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まゆりんこ物語

 この小説を桂まゆ先生に捧げます。


 トルコ石みたいな深みのあるパステルブルーの瞳。

 その瞳をきゅっと細めて、まゆりんこは、なーぐと鳴いた。まだ、ほんの仔猫だ。チンチラみたいな白銀の毛並みをふるふるっと震わせ、麻由美のスニーカーにじゃれついてくる。甘えた声で、黒のソックスにかりかりと爪を立てる。白地だが、頭と尾の部分にトリコロールの斑紋があって、そのカラフルな尻尾がくりんと丸まっている。欧米産の猫みたいに気取って尾をぴんと立てたりしない。こういう純和風なところも麻由美のお気に入り。

「まゆりんこ、おいで」

 麻由美が手をさしのべると、彼女はひょいっとバネをきかせて腕の中へ飛び移った。メスだから彼女。まゆりんこという名前も麻由美が付けた。幼いころの自分のあだ名、”まゆりん”に、仔猫だから”こ”を付けてみたのだ。


 あなたはイヌ派? ネコ派? と訊かれたら麻由美は、迷わずネコ派と答えるだろう。

 犬も嫌いじゃないが、やっぱり猫が好き。犬と違って猫は、誰かれかまわず媚びたりしない。麻由美が幼いころ飼っていたポメラニアンのジョンなんて、誰にでもすぐに懐いてしまった。従兄弟の修平にも、クラスメイトのゆっこにも、お隣にすむ沢口さんの奥さまにも、散歩の途中でたまたま知り合った見知らぬお爺ちゃんにまで……。尻尾ふりふり、わんわん、わんわん、すぐ嬉しそうにまとわりついてゆく。そしてある日のこと、麻由美がうっかりリードを離したすきに車道の反対側を歩いていた知らないおばさんへ尻尾ふりふり駆け寄って、そして通りかかったタクシーに跳ねられてしまった。

 以来、犬は飼っていない。


 麻由美がはじめてまゆりんこと出会ったのは、先月の初めころ。いよいよ梅雨明けが近づいて雨がしだいに重たくなり、その日も大粒の雨がてちてちとオレンジ色の傘を打っていた。

 下校途中、いつものように県道の高架下をくぐろうとしたとき、どこからか、なーん、という猫の鳴き声が聞こえてくる。とても、か細い声。激しい雨音にまぎれて今にも消え入りそうな、それでいて赤ちゃんが泣く時のように「ここに命が存在してますよ」と心に訴えかけてくるしなやかな声。ふと彼女は足を止め、注意深くあたりを見回した。

 右手には小さな鉄工所があった。シャッターのすき間からチカッチカッと溶接の火花が漏れている。反対側は古い造りの三階建てコーポラス。雨が降っているせいか窓は全て閉め切られていた。見たかぎり、どちらにも猫がいる様子はない。

 次に高架下の空き地を見た。コンクリート製の支柱がならぶ県道の高架下は、アンダーパスを除いてはすべて雑草の生い茂る空き地となっていた。ただしその周りはぐるっと金網で囲われ、中へは入れないようになっている。

 変ね、どこから聞こえてくるんだろう……?

 麻由美は心を落ち着かせ、じっと聞き耳を立てた。

 再び、なーん、というちょっと尾を引きずったような可愛らしい声が聞こえた。素早く声のした方を振り向く。そこには、赤錆の浮いたマイクロバスのスクラップが放置されていた……。

 あの中だ。

 県道を支えるコンクリート支柱のわきに、そのマイクロバスはあった。タイヤは四本とも外され、窓ガラスもすでになく、ボディは一面赤銅色の錆が浮いて塗装の色も判然としなくなっている。もうずいぶん前からそこへ捨てられていて、麻由美が高校へ通いはじめたころにはすでに景色の一部と化していた。よく子供が中へ入って遊んだり、高校生が隠れてタバコを吸ったりしていたが、空き地が金網で囲われてからは近づく者さえいない。

 ……猫は、きっとあの中。

 麻由美はどこかに金網をくぐり抜けられる部分はないかと探し、百メートルほど離れたところに工事関係者用の小さな扉があるのを発見した。どうやら鍵は掛けていないらしく、自然に開かないようにと針金をねじって止めてあるだけだった。注意深く周囲をうかがい、彼女はすばやく金網の内側へと入り込んだ。

