3.魔法文明
この時代の根幹となっている魔法は、既存のファンタジー小説やメジャーなゲームで見たことがあるような――言ってしまえば独自性の無い平凡なものだった。だからこそ実用的なのかもしれないが、紗緒は何故か残念な気分が拭えない。
四方の精霊と呼ばれる大きな力を持つ精霊の加護を人々は生まれた時に受ける。誕生した月日によってイクリプト神から十二宮を決定され、それにより魔素の属性、魔法行使の際の詠唱鍵(呪文の始まりの言葉)と魔現色(魔法を行使する際にイメージする色)まで整えられる。
魔素というのは、簡単に言ってしまえばMPのようだものだ。すべての魔法は魔素を消費することで行使される。特殊な道具や時間の経過――空気中に溶け込んだエーテルを取り込む――でしか回復せず、また魔素の最大量は訓練をしても余り伸ばすことができない。完全なる先天的な才能なのだ。
そのため、魔法文明と謳われてはいるが、実際に魔法が使える人間は全人口の約二割程でしかない。加護を受ける際に、人々は魔法使いになれるかどうかも判断されるという訳だ。
魔素は生まれつき備わっているもので、遺伝子によって得意な属性が決まっている。それが魔素の属性である。基本的には四方の精霊の中から選ばれる。
火精霊。風精霊。水精霊。地精霊。
つまり魔法使いになれたところで、全属性を自在に操れるというわけではないのだ。もちろん規格外の人間は複数の属性を行使できたりもするが、それこそ奇跡の確率だ。
魔法使いは自分の中で眠る魔素を循環させ、その中から詠唱によって形を持った魔法を釣り上げるように、世界へと干渉する。熟練の魔法使いになると、魔素に流れを作り魔法ではなく魔素のまま世界へと引き出し、世界中に溢れる無色の力――エーテルを自分の魔現色で染めることで大規模な魔法を行使することができる。
この時代の人々は、そうやって魔法使いの支えと導きによる文明を築いてきたのだ。
――以上が、サオがルアから聞いた魔法についての基礎知識である。
水汲みから戻ってきたロッドと共にキャンプを片付けて、二人の故郷であるホルンの街へと移動を開始した。サオが迷い込んだ森は、鬱蒼としており道など存在しないと思われたが、実際はアングラ炭鉱とホルン村を繋ぐ道がきちんと整備されていた。
「本来はアングラ炭鉱までの道周辺にオークが出没していないかを調べるだけの仕事だったんですが、予想外に出遭ったのが昨夜のオークのみだったのです。ですから、アングラ炭鉱に辿り着くまで一匹も遭遇しなかったため、危険を覚悟で炭鉱の中へ入りました」
ルアの話をロッドが引き継いで、
「それで驚いたもんよ。炭鉱には一匹もオークの姿がないときた。どうやら奴ら、餌食になる人間や動物が近づいてこないのを知って、住処を変えたんだろうな」
「ギルドには良い報告ができそうで何よりですよ」
「しかし炭鉱のことを報告すりゃ、ギルドの連中は大喜びだろうよ」
喜ぶ二人の話に適度に相槌を打ちながら、サオはこれからの予定を考えていた。
一度は人の集落に行って情報収集は必要だろうし、そもそもお金も何も持っていない。寝ていたところを飛ばされてみたいだから、まとっている女モノの服だけが現代からの持ち物だっったが、その服ですらオークに切り裂かれて、まさに無一文で身一つだ。
そのことをゼナック兄弟にそれとなく相談すると、この時代では極東人とはそれだけでステータスらしく快く村へ歓迎してくれることが決まった。
問題はその後だ。ずっと村に厄介になって、平穏無事に未来ライフを送るのもいいのだが、極東列島を目指すという目的は、やはり諦められない。そのためには、旅の準備もだが、この世界で独りで生き抜ける力と知識が必要だ。
「何か妙に騒がしくないか?」
峡谷に達したところで、ロッドが眉を寄せて呟いた。
サオも耳につく声に気付いて、谷底を覗き込む。
「オークっ!」
谷底にはたくさんのオークがわらわらと蠢いていた。川縁に集まって、櫓のようなものを建てていた。
「あれは……戦前の宴ですね。まだ櫓を準備しているところを見るに、出陣の三日前です」
「だが、一体どこに戦争を吹っかけるってんだ?」
オークの群れの中に一際大きな王冠を被った巨体が、谷に開けた横穴の洞窟から姿を現す。
「――オークキングまで居るのですか」
ルアとロッドが息を呑んだ。
サオは禍々しいオークキングの姿に背筋に寒気を感じた。その巨体はオークの三倍以上もあり、大柄なロッドよりも一回り大きい。背中に巨大な出刃包丁に似た剣を二本下げている。
「炭鉱の一団でしょうね。だからもぬけの殻だったのです。それに攻めるのは恐らく――ホルンの街です」
「何故そう思うんですか?」
ルアは震えた声でサオの疑問に答えた。
「オークの宴は、戦争を始める三日前から始まります。単純な話です……ここから一日以内に徒歩で辿り着ける集落は、ホルンの街しかないということですよ。それに、以前、アングラ炭鉱の調査隊の護衛としてフレイ王国の騎士団が駐屯していました。その時に一度……オークの群れの襲撃があったのです」
ロッドが話の核心を目を見開いて口にした。
「あの時の報復戦だってことか」
そうです、とルアは頷いた。
ロッドがははっ、と乾いた笑いを漏らす。
「訂正だな。これを訊けば、ギルドの連中は顔を青ざめるだろうよ」
三人は谷底で盛り上がるオークに気付かれないように、吊り橋を素早く渡り切る。サオは現代日本人らしく一歩進むごとに軋む吊り橋に半泣きで渡った。
それに渡っている最中、耳がむずむずして仕方なかった。まるで中に小さな人間が入って語り掛けてくるようだった。
サオはゼナック兄弟の案内で、ホルンの街へと急ぐ。
途中で野犬――正確には魔物の一種でハウンドドッグという名前――に襲われるも、ロッドの斧に一撃に葬り去られた。その時に護身用として、小さなナイフを渡された。
(刃渡り15センチメートル越え……やったね、銃刀法違反だ!)
もちろんこの時代は、そんなまともな法律が作れるほど平和ではないだろう。
また、妙なことにハウンドドッグにも変態センサーが反応していた。オークとは違い、針で突かれるような痛みだった。
「サオさん、体力は大丈夫ですか?」
「問題ないです」
ホルンの街に危機を知らせるために、道中は常に駆け足だった。サオは女と思われているが男であるし、貧乏暮らしの様々な局面では体力がものを言うため、寧ろ余裕があるぐらいだった。
走り続けると、小さな石造りの家々が森の中に見えてきた。
「あそこがホルンの街です」
ホルン。フレイ王国から遠く離れた大大陸の辺境の地にある街だ。元々はアングラ炭鉱までの道を開拓するギルドの調査隊が駐屯地として築いた集落だった。アングラ炭鉱へは真っ直ぐに徒歩で行けば一時間程で着くことができる。月日の流れで、アングラ炭鉱への道が開通した後は、鉱夫たちが住むようになり、やがて隊商が行き来するようになり、ギルド支部が設立されたため、辺境の地でありながら大きく発展した。
そして、そこがサオにとって、初めての戦場となる場所だった。