悪役令嬢だけが気づいていない
『とりあえず、助かった……!』
卒業パーティーの最中だった。
唐突に巻き起こった騒動と、その渦中にある高貴な方々――なかでも特に、悪役と呼ばれた一人の令嬢を遠巻きに見守る者たちの心の声はその一言に、だいたい一致していた。
*****
「アランシア・トゥール侯爵令嬢、出て来い!」
我らがレスティア王国の王太子であるフェビル第一王子が唐突に声を張り上げたのは、王立学園の卒業記念パーティーが始まってすぐのことだ。
金髪碧眼に、甘めの整った風貌、そして均整の取れた体躯。見た目だけなら立派で素敵な王太子殿下なのだが、この王子、残念ながら少々頭が緩い。
そして基本、偉そうである。
もっとも王太子であるので、事実、それなりに地位が高くはあるのだが。
「さっさと来い、アランシア!」
「はい、殿下。こちらに」
対して、名を呼ばれて進み出てきた令嬢は気品に溢れた美少女だ。
吊り目がちな眼元のせいか少しばかり冷たい印象を受けるが、静々と進み出た所作は美しく、口元には柔らかな微笑を浮かべている。まるで淑女の鑑のような彼女は、この国でも有数の魔法使いの系譜であるトゥール侯爵家のひとり娘である。
艶やかな漆黒の髪に金色の瞳と、力の強い魔法使い特有の色味を持つ彼女はけれど、魔法が使えない。保有魔力が多すぎるのが理由ではないかと言われているが、その魔力量の多さを見込まれて王太子の婚約者に望まれた。
念のため繰り返すが、望まれた、のだ。王家のほうから。
トゥール侯爵家としては、できれば辞退したかったらしい。
が、王家のゴリ押しには抗えず。
で、次代の当主を王家に取られてしまったトゥール家は、仕方なしに養子を迎えた。
優秀さを見込まれて親戚筋から迎えられたというその養子だが、見込み通り非常に優秀な魔法使いへと成長し、現在早くも国内外に名を馳せている。
ので、結果トゥール家の将来は安泰だろう。よかったよかった。
――という彼らの事情すべてが、国内貴族の間では周知の事実なのだが。
「ふん、来たかアランシア」
周囲の者たちは少々危惧していることがある。
それは王太子が、自身の婚約は王家からの申し出であることを理解していないのではないか、ということ。
「まったく。相変わらず忌々しい色だな、貴様の髪は」
また、黒髪が保有魔力の多さの証明であることを知らないのではないかということ。
「なんだ、今日はあのうるさい腰ぎんちゃくの義弟は一緒じゃないのか」
最後に、これが一番大事な点なのだが。
トゥール家の次代の当主となる予定の養子、つまりはアランシアの義弟であるオブシウス・トゥールが重度のシスコンであり、なんとも恐ろしいことに、現時点で既に独力で国を亡ぼせるだけの力を持つ大魔法使いである、ということ。
ほとんどの貴族たちにとっては周知の事実のはずのこれらを、本来ならば知らないでは済まされない立場のはずの王太子が、どうやら知らないのではないか。
「まあいい。今日、用があるのは貴様ひとりだけだからな」
王立学園で過ごす三年のうちに、うっすらとした危機感が教師や生徒たちの間では広がっていたのだが。
なんとなく、皆がイヤな予感を覚えた。
あ、これやっぱりダメな流れじゃない……? と。
楽しいはずの卒業記念パーティーの場だったのに。じわじわと青褪めていく参加者たちの内心など気づくことなく。
偉そうな王太子は、偉そうな口調で、とても偉そうに言い放った。
「よく聞け! アランシア・トゥール、本日をもって貴様との婚約を破棄する! そして、マルシエ・ヴァール男爵令嬢を新たな婚約者とする!」
頭の緩い王太子が、とうとう最後の一線を越えてしまった。
声にならない悲鳴が会場に満ちるなか、さすがのアランシアは淑女然とした態度を崩さず静かに佇んでいる。
「婚約破棄、ですか。それは……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか、殿下?」
「理由など、貴様が一番知っているはずだ! まず、その忌々しい髪色。気味の悪い黒髪の女など、次期王たる俺の隣に立つのに相応しくない。マルシエのような美しいピンクブロンドこそが俺の隣には映えるのだ!」
「髪の、色……」
アランシアの顔が微かに陰る。
「それに、魔法の使えぬ者が王妃になるなど言語道断! さらには貴様がマルシエに嫌がらせを繰り返していたこと、俺が知らないとでも思ったか? どうせ彼女が俺の寵愛を受けていることに嫉妬したんだろうが、性根まで腐っている。ふん、まさしく悪役令嬢だな。そんな女が王妃に相応しいわけがない!」
「嫉妬、でございますか……」
静かに、けれどどこか困惑したようにアランシアが呟く。
と、会場に不思議な声が響き渡った。
――お慕いしてもいないのに嫉妬などするわけがございません。とか言ってみたかったーッ!