 伸び放題の雑草は、かるく膝の高さを超していた。素足の、ひざや太ももに濡れた葉っぱがべたべたまとわりついて気持ち悪いことこの上ない。すぐに制服のスカートの裾がびしょびしょになり、ソックスなどは絞ったら水がぽたぽた垂れるくらい濡れてしまった。それでもなんとかマイクロバスまでたどり着き、ドアのない昇降口へ足をかけると恐る恐る中をのぞき込んだ。

 バスの内部は座席のほとんどが取り払われ、コンテナみたいにがらんとしていた。天井は、赤や青や黒のスプレーによる下品な落書きで埋め尽くされている。床に目を向けると、まるで野外イベントが終了した直後みたいにあらゆる種類のゴミが散乱していた。スナック菓子の袋、タバコの吸い殻、週刊誌、空き缶、ティッシュ、使用済みコンドーム……。そんな雑多なゴミにまぎれて、『だれかひろってください』と書かれた段ボール箱がひとつ、ぽつんと置かれていた。表面には、家電メーカーのロゴと電子レンジの絵が印刷されている。その中から、今度ははっきりと猫の鳴き声が聞こえた。なーぐ、なーぐ。

 やっぱりここだ。

 背伸びして箱の中をのぞき込むと、いきなり猫と目が合った。きれいな目。むかし姉が、恋人から貰ったと自慢していたトルコ石のペンダントがこんな色だった。しかも左右の目の色が微妙に違う、いわゆるオッドアイというやつ。そのまん丸い目で麻由美のことをきゅっと見つめ、みゃうみゃうと可愛い声を出した。両手のひらで覆ったら、すっぽり隠れてしまうくらいの仔猫だ。

 生まれてすぐここへ捨てられたのね……。

 そっと喉をくすぐってみる。猫は気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。それから小さな口で、はぐはぐと指先をかじった。

 やだ、お腹が空いてるんだわ。

 麻由美は慌てて自分の鞄の中を探った。朝コンビニへ寄ったときにはもっと色々なものを買ったはずなのに、残っていたのはチョコレート味のビスケットが一箱だけ。チョコは食べさせちゃまずいのかな? ちょっと悩んだ末、彼女は三角定規のへりを使ってチョコレートの部分だけを丁寧にこそげ落とした。

 すっかりプレーンになったビスケットを箱のすみへ置くと、猫はたちまちそれを平らげた。二枚、三枚……。白い毛並みをふるふると震わせ、小さな前足と口を器用に使って、かりっかりっぽりぽりぽりん、一所懸命に食べる。その姿があまりにも愛らしくて、麻由美はまず笑い、そして次に泣いてしまった。なぜ泣いたのか自分でもよく分からない。けっして捨てられた猫を不憫だとか思ったわけではない。ただ懸命に生きようとする小さな命を見て、愛しいな、健気だな、でもなんだか立派だな、と思ったら自然に涙があふれてきたのだ。

 飼ってあげたいな。

 そんな思いが、彼女の胸の内から切ないほどの衝動となってこみ上げてくる。

 この子を自分の部屋へ連れて帰りたい。

 まず美味しいものを食べさせて、お風呂へ入れてあげて、きれいにブラッシングして、読書をするときには膝の上に乗せて、もちろん眠るときだって一緒のベッドで……。

 でもそれは叶わぬ夢だと分かっていた。なぜなら母も姉も、猫が嫌い。特に母はアンティーク家具の収集を生き甲斐にしている人なので、猫を飼うなどと言ったらとんでもないと目を吊り上げて怒るに決まっている。麻由美は、過去にそれで何度も母と大ゲンカしているのだ。今回だっていくら麻由美が膝を折って頼み込んでも、母はそれを軽く一蹴するに違いない。

「……ごめんね、わたしあんたを拾ってあげられないから」

 もう一度喉をくすぐると、猫は、なーんと甘えた声を出した。

 そうだ、誰かこの子を引取って育ててくれる人を探そう。猫が好きで、大切にしてくれる人。うん、それがいい。そして新しい飼い主が見つかるまでは自分が面倒をみる。毎日ここへエサをやりに来る。そう心に決めたら、急に気が楽になった。

