字が下手なことを逆手に取る方法
わたしの友だちは字が下手だ。でも前向き思考で、欠点も別物に変えてしまう。
友だちのおかげで、小学校の卒業文集も楽しめたんだから。
「今日は国語の時間を使って、卒業文集にのせる作文を書きます」
担任の先生の言葉に、えー、とか、いやだー、とか、みんなの声が一斉に上がった。
うちの小学校では毎年、「みのり」という名前の卒業文集をつくる。卒業までにいつか書かなきゃいけないのはわかっているけど、ほとんどの子は作文が好きじゃないから、一応反発する。
みんなの文句で騒がしい中、斜め前の席に座っている輝凛奈の様子をうかがった。輝凛奈は涼しい顔をしている。危機感がない。わたしは、輝凛奈に危機感がないことに危機感を持った。心の中で呼びかけてみる。
きり、だいじょうぶ? 卒業文集ってみんなに読まれるんだよ? ずっと残るんだよ?
家が近くて赤ちゃんのころから知っている(らしい。二人並んだ赤ちゃん時代の写真がある)輝凛奈には、重大な欠点がある。いや、欠点と思っているのはわたしだけで、本人はまったく気にしていないのだけれど。
輝凛奈は絶望的に字が下手なのだ。小さいころは、みんな同じようにめちゃめちゃな字を書くから、輝凛奈がへろへろのほそっちい字を書いても目立たなかった。でも学年が上がるにつれて、輝凛奈の下手さは目立つようになっていった。
三年生から始まった習字では、クラス全員の半紙が教室の後ろに貼り出される。「一」というシンプルな字でも、輝凛奈の「一」はひょろひょろして、蛇がくねくねと紙を横切ったみたいだ。あまりのくねくねさに、クラスのみんなが冷やかしても、輝凛奈は平気だ。
「簡単そうな字ほど実は難しい。それにあたしは誰にも真似できない『一』が書ける」
そう言って胸を張るんだ。輝凛奈はなんだってそう。調理実習のときも、ちゃんと切れていなくてずらっとつながったキュウリの輪切りに、「ほら、芸術作品!」と喜んでいたし、テスト返しで先生に「これじゃ誰の答案かわかりませんよ」と氏名欄に赤で書かれても、「誰のかわからないのは、あたしの答案だと思ってください」と開き直る。
勉強ができないわけじゃない。クラスで発表するときは、なるほど、と思える意見を言う。理科の実験だっててきぱきとやって見せる。でも、とにかく字を書くことに関しては全然だめで、それが輝凛奈を実際よりもバカっぽく見せているんじゃないかと思う。
「山川さん、作文書けますか? 何か困ってることでも?」
先生の声にはっとする。とにかく今は卒業文集にのせる作文だ。字が下手な輝凛奈の心配をしている場合じゃない。文を書いても字を書いても、ぱっとしない自分の心配をしなくちゃ。
その日は下書き、という感じで、とりあえず書いたものを先生に提出した。帰り道、輝凛奈に聞いてみる。
「きり、作文、何書いた?」
「んー、普通のこと」
「普通って何よ」
「だから運動会とか修学旅行みたいな、特別な行事とかのことじゃない。はなは?」
わたしはまさにその修学旅行について書いた。題名も「楽しかった修学旅行」っていう、同じ題の人がほかにもいそうなやつ。
珍しく言いよどんだ輝凛奈だったけど、別れ際に「名前のこと書いた」とだけ教えてくれた。
なんでも超前向きな輝凛奈だけど、自分の名前は気に入らないみたい。「濱﨑 輝凛奈」というやたら画数の多い字ばっかりで、確かにこれだとテストの時に名前を書くのに時間がかかるなー、と同情する。輝凛奈によく言われる。
「いいよね、はなは」
わたしの「山川はな」という名前は、小一で習う字ばっかりだ。画数も少ないし、紙に書いても隙間が多くて、すーすーと風が通り抜けていきそうだ。それに比べると「輝凛奈」は、本人も一文字書くたびに、これであってんのかな? と確認するらしく、手も頭も疲れて、書いた字を見ても目がチカチカすると言っていた。
そんなわけで輝凛奈は自分の名前をずっとひらがなで書いていた。でもさすがに六年生になると、ひらがなばかりの名前は一年生みたいだと思ったようで、なんとか漢字で書き始めた。画数が多いからどうしても字が膨らんで、それがへろへろしてるから、またみんなにからかわれる。クラスの男子が、
「きりなのへろ字!」
とはやし立てると、輝凛奈は腰に手を当てて叫び返す。
「へろ字でけっこう! へろ字はアート!」
