8.戦闘開始
山陰を越えた太陽が、その姿を半分以上雲に隠しながらも地上を陽光で照らす。
峡谷の下で宴を終えたオークの群れが、編隊を整えて出陣の準備を進めていた。オークキングが野太く醜い声で指示を飛ばしていく。部隊を組んだオークの小隊長が、隊員を点呼するとオーク達はグヒグヒと喧しく鳴きながらそれに応えた。
「オークメイジも後ろに控えているか……」
奇襲部隊の隊長――ロギスは、ギルドサイン(身振り手振りと短い単語)で手早く指示を飛ばして、それぞれのターゲットを定めた。
「さて、整列が終わりそうだな。ここを攻めるっ」
ロギスが右手を左肩に置く。その手を大きく右回りに振ると共に、
「攻撃開始」
鋭い指示を飛ばした。
茂みに隠れていた部隊が、素早く展開して、それぞれのターゲットに攻撃を仕掛ける。
ロギスの投槍がオークを複数同時に貫く。
ルアの弓矢がオークメイジの眉間を正確に射抜いた。
ロッドの手斧がオークキングの頭部に放たれる――しかし王冠を砕くに止まった。
「ちっ、まあいい次だ!」
ロッドは続けざまに手斧を放り投げていくが、既にこちらを察知したオークキングは簡単に背中の剣で攻撃を弾いた。それを見たロッドはすぐにターゲットを変えて、オークの群れに手斧を投げ込んでいった。
上からの奇襲を受けたオークの群れは混乱していたが、すぐに攻撃位置から補足すると怒りに血走った目で睨みつけてきた。
「そこからすぐに上がるルートは無いぞ」
ロギスは投槍をまた一本放り投げて小馬鹿にしたように言う。
「んっ……?」
すぐ近くに身を潜めていたルアは背後に迫る妙な音に気付いた。草木を掻き分けて突き進む何かがこちらに迫ってくる。その正体に醜悪な声で気付いた。
「隊長! 後ろにもオークが!」
「なんだとっ!?」
ロギスは戸惑いを最初示したが、長年の経験が心を落ち着かせてすぐに平静を取り戻した。部隊の仲間に投擲武器(あるいは遠距離武器)から近接武器に持ち帰るように指示を飛ばして、敵の足音から数を判断して、
「撤退だ!」
声を張り上げた。
「撤退戦の作戦通り編隊をできるだけ維持しろ! だが、状況が状況だ。各自の判断で自分の命を守り切れ!」
「――了解」
ロギスは仲間を鼓舞しながらも、二重でこちらを包囲していたオークの数に、内心では生き残れるのは僅かだろうと思っていた。
オークキングの知略なのか、それとも単純に遅れてやってきたオーク達なのか。真実はどちらにしろ、この場に居ては皆殺しにされるのは目に見えていた。
「焦るな、だが急げ! 全員揃ったか!? 撤退するぞ!」
ルアは殿について、弓矢で追ってくるオークを牽制する。ロッドはその横で残り少ない手斧を放り投げた。
「おい、誰か投げるもん余ってたらこっちに回せ!」
ロッドは仲間から投擲武器を受け取り、出し惜しみせずに次々と最も近いオークから始末していく。ルアは逆に狙いを定めて、魔法を扱う厄介なオークメイジを射抜いた。
「こりゃあ、予想外のスリルだぜ!」
「兄さんは余裕ですね」
「おうよ、こんなものまだまだあの時に比べたら序の口だろう?」
「それもそうです」
あの時、かつてホルンの街で繰り広げられた陰惨な戦いの光景が脳裏でうずいた。
二度とあんな光景を見たくない。誰も死なせたくない。
ルアは更に研ぎ澄まされる感覚を操って、速射でオークメイジを射抜いていく。
「馬鹿野郎! 後ろをちゃんと見ろ!」
ロッドの叫びルアは後ろを振り向いて、足場が無いことに踏み出してから気付いた。速射の時に集中し過ぎてしまい、周囲の警戒へと向けていた意識も集約されてしまっていたのだ。