 よし、暫定的に名前を付けてあげよう。

「今日からあんたのことは、まゆりんこって呼ぶからね」

 その名前が気に入ったのか、そうじゃないのか、まゆりんこは再び目を細めて、なーぐと鳴いた……。


 あれから、一ヶ月。

 麻由美は学校が終わると、毎日欠かさず県道の高架下に捨ててあるスクラップまで、せっせと足をはこんだ。それこそ晴れの日も、雨の日も、風の吹く日だって――。

 梅雨が明けると見慣れた街のたたずまいも一気に夏の装いをおびてくる。錆ついたマイクロバスを覆い隠すように生える夏草もいよいよ日を浴びて育ち、むっとする草いきれを放ってくる。当然、窓ガラスのない車内にも外と変わらぬ熱気がこもってしまう。それでもまゆりんこは、いつも麻由美が来る時間になるとちゃんとバスの中で待っていた。ふだんは金網をくぐり抜けどこかで遊んでいるのだろう。しかし麻由美が草をかき分けかき分けやって来るころには、まるで招き猫みたいにお行儀良くちょこんと座ってご主人様の到来を待ちわびているのだ。

「まゆりんこ、ごはんだよ」

 鞄からキャットフードを取り出して缶のふたをぱかっと開けると、まゆりんこは嬉しそうに、にゃーおと鳴いた。ここ一ヶ月、お小遣いはすべてエサ代に消えている。発売日を心待ちにしていた新譜のCDも、友達に教えてもらった新色のリップも、雑貨店で偶然みつけた可愛い携帯ストラップだって、みんなみんな我慢してまゆりんこのためにキャトフードを買いつづけている。我ながら、なんてお人好し……。でも一度自分で決めたことは最後までやり通すのが彼女の流儀。

「こらこら、高いんだからちゃんと味わって食べな」

 そんな愚痴などまるで意に介さぬように、まゆりんこは今日も旺盛な食欲で缶の中身をあっという間に平らげてしまう。

「まあ仕方ないよね、あんた育ち盛りだもん」

 きれいにエサを食べ終わると、まゆりんこはぺろぺろと丁寧に毛づくろいしてから、ひょいっとひざの上に飛び乗ってくる。ここからが麻由美の一番好きな時間。お腹がふくれてすっかり満足顔のまゆりんこ相手に、色々なことを語って聞かせる。学校のこと、友達のこと、面白かったテレビ番組のこと、思わず泣いてしまった小説のこと、嬉しかったこと、悲しかったこと……。

 高校生というのは不安定な年頃だ。もう子供ではないけれど、かといって大人にもなりきれてない。だから周りの大人たちが想像している以上に、日々悩みはつきないもの。恋の悩み、勉強の悩み、体の悩み、将来の悩み、人間関係の悩み――。それらすべてを自分ひとりで抱え込むのはつらい。とこどき誰かに聞いてほしくなる。でも親や先生ではダメ。大人はいつだって自分の価値観を子供に押し付けようとする。かつて自分も子供だったことを忘れて。かといって友達も、簡単に悩みを打ち明けられる相手ではない。よほど口の堅い子じゃないとうわさ話の種にされてしまう。一見べたべたしている友情の裏には、じつはとってもクールな人間関係が隠されているのだ。

 だから麻由美は、心の内に仕舞い込んでいるものをときどきまゆりんこに聞いてもらう。夢や希望、そしてその裏側にまるでコバンザメのようにべったり張り付いてくる戸惑いや不安……。そんな麻由美の一方的な話を、まゆりんこはいつだってちゃんと受け止めてくれる。気持ち良さそうに目を細め、ときどきにゃあと相づちを打ってくれる。説教もしないし口だって堅い。もちろん、麻由美が勝手にそう思い込んでるだけかもしれない。けど、それでもいいと思う。人は、吐き出した言葉の分だけ心が軽くなる。まゆりんこと出会ってから、麻由美は自分がいつの間にか背負い込んでしまっていた何か得体の知れない重たい荷物を、ずいぶん捨て去ることができたような気がした。

「やっぱり、あんたを誰にも渡したくないよ。ずっとこのままでいられたらいいのに……」

 そう言って愛おしげに頭をなでると、まゆりんこはふわっと大きく口を開いてあくびをした。


 それからしばらく経った、ある日のこと――。

 麻由美は、朝出がけにチェックした『今日のあなたの運勢』が、金運、健康運、恋愛運ともに大吉だったことを、何か不吉なことのように感じていた。こういう無責任にお目出でたいおみくじを引いたときには要注意。丁重に厄を祓っておかないと、後で思わぬ災難に見舞われることがある。

 ――悪い予感は当たった。

 いつものように鞄にキャットフードを忍ばせてまゆりんこに会いにゆくと、高架下のスクラップ置き場がとんでもないことになっていた。なんと重機で地面を掘り返しているのだ。ぶおおおおんというエンジン音と、どががががっと地面に爪を立てる音が、遠くからでも麻由美の足元にびりびり伝わってくる。