「は……?」
偉そうにふんぞり返っていた王太子が、パチパチと目を瞬いた。
会場の生徒たちの間にもざわめきが起こる。
なんだ今の声は、と。
ただ、アランシアだけがまったく気づいていない様子で粛然と王太子と向かいあっている。
――こういうとき、物語だとそう言うのよね。だけどわたくしは……。
わんわんと反響する不思議な声が、悲しそうに言った。
――こんな殿下でも、お慕いしてしまっていたから……。
「ア、アランシア……?」
「なんでございましょう、殿下」
王太子には聞こえている。
生徒たちにもだ。
だがやはりアランシアには聞こえていないらしい。
――婚約、破棄なのね……。やっぱり殿下はマルシエ様をお選びになった。
「お、俺はマルシエを愛しているのだ! 真実の愛を見つけたのだ!」
「承知いたしました」
粛々と頷くアランシア。
が、声は違った。
――そんなに何度も言わなくてもわかってるわよーッ! なんなの? なんなの殿下は? わたくしのことを嫌っておられたのは知ってるけど、それでもひどくない⁈
「あ、いや、すまな……」
あの偉そうな王太子が謝りかけた。
が、続く声のほうが一拍早かった。
――だって、そもそもが浮気じゃない! わたくしという婚約者がいながら別の女性に色目を使ったんだから!
「なっ……! 浮気だと……⁈」
「……? 真実の愛を見つけられたとおっしゃったのでは……?」
「そ、そうだ! 俺とマルシエは真実の愛で結ばれているのだ!」
既に普通に会話してしまっている王太子はもちろんだが、皆も気がついた。
不思議に反響したようなこの声は、おそらくアランシアの心の声だ。
――だから、わかってるってば! 毎日毎日、食堂だの中庭だのでいちゃいちゃしてたのもずっと見ていたのだし。ああ、ほんとうにイヤだったわ。場所も弁えずに、みっともなくて。
「み、みっとも……」
王太子が口をパクパクとさせる。
――マルシエ嬢も、恥ずかしげもなく殿下にべったりで。場末の娼婦かと思うくらい、はしたないことを平気で……ああ、そうなのね。ようやくわかった気がするわ。あんな風にわたくしが振る舞えなかったからいけなかったのね。殿方は、結構な確率で心よりも身体が大事なのだと王妃様もおっしゃっていたし。
「…………」
会場のあちこちの男性に、非難が飛び火する。
心当たりのある男性たちは視線を彷徨わせ、その傍らにいる婚約者の女性たちは眼差しを鋭くした。
――殿下はやっぱり、マルシエ嬢のお胸が好きだったのかしら。よくあの大きなお胸に顔を埋めていらしたから。ええ、たしかに埋まり心地も、触り心地もよさそうですものね。
「うぐ……っ」
王太子の顔が真っ赤になる。
殿下は胸派か、と男どもは思った。
誰かが「俺は足派だけどな」と呟いて、隣の令嬢から思い切り爪先を踏みつけられた。
――そう、わたくしはあのお胸に負けたのね。それなら……ええ、仕方がないわよね。
心なしか、声がしょんぼりしている。
なんだか気の毒ではあるが、決してアランシアの胸元に目はやるまいと、男性陣は必死に顔を背けた。
なにせ、そろそろ皆が気づき始めていたからだ。
こんな風に心の声が聞こえるなんて、魔法が使われているに決まっている。となれば、誰がそれを行使しているかなんて自明の理で。
眠れる龍をくすぐるべからず。
皆、とばっちりを食いたくはない。
――そう、そうよね。仕方がないから、殿下のことはもう諦めましょう。さようなら、わたくしの初恋。
「あ、諦めるのか……? そんな簡単に……?」
「……? それはそうと、殿下。一点だけ申し上げたいことがございますわ」
相変わらず心の声に返答してしまっている王太子に一瞬だけ訝し気な顔をしたアランシアだが、すぐにきっぱりと言い切った。
