2 再会①
2 再会
その日は朝からずっと部屋で寝ていた。
吸血鬼の習性だ。日中は怠い。ドアノブには『起こさないでくだい』の札をかけたままにしてあった。
ホテル側にも予め昼は起こすなと言っておいた。
ホラー映画なら吸血鬼の寝床は棺桶かもしれないが、俺は普通にベッドで眠る。
部屋のカーテンは閉め切るがな。
ホテルではダブルではなくツインで取るのが常だ。当然、ガキとは言えクリスが女だからだ。俺は一応気を遣ってそうやっているのに、眠っていて気が付くとクリスが俺のベッドに潜り込んでやがる。
何度注意してもやめない。
俺もいい加減慣れたが、それでも目覚めの一撃に若い女の半裸があるのは心臓に悪いもんだ。……もちろん、比喩表現だ。人間のように脈打つ心臓は持ち合わせていない。
クリスを仲間にした当初は、肉体の変化もあり精神的にも不安定だから俺と一緒にいたいんだろうと思っていた。俺も昔は不安定な時期があったからな。
いや、人間から吸血鬼になって戸惑わない奴はいないだろう。見た目はともかく、中身はがらっと変わるわけだからな。
吸血鬼になると五感すべてがまるで別物になる。
俺は完全に慣れるまで結構な時間がかかった。
なにより、一番厄介なのは狩りだ。
元人間だからな。ついこの前まで同種だった人間を獲物と認識できるようになるにはそれなりの時間が必要だ。そして、自分の空腹を癒すために自分の手で人を殺せるようになるまでは更に時間が要る。
慣れることがいいことかどうかはともかく、そうならなければ自分だけで生活して行けない。
そういう意味で、俺はクリスの独り立ちを疎外していたと言える。
俺が決めたいくつかのルールの一つに、クリスに殺しをさせないってのがある。
吸血鬼としちゃ、そこは一番肝要なことなのに、だ。
だから、クリスは殺しができる実力はあっても直接手を下したことはない。俺が狩った獲物の血を吸っていたのだから結局は同罪だが、俺は俺がいる間はクリスに殺しをさせたくなかった。まったく、我ながら矛盾した馬鹿馬鹿しい行動だったと言わざるを得ない。
そのとき、俺は日没を本能的に感じながら、まだ起きる気配のないクリスの寝顔を眺めて考えた。
一体、俺はいつまで存在し得るのだろう。
いつまで、この褐色肌の少女の側にいてやることができるのだろう。
クリスは、彼女は自分を人外の化け物にしてしまった俺を恨んではいないのだろうか。そのことについて、恨み言は一度として聞いたことはなかった。彼女がどう感じているのかを俺の方から聞いたこともなかった。
俺自身は最初の頃は俺を吸血鬼にしたあいつを恨みもした。
瀕死の重傷から救って貰ったのに、良くもこんな化け物にしてくれたものだと散々に罵倒した。
そんな俺の態度が哀しかったのか、あいつはいつも寂しげに微笑んでいた。
俺が一人で狩りができるようになっても同じだった。結局、あいつは俺を仲間に引き込んだことをずっと後悔していたんじゃないだろうか。
死にかけていた俺に温情をかけておきながら、そのことを哀しんでもいたんだろう。
クリスを見ていると、俺はあのときのあいつの気持ちが少しだけ分かる気がした。
人は誰しも寿命を迎えて死ぬものだ。いや、普通の生物ならそれが当たり前だ。クリスも或いは幸薄い生涯をあの療養所で迎えていた方が良かったのかもしれない。
神なんてものを信じたことはないが、その存在を感じたことはある。
その神に言わせれば、人の道を踏み外してまで長い時間存在するよりも、短くとも人として生涯を終える方が罪は軽かったのかもしれない。
だが、クリスは余りにも哀れだった。
俺と出会ったとき、クリスは親にも見放されて療養所で囚人のような生活を送っていた。
肺を病み、先が長くないと言われていたが、偏見と差別が堂々とまかり通っていた時代だ。クリスの父親は資産家であったから金に任せて肌の色の違うクリスを厄介払いとでも言うように療養所に入れ、療養所側でもクリスを蔑視していた。そして、クリスの父親はその状況を知っていながら見て見ぬふりをしていた。
形だけ娘のために尽力した、ということで実際にはクリスにさっさと死んで欲しいと思っていたんだろう。
クリスはそんな父親を恨んでいないという。それは憎くないのとは意味が違う。クリスは恨むほどに父親と接していなかった。
クリスの父親は使用人に手を出してクリスを産ませた。
肌の色で偏見がある時代、自分の子と認めただけまだマシだったのかもしれないが、最低限の養育費のみを出して偽善者ぶり、会おうともしなかった。そして、クリスが肺を病んだと聞いて即座に監獄にも似た療養所へ入れた。
「あなた、死神?」
初めて出会った晩、クリスは俺にそう尋ねて来た。
騒ぐでも怯えるでもなく、死相の浮き出た顔を俺に向けて。
「似たようなものだ」
俺は素っ気なく答えた。
病の少女は気の毒ではあったが俺にとっては獲物でしかない。しかも不味そうな獲物だ。
「まだ生きたいか?」
俺の質問に、病床で痩せ細ったクリスは「生きたい」と言った。
俺はそれが普通の意味での生ではないこと、煌めく太陽とは別れねばならないこと、吸血鬼について数夜に渡って聞かせた。
どうして彼女を仲間にしようと思ったのか分からない。なんとなく、だ。
独り立ちした後で、誰でもいいから仲間が欲しかったのかもしれない。それも俺が上位に立てる仲間を。
クリスを仲間に引き込んだ後、俺は俺があいつから教わった通りのことをクリスに教えた。
ただし、決して一人で狩りはさせなかった。
やり方を説明し、実践して見せ、俺が狩った獲物の血を分けただけだ。
追憶に耽っていた俺の眼に、クリスの喉が映った。
それまでにも何度かその喉に牙を立て、クリスの血を啜った。吸血鬼同士でも吸血行為は可能だ。ただし、生者のそれほど温かみも旨味もないし、相手のエネルギーを奪うことになる。
それでも、俺は時々クリスの血を吸った。
クリスは嫌がらなかった。むしろ、喜んで吸わせてくれた。クリスは俺の下僕ではなく同格の仲間となったのだから、俺に血を提供する義務はない。俺も、クリスの血を好んで飲む必要はないんだが、時々無性に飲みたくなるときがある。
どういう衝動だか、今なら分かるが俺はそれを頑なに認めようとはしなかった。
人外の化け物になったくせに、妙なところで人間としての倫理が残っていたのかもしれない。