魔王復活の噂
「ああ!うまい!」
俺は酒をあおると、錫のカップをドンとテーブルに置いた。
仕事上がりの一杯のうまさは東京の居酒屋でもカサベラの居酒屋でも等しく最高だ。
壁面の棚の上に古い角笛が飾られている。
銀細工が施されていて、そこだけは今でも常に磨かれてピカピカだ。
これがこの酒場、輝く角笛亭の由来だ。
輝く角笛亭は良い店だ。
俺はカサベラの町で一番だと思っている。
酒も食事もうまい。
給仕たちもいい奴らだ。
俺たちのチームの行きつけだ。
主はホブゴブリンのガレス。
ホブゴブリンってのは、強いし賢いから、居酒屋の主みたいな揉め事の多い仕事をやっている奴が多い。
店の奥に闇賭場を開いているダンガーが子分たちと飲んでるが、奴もホブゴブリンだ。
これまた面倒な仕事だ。
強くて賢いんだ。
ホブゴブリンは。
ゴブリンは貧弱で愚かと言われている。
確かに体は小さいし、腕力はたいしたことない。
決して頭が悪いわけではないし、どちらかと言うとずる賢い奴が多い。
うちのエミィもかなり抜け目ない奴だ。
しかし、学問などはあまりやらないらしい。
少なくともゴブリンの学者なんて聞いたことない。
魔法使いもいるかもしれないが、俺は聞いたことがない。
識字率もかなり低いらしい。
しかし、ホブゴブリンは賢く、強い。
ホブゴブリンはゴブリンの上位種と言われるが、別に本人達にとっても差別でもなんでもないようだ。
エミィもホブゴブリン族を自分達の上位種と平気で語っている。
もっとも、ホブゴブリンに言わせるとゴブリン族の宗家はゴブリン族であくまで自分達はゴブリンの亜種だそうだ。
ホブゴブリンは、大概の種族と比べても優秀と言って良い。
とにかく頭がいい。
だからホブゴブリンの魔法使いはかなりの使い手が多い。
その上、怪力で俊敏で運動神経が良い。
ホブゴブリンの戦士もかなり強者が多い。
少なくともガレスの店でいちゃもんをつけようと思う奴はいない。
ガレスが怒るといかに恐ろしいかわかっているからだ。
羽目を外して店に迷惑をかけようとする奴もいない。
悪気なく泥酔しただけの客は店からつまみ出されるだけだ。
店の給仕に絡んだりすると多少怖い目に合う。
それ以上は恐ろしくて考えたくない。
輝く角笛亭に入ると正面、店の中央に古い炉があり、大鍋が掛けられている。
炉の向こうの壁にも暖炉や窯があり、その間の大きなテーブルで調理人が調理をしている。
客席はその両側に配されている。
寒い時期は暖かい炉に近い席から埋まっていく。
まだ秋口だから俺達は炉から離れたテーブルを占めていた。
そこは店の右奥で、俺の座っているテーブルの向こう側では主のガレスが酒を注いでいる。
飲食について転生してからホッとしたことが三つある。
一つは衛生面だ。
俺は転生前、ファンタジーの世界が好きだったから、中世ヨーロッパの世界にも憧れていた。
とは言え、住んでみたいとは思わなかった。
それは主に衛生面の問題からだ。
多分、生水をそのまま飲むだろうし、手もきちんと洗っていたかも怪しい…というイメージだった。
特に食事では、手づかみで食べるだとか、庶民はテーブルに直接食べ物を盛って食べていたとか、やや潔癖なところのあった俺にはありえない世界だ。
しかし、この世界はまんま中世ヨーロッパだが(いや、俺もきちんと勉強していたわけではないから多少は違うのかもしれない。)、意外と衛生的だ。
もちろん現代日本の前世とは比べるべくもないが、調理人は仕事前に手は洗うし、熱による殺菌消毒の知識も多少あるようだ。
カトラリーもある。
少なくとも手づかみではない。
この世界がそうなれたのはもしかしたら宗教の違いかもしれない。
普通に食器類もある。
金属製、陶器製、木製とあって、形状こそやや不揃いだが、違和感を感じないほどにきちんとした皿だ。
転生前に本で読んだ古いパンを皿にする(トレンチャーと言うんだが)というのもあるが思っていたほど不衛生なものではなかった。
本当に古くなったパンを使用することもあるが、トレンチャーとして使うことを前提に固く焼いたパンであることもある。
最後に食べることもできるから、屋台などで出されることが多い。
(ゴミ箱不要のテイクアウト用食器、前世でもあれば良かったのに。)
二つ目は食事だ。
中世ヨーロッパに多少興味があったって、当時どんなものが食べられたか?とかどんな調理法だったか?までは知らなかった。
なんとなく、野菜はほとんど食べないで、肉をざっくり焼いただけ、あとはパン、以上!
