新たな旅立ち
馬車が郊外の農園地帯に出た頃には辺りは真っ暗になっていた。
小川に架かる石橋の上でノルデル伯は馬車を止めさせた。
「皆、悪いがここで川に飛び降りてくれないか?」
川底を走って逃げろってことだ。
そういや漫画か小説で読んだことがあるな。
川底を移動して匂いや足音を残さず逃げるって奴。
ソニアが真っ先に川に飛び降りた。
欄干に足をかけもしない。
それだけでも何らかの痕跡が残るかもしれないからな。
さすが、暗殺者だ。
それにソニアが率先して飛び降りたのはノルデル伯への気遣いだろう。
なんせお姫様だからな、ノルデル伯がお姫様にそんなことをさせるのに遠慮するのを封じたわけだ。
ソニアはそんなことを自然にできる奴だ。
いい奴だよな。
続いてエミィが飛び降りた。
次に俺が飛び降りる。
バシャッと大きな音がして盛大に水しぶきが上がった。
あれ?
なんで俺だけ?
しかし、その後に続いたンダギ、ブロウも同様だった。
要は隠密行動の訓練を受けているソニアやエミィがすごいだけって話さ。
フレッド、ノルデル伯が飛び降りると馬車が走り去った。
「我々がいなくなった分、轍が浅くなるからな、いずれはバレるだろうが、それでも暫くは時間が稼げるだろう。」
ノルデル伯は馬車を見送りながら言った。
「あの人は?」
ノルデル伯の最後の部下はどうなるんだろう?
「あの男は優秀だ。適当なところで馬車を捨てて身を隠すだろう。郊外にも私の力が及ぶ拠点はある。」
「私達はこの後どうするの?」
「王都に戻るんだよ。ソニア。」
「王都に?」
ソニアが驚く。
「そうだよ。奴らも王都に戻るとは思うまい。逆に見つかりにくくなるだろう。」
「でも、王都に戻って隠れる場所はあるの?伯父様。」
「まだ王都には他に私の手の者はいる。だから一先ずは隠れることはできる。」
「でも…」
「大丈夫、一度、王都に戻るが、すぐに王都を出る。」
俺達は川底を北に向かって走っていた。
バシャバシャうるさいが、周りは畑や牧場が広がり、この時間に農作業をしている者もいない。
誰にも知られまい。
川底は石がゴロゴロして走りにくい。
ソニアとエミィの二人は身軽に走り続けるが、俺にはキツかった。
痩身のフレッドは比較的ましなようだが、あとの者は俺と同様に苦労しているようだ。
ブロウが足を滑らせて転倒し、毒づく。
ただでさえ、あの馬鹿げたくらいでかい剣を背負っているからな、大変だろう。
俺は杖があるだけマシだ。
杖をこんな使い方しているのを見られたらバーン師には怒られるだろうな。
かなり走ったように思ったが、とにかく足元が悪くて満足に走れなかったから、どれくらい移動したかはわからないが、次の橋が見えてきた。
「あそこで岸に上がろう。」
ノルデル伯が橋を指さす。
川岸の土手を上がると道に出た。
「この道は西門と北門の間で王都に入る。この道で王都に戻ろう。」
この中ではノルデル伯が一番王都周辺の地理に知悉している。
俺達は深夜に王都に戻った。
恐らく誰にも見られてはいまい。
「君たちは一度、宿に戻りなさい。そして明朝、普通に支払いを済ませて出てくると良い。怪しまれないようにな。」
ノルデル伯の言う通りだ。
この後、王都では俺達の捜索が始められるだろうが、何も言わず姿を消した宿泊客がいれば、宿の主が真っ先に申し出るだろう。
偽名を使ってはいるが、何か足が付くかもしれない。
そうだ。
俺はそこが一番不安なんだ。
ここ一連の出来事で俺は立派なお尋ね者だ。
もし正体が知れたら…
故郷のマカリスター家に迷惑をかけたくはない。
下手をすればマカリスター家全員が処刑されかねない。
そんかことだけはごめんだ。
ここまでも目立ってしまってはいる。
先ずはこの前の盗賊退治だ。
懸賞金を貰っているからな。
土地の領主から懸賞金を貰ったのはフレッドだ。
偽名も使ったそうだ。
あの時点ではソニアの正体はわかっていなかったが、きな臭さをフレッドは感じていたからな。
それにオークやゴブリンが仲間にいることもはっきりとは言わなかったらしい。
とは言え、地元の住民にンダガの埋葬を頼んでいる。
王都周辺でオークやゴブリン連れはあまりいないからな。
捜索の手が届かないとは限らない。
考えれば考えるほど心配だが、とにかくやれるだけバレないようにふるまうしかないだろう。
「明日…と言っても、もう日付を跨いでいるかもしれないな。正午に北門へ来てくれ。」
ノルデル伯はそう言い残して立ち去った。
もう一人も部下はいない。
街路を一人歩いていくその背を見送り、俺達も反対方向へ歩き出した。
