邂逅⑤
20人全員をぶちのめすのに五分ほどかかったのは、俺からは極力手を出さないようにしていたからだ。
できれば、穏便に済ませようと何度となく呼び掛けたが、言葉を理解する能力もないのか連中は全員が痛い目に遭うまでやめなかった。ある意味凄い。
途中から、おかしいなとは思っていたさ。
最初こそ俺への敵意を剥き出してた奴らが、次第に怯えて行くのが分かった。
それでもかかって来るから馬鹿かと思ったんだが、もう一つの可能性があった。
連中は怯えていたんだ。俺をじゃない。後ろにいるなにかを、だ。
俺に対してケジメをつけたいと思う気持ちは分かる。ああいう手合いは舐められるのを嫌うもんだからな。だから最初は連中もそのことに拘っていた。それが、勝てそうもないと分かったとき、連中の脳裏には別の考えが浮かんだわけだ。
その正体を知ったのは衣服の乱れを直したときだ。
車が二台やって来て、俺たちにヘッドライトを浴びせて停まった。
その瞬間、俺はまずったことを悟った。
車の後部ドアが開く前から、俺は奴の正体に気が付いていた。相手もそうだろう。
クリスは分からなかったようだ。まあ、そういうこともある。必ず分かるってもんでもない。
降りて来たのは若いダークスーツの女と、それと対照的に白いスーツの男だった。
奇妙だったのは、白いスーツの男だ。顔立ちは若いのに、髪は真っ白だ。
女の方はセミロングで、手に刀を持ってやがったが、俺の注意は専ら男に向けられた。
「うちの連中にちょっかい出す物知らずがいると聞いて来たが、成る程、これじゃうちの奴らじゃ手に負えないな」
白スーツがにやりと笑った。その口許に一瞬異常発達した犬歯が覗いたのを俺は見逃さなかった。
細面のなかなかの美男子だ。女の方も悪くない。美男美女の取り合わせだ。
もう一台の方からも男が二人降りて来た。どっちもラフな格好だが、いやまったくあのときは驚いたね。
「一応確認して置こう。私のことを知っていて喧嘩を売ったのか、それとも知らなかったのか?」
白スーツが不敵に笑った。
圧倒的有利な立場に自分がいることを承知している笑いだった。
「知らなかったと言えば信じるか?」
「そうか知らなかったか。なら仕方ない。私は駿河ヤジルだ。この辺りを取り仕切っている。表も裏も。君がさっき居たクラブも私のものだ」
「条ノ進だ」
「条ノ進とはまた、古風な名だ。見掛け通りの年齢ではないな」
探るような眼。
「おまえに言われたくねえな。一体、何人仲間がいるんだ?」
駿河、それに二人の男。この三人は吸血鬼だった。人間社会に溶け込んで生活してる連中もいるのは分かっていたが、思わぬところで会ったもんだ。
「それは関係ないだろう。問題は、余所者が私の土地で好き勝手やったことだ。この始末はどうつける?」
駿河は倒れている手下どもを蔑んだ眼で見やった。
仲間、というか自分の手下であっても尊重はしていないらしかった。駿河は、手下を道具としか見ていない。
冷め切った眼だった。
「どうして欲しい?」
俺は挑発的に聞いた。
知らなかったこととは言え、俺は駿河の縄張りを荒らした。ごめんで済むとは思っていなかった。
なら、腹を括るしかない。
同類たる吸血鬼と出くわしたことも奇妙な偶然だったが、もう一つ奇異なのは女の存在だった。長い黒髪のダークスーツの女は、吸血鬼たちと行動を共にしているくせに紛れもなく人間だった。
「あまり金は持っていそうにないな」
駿河は俺を値踏みした。
「流れ者なんでね、それほど金は必要じゃない」
野宿も慣れてるし、人間どもをちょいと一睨みすれば宿を得ることも訳はない。