「先ほどマルシエ・ヴァール男爵令嬢に対する嫌がらせを繰り返していたとおっしゃいましたが、それに関しては事実無根であると申し上げておきます」
「は? なんだと? この期に及んで白を切るつもりか⁈」
勢いを取り戻した王太子が目を吊り上げるが、アランシアは動じることなく首を振った。
「いいえ、わたくしは潔白であると申し上げているのです」
「可哀そうに、マルシエは何度も泣いていたのだぞ? 彼女が嘘を吐いているとでも言うつもりか⁈」
「それは存じませんけれど、どなたかと勘違いされているのでは?」
王太子が口を開くよりも先に、例の声が言った。
――殿下は何をおっしゃっているのかしら? 当たり前じゃない。わたくしには王家の影がついているのよ? 未来の王妃に相応しい振る舞いを逸脱した瞬間に罰を受けることになるのに、特定の誰かを貶めるようなことはしないわ。一度だけ『殿下のバカ』と呟いてしまったときには、ほんとうにひどい目にあったのだから。あんなのは、もう二度とごめんよ。
「え……バカ……? いや、そ、その罰、とは……?」
「あら、殿下もご存知でしたの? 王妃さまからの罰はとても厳しくて、城の裏庭を五十周に腕立て伏せと腹筋を各二百回ですわ。わたくしは、すべてを終えるのに一週間かかりました」
騎士や体力自慢の男性ならば楽勝かもしれないが、城の裏庭はおよそ十七ヘクタールほどある。重たいドレスを纏った令嬢には厳しい罰だろう。
腹筋や腕立て伏せも、同じく。得てして体力のない令嬢には過酷な罰だ。
なんなら、王太子にも無理じゃないか? とか誰かが呟いたけれど。
――そう思うと、騎士の皆さまはほんとうに素晴らしいわ。あんなに重たそうな甲冑を着込んでいても、楽々と裏庭を何周もしておられたのだもの。
アランシア嬢、他人の努力を認められる良い人である。
「ですから殿下、その嫌がらせを行った人物はわたくしではございませんので。もう一度マルシエ嬢にお確かめになって、きちんと犯人を見つけた上で処罰をお考えになるのがよろしいのではないでしょうか?」
「その必要はないと思いますよ、姉上」
不意に、男の声が割って入った。
どこからどう現れたのか、気づけばアランシアの隣にすらりと長身の青年が並んでいる。
途端に場が緊張に包まれた。
長く伸ばした亜麻色の髪を後ろで緩く結んでいるのがいかにも魔法使いらしく、事実、青年はその証であるミッドナイトブルーのマントを纏っている。
「あらオブシウス。お久しぶりね」
「昨日も一昨日も姉上にお会いできなくて、寂しさのあまり国境を爆破してしまおうかと思いましたよ」
「まあ、それは駄目よオブシウス」
「はい。姉上がそうおっしゃるなら、やめておきます」
うっとりとアランシアを見つめる彼こそがオブシウス・トゥール次期侯爵、国ひとつ亡ぼせるだけの実力を持つ大魔法使いである。
鋭利な瞳に、高い鼻梁。白磁のようになめらかな肌のせいか、どこか作りものめいた印象を与える端整な美貌の持ち主だ。
最もこの場に来て欲しくなかった男の降臨に緊張感が走るなか、人形じみた大魔法使いはけれど非常に人間らしく、皮肉な笑みを浮かべた。
「王妃教育とやらのせいで、姉上はずっと忙しくていらっしゃいましたからね。しかも最近は、誰かさんたちの政務の代行もさせられていたとか」
「まあオブシウス。それは内緒のはずだったのに、どうしてあなたが知っているの?」
「姉上のことなら、なんでも知っているのですよ。何度王城を爆破してしまおうと思ったことか」
「あらオブシウス、それもやめてちょうだいね」
「はい、姉上がそうおっしゃるなら」
アランシアの髪を一筋掬いあげ、オブシウスがそっと唇を落とす。
なんとも甘い雰囲気にうっかり誤魔化されそうになるが、今彼は、聞き捨てならないことを口にしていた。
政務の代行をしていた? 誰の?