わたしとしては、けっこう、とは言いたくない。へろ字に全力で立ち向かってほしいのだ。
輝凛奈は、これ、と思ったことには、全力で立ち向かう。五年生の時、お店で食べたクレープを異常に気に入った。
「決めた。クレープを極める」
その時から輝凛奈は、毎日クレープの皮を五十枚焼くと決めて、せっせと台所に立った。わたしは遊びに行くたびに輝凛奈にクレープを食べさせてもらって、その腕前がどんどん上がっていくのをいっしょに体験した。いつの間にか二人とも体重が五キロも増えて、さすがにこれ以上毎日クレープを食べるのはやばいね、ってことで終わりになった。
極めたのはクレープ作りだけじゃない。お父さんの靴をピッカピカになるまで磨く方法、好きな歌手の歌詞を全曲書き写して(へろへろの字で)暗記、庭の虫を捕まえて解体、などなど、はまったら極めるのが輝凛奈だ。だからもし輝凛奈が「字が上手になりたい!」と思えば、絶対上手になるはずなんだ。
でも、今は心がそっちに向いてない。だれも輝凛奈の心をひん曲げられない。
輝凛奈は「卒業文集ができたら何書いたかわかるよ」と言ったけど、ほんとかなぁ。とにかく超前向き人間だから、その輝凛奈が六年間でいちばん頑張ったこととか、心に残ったこととか、どう考えたのかを知りたい。でも、字が読めなくて何書いてあるのかわからなかったら、知りようがないじゃないか。
次の国語の時間、先生はみんなが書いた下書きにコメントをつけて返してくれた。わたしの原稿用紙には、字がまちがっているところに正しい字が書き添えられて、わかりにくい文章には線が引いてあった。
「次は清書です。まちがえないように気を付けて書きましょう」
いつもおバカなことばっかり言う男子も、この時間は真剣だ。教室ではカリカリと鉛筆を走らせる音が、あちこちから聞こえてくる。顔を上げると、輝凛奈も真面目に書いていた。背中から「極める」オーラが出てたから、もしかしたらみんなが読める字を書こうとしている最中かもしれない。
ふと、この文集を読み返すことはあるのかな、と思った。二十年後とか、三十年後とかに自分の子どもに見せたりして、「お母さんも昔はね」なんて話す日が来るのだろうか。
卒業式の前日に先生から、きれいに製本された「みのり」が配られた。
「式当日は荷物が多くなりますからね。ちゃんと家の人にも読んでもらってください」
わたしはまず自分のページを開いた。隣に並んだ人の作文と比べて、ま、こんなものか、と思う。次に輝凛奈の作文を探した。
やっぱり。
予想した通り、輝凛奈のところはへろ字が並んでいて、ところどころは読めるけど、結局何が書いてあるのかわからない。先生は輝凛奈に「もうちょっとみんなに読んでもらえるように書きましょう」って言わなかったのかな。
いつも輝凛奈の字をからかう男子が声をあげた。
「濱﨑のへろ作文、何書いてるのか読めませーん」
失礼なやつ。思っても黙ってりゃいいのに。
男子のことを心の中でぶん殴ってやった。それにしてもわたしだって、輝凛奈の作文が読めない。
その時、輝凛奈がすっくと立ち上がった。
「わたしの字が読めない人のために、今ここで声に出して読みます。すぐに忘れてしまうかもしれないけど、別にいいです」
輝凛奈の音声作文が始まった。
「わたしは何でも楽しむのが好きです、楽しむというのは……」
聞いていると、輝凛奈の思考回路がわかる。何かを失敗したとき、わたしはつい、『わたしってだめだな』とか『自分がいけないからこうなったんだ』と考えてしまう。でも輝凛奈は失敗した自分を面白がって、「もっと面白くするには」と考えるらしい。
作文は続く。
「………で、わたしは小学校を卒業する前に、自分の名前も面白がることに決めました。きれいに書くのは普通なので、模様とか暗号みたいに読んでもらえたらいいと思います」
言われて、輝凛奈の作文を見直す。なにやら模様? 呪文? みたいなものが並んでいるところがあって、お父さんが使っていた印鑑の字みたいにも見える。
これ、輝凛奈の名前だったんだ。確かにアート! クラスのみんなも、文集に顔を近づけて「ほー」なんて感心している。この模様を答案用紙の氏名欄に書いたら、それだけでテストの時間が終わりそうだけど、でもセンスのある先生なら、氏名欄に百点をつけてくれるかもしれない。
そんなわけで、輝凛奈の卒業作文の文章は判読できなかったけど、名前の字をアート作品にしたっていう話は、多