現金が必要なときも、能力を使えばどうとでもなる。だから俺もクリスも、普段はそれほど現金を持ち歩いていなかった。
「里桜」
駿河が女を振り向いた。
「どうしたらいい?」
「そうね」
里桜と呼ばれた女は一瞬考える素振りをし、俺に一歩近づいたかと思ったら抜いて来やがった。
鋭い居合いだ。
俺が完全に躱せずに左の二の腕を半ばまで断たれたのは、ぼうっとしていたクリスを庇ったせいだ。
クリスも気をつけてりゃ躱せるはずなんだが、どうも実戦慣れしていないから気を抜く。
「へえ」
抜いたままの刀を下げて、里桜は驚いた顔をした。
「胴体真っ二つにする気だったんだけどね」
「されそうだったから逃げたのさ」
もちろん、俺はそれぐらいじゃ死滅しない。里桜もそれぐらい分かっていてやったんだろう。ただ、痛みを与えるために。
俺の左腕から血が滴ったのも一瞬のことで、すぐに傷は癒えた。栄養状態はまずまずだったからな。飢えに見舞われてるときだったら、そんな簡単に治りはしなかったろう。
さっき俺にやられて倒れていた奴らの何人かはそれを見て息を飲み、「駿河さんと同じだ」と怯えた眼を俺に向けた。
それでやっと分かった。
馬鹿どもが俺に勝てないと理解した後も無謀に挑み続けたのは、後ろに駿河がいたからだ。舐めた真似をした余所者に勝てず、ケジメを取れずに逃がせば駿河に叱責されるかそれ以上の罰を受けることになっていたのだろう。だから、必死だったんだ。
里桜が俺を睨み、俺も彼女を睨んだ。
良い女だが、物騒な女だった。
ぱんぱん、と手を叩く音に俺も里桜も視線をお互いから外し、手を叩いている駿河を見た。
「里桜の居合いを仲間を庇いつつも躱すとは、大したものだ。どうやら、君とやり合うとこちらもただでは済まないらしい。そして、馬鹿でもないようだ。もし本気で私に喧嘩を売るなら、もっと別の、確実な方法を選ぶだろうな、君なら」
「まあな」
俺は他の二人の吸血鬼にも視線を走らせた。
そいつらが駿河の下僕なのは察しが付いていた。そして、そいつらだけなら勝てるだろうとも思った。
問題は駿河と里桜だ。
一人一人ならなんとかする自信はあったが、二人同時はきつい。しかも、俺にはクリスというお荷物もあった。
「いいだろう。今夜のことは不幸な事故として水に流そう」
「ヤジル」
駿河の提案に里桜が非難の眼を奴に向けた。
「そう怒るな、里桜。おまえが一番分かってるだろう。彼とやり合ってはこちらも痛手を被る。馬鹿どもに関しても相当手加減してくれたようだ。無理に争うのは双方にとって損害こそあれ利はない」
「同感だな」
俺は治ったばかりの腕の調子を確かめながら頷いた。
「だが、見逃すのは一度きりだ。次になにかあれば、敵と見なす」
それまで僅かとは言え笑みさえ浮かべていた駿河が氷の眼差しで俺を射貫いた。
俺の背筋をぞくっとさせるだけの鋭さだ。駿河が何年ものの吸血鬼か知らないが、吸血鬼同士の戦闘にも慣れていると判断した。
「OK、そうしてくれるとこちらも助かる」
それは本心だった。
俺は奴をできればやり合いたくない相手、と認識したんだ。
「では手打ちだ。今後、うちの者には手を出さないでくれ。こちらも君には手を出さない。そして、この近辺で食事はするな。人間どもと話はつけてあるが、面倒を起こされると俺にまで火の粉が飛んで来る」
「分かった」
俺の返事に頷いて、奴らは来たときと同じように車に乗り込んでさっさとその場を後にした。
残っていた連中もぼちぼちと退散を始め、俺もクリスを伴ってその場を離れた。