歌われ始めたということだけだった。どのようにして生まれたのか、誰にもわからないもの。どうしてそんなものにアンドロイドが懐かしみを抱いたのだろうか。
気温は摂氏80度を超えようとしていた。生身の人間が耐えられる温度ではない。銀髪の女博士に与えられたスーツはその機能の余力を残しているようにも思われたが、やはり人間が踏破するには危険すぎるエリアだ。
アンドロイドは緑の人間達の体温を確認する。男の体温は43.2度、女の体温は43.8度。ふたりとも0.8度ずつ体温が上昇している。普通の人間ならば熱を出してどこかしらの機能不全に追い込まれる上昇度だ。
「サイナゴグ」
アンドロイドは女に声をかける。振り向いた彼女の髪が向かい風で激しく乱れている。その風は温風を通り越して熱風となっていた。
「どうしたの、コムログ」
「降りましょう。摂氏85度を超えました。これ以上は危険です」
「私の体温は確認できる?」
「43.8度を超えようとしています」
「微熱でこんな大事なことをやめるわけにはいかないわ」
「体温だけで言えば、確かに、あなたにとって微熱程度でしかないかも知れませんが、それでもダメです。重大な機能不全に至るほどの上昇差ではありませんが、上昇速度が早すぎます。外気温の上昇速度は異常です。突然、体調不良に陥る可能性が極めて高まっています」
女は黙っている。判断に難しい様子だった。別段、気分が悪い様子など確認できない。しかしアンドロイドの言うことも確かだ。
「降りるぞ、サイナゴグ、彼の言う通りかもしれん」
それを見かねた男が言った。と言っても、彼の身にも同等の危険が迫っている。
「我々が倒れてしまっては、君を送り届けられない。そうだろう」
「ありがとうございます。ラカラカ」
「わかったわ。降りましょう」
「ゆっくり降下してください。地上の温度はここよりも少し高いと思われます」
「正確には?」
「予測では摂氏92度です」
「もうすぐ水が沸騰するじゃない!大丈夫なの?」
「大丈夫です。この特殊スーツもあります」
「無理なら諦めるんだぞ、あの人達は理解してくれる」
「ありがとうございます。しかし大丈夫です。そして私はこの任務に誇りをもっています。成し遂げたいのです」
「そうか。まあ、大丈夫だろう。君ならきっとやれるさ。人類を救うアンドロイドだ」
『到着したようだな』
無線機が大佐の声を届けた。
「はい、C・カッサード。これより降下します。気温がかなり高く、地上付近は危険なため30フィートから飛び降ります」
『把握した。周囲の安全を確保しろ』
アンドロイドは周囲を確認し、念の為に視界を探索モードにする。生体反応を確かめ、赤外線モードに切り替える。まさかとは思うが、不可視の生物がいないかどうかを確認する。極端に白化している箇所はない、このあたりに生物は存在しない。
「安全です。生体反応はありません。目視でも一切の生物は確認できません」
『武器を装備しろ』
アンドロイドは大男に預けられた45口径に弾を込める。正確に8発。バレットケースには予備の弾丸が50発。スムーズに安全装置を外せることを確認し、またロックを掛ける。腰のホルスターに銃を装着する。
バックパックからミユキ・エレレンスの使っていた無線機を取り出し、ラカラカに託す。
最後に特殊スーツの設定が正しい数値になっているかを確認する。
「確認しました」
『待っているぞ。コムログ』
「おまかせください。C・カッサード。サイナゴグ、私が飛び降りたらできる限り高高度で待機してください。いくらか低温になるはずです。ゆっくりと上昇することも忘れずに。体調に異変を感じたら、すぐにD・レイヴンに無線してください」
「わかった、待っている!」
「降下します」
アンドロイドは灼熱の大地に飛び込んだ。