王都の北西にあたるこの辺りは宿からかなり遠い。
宿の主に怪しまれないように、朝が来るまで戻りたい。
疲れてはいるが、ゆっくりはできなかった。
翌朝、俺達は支払いを済ませて宿を出た。
宿の主は俺達が明け方に帰ってきたことは気付いているだろうが、何も言わなかった。
まぁ、王都で宿屋をやっていれば色々な客もいるだろうしな。
珍しくないのかもしれない。
特に俺達のような傭兵の客であれば、王都で夜の仕事をしていることもあるしな。
俺達は宿を出ると一度解散した。
ンダギ、ブロウは防具のメンテナンスをしたいと言って、職人を宿で紹介してもらっていた。
ソニアも二人に同行した。
明るい間の王都にさほど危険はないだろうが、念の為にソニアは彼らと一緒にいる方が良いだろう。
護衛としては申し分ないからな。
それに王都でオークやゴブリンは目立つ。
二人とも深くフードを被っているが、その容姿で目を引くソニアが一緒ならそちらに目が行くから目立たないだろう。
ソニアもさほど目立つ格好はしていないのだが、なんだか、どこかの令嬢に隠者の従者が二人ついているように見える。
エミィも実は同行しているが、不思議なくらい目立たない。
同じくフードを深くかぶっているから一見はゴブリンとは見えないしな。
フレッドは前に馬車を返しに行った商人の館へ行くという。
俺にはなんとなく理由がわかった。
恐らくアンナへ手紙を送るのだろう。
この世界では逓信制度は整備されていない。
手紙を送るなんてのは一般的ではないが、あの商人はカルテンブールと王都を行き来しており、ニコラの知人だ。
頼めば、アンナの元へ届くよう手紙を託すことができるんだろう。
俺は厩舎へ行って、自分の馬を受け取った。
事前に多めの金を渡しておいたからな、扱いが良かったのは明白だ。
毛ツヤもよく、状態に問題なしだ。
安心した。
長年、共にしてきた愛馬だからな。
馬は俺を見るとやたら甘えてきた。
暫く会っていないからな。
俺は詫びにたっぷりと鼻面をなでてやった。
馬に跨り、北門に行くと皆揃っていた。
ノルデル伯は新たに馬車を調達しており、皆、それに乗っていた。
俺は伯の奨めに従い、馬を馬車に繋げ、馬車に乗り込んだ。
北門からの街道はウェスタリア地方の北岸、北回廊海に面した港町に続いている。
まだ、行先を明確に話し合ってはいないが、ノルデル伯としては当然ソニアをヴァラキア地方へ帰したいと思っているはずだ。
ヴァラキア地方へ行くには回廊海を渡らなくてはならない。
俺達としては本来戻りたいカサベラとは反対方向だ。
他の皆はどう思っているんだろう?
俺はフレッド、エミィ、ンダギ、ブロウを見回したが、その表情からは何も読み取れない。
「皆…」
「ダンカン、ちょっといいかね?」
俺が皆に話しかけようとしたところで、ノルデル伯の手が俺の肩に置かれた。
「何か?ノルデル伯?」
「これを渡しておこうと思ってな。」
ノルデル伯から押し付けられるように渡されたのは布袋だ。
中には銀貨が入っていた。
二十枚、いや三十枚は入っていそうだ。
なかなかの大金だ。
「君達がソニアから受けた依頼は私のもとまで護衛して連れてくることだったそうだな?報酬に私から莫大な金が支払われると…」
ノルデル伯は少し微笑しながらソニアを見た。
ソニアは目をそらしている。
わかりやすいな。
「君達は依頼をしっかりこなしてくれた。しかし知っての通り私は本拠地を襲われ、今はそんな大金を持ってはいない。」
銀貨三十枚貰えばそれなりの報酬だが、確かにここまでの旅費を入れると十分とは言えない。
少なくとも莫大な報酬とは言えない。
「そこで提案なのだが、契約を更新させてほしい。」
「契約を更新?」
「そうだ。ソニア護衛の契約を更新して、行先も私のもとではなく、ヴァラキアまでにしてほしいのだ。正確に言えばヴァラキアのブラドまで。そしてその金は言わば前金だ。これまでも十分にやってくれている。それくらいは一度受け取らねば、君達も納得できないだろう?」
「もしヴァラキアまでソニアを無事送り届ければ?」
「その時はヴァラキアの者達、恐らく魔王殿からそれこそ莫大な礼金が支払われるだろう。その点は保証する。」
「ノルデル伯、あなたは?」
「無論、一緒に行くのだ。とは言え、私も多少は剣の嗜みはある。何かあればソニアの安全を第一にしてほしい。だから契約の内容はソニアの護衛のままだ。」
俺は片手を口元にやり考え込んでしまった。
こいつは転生前から変わらない考え事をする時にやってしまう俺の癖の一つだ。
どうしたものか?