――やっぱりオブシウスは優秀ね。殿下の分だけじゃなくて、王妃様の政務も代行していたことまで知っているなんて。わたくしの義弟がしっかりしていて、姉として鼻が高いわ。
「そう、ぼくは優秀な大魔法使いですからね。ところで姉上は、マルシエ・ヴァール男爵令嬢がしていたネックレスをご存知で?」
さらりとアランシアの心の声に返事をしたオブシウスが、唐突に話を変える。
聞いてはならなかったはずの秘密を聞かされてしまった聴衆が若干狼狽しているが、そんなことはおかまいなしだ。
「え? ええ、知っているけれど」
きょとんと瞬きつつもアランシアが肯く。
――もちろん知っているわ。だってマルシエ嬢から自慢されたもの。殿下に買っていただいたんですって。
「金細工の髪飾りは?」
「それも知っているわ」
――もちろんよーく憶えているわよ。散々自慢されたのだもの。髪飾りも、ネックレスも、ブローチも。あれもこれも殿下に買っていただいたんですって。それにドレスだって、何着も。王家御用達のサロンで作っていただいたのだとか。わたくしなんて、婚約してから一度も贈り物をいただいたことなどなかったのに。初めから嫌われていたから仕方がないのだけど……。
またしてもしょんぼりしてしまった心の声に、オブシウスが慰めるようにアランシアの背を撫でる。
それに気づいているのかいないのか、王太子が呟いた。
「は? 自慢? マルシエが、アランシアに?」
「姉上は、殿下から何か贈られましたか?」
答えはわかっているはずなのに、オブシウスがわざわざ訊ねた。
「いいえ、何も」
「一度も?」
「ええ。婚約してから、一度もよ」
心の声そのままの沈んだ声音でアランシアが答える。
「誕生日にも?」
「カードは頂戴しているわ。代筆だけれど」
「ですよね」
「そうよ。わざわざ確かめなくても、オブシウスだって知っているじゃない」
「すみません、姉上。ですが大事なことですので」
そして、オブシウスはおもむろに王太子へと向き直った。
「ところで、殿下。この場にマルシエ・ヴァール男爵令嬢がおられないことには、お気づきで?」
「あ? あ、ああ。先ほど部屋へ迎えに行ったら先に出たと言われたのだが」
そういえば、と呟いたのは誰だったか。
渦中の人物のひとりのはずが、思えばあの特徴的なピンク髪の令嬢の姿を誰も見ていない。
こういう場合、普通は婚約破棄を言い渡す王太子の腕にひっついている可憐な令嬢がいるはずなのだが。
「マルシエ嬢は、先に城に向かわれていますよ。もっとも自主的にではなく、騎士に連行されて、ですがね」
「は? なんだと? 連行?」
ぽかんと間抜けに口を開けた王太子に、オブシウスが飄々と告げる。
「容疑は贓物罪です。盗品等関与罪と言ったらわかりやすいですかね。殿下、あなたからの」
「え? 盗品? なんで? 俺からの……?」
「ネックレスに髪飾りにブローチに、あと何着ものドレスですか。総額いくらになるでしょうね。すべて出所は、婚約者への贈答品予算からです」
「あ」
王太子の口が丸く開く。
聴衆たちの口も、「あ」と丸く開いた。
「ところで殿下、公的に殿下の婚約者とは誰のことでしょうね? ああ、先ほど婚約破棄をされたのでしたか。では、元、ですね。元婚約者ですよ、殿下の。まさかお忘れとは思いませんが、それはアランシア・トゥール侯爵令嬢だったのでは?」
「あ、う、そ、それは……」
「ね、おわかりでしょう? 不正利用ですね、国庫の。ですから殿下は背任罪になりますね。で、受け取ったほうは贓物罪です」
「あ、いや、それはちが……」
