邂逅④
暴力は趣味じゃねえ。
「ま、一杯奢るからよ。そうかっかっしなさんな」
「うるせい。放しやがれ!」
俺がびくともしないもんだから、ついにそいつは切れて大声で喚いた。
仕方なく手を放してやったんだが、間の抜けたことにそいつは勢い余って勝手に尻餅をつき、俺を睨み上げた。
放せと言うから放してやったのに、そんな眼をされるのは酷く心外な話だ。
周囲から失笑が漏れていた。
男の無様を見てのことだ。
「おい、大丈夫か」
手を貸してやろうとしたんだが、男は「うるせい」と俺の手を弾き、ショートカットの娘を捕まえていた仲間に合図を送った。
「俺らにこんな真似して、無事で済むと思うなよ」
陳腐を額に納めて展覧会に提出したような捨て台詞を吐いて行くのを、俺は肩を竦めて見ていた。
「ありがと」
振り返ればショートカットの娘が俺を見ていた。その後ろで白いブラウスの娘が驚いた顔をしていたが、すぐに思い出したように丁寧に頭を下げる。
「お嬢ちゃんたちは高校生か?」
「……まあ、ね」
言いにくそうに答えた。
こんな違法クラブでも、あんまり実年齢を明かしたくなかったんだろう。
「さっさと帰りな。こういう場所に興味を持つなとか説教する気はないが、今日無事に済んだのは単に運が良かっただけだ。次は男どもに捕まって輪姦されるかもしれない。火遊びはほどほどにしときな」
ショートカットの娘はそれで話が通じたが、白いブラウスの娘はきょとんとしていた。
マワされる、という状況が分かってないらしい。見た目だけではなく、本当に育ちがいい証拠だ。
「ねえ、ジョー、なにしてんのよ」
クリスが割り込んで来て俺の腕に抱き付いた。
態とらしく胸を押し当てて来たが、こっちはパッドの枚数も実際の大きさも知っているから興ざめもいいところだ。
クリスが俺のところへ来たせいで、店内にいた3割以上の男たちの視線が俺に集まった。
どいつもこいつも敵意剥き出し。
クリスに男の連れがいると分かっておとなしく引き下がった奴は少数派だ。
「別になにも。さっさと帰りな」
2人の小娘にそう言ってやった。彼女らがもう一度頭を下げて店を出て行くのを、クリスは凄い眼で睨んでいた。
「ねえ、今夜はあの2人にするの?」
「しねえよ。大体、普段は俺が女に眼を付けると怒るくせに、なに言ってやがる」
「あの2人なら特別に眼を瞑ってあげる」
偉そうな物言いだ。
俺はクリスの下僕でもなんでもねえ。クリスも既に俺の手から離れて活動できるだけの実力を持っていた。互いに離れてやっていけるんだ。偉そうにされる覚えはないわけだが、その辺は吸血鬼も人間もなにも変わらない。女は常に強いって話だ。
「とにかく、あの2人はやらない。これは絶対だ。いいな」
俺がきつく言うと、クリスは拗ねた顔をした。
見た目は可愛い娘だ。
本性は人間の生き血を喰らう吸血鬼だとしても、クリスがにっこり笑いかければ大抵の男は尻尾を振る。俺が人間だったときに今のクリスと出会っていたらどうなっていたかな。
身持ちは堅い方だったと思うが、ちょっと自信はない。
「ジョーはああいうのがタイプなんだ」
「そんなじゃねえよ」
俺は、ぷい、と背を向けてやった。
いつものことだが、俺が素っ気ない態度を取るとクリスは、
「待って、ジョー」
と慌てて追って来て背中に縋り付く。
「ごめんなさい」
クリスには俺しか頼る相手がいない。何十年経っても中身はガキのままだ。そういうのはクリスの弱味に付け込んでいるようで気が引けるが、しかし俺に甘えるクリスってのも可愛くていいもんだ。
普段からそうならいいのに、長い反抗期がずっと続いてやがる。
「怒ってないから、行くぞ」
「やらないの?」
「今夜はやめだ。昨日喰ったばかりだしな」
毎日喰わずとも死滅することはない。もっとも、俺がその晩の予定をキャンセルしたのは俺にしては珍しく湿っぽくロマンチックな理由だったが。
世の馬鹿にゃ2種類いる。
いっぺんで学習する奴と、何度やられても学習しない奴だ。
あの晩のことは俺自身あんまり利口だったとは言えないが、それにしてもあの入れ墨の連中より馬鹿ではなかったと思う。
生物種として、人間というのはとっくにピークを過ぎて今はただ劣化を続けているのかもしれない。
相手の能力を見極めるということができない。力の差を見せつけられても、それを理解することができない者さえいるんだから。
クラブを出た俺たちを倉庫街で取り囲んだのは20人ばかりの男たちだった。
どいつもこいつも先にクラブで絡んだ奴らと同じ入れ墨をしてやがったから、すぐに仲間と分かった。
「ちょっと顔を貸しな」
「嫌だって言うのは、通用しないんだろうな」
その手の奴らの相手が初めてってわけでもない。
俺は別段慌ててなかった。
力の差が有り過ぎるのは分かってたからな。洒落や冗談じゃなく、その気になれば秒殺できる。クリスがやっても結果は同じだ。ただ、荒事は俺の仕事にしていた。クリスにも護身術は教えてあったし、実際に相当な腕前だったが、俺がいるときは俺が守ってやる。それが俺の義務だと考えていた。
「俺だけでいいか?」
「いいや、そっちの姉ちゃんもだ。その方が後が楽しいからな」
一人、一際がたいのでかい奴がだらしなく鼻の下を伸ばして言った。
そいつやその仲間が頭の中でなにを想像しているかは容易に分かることだった。ま、若い男がクリスを前にすりゃ考えることは一つしかないからな。
俺は肩を竦めて言われた通りに従った。
クリスは男たちの視線に嫌な顔をしていたが、俺の腕に抱き着いたまま黙っていた。
なにが起こるかクリスもきちんと分かっていた。自分がなにかする必要もないことも。