6.くすぶる力
はぐれオークの襲撃を乗り切ったホルンの街は再び夜を迎えていた。オークキングが引き連れる本隊が現れるのは、二日後だ。一度襲撃があったせいか、街中にぴりぴりした鋭い空気が漂っている。
サオはまた一階の屋根の上に腰掛けていた。エンカは子どもらしく早い就寝だ。
朝の襲撃の時のことを思い返して、サオは首筋に手を当てる。
(感知する範囲が広がってないかな?)
門に近づく前から第六感は反応していた。もしかしたら街内に変態が居たのかもしれないが、サオの変態センサーが優れている点は、対象によってその反応が変わるところにある。僅かな違いだが痛みに違いがあるのだ。
「オークに対してだけ過敏になっている……? いや、そもそも本当に変態センサーなのかな? 犬にまで反応していたし」
考えてみれば、現代においても誤作動はあったのだ。
紳士にしか見えない人に反応していたりしたし、明らかに変態な奴に反応しなかったり――単純にセンサーに引っかかる者に変態が多かっただけで、実は別のものを感知しているのだろうか?
その時、サオの脳天から足先まで雷撃が走った。
「がっ!」
まずいまずいまずい――これは前に感じた、SAN値直葬レベルの変態と遭遇した時に感じたもの以上だ。
余りの痛みに身動きが取れなくなる。
危うく屋根から転げ落ちそうになるのを堪えて、サオはその場にうずくまった。段々と痛みは引いていくが、特に耳元の違和感が拭えない。
「ぐおっ!」
更に全身に痺れが走る。
痛みに耐えていると、脳内でくぐもった声が反響した。
『繋がった……』
リベルは腹を立てていた。というよりは不貞腐れていた。幼馴染であるエンカには仕事が与えられたというのに、自分は危険だからと自宅待機を命じられたのだ。確かにエンカは幼いながらに魔法使いであるしその中でも優秀だ。
近くでずっと見てきたのだから、エンカの能力を疑うようなことはない。
ベッドに寝転がり、染みの着いた天上を見上げる。
しかし、リベルとて小さくとも男だ。そして何よりも、剣の腕には自信があった。父との稽古は日課であるし、他にもギルドに訪れる冒険者達から様々な剣技、戦い方、心構えを学んできた。
「オレだって戦えるんだ」
ベッドの端に腰掛けて、壁に立て掛けていた鞘を強く握り締める。
リベルが所有する剣は、正確には刀である。極東系の冒険者が訪れて、彼に剣の才があることを見抜いて授けたのだ。
銘は『時雨』。魔法の力を宿す強力な魔法剣だ。
魔法剣は魔法の特性ゆえに持ち主を選ぶ。時雨は強い術式で構成されているらしく、リベル以外には抜くことすら叶わなかった。冒険者が辺境の少年に貴重な魔法剣を授けた理由は、主にこれにあった。
担い手に握られてこその武器であり、武器を持ってこその担い手なのだ。
だから、リベルには選ばれし者という自覚と実感があった。父はそれをよく戒めていた。
『お前の自信は過信に過ぎない』
リベルはその言葉に強く反発した。
何故なら自分は担い手に選ばれたのだから。
その慢心こそが、最も戦場では足を引っ張り命を危険に晒すものだということに、幼いリベルは気付くことができていなかった。
サオは脳内彼女とのコンタクトに成功していた。体が冷えるので借りている寝室に戻って会話をする。
『私の名前は……そうね、『円環の魔女』とでも呼んでちょうだい』
「中二乙」
『――私がその気になれば、あなたの脳味噌をシェイクすることだってできるのよ?』
「申し訳ございませんでした」
土下座しようにも対象の姿が見えないのでどうしようもなかった。
『まあいいわ。念のために言うけど、この声は幻聴でもないし、あなたが生み出したエア友達でもないし、魔法的な生物でもないわ。精霊通信を応用して思念通信を行っているだけよ。……あなたには、電話のようなものと言った方が伝わりやすいかしら』
「お前もこの時代の人間じゃないのか?」
『そうとも言えるし、そうじゃないとも言える』
つまり言いたくないらしい。わがままな寄生虫だと思った。
サオはふと自分の体に起こる謎の現象の原因を見つけたような気がした。
「まさか、お前が脳味噌に居るから女体化するのか?」
『もう一度言うけど、私はあなたに電話をかけているようなもので、別に脳内に存在している訳じゃないわ』