「いませんよ。予算を使用した証拠、物品を購入した証拠、それらを贈呈した証拠、すべて揃っていますからね」
「うぐ……」
淡々と追い詰めるオブシウスに、言葉を詰まらせる王太子。
「そ、それは知らな――」
「かったから、では済みませんからね。殿下は王族なんですから。未来の国の最高権力者が『知らなかったから』で罪を犯してたら洒落になりませんよ。わかりますよね? 腐っても王太子なんですから、今はまだ、ですが」
「く、腐っても……? え? 今はまだ? まだ、ってなんだ……?」
まったく容赦のない口撃にそろそろ王太子が気の毒にも思えてきたところで、オブシウスがパチンと指を鳴らした。
と、王太子の背後に壮年の男女が姿を現した。
強制的に転移させられてきたのか、それとも最初からそこにいたが姿を隠されていたのか。いずれにしても、大魔法使いにしてみたら容易いことだろう。
ただ、そんな風に扱って良い人物なのかどうかは疑問が残るのだが……。
なにせ項垂れて頭を抱えているのは国王で、気まずそうな表情で顔を背けているのは王妃。
現在の、この国の最高権力者たちである。
「ということです、両陛下。アランシア・トゥール侯爵令嬢との婚約は、殿下の有責で破棄するということでよろしいですよね?」
「…………きょ、許可する」
むぐぐと歯ぎしりをしながらも、絞り出すように国王が答える。
「では慰謝料の相談は、また後ほど。ああ、そうそう。証拠の類は書面で既に法務大臣へ提出済みですので。まあ、こんな場で発表してしまったのですから、今さら握り潰そうとはなさらないでしょうけどね」
「ぐぅぅ……」
「それと、我が家という後ろ盾を失った以上、殿下がこのまま王太子でいられる道はありませんからね。トゥール家は第二王子殿下を推しますよ。側妃様は隣国の王家の血を引いておられる方だし、血筋的にもね。素質的にも、第二王子殿下のほうが国王には向いておられる。優秀ですからね。理解されてなかったのは両陛下だけじゃないですか?」
不敬ギリギリ――というよりも完全に不敬な発言だが、それが許されるのが大魔法使いの特権だ。
「だから言ったじゃないですか、殿下の教師陣を見直したほうがいいですよ、って。あいつら忖度するばかりで、ちゃんと躾――いや失礼、教育しようとしてたのなんて礼法担当の夫人だけでしたからね。おかげでこんなアホの子になっちゃって」
「うぐぐぐぐ……」
頭を抱える国王に気づいているのかいないのか。王太子が憤慨した様子で割り込んでくる。
「おい、オブシウス・トゥール! 貴様、不敬だぞ! さっきから意味のわからないことばかり言いやがって、しまいにはアホだと? 貴様、王太子である俺に――」
「いやだから、殿下はもう王太子じゃなくなるって話をしてんですよ」
「はぁ? なんで貴様にそんなこと――」
「ぼくくらいしか言えないから? ですかね? 皆思ってることは同じですけど、口に出したら不敬罪とかになりますからね」
「なんだと? 貴様だけは罪に――」
「問います? 陛下、問いませんよね? というか、問えませんよね。こんなつまらないことで不敬罪なんてね」
「む、ぐぅ……」
一向に最後まで喋らせてもらえない王太子と、もはや呻き声しか出せない国王と。
「そろそろうるさいんで、ちょっと黙っててくださいね殿下。これから陛下と大事なお話があるのでね」
「む⁈ むぐぐぐぐ……っ!」
オブシウスがパチンと指を鳴らすと、どこからか飛んできた縄によって王太子がぐるぐる巻きになる。ついでに猿轡まで嚙まされているが、それでも決して不敬罪には問えないのだ。オブシウス・トゥールというこの大魔法使いだけは。