みたいなのを想像していた。
が、意外と手の込んだおいしい食事にありつける世界だ。
本当の中世ヨーロッパがどうだったかは知らないけれど。
酢豚にパイナップルが入ってるのが苦手な人は絶対無理かもしれない。
こちらの料理は基本、魚肉に果物をあわせるパターンが多い。
砂糖はあるが高級品だから果物の甘みを使うんだろうか?
こっちの料理に慣れれば、単純に魚肉に果物が合うから、と思えるんだが。
あと、ペイストリって言うんだが、わかりやすく言えばパイ料理が多い。
今、俺が頬張っているのもペイストリ料理だ。水気がなくなるくらい煮込んだシチューを生地で包んで焼いてある。
シチューパイって奴だ。
うまい。
普通に転生前の世界でこれが食べられたらヘビロテしてたな。
強いて言えば、気の利いた調味料やだしの素、粉末スープなんてものがないから、味はややシンプル、素朴になる。
少なくとも自炊するとなかなかおいしいものが作れない。
俺はほとんどここで食べているから問題ないが。
野菜、特に生野菜はあまり食べない。
というより食べる機会がなかなかない。
冷蔵庫もなければトラックもない世界だ。
傷みやすい葉野菜なんかはなかなか生で食べられない。
高級品なんだな。
それでも玉葱なんかはどこでも作られるらしく、よく食べる。
あと根菜も煮込み料理などにはよく入っているから、栄養が極端に偏るようなことはない。
但し、意識して食べれば、だけどな。
こっちの人は明らかに肉と小麦ばかり食べすぎだ。
もしかしたら果物をあわせるのもその辺が理由なのかもしれない。
三つ目は酒だ。
中世ヨーロッパそのままの世界だが、酒は転生前の世界に負けないうまい酒がある。
特に蒸留酒の存在は嬉しかった。
転生前、ウイスキーが大好きだった俺にとって、大麦の蒸留酒があったことはありがたかった。
しかもうまい。
しかもうまい。
大事なことだから二度言った。
俺が転生して生まれたカレドニア地方は特に大麦の蒸留酒がうまいんだが、残念なことにカサベラの町では遠いカレドニアの酒は高い。
そもそもこの辺ではあまり大麦の蒸留酒は飲まれない。
この辺で酒を飲むとしたらほとんどワインかエールだ。
ミード(蜂蜜酒)もたまに見かける。
どれも嫌いではないがウイスキーが飲みたい。
しかし、ガレスは珍しくこの地域で作られる大麦の蒸留酒を仕入れている。
俺が輝く角笛亭一択なのはそのおかげだ。
「そう言えば。妙な噂がある。」
ガレスはおかわりの蒸留酒を注いでコップを俺の前に置いた。
「噂?なんだ?」
「魔王が復活したらしい。」
俺はガレスが何を言ったか理解するのに時間がかかった。
酔っているのか?
冗談だろ?
「おいおい。魔王って。もう滅ぼされたんだろ?半世紀も前に!」
「落ち着けよダンカン。だから噂だって。」
ガレスは水を入れたコップも置いた。
頭を冷やせってか。
「いや。そんな途方もない噂をあんたが言うなんてな。」
「途方もない…か。確かにな。酒場ってのはいろんな奴が来て、いろんな話をする。大半はほら話だ。明日の朝には忘れてしまえば良い。だけどな、たまにそんな噂話の中に誰も知らない真実があることだってあるんだぜ。」
「でも、魔王復活はなぁ!ほら話にしても笑えないしな。」
この世界の歴史は、ほぼエルフやヒト、ドワーフ達と魔王軍による覇権争いの歴史だ。
神話の時代から、魔王が現れて軍勢を率いて世界を侵略し、町や国を滅ぼしていき、やがてエルフやヒト達が立ち上がって魔王軍を追い返す。
この繰り返しだ。
魔王を撃退しても、また軍勢を再興し、侵略してくるのだ。
初代魔王は悪に堕ちた神とされるメルコルだ。
魔王との戦いは暗黒大戦と呼ばれるんだが、第二次暗黒大戦は悪神メルコルと他の神々が自ら戦い、メルコルは神々に捕らえられて幕を閉じた。
神々が自ら戦ったんだ。
この世界は甚大な被害を受けた。
神々の上に立つ創造神はこの被害を悲しみ、捕らえられたメルコルと他の神々を連れて神界に帰り、神界とこの世界の繋がりを断った。
以来、この世界に神々が直接干渉することができなくなったとされている。
この後も魔王は軍を興し、侵略してきている。
メルコルは捕らえられて神界に幽閉されたとされているからこの魔王の正体は不明だ。
その都度、エルフ、ヒト、ドワーフ、ノームの連合軍によって追い返されているが魔王は不滅だ。
魔王が倒されることはなかった。
しかし、今から四十五年前、第五次暗黒大戦で先王が遂に魔王を滅ぼした。
魔王軍との戦いの歴史に終止符が打たれた。
ようやく平和な時代がおとずれたのだ。
魔王の復活など悪夢だ。
冗談じゃない。
誰だ?そんな噂を流しているのは。
「そうだな。魔王が復活しようものなら、ずいぶん騒がしいことになるな。」
ガレスがニヤリとした。
俺はハッとした。
ガレスは笑っているが、自分の言ったことを理解しているのか?