溜め息をつく自称『円環の魔女』。
『あなたのベースが男のせいで思念通信を繋げるのに苦労したの。疲れているから、さっさと本題に入っていいかしら』
「その本題っていうのは?」
一つ間を置いてから魔女は、禁断の果実を差し出すように言った。
『――戦う力が欲しくないかしら?』
魔女は語る。
『あなたには大きな、世界中を探しても肩を並べられる存在が居ないほどに大きな資質が秘められている。それは、魔法の力。あなたは偉大な魔法使いになる運命にある』
「ここにきてようやくまともなチートか……。女体化に脳内彼女、不運ばかりだと思っていたが、ようやく僕の時代が来た!」
『真面目に聞いていないとシェイクするわよ?』
サオはベッドの上で土下座をした。
『今ならまだ引き返せるけどどうする?』
「引き返してどうなる。僕はこの時代では……いや、この時代でも無力で小さな存在だ。それでもできることがあるのならやりたい」
朝に感じた言いようの無い悔しさと情けなさ。あんなものを二度と感じたくない。それに、サオは極東列島に辿り着かなければならないのだ。ルアから見せてもらった地図では、遠く離れていた。徒歩で行けば数年は掛かるとまで言われた。
その旅をやり遂げるには力が必要だ。
『いいわ。あなたの覚悟は受け取った。それじゃああなたに加護を授けましょう』
柔らかい光が全身を包み込む。ほのかに温かく体の奥が熱にうずいた。
拡張現実技術のように、現実に文字情報が付加されて情報が浮かび上がる。システム的な冷たい文字が、サオの魔法特性を示していた。
十二宮――双魚宮。
魔法属性――水。
魔現色――無色。性質は交感、夢想、飛躍。
詠唱鍵――『黄昏』
『あなたの力はどこまでも強大。属性は水とされているけれど、あなたが望めばどんな精霊も力を貸してくれるわ。そして、あなたには分かるでしょう? 世界には水が満ちている。そのすべてが絶対的にあなたの味方よ』
体の中で強大な力の流れが生まれたことに気付く。
「なんだかよくわからないけど、これが魔素ってやつなのか」
魔素の存在を知覚できるようになったのはいいが、サオにはそこから魔法を生み出す方法が見当もつかなかった。魔女は何も言わず黙り込んでいる。
仕方が無いので、ルアから聞いた魔法の基礎知識について思い出した。
「にしても、現実の魔法ってなんだかシンプルすぎるな。どっかの設定のパクリみたいだ」
『わ、悪かったわね!』
黙っていた魔女の怒鳴り声が聞こえてくる。
「なんで、お前が怒るんだよ」
「別に……あと、原因の八割はあなたにあるわ」
よく分からないが、不貞腐れたような気配が通信先から感じられる。魔素の知覚できるようになったおかげで、魔法関係の感覚が鋭敏になったのだ。
サオが魔素が指先まで浸透していくのを、じりじりとした熱のように感じていると、ようやく魔女が口を開いた。
『あなたが望めば魔法は、あなたの中に存在する泉を跳ねて波紋を呼ぶわ。それを手掛かりに、魔法となった塊を釣り上げるのよ。あなたの場合は強大な……それはもう無限に等しい魔素を持つから、丁寧な術式構築は不要だわ。そうね、普通の魔法使いには竿の役目を持つ杖が必要だけど、あなたにはそれすらも必要ない。願えば叶う――まだ自覚は無いかもしれないけど、あなたはそういう存在へとなっていくわ』
やがて凄まじいチートになるのは分かったが、何故だか魔女の語る声に苛立ちが混じっているような気がした。協力するのが本意ではないのだろうか。
「お前は一体何者なんだ? どうして僕に協力するんだ?」
疑問を投げ掛けると、魔女は先程までの苛立ちを霧散させて、嘲笑を交えながら言った。
『私が誰か? まだ知る必要はないわ。私の正体を知って絶望するのはまだ早い』
何かを叩く音と、食器が割れるような音が響き渡る。最初は現実のものかと思ったが、すべては魔女の側で起きていることのようだ。その間も魔女の嘲る高笑いが続いていた。
「…………」
どうしてだろう。魔女の嘲笑が幼子の泣き叫ぶ声に聞こえた。
やがて音が止み、魔女の声も聞こえなくなった。
魔素を知覚できるようになったサオは、それが通信途絶を意味しているのだと分かった。