「まずいっ!」
ルアは傾斜が急な坂で足を踏み外し転がり落ちていく。坂上からロッドの叫び声が聞こえてくる。その場に止まろうとしたのを、他の誰かに掴まれ引っ張られていく姿が最後に見えた。
「よかった……兄さんはこれで大丈夫ですね」
無茶ばかりのロッドならば、自分を助けるためにその場に残ってオークの足止めを買って出ようとしていたのだろう。
オークの気配が数体近づいて来るのを察知する。追っ手のほとんどはそのまま真っ直ぐに本隊を追っているようだ。
ルアは転がる際にかばった弓が無事なのを確認して矢を番える。
「――生き残るために全力を尽くしましょう」
そして、迫り来るオークへと矢を放った。
昇り始めていた太陽が雲に完全に隠れてしまった。朝焼けを遮られて薄暗いホルンの街は、現在の状況もあって陰鬱な気配をまとっていた。
そんな空気を断ち切るように、サオとエンカは街道を歩いていた。リベルを探すためにきょろきょろと目を忙しなく動かす。街中には僅かに守衛が立っているだけで、ほとんど人の気配が無かった。
「もしかしたら門のところに居るのかもしれないです」
「んー、そうだとしたら、子どもは追い返されているんじゃないかな」
サオの回答にエンカは首を横に振った。
「違うです。オークが来るのとは反対側の門です」
ホルンの街には『四方の精霊』に肖って、東西南北へ真っ直ぐに繋がる門がそれぞれ設置されている。街の中心部である街道も、東西と南北をそれぞれ結ぶ大通りが結ぶ形になっており、今回オークが攻め入ってくると思われる方角は東側だ。
サオが街の構造を思い浮かべていると、エンカはその沈黙が続きを促しているのだと思って言葉を続けた。
「以前にもオークの襲撃があったんです。その時、オークは四方の門から入ってきました。だから……リベルは、人員の問題で手薄になってしまう逆側の門である西門に居るんだと思います。もう二度とあんな悲劇を繰り返したくないから」
エンカの両親は別働隊のオークに街の中心部まで侵入されて殺されてしまった。リベルはそのことで、当時から守衛長であった父と喧嘩したのだ。ちゃんと人員が配置できていたのなら、彼女の両親を守ることができた、と泣きながらリベルは父に訴えたのだ。
自分のせいであんなに仲の良かった親子の仲を引き裂いてしまった、とエンカは今でもそんな重苦しい後悔を抱えている。
リベルもまた、少年には似合わない焼き尽くすような復讐心に駆られている。
誰もが以前のオーク襲撃から抜け出せずにいた。
サオはある程度の話をリルやルア達から聞いていた。ホルンの街の成り立ちやオークの襲撃。この街全体が前へ向こうとしていてできずにいるのだ。
「今回の戦いを乗り越えられれば……きっと」
苦しい戦いだというのは街の空気から察せられる。それでも勝たねば、きっとこの街の住民は過去に埋もれてしまうのだ。
二人は西門に辿り着いた。そこには少数の守衛と監視が立っているだけだった。
「リベルっ!」
その中に、小さな背丈が逆に目立つ少年を見つけて、エンカが形振り構わず走り寄って行った。サオはその背中を青春だな、と思い立ち止まって見届ける。
エンカはおどおどしながら言い訳をするリベルの頬を打った。呆然とするリベルだったが、エンカが泣き顔なのに気付いて、赤くなった頬をさすりながら微笑みかけていた。
「なんだか立派な男に成長しそうですね。はぁ……それに比べて、僕は立派な女に成長していきそうで」
襟元を覗き込むと胸は平坦のままだった。本当に条件がよくわからない。
「――ッ!」
首筋に痛みが走る。ざわざわとうごめくような痛みに生理的な嫌悪感を抱いた。
