再会②
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完全に陽が沈んでからも暫く横になっていたがずっと起きていた。その間、瞬きするのも忘れてクリスの寝顔に見入っていたんだから我ながら小っ恥ずかしい話だ。
午後七時を過ぎた頃になって、そろそろ行くか、とクリスを起こした。
クリスは寝起きが悪い。
人間なら低血圧ってのも分かるが、吸血鬼でなんでそんなことになるのか良く分からんが、とにかく起きてからも10分はぼうっとして使い物にならない。
それを待つ間に俺は荷造りを整え、念のために簡単な武装をした。
駿河の奴はあれで手打ちにすると言っていたが、その約束を頭から信じるほど俺は目出度くなかった。
嘘も騙しもなんでもありだ。
良く知らぬ他人をいきなり信用するのが間抜けなだけだ。特に俺たちのような存在にとっちゃ法律もなにもあったもんじゃないからな。
もっとも、駿河が約束を反故にする可能性はそれほど高くないと踏んでいた。
流れ者の俺たちは放っておけば出て行く。わざわざ双方に被害が出る真似をする意味がない。
だから、俺が普段は鞄にしまったままの銃を持ち、銀製ナイフ数本をジャケットの内側に忍ばせたのは万一の用心だ。袖口に鉄串を隠しているのはいつものことだ。
銃は前にアメリカにいたとき警官から奪ったベレッタだ。
ただし、銃弾は銀にしてあった。
ナイフも銃弾も、金を掛けてでも銀にしてあったのはそれが対吸血鬼に効果があるからだ。
アレルギーみたいなもんだろうとは思うが、俺たちは銀製品に素肌が触れるとその部分の組織がダメージを喰らう。どの程度のダメージになるかは日光と同じで個人差があるが、普通の鉄や鉛で傷つけた傷よりも遙かに再生が遅くなるのは共通している。
俺だって素手で触るのはまずいから、それらを扱うときは手袋をすることにしていた。
言うならば諸刃の剣だ。
それらは飽くまでも対吸血鬼用。
他の化け物にどの程度利くかは定かじゃない。何度か経験した吸血鬼同士の争いが、俺にそういう装備を用意することを教え込んだ。滅多にあることじゃないから、普段は荷物に突っ込んだままなわけだがな。
「あいつらと戦うの?」
俺が装備品の点検を終えた頃になってやっとクリスは頭がはっきりしたようだった。
「襲われたときの用心だ。おまえも用意だけはしとけ」
「うん」
素直に頷いたクリスは、しかしすぐに出掛けの準備を始めるじゃなく目覚めのシャワーを浴びに行った。
まったく、そういうところは全然吸血鬼らしくない。
結局、チェックアウトしたのは午後八時近くになった頃だ。
部屋のキーをカウンターに返し、会計を済ませる。金は払わなかった。請求書を見て、そのまま、
「それじゃこれで」
と軽く一睨みしてやると、相手はさも金を受け取ったような顔をし、「またのご利用をお待ちしております」と営業スマイルすら浮かべてくれた。
あのホテルマンが踏み倒されたことに気が付くことは生涯ない。
一晩ぐらい、会計が合わぬことに頭を抱えたかもしれないが。
俺たちの荷物は互いにトランク一つ。僅かな着替えと必需品のみが入っている。流れ流れての生活に余計なものを持ち歩く余裕はない。ゲームなんかだとマジックバックとかその手の便利アイテムが存在するんだがな。現実は甘くない。まあ、慣れりゃ荷物が少なくても不便を感じないもんだ。
クリスは頻繁に衣類や装飾品を買うが、俺は大抵は擦り切れて着れなくなるまで同じものを身につけている。
その晩、女物の服屋に寄ったのはクリスが新しい服が欲しいと言ったからだ。
どうにも分からんのだが、どうして女というのは服装をころころ変えたがるのか。しかも、時には俺にまで衣服の変更を要求する始末だ。
俺たちにとって暑さも寒さもさして苦にならない。零下30度までなら体験したことがあるが別段寒いとも思わなかった。
しかし余り無頓着に過ぎるのも確かに問題だ。
季節外れの服装をしていると違和感があり人の注目を集めることになる。
真夏にロングコートやオーバーなんて姿は、吸血鬼としての雰囲気を出すための舞台装置としては機能するかもしれないが、実際にそんな奴がいたら誰だって眼を向ける。
それはファッションにも言える。
時勢に合わせてないとな。
21世紀にあって着物に二本差しで歩くわけにもいかん。
人間社会においてそれとなく暮らして行くには多少は周囲と合わせる必要もあるが、まだ擦り切れていないシャツを捨てる理由にはならん。
それなのに、クリスは時々いい加減に違う服にしろとせっつき、俺が面倒がると着替え全部を焼き捨てちまう。そこまでされると俺としても新しい服を買わざるを得ないわけだ。
クリスの奴が捨てた俺の服、金に換算するといくらになることか。
まあ、労働して得た金でもねえからどうでもいいと言えばいいわけだが、とにかく女ってのは着る物や装飾品に五月蠅くていかん。
しかも、たかが着るものを選ぶのに時間をかけやがる。
女物の店に入るのが嫌だった俺はクリスの買い物が終わるまで店の周辺を散歩することにした。
一人で日本の街を歩いていると昔を思い出す。
俺は日本生まれで、18までをこの国で過ごし、19の誕生日を国外で迎えた。
当時はまだ海外旅行なんてものが気軽にできる状況じゃなかった。知人のツテで海を渡り、そこで死んで人外として蘇った。
それから2年ほどで一度祖国の土を踏んだが、そこで俺を待っていたのは嫁ぐ寸前の想い人と、自分がもはや人ではあり得ぬ別種の化け物であるという現実だった。
女を攫って逃げたいとどれだけ願ったか。
女もそれを望んでいた。良縁を捨ててまで、人でさえ無くなってしまった俺に付いて来てくれようとした。
だから、俺は姿を消すことを選んだ。
俺は狂うことができた。
血に狂い、人外として人を狩って生きる道を選ぶことができた。だが、彼女にその道を選ばせることはできなかった。
気の優しい、けれど芯の強い女だった。
俺が人間だった頃から、身分も家柄もとても釣り合う相手じゃなかった。それでも俺を選んでくれた。そして人で無くなった後ですら俺を捨てなかった。
それで、十分だった。
彼女の人生を闇に落とす資格など俺にはなかった。俺を選んでくれた。その事実さえあれば、俺は満足だった。
あの後、決められていた相手の元に嫁いだらしいが、俺は二度と会わなかった。
一度戻った祖国から離れ、世界を渡り歩き、途中でクリスを拾った。