プロローグ 三平紗緒
私の名前は三平紗緒。でも、今となってはその名を呼ぶ者は居ない。
正確には名前を呼ぶ者は居るけど、私がその名を名乗ることがなくなったからだ。
すべてを失う代わりに、私はすべてを手にした。
別に引き伸ばす必要も無いので何があったか説明しよう。
あれはそう遥か古、まだ私が魔法の「ま」の字も知らなかった時代――
*
三平紗緒は名前に少しコンプレックスを抱く平凡な男子高校生だ。
自分の成績に合った高校へと無難な進学をして、高校ではそこそこに立ち回り、大きな問題を起こさず生活していた。得意科目も苦手科目も特に無く、運動に秀でている訳でもない。正真正銘ミスターノーマルな青年だ。
だが特技はあった。それは女装だ。本人は「趣味じゃなくて特技!」と何度も強く主張しているが非常に怪しいものである。
彼が女装デビューした切っ掛けは些細なものだった。貧乏一家らしく着る服は姉弟のおさがり。そして彼には二歳年上の姉が居た。姉は小柄で紗緒はそれ以上に小柄だった。母は最初、寝間着のおさがりをするだけだったが、何をどう間違えたのか「今は男の子もスカートを穿くんでしょ? お母さんは知っているわ」と微妙に間違っていないけどあってもいない事実を武器に、服代を削りに掛かった。
確かにメンズスカートはあるし、彼には似合っただろう。いや、彼には似合いすぎたのが原因だった。
木目の細かい色白の肌はまさに女性が求めて止まない至高、二重瞼に円らな瞳、整った鼻梁と小動物を思わせる可愛らしい唇を添えて――更に男にしては長めの髪とアホ毛のワンポイント、そしてスカートをつければ、そこに居るのはまさしく女の子――いや、『男の娘』でしかなかった。
母はある意味偉大だった。
彼の記念すべき初の女装は、母から買い物を頼まれて、他の姉弟が居ないために、休日に外へと出る羽目になったことだ。最初は制服か体操着を着ればいいと考えたのだが、前者はタイミング悪くクリーニングに出されていたし、後者は既に洗濯してしまっていた。自前の服はとてもじゃないがぼろきれと言ってもいい。弟のは流石にサイズがきつい。姉はズボンを一切持って居ない。
父はそもそも見たこともなかった。つまり、三平家に紗緒の穿けるズボンは存在しなかったのだ。
彼は覚悟ではなく諦観した。もはやどうでもいい。これから穿かねばならないのなら、今すぐ穿いてやろうじゃないか! と実に男らしく女装を決意した。
姉のおさがりのスカートを身にまとい――いざ、買い物へ。
彼は見事買い物を成し遂げた。だが疑問は残った。
『何故僕だと誰も気付かない』
姉に協力を頼んで多少の化粧はしたし、声も変えてみたり、恥ずかしさから余所余所しい態度にはなっていたが、友人に街中で話し掛けられて会話しても気付いてもらえなかった。
『というか僕をナンパするってどういうことだよ? からかってたのか?』
友人に話し掛けられたときは本気でパニクった。ばれた。絶対に変な噂が流される。明日からの学生生活から平穏が消えるのを覚悟したぐらいだ。しかし友人は自分に気付いておらず、最後まで気付くことはなかった。
それでも信じきれず、休日明けの登校はびくびくしたものだが、蓋を開けてみれば何事も無かった。寧ろ友人に、『昨日ナンパしたんだけど、駄目だったぜ』と心底悲しげに報告されたぐらいだ。
彼はその日、自分の女装スキルの高さを知った。
そして彼は気付けば、学校のミスコンで謎の美少女Xとして優勝したり(優勝賞金に目が眩んで気付いたらエントリーしていた)、商店街にたまに現れる住所不明の美少女X(帰り道はダンボールを愛用する傭兵のごとくスニーキングをしていたので自宅が特定されなかった)として有名になったり、男の自分で知った情報を女装した自分で有効活用して女子に相談に乗ったり(女装のまま事件に巻き込まれてなりゆきで)――自重するにはしていたが、それ以上に彼は活躍してしまっていた。
数々の伝説を知らず知らずの内に残していく内に、彼は完全に覚醒した。
『もう両性類でいいや』
そして、それが彼の現世における最後の言葉だった。
彼の死因は、扇風機の風が直接体にあたるように設定したまま熟睡して、体温の低下――そして心臓機能の低下によりそのまま息を引き取った。悲しいかな、彼の家は貧乏で、扇風機にはタイマー設定どころか首振り機能すら無い年代物だったのだ。
にじファンがお亡くなりになったので、息抜きに書いてみました。
私の主な生息地がノクタンなので、ちょっとアレな描写の加減に気をつけていきたいと思います。
え、えろなんてないんだからねっ!