確かにこれだけの目にあって銀貨三十枚でカサベラに戻るとすると赤字とは言わないが、割に合わない。
とは言え、ヴァラキアまでソニア達を無事送るというのは、これまたひと苦労だ。
フィリップが企んでいるオーク、ゴブリン追放令が正式に発布されることを考えれば、少しでも早くカサベラに戻りたい。
一方で俺達はお尋ね者だ。
俺達が帰れば、逆に迷惑をかけかねない。
それどころか捕らえられでもしたら…
ダメだ。
こいつは俺一人では決められない。
俺は改めて仲間達を見回した。
そう。
俺はこの世界に転生して、苦楽を共にし、信頼できる仲間がいる。
転生前の俺なら、全て自分で背負い込んでしまっていただろう。
でも、今は違う。
フレッドは頷いた。
こいつは少し意外だ。
フレッドはまずはカルテンブールに帰りたいと言い出しそうなものだが…
ンダギ、ブロウ、エミィも頷いた。
ンダギ、ブロウはソニアのことが大好きだ。
それに心優しい彼らはここで契約を打ち切って、ソニアを危険なまま放り出して帰るようなことはできない。
エミィはクールな男だ。
しかし、彼の判断は契約の更新に賛成らしい。
もしかしたらこの三人はヴァラキアに興味があるのかもしれないな。
彼らの種族の大半はヴァラキア地方が起源だ。
皆が賛成するなら、俺に反対するつもりはない。
「ノルデル伯、そのお話、お受けしましょう。無事、ソニアをヴァラキアまで護衛して見せます。」
「ありがとう。君達なら安心して任せられる。」
ノルデル伯が右手を差し出した。
俺はその手を取った。
俺達が握手するその向こうでソニアは大喜びでンダギ、ブロウに抱き着いていた。
ソニアと目が合った。
俺は一瞬ドキリとした。
同じように彼女に抱き着かれでもしたら…
俺は…
しかし、ソニアはそうせず、妙にはにかんだ笑顔を向けてきた。
俺は赤面していないだろうか?
そうソニアとずっと一緒にいて、慣れてしまったが、改めて彼女を見つめるとその可愛らしさを思い知らされる。
照れるんだ。
俺はできるだけ平静を装って頷くとそっぽ向いた。
馬車に繋がれた俺の愛馬がそちらにいた。
俺は愛馬を見た。
愛馬とも目が合った。
なんだよ?
お前、俺の心が読めるのか?
俺は手を思いっきり伸ばして愛馬の首に手をかけてやった。
「あ!そうだ!」
「どうしたの?」
「ソニア、ひとつだけ教えてくれ。」
「何を?」
「魔王の正体さ。」
「魔王様の?」
「ああ、歴史では初代魔王メルコルは第三次暗黒大戦で神々に捕らえられたか、滅ぼされたとされている。そして、その後に現れる魔王の正体はどこにも書かれていない。誰なんだ?会ったことあるんだろ?」
ソニアの反応は不思議だった。
一瞬、はにかんだような、喜んでいるような微笑から少し怒ったような顔になった。
そして、すぐに不思議な微笑になった。
なんだろう?
おもしろがっているのか?
そして微笑を浮かべたまま答えた。
「秘密よ。」
「秘密?」
「ええ。そうよ。」
「知っているんだろ?」
「ええ。そうよ。」
「教えてくれよ!」
「だから、秘密。ブラドに着けば、あなたも魔王様にお会いできるわ。そうすればわかるでしょ?」
「先に教えてくれたっていいじゃないか?」
「歴史好きのあなたはさぞかし知りたいことでしょうね?だったら楽しみは最後にとっておいた方がいいじゃない。」
「教えてくれないのか?」
「ええ。そうよ。」
ソニアの『ええ。そうよ。』は本当に頭にくる。
どうやら、こいつは聞き出せそうにない。
俺はため息をついた。
ソニアが笑った。
こうして俺達は再び旅に出た。
長い旅だ。