「わわわ、大変だあ!」

 慌ててスクラップのある空き地へとダッシュした。まゆりんこ! 心臓がばくばくと音を立てる。

 獰猛な怪獣のように地面を掘り返しているパワーショベル。土砂を運び出すために待機している大型ダンプカー。半分祈るような気持ちで覗き込むと、あのマイクロバスのあった空き地は、まるで爆弾か隕石でも落ちたように半ドーム型にえぐられていた。麻由美は、歩道わきで測量機械を設置していた作業服の男をつかまえ、重機で掘り返している辺りを指差して訊ねた。

「あのっ、すみません! あそこにあった古いマイクロバスって、どこへやったんですか?」

「はあ? なんだってえ?」

 周りの騒音で聞こえないらしく、その男は大げさなジェスチャーで聞き返してきた。麻由美は、地団太踏みながら大声で叫んだ。

「マイクロバスー! そこにあったやつー!」

 すると男は、ああと頷いて首に引っ掛けていたハンドタオルで顔をごしごし拭いた。

「あのガラクタなら、さっき産廃業者の人が来て、重機でつぶして運び出していったけど」

「えー!」

 麻由美はひざから力が抜けたように、ふらっとよろめいた。なんてことを……。あの中には、まゆりんこがいたのに。お行儀よくちょこんと座って、自分の来るのをじっと待っていたのに。彼女が半べそになっているのを見て、男は心配顔で訊ねてきた。

「あのガラクタが、どうかしたのかい?」

「……ネコ」

「へ? ねこ?」

 麻由美は、驚いた顔をしている男の作業服の袖をつかんで揺さぶりながら訊いた。

「ネコ見ませんでした? わたしのネコなの! まゆりんこっていうんです……このくらいの大きさで……目がきれいな青色で……にゃって可愛い声で鳴いて……うっうっ」

 ついに麻由美が泣きだしたので、男は慌てて工事監督を呼んだ。すぐに駆け寄ってきた若い監督はいったい何ごとかと表情を固くしていたが、事情を聞くと「なんだそんな事か」とほっと胸を撫で下ろした。それでも彼女のことを不憫に思ったのか、工事関係者に「仔猫は見なかったか?」と訊いてまわってくれた。

「誰も見てないそうだよ。きっと音に驚いて重機でつぶされる前に逃げ出したんじゃいかな」

 そうかも知れない。猫って警戒心が強いから、たとえ寝ているときでも耳だけはぴんと立て外敵が近づくのを警戒している。もし、いきなり大勢の人がやって来たら危険を感じて逃げ出すに違いない。万一バスの中に留まっていたとしても、あの軽やかな身ごなしだ、重機にぺしゃんこにされる前にするりと抜け出したに決まっている。そしてどこかに隠れ、わたしが来るのをじっと待っているのだ。うん、だいじょうぶ――、あの子は、きっとだいじょうぶ。

 そう自分に言い聞かせ、二時間あまりをかけて周辺をくまなく探してまわった。

「まゆりんこー、出ておいでー、ごはんの時間だよー」

 しかし工事現場の周辺には、文字通り猫の子一匹見当たらなかった。しだいに焦燥感がつのってゆく。あのターコイズブルーのつぶらな瞳や、思わず抱きしめずにはいられない可愛い仕草のひとつひとつが、次から次へと脳裏によみがえっては消えてゆく。

 お願い、出てきてったら。一目わたしに無事な姿を見せてよ……。

 そんな願いも空しく、考えつくかぎりの場所を探したが、まゆりんこはいっこうに見つからなかった。いい加減疲れ果て、後ろ髪を引かれる思いでとぼとぼと帰路につく。がっくりと肩を落とし、スニーカーを引きずるようにして歩いた。