「さて、陛下。聡明な陛下ならもうおわかりだと思いますけどね、ぼくの欲しい物。これにね、ちゃちゃっとサインしてもらいたいんですよ」
「婚……おい、これはさすがに順番が」
「あ、大丈夫です。義父には了解を得てますんで。本人は、まあ、まだ知りませんけど。イヤとは言わせませんから、問題ありませんよ」
紙とペンを急かすように押しつけられて、渋々受け取った国王がちらりとアランシアを見やった。
「あー、その、な。アランシア嬢は構わないのだな? なんというか、これは婚姻届けなのだが」
「はい……?」
国王から向けられる眼差しに何がしかの懇願の色を読み取ったアランシアだが、残念ながら何を望まれているのかわからない。
曖昧に首を傾げて、同時に心の声も疑問符を浮かべる。
――構わない、とはどういうことなのかしら? 婚姻届のこと? どなたとどなたの?
「姉上、ぼくとの婚姻届ですよ」
またしても心の声にさらっと答えているオブシウスだが、アランシアに気づく様子はない。
驚いたように目を見開いた。
「まあオブシウス、あなた結婚するの? わたくし聞いていなかったわよ?」
「ええ、今決まりましたので」
「あらそうなの。おめでとう」
朗らかに微笑んだアランシアだったが、心の声は戸惑いに揺れていた。
――あの可愛かったオブシウスが、とうとう結婚するのですって。いつの間にか大人になったのねえ。おめでたい…… あら? おめでたいことよね? それなのに、なにかしら。今ちょっと胸がチクッとした気がするけれど。
穏やかな微笑に隠して揺れるその心は、決して義弟の成長への戸惑いだけではなさそうで。
その瞬間だ。
広間を突風が吹き抜けた。
「うわっ!」「きゃあっ!」
魔力の風に煽られて、そこここから悲鳴が上がる。
犯人は言わずもがな。オブシウスである。
「まあ、どうしたのオブシウス。あなたらしくもない」
「失礼しました、姉上。少々歓喜の気持ちが溢れてしまいました。お怪我はありませんね?」
大切な宝物を扱う手つきで姉の無事を確かめる稀代の魔法使いの眼差しは、まさしく蜜を含んだようで。
「あなたの魔法がわたくしを傷つけるはずがないじゃない」
「姉上はぼくを信じてくださってるのですね」
「当然でしょう。だってオブシウスだもの」
「愛してます、姉上」
「ええ。わたくしもよ、オブシウス」
どうして正面からあの眼を見つめていながら、アランシア本人だけ気づかないのか。
というか、そろそろそちらだけで勝手に話をまとめて欲しい。
思いがけず相思相愛になりかかっているらしい姉弟の甘ったるいやり取りを、これ以上見せつけられたくない聴衆たちの間に共通する願いが生まれた頃。
ようやく諦めた様子で国王が書類に署名を済ませた。
「はあ……わかったもういい、さっさと受け取れ」
「あは、ありがとうございます陛下!」
美しく、そして凶悪な大魔法使いの顔に満面の笑みが浮かぶ。
非常に満足そうな笑みが。
「子育てと恋愛の失敗に関してはともかく、ぼく、あなたの考える政策についてはちゃんと評価してるんで。これからもこの国には存続してもらいたいと思ってますよ。姉上のためにもね」
「……そうか、それは頼もしい限りだな、大魔法使い殿」
半ばやけくそ気味に応じて、国王は婚姻届けと引き換えに王太子に巻かれた縄の端を受け取った。
なんともシュールな光景ではあるが、それについて言及する者はいない。
「城へ戻るぞ、愚息め。それから王妃よ。政務の代行とは、どういうことか。惚れた弱みで甘やかしてきたワシにも責任はあるが、今度ばかりはきっちり処分せねばならん。追って正式に沙汰をくだす」