痛みに悶えていると、エンカが袖を引っ張り見上げてくる。
「サオ様大丈夫ですか? 体調が悪いのなら、早くギルドに戻りましょう。……リベルも一緒に戻るんだよっ!」
「分かったって……」
サオは視界一杯に広がる周辺マップに、赤い光点が西門に向かって突き進んでくるのが見えた。首筋の痛みはそれらがオークだと訴えている。
「二人ともごめんなさい……もう手遅れみたいです」
二人がきょとんとする顔に、残酷な現実を告げる。
「オークがここへ来ます」
東門では既にオークが視認できる位置まで接近していた。
「状態確認!」
守衛長ガネルがギルドサインを用いて、周囲の者に装備と体の状態の確認を取る。
「すべて異常無し」
手早く確認を取った仲間からの応答に、ガネルは満足そうに頷いた。
「全員覚えているな。あの日、我々は奴らに痛い目に遭わされた。だが今回は、奴らに目に物を見せてやろうではないかっ!」
一同が覚悟を決めた顔で見詰めあい頷きあって、同時に応えた。
「――了解」
音の津波となって押し寄せるオークの群れを見据える。
「構えろっ!」
それぞれがガネルの指示に遠距離用の武器を構える。魔法使いは詠唱鍵を大きく唱えた。
「引き付けろ――まだだ、まだ……まだ……もう少し――よし、攻撃開始!」
弓が魔法がオークの群れに襲い掛かる。
オークはそれでも仲間の屍を踏み越えて侵攻を止めない。
そこへ更に攻撃を叩き込む。オークキングが近くに居なければ暴れることしか能の無いオーク達は真っ直ぐに門へと進んでくる。それらを色取り取りな魔法が薙ぎ払う。
守備隊はオーク達がトラップが密集したところまで接近したのを確認して、更に攻撃を激しく行う。トラップの山を越えられれば、門を守るには己の肉体しか残されていない。
魔法式の地雷や草に隠された針山がオークの侵攻を阻み、更にその数を減らした。
「――防壁の上の弓隊はそのまま攻撃を続けろ、守備隊、全員抜刀!」
いよいよ目前に迫ったオークの群れに対して、ガネル達は近接武器を手に取った。
ハリスに確実に勝てる戦いとは言われているが、ガネルは信頼するハリスを疑う程の敵の数に慄然としていた。それでも表に出さず、恐怖に震える周囲の者達を冗談を交えて鼓舞した。
もう二度と失いたくないから。
誰よりもかつての戦いで悔しさを感じるガネルは、大剣を空高く掲げた。
「見ていてくれ、ベルナール、アミカ」
かつての戦いで失った親友を思い、ガネルは剣に力を込める。魔素を操るのは想いだ。たとえ魔法使いではなくとも、人間は潜在的に小さくても魔素を保有している。
だから想いは力になる。
奇跡でもなんでもない、人間自身が魔素を操り運命を切り開くのだ。
「子に恨まれ、友を失ったが――なに、私にはまだ妻もこの街もある」
ベルナールとアミカは親友というだけではなく、エンカの両親でもある。息子のリベルには恨まれたが、何も言い訳はできなかった。己の失敗がもたらした結果を受け入れられないのは自分自身だったから。
「これ以上、貴様らには何一つ奪わせはしないっ!」
ガネルの大剣に、熟練の魔法使いではないと見えないぐらいのほのかな赤茶色の魔現色が宿った。
ガネルは一番乗りをしてきたオークを豪速の剣で薙ぎ払う。オークは真っ二つに断たれながら、後方へと吹っ飛んでいった。
「怯むな!」
「了解!」
「戦え、戦い続けろ!」
「――了解!」
「奴らに奪われたすべてを取り戻すぞっ!」
「――了解!! 我らに栄光ある勝利を!」
トラップを抜けたオーク達と、剣を抜いた守備隊が激しい剣戟を繰り広げる。
遂に本隊同士の戦いが始まった。