4.ホルンの街
ゼナック兄弟の報告を受けて、ギルド支部の酒場は文字通り丁丁発止の様相を呈していた。街中の守衛とギルドに逗留していた冒険者や傭兵など戦える者はすべて集められた。辺境の地でこれだけの人数が集めることができたのは、ホルンの街周辺には貴重な動植物が生息していることが幸いしていた。それらを求めてやってくる冒険者や、その護衛に着く傭兵が入れ替わりながらも常に数多く滞在しているのだ。
議論を交わす場が、ギルドマスターであるハリス・ラインの登場で静かになる。彼は糸目を僅かに開いて、騒ぎ立てる荒くれ者共を黙らせたのだ。魔力を秘めた眼光は、威圧の効果を与えるまでに到る。
「残念なお知らせです」と前置きする声は鈴を転がしたように澄んだ声だった。「フレイ王国の騎士団が到着するには一週間掛かるようです」
その報告に外部の冒険者達が騒ぎ立てる。この街の出身者は俯いて歯軋りした。
「だが、お前のことだ。良い知らせもあるんだろう?」
ホルンの守衛長であるガネルが蓄えた口髭を指で弄びながら言った。
「ええ、私の魔法神算の結果、今回の戦い、確実に勝利することができると分かりました。ただし、その結果に結びつくにはまだ何か足りないようです。残念ながらその足りないものが、私にも予測できません」
ハリスは特殊な魔法を会得している。それは無意識も含めた周囲のあらゆる情報を取り込んで、未来予測をする時魔法だ。魔法使いというだけでギルド内ではキャリア組であるが、その能力によりハリスは20代という若さで幹部クラスにまで上り詰めた。だが、何者かの陰謀によって今は左遷されて、辺境の地であるホルンのギルドマスターを務めている。
「厄介な話だ。襲撃まで後三日しか余裕はないのだろう?」
「焦っていても仕方ありません。今はできることをやりましょう。すぐに防壁の強化と、住民への避難勧告です」
ハリスは手早く指示を出していく。
「どう足掻いても人手不足は否めませんね」
ホルンの街に住む少年――リベルは幼馴染のエンカと共に、行き交う人々で賑わう街道をギルドへ向かって歩いていた。
「本当に行くの?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「そうだよ」
「でも……」
「もうオレは逃げたくない。それに大人にだって剣で勝てたんだ。力不足なんて言わせない」
鞘に納めた片刃の剣を背負うリベルは、とんがり帽子を目深にかぶるエンカの説得に耳を貸そうとしない。リベルは守衛長ガネルの一人息子であり、自分の能力に絶対の自信を持っていた。それに、今回の戦いはリベルにとってはやっと訪れた復讐のチャンスだった。
前回の襲撃の時、リベルとエンカは幼く剣すら握れなかった。リベルの家族は全員無事だったが、エンカの両親はオークに殺されてしまった。仕事で忙しいリベルの両親に代わり、エンカの両親はリベルを育ててくれた。
本当の両親よりも親と思えた大切な人の死に、リベルは復讐を誓った。
復讐に燃えるリベルに、隣を歩くエンカが捻じれた木の杖を抱きしめる。彼女は魔法使いの才能を持つ人間だった。とんがり帽子に黒いローブ、家では黒猫を飼っている。聖者サオが伝えた伝統ある魔術装束だ。
リベルはギルドの酒場に辿り着き、呼吸を整える。中に入れば絶対に父親が居てすぐに放り出そうとするだろう。
会議が静まるのを待って、リベルはギルドの酒場へ入った。
「人手が足りないなら、オレも手伝う!」
大声を上げて自分の存在をアピールする。これならすぐに放り出されても、ギルドの関係者がもしかしたら仕事をくれるかもしれない、という淡い希望と無い頭を捻って出した作戦だ。
声に反応して、すぐにガネルが近づいてきた。
「ガキは黙って、家で寝ていろ!」
腰を低くして構えようとする前に、襟首を掴まれて、ギルドの外へと放り出されてしまった。
「いってぇ! あの糞親父……オレの邪魔ばっかしやがって!」
皮の鎧についた砂を叩き落としながら立ち上がる。
ぱたぱたと足音を立ててエンカがやってくる。ハンカチを差し出してきた。
「だめ……だった?」
「ああ」
リベルは仏頂面でハンカチを受け取って、顔についた砂を払う。
「よかった」
「なんでだよ、エンカまでオレが役立たずだと思ってるのか」
不貞腐れるリベルに、エンカが首を横に振った。とんがり帽子をゆるく被りなおして顔を出す。幼顔には笑顔が咲いていた。
「だってリベルに傷ついてほしくないから」
「…………」
リベルはすぐに顔を逸らして、そっぽを向いた。