 もう二度と会えないかもしれない。そう思ったらしぜんと涙がこぼれてくる。

「ねえママ、あのおねえさん泣いてるよー」

 すれ違った子供に指をさされた。

「そんなことしちゃ、おねえさんに失礼でしょ」

 頭の中が真っ白でどこをどう歩いて家まで帰ったのか覚えていない。ただ早く自分のベッドへもぐり込んで思いっきり泣きたかった。

 なーぐ。

 靴を脱ごうと玄関の上がりかまちへ腰を下ろしたとき、猫の鳴き声を聞いたような気がした。

「……まさかね」

 なーお。

 やっぱり聞こえる、この家の二階からだ! 彼女は靴を脱ぐのさえもどかしく、急いで階段を駆け上がった。どうやらその声は姉の部屋からしているようだ。

「お姉ちゃん!」

 乱暴にノックしてから返事を待たずにドアを開けた。カーペットにぺたんと座り込んでいた姉が驚いた顔で振り向く。

「わ、びっくりしたー」

 なぜかその手にはネコじゃらし。そして小さな前足をくりくり動かし、仔猫がじゃれついていた。

 にゃにゃにゃ――

「まゆりんこー!」

 麻由美は叫びながら駆け寄って、まゆりんこをひょいっと抱き上げた。そして白い毛並みに思いっきり頬ずりしながら訊く。

「心配したんだから。どうして、あんたがここにいるの?」

「なによ、これあんたのネコ?」

「そうよ。わたしの大切なまゆりんこ」

 姉はのろのろと立ち上がり、ソファに腰掛けながら言った。

「さっき自動車学校の帰りに公園へ寄ったら、この子がにゃあにゃあ鳴きながらまとわりついてきたのよね……」

 そう言って、メンソール味のタバコに火をつけた。その顔を、麻由美はちょっと不思議そうに見上げる。

「お姉ちゃんって、猫嫌いじゃなかったっけ?」

 すると姉は、ふっと煙を吐き出しながら笑った。

「ううん、あたしじゃないよ、前に付き合ってた彼。なんかアレルギーらしくってさ、わたしの服に猫の毛とか付いてるとキスの最中にくしゃみするんだよね。もう最悪」

 そうか、姉は猫嫌いというわけではなかったのだ。ほっと胸を撫で下ろす。

「あのね、お姉ちゃん。……まゆりんこのこと家で飼ってもいいかな? わたし絶対みんなに迷惑かからないようちゃんと面倒みるから」

 恐る恐る切り出すと、姉はいともあっさりと答えた。

「別に、いいんじゃない。可愛いし」

 やった! 残る問題は……。一番気がかりなことを訊ねてみた。

「でも、お母さんは猛反対するよね? 大事な家具とかに傷つけちゃうし」

 すると姉は窓から射し込む日差しに片手をかざし、自分の派手なネイルチップをうっとり眺めながら言った。

「まだ仔猫なんだし、爪研ぎする場所をしっかり躾けてやれば大丈夫でしょ」

 そして麻由美の方を振り返って、にっと笑った。

「お母さん説得するの協力してあげるよ。元はと言えば、あたしが連れてきたんだし」

「お姉ちゃん、さんきゅ!」

 麻由美が顔を輝かせると、姉は、今度はちょっと渋い顔で言った。

「でもその、まゆりんこって名前なんとかなんない? なんか出来の悪い妹がもう一人増えたみたいで嫌なんですけどー」

 そう言うと唇をOの字型にして煙をほわんと吐き出した。見事に輪っかになった煙がもわんもわんと宙を泳ぐ。

「まゆりんこは、まゆりんこだもんねー」

 麻由美はもう一度、腕の中の仔猫をぎゅっと抱きしめた。

「——あんたのこと家で飼えるなんて夢のようだよ」

 するとまゆりんこは麻由美の腕をするりと抜け出し、空中をふわふわ漂う煙のリングに向かって思いっきりジャンプした。

 にゃん!

 手のとどかない夢なんてない。

 

 

 

お読みくださり、ありがとうございました。

当初、舞妓はんの初恋ストーリーを書くつもりが、いつの間にかネコの話になってしまいました(笑)まあ、どっちも可愛いからいいか……なんて。とにかく桂まゆさん、お誕生日おめでとうございま~す。今年で何歳におなりあそばし…… o-_-)=○)゜O゜) ぐはあ!

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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは~。 また来てますよ~(笑) まゆりんこ物語はのほほんとした雰囲気ですね。全体的に。 スプラッタが来たら嫌だなあと思いながら読んでいたので、最後までのほほんとした雰囲気でほっ…
[一言]  私は猫が大好きです。 舞妓さんも素敵ですが、拝読したのが猫のお話で、しかもハッピー-エンド。 まゆりんこのことをお姉さんがサポートしてくれて、とても嬉しく思いました。
[一言] 可愛い仔猫と、女子高生と、彼女を取り巻く人々のあたたかいお話でした。 >ただ懸命に生きようとする小さな命を見て、愛しいな、健気だな、でもなんだか立派だな、と思ったら自然に涙があふれてきたの…
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