今でこそ、こうやって俺はホブゴブリンが注ぐ酒を仲間のオークやゴブリンと一緒に飲んでいるが、昔では考えられないようなことだった。
代々の魔王軍の主力はゴブリン、オーク、トロールだ。
エルフやヒトは魔王軍に加わってきたこれらの種族を『闇の種族』と呼んできた。
対してエルフ、ヒトの側にはドワーフ、ノームなどがついた。
想像つくだろうがこっちは『光の種族』と言う訳だ。
かつては激しく殺しあってきた種族同士だ。
先王は魔王を滅ぼし、戦に勝つと魔王軍にいた諸種族と同盟を結んだ。
勝った側が負けた側に同盟を求めたんだ。
当時は多くの人が王が狂ったと思ったらしい。
エルフなどは裏切り者と呼び、王に宣戦布告をしようとしたらしい。
しかし、何と言っても史上初めて魔王を滅ぼした英雄王だ。
王が命じれば多くの者が従った。
王は元魔王軍の諸種族の主だった族長を歴訪し、話し合い、同盟を結んだ。
自国民には『闇の種族』という言葉を禁じ、魔王軍にいた者たちを傷つけることを禁じた。
そして頑固なエルフはともかく、ヒト、ドワーフ、ノーム、オーク、ゴブリン達が互いに何の隔たりもなく仲良く暮らせる世の中になった。
もっとも、カサベラのような町は珍しく、王国の中心部にはオークやゴブリンの人口が極端に少なく、俺達のようにはいかないようだ。
とは言え、各種族が互いに平和に行き来できるようになったのだ。
戦争で荒廃した世界が急激に平和と豊かさを取り戻したのは、王のこの治世によるものだ。
しかし、十五年前に先王が崩御し、跡を継いだ弟の現王は、かつて『闇の種族』と呼ばれた魔王軍に属していた諸種族が大嫌いだ。
現王の治世では、徐々にオークやゴブリン達への嫌がらせが始まった。
王国の国土は元来、王家の領地、王の家臣たる貴族の領地、地主の所有地で占められ、その他に土地を所有するものがいない筈だったが、戦争中に魔王軍に占領された地方ではオークやゴブリンが所有する土地が生まれた。
魔王が滅ぼされた時、先王はこれらの土地の一部を引き続きオークやゴブリンが所有することを許した。
しかし、現王の治世になってオークやゴブリンの所有する土地が、突然、不法な土地の所有とみなされ王国に接収されることが度々起こった。
オークやゴブリンの多い地域に不当な増税が課されることもあった。
罪のないオークやゴブリンが、でっち上げで衛兵に拘束されることもあった。
オークやゴブリン達の間で不満が溜まりつつある。
もし今、魔王が復活したら…
この町のオークやゴブリン達は王国に反乱を起こすのではないか?
町でこれまで一緒に暮らしていたもの同士が殺し合いを始めるのではないか?
魔王復活は本当に洒落にならないんだ。
ガレスの顔を見直した時、ガレスは別の客に酒を注いでいた。
何もなかったかのように穏やかに笑っている。
本当に冗談だったのか?
俺は腑に落ちないまま、酒を呷った。
この世界の食事やお酒の話は作者自身の趣味が大きく反映しております。
自分の好きなことになるとつい冗長になる…
そんな、人間の性には逆らえませんでした…