じろりと睨まれて、最初から最後まで無言を貫いていた王妃がさらに深く顔を背ける。
「それから前途ある若者たちの晴れの場を身内の愚行により混乱させたこと、ひとりの父として、この場で詫びよう。後ほど秘蔵の蜂蜜酒を届けさせる。存分に飲み明かし、ここでの騒ぎは一日限りの夢だったことにしてくれ」
元王太子はアレだったが、現国王は思ったよりもまともだった。
ほんのり威厳を取り戻した王に、一同が首を垂れる。
「アランシア嬢、そなたにも長らく迷惑をかけた。これからは大魔法使い殿を頼むぞ。そなたにしか務まらない役目だ。くれぐれも、くれぐれも! しっかり頼むぞ!」
「え、ええ……かしこまりました……?」
絶対にわかっていなさそうだが、さすがは淑女の鑑と言われるだけある。心の声を聞かれていなければ終始平静な態度に見えるアランシアは、やはり平静な態度のまま優雅に首肯した。
ただし、聞こえてくる心の声は大混乱であった。
――ええ? どういうこと? しっかり頼むって、何を?
「大丈夫ですよ、姉上はそのままで。目移りも逃亡も、ぼくが許しませんからね」
声音は甘く、それでいてどこか危険な香りも漂わせて。
ぞっと肌が粟立ちそうな声で囁いたオブシウスがアランシアの腰を抱き寄せた。
「じゃ、そういうことで後は皆さんご自由に。ぼくらは先に帰らせてもらいますんで。姉上、帰ったらすぐ婚姻の準備に取り掛かりますよ」
「え? ええ、わかったわ」
――ところで、お嫁さんになるのはどなたなのかしら?
「それはもちろん姉上です」
「え? わたくしが、何?」
「花嫁ですね。ぼくの隣に並ぶのは姉上しかおりませんから。式は盛大にやりましょうね。星廻りの良い日の大神殿を既に押さえてありますから、ご安心ください」
「まあ、それは素敵ね。大神殿は窓から差し込む陽射しがとても綺麗だもの」
――それはいいのだけど、わたくしがオブシウスの隣に? 式の日に? 花嫁は?
「では、帰りましょう姉上。さ、早くふたりきりになれるところに行きましょうね」
「待ってオブシウス。わたくしまだご挨拶が」
「待てません、姉上。帰ったら大事な話がありますので、ご覚悟を」
「え? 大事な、え? あら?」
――どうして皆さん拍手を?
相変わらず混乱中のアランシアの心の声を残し、ふたりの姿がポンと消える。
――そういえば、わたくし殿下から婚約を破棄されたのよね。ということは、もう淑女を装わなくてもいいのかしら? あら? だけど婚約を破棄されるなんて不名誉なことよね? それなのに、皆さんのこちらを見る目が生温かかった気がするの、何故かしら……?
はじめに手を叩いたのが誰かはわからないけれど、不思議に反響していたアランシアの心の声の余韻がすっかり消えるまで、会場には拍手の波が続いていた。
別に感動したわけじゃないのだけれど。
どちらかと言えば、自分たちへの賞賛の意味が強かったかもしれない。
先ほどから強いられていた緊張から解放されて、おそらく誰もが同じことを思っていた。
『とりあえず、助かった……!』
卒業パーティーの最中だった。
唐突に巻き起こった騒動と、その渦中にある高貴な方々――なかでも特に、悪役と呼ばれた一人の令嬢を遠巻きに見守る者たちの心の声はその一言に、だいたい一致していたのだった。
その後、簀巻きのまま持ち帰られた元王太子と政務をサボりまくっていた王妃がどうなったのか。
後日、王室からの公式発表で国中に知られることになった。離宮への幽閉、と。
ー Fin. ー