真っ直ぐに向けられるエンカの笑顔とその思いが気恥ずかしくてたまらなかった。
ホルンの街へと辿り着いたサオを待っていた最初の難関は風呂だった。
「サオさん、もうお風呂の準備できていますよ。極東人は確か一日に三回は湯船に漬かって百秒間にどれだけ詠唱をできるか修行をなさっているんですよね」
「いえ、あの……そんな文化は無かったと思います」
まあ、そうなんですの! と顔を赤くして謝罪するのは、ゼナック兄弟の幼馴染であるリル・アルガルシアだ。燃えるような赤髪と紅の瞳が美しい快活な女性だった。年齢はロッドとルアの間で18歳のようだが、余りの明るさに良い意味で幼く見えた。
「あたしったら、また極東文化を間違って覚えてたのね!」
喋る度に激しい身振り手振りを交えるので、茶色い服に包まれて豊満な胸が、その度にプルンプルンと揺れる。目に毒だった。本人はどうやらその巨乳が秘める威力に気付いていないらしく、帰宅したロッドとルアそれぞれに抱擁で出迎えた。ロッドは豪快に笑うだけだったが、ルアは顔を赤くして「た、たたただいま」と滅茶苦茶どもっていた。不憫である。
簡単な自己紹介をした後、サオにまで抱きついてきた。まさかの不意打ちにサオは、柔らかい感触を楽しむことができず、「僕は女、僕は女、僕は女」と昂ぶる精神を現代ではよくやっていたように落ち着けた。
そして今、森をずっとさまよっていたために、体が汚れていたのを目敏く気付かれてしまい、リルから即行で風呂場へと連行されてしまった。更には、
「さっきまで倉庫の整理してて埃まみれなんです、一緒に入ってもいいですよね? あっ、お風呂は無駄に広いですから大丈夫ですよ。一緒に背中洗いっこしましょう!」
リルはそう言っている間に、ぱぱっと脱衣していく。まとっているのは白いシンプルな下着だけだ。ゼナック家と同じくアルガルシア家も貧乏なのか、着ていた茶色の服は密着していて胸の形が丸分かりだったが、下着も下着でサイズが小さいのを無理に着ているようで、ブラジャーから胸が溢れ出しそうな勢いだった。
(僕は女だ! だから女に興奮したりしない! 百合なんてものもノーサンキュー!)
服を脱ごうとしないサオに、リルが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんですか?」
サオは固まって何も言えない。
(女の前で生着替えとかどんな羞恥プレイですかーっ!)
サオはどう言えば女の子と一緒にお風呂という天国を抜け出せるか考える。そして結論はすぐに出た。ゼナック兄弟には極東謝罪が奥義――土下座を披露することにしよう。下着姿を見てしまったリルには、極東謝罪が秘奥――腹切を要求されるかもしれないが、まあきっとなんとかなる。
「僕は男――」
「あっ、男物で脱ぎ方が分からないのね! 大丈夫! ロッドとルアが昔お風呂嫌いだった時に散々剥いてきましたからっ!」
「え、ちょ――」
リルの手がサオの衣服を剥いでいく。ハンターもびっくりの剥ぎ取り速度だ。老山龍の全剥ぎも夢じゃない。
制止の声を上げる間も無く、一矢まとわぬ姿にさせられていた。
「あら、すごく綺麗な肌ですね! 一体どんな手入れをすればこんなに木目細かい肌になれますの!」
あらわになった肌をリルの手指が触手のように這っていく。
「ひゃあんっ」
思わず女みたいな声が出てしまった。
(あれ、ちょっとまって……どうしてばれてないんだ?)
サオは自分の体を見下ろす。控え目ながら膨らんだ胸があった。どうやらまた女体化してしまったらしい。
(いつの間に……? だってついさっきまで、リルさんのわがままバディに反応していたような……)
人類の神秘ここに極まれり。
魔法文明時代において一番ファンタジーなのは、自分の肉体かもしれない。
(もしかして、何か条件があるのかな?)
オークに襲われたときと今で、何か共通点はあるだろうか? しいて言うのなら、リルにも襲われたという解釈もできるが、そんな暴発もいいところに思える。
「さあ、お風呂に入りましょう!」
下着を脱ぎ捨てたリルが手を引く。サオは反射的にリルの体から目を背ける。
「ふふっ、女の子同士なんですからそんなに恥ずかしがらずに、リラックス、リラックスですよ♪」
引き戸の先にある湯船が人生の最果ての地に思えた。
――僕の旅はここで終わるのかもしれない。
『そんな馬鹿げた結末があるものですか。三平紗緒には不幸がお似合いよ』
どこからか寂しさと諦観を混ぜ合わせたような声が聞こえた気がした。