縺れ⑨
「あの後、二人がどうなったかは分からない。俺のせいで悪い噂が立ってしまった紫織のことが気になっていたが、この手紙を見る限りは仁介がうまくやってくれたんだろう」
俺が過去を語る間、遠野家の面々は誰も一言も発さなかった。窓から邸の庭を眺めていた俺は黙って聞き入る彼らに視線を移し微苦笑した。
「今まで、沢山人を殺したの?」
千絵が鋭い眼で俺を射ていた。
「ああ」
「どれぐらい?」
「君はこれまでに喰った魚の数を数えているか?」
どこかで聞いたような台詞だ。
以前、クリスが読んでいた漫画だかにそんな台詞があった。まさか、自分で使うことになるとは思わなかった。
そう言えば、あれも吸血鬼が出て来たっけか。
「酷い奴」
「化け物だからな」
軽蔑と恐れの眼差し。俺は笑って流した。
「一つ聞きたいんだが、どうして俺があの絵の条ノ進と同一人物だと思ったんだ?」
普通は、大昔に描かれた絵と似ている人間がいても同一人物だと判じたりはしない。それに俺は血縁だと偽ったんだ。それで納得するのが常識人というものだろう。
「耳の形とか、黒子の位置。身内で似た人間でも、そこまで同じ人はいないでしょ」
「成る程。写実的に描き過ぎたか」
俺が一歩動くと千絵は身を強張らせた。雪菜も小さく息を飲んだ。
化け物を見る眼だった。
「今の話は、本当ですか?」
信二も慎重な物言いになっていた。話が真実ならば、俺は人間を襲う怪物だ。父親として娘たちの身を案じていたのかもしれない。
「さて、どうでしょう。それは俺にはどうでもいいことです。俺はただあの絵を貰い受けたいだけですからね。絵さえいただければ、ここを辞して二度と現れませんよ」
信二には仁介の俤がある。雪菜は紫織に似ている。だが、信二は仁介ではないし、雪菜は紫織ではない。過去の残滓がそこにあったとして、だからどうしたという話だった。
もはや俺には関係のないことだ。
「あの……」
雪菜がおずおずと口を開いた。
「なんだい?」
俺はいつもと変わらぬ口調で問い返した。
「紫織お祖母様と別れた後は、どうしたんです?」
「また日本を離れたよ。暫くは戻らなかった。どうしても紫織のことが思い出されるからね。日本に戻ったのはずっと後、戦後だ。それからはあちこち行ったり来たり」
「仁介お祖父様のこと、恨んでいますか?」
「俺が? 仁介を? どうして?」
「あなたにとっては恋敵だったんですよね」
「ああ、そうだね。そう言える。恨みか。考えたこともなかったな。仁介は人望もあったし、誠実でもあった。有能で上役たちの覚えも良かった。恨めるようなろくでなしなら、俺は躊躇うことなく紫織を連れ去っていたろうな」
仁介は、良い奴だった。
憎らしい程に良い奴だったから、紫織を任せることができると思った。あいつなら、紫織を幸せにしてくれるだろう、と。そして、その俺の願いを見事に叶えてくれた。
「質問は以上?」
雪菜はこくりと頷いた。
「では、絵をいただけますか?」
そう信二に言うと、彼は難しい顔をしたまま頷いた。
二枚の絵は額ごとバッグに入れられていた。
重さは苦にならないが、嵩張るという点では大荷物だった。
俺はそのバッグを左右の肩に掛け、
「それじゃ」
と遠野家の人々に別れを言った。
二度と会うつもりも、必要性もない人々と、それが今生の別れになると思っていた。
「あの」
玄関まで俺を見送りに来てくれた三人のうち、雪菜が声をかけて来た。
「なに?」
「あの……もしよろしければまたいらしてください」
その言葉に、俺は小さく笑み、それから嘲笑を送った。
「考え違いしない方がいい。君たちは古い知り合いの血縁だから見逃してやるが、俺は人間を襲う化け物だ。ライオンとウサギは友達にはなれない」
そう言って、牙を覗かせてやると、優しい娘は俺と自分たちが本質的に違うことをやっと自覚したのか、怯えた眼をして黙り込んだ。
それでいいんだ。
捕食者と獲物の関係は。
遠野邸の門を潜るとき、仁介たちと別れたあの晩感じた胸の痛みが再燃したが、俺は振り返ることはせずにその場を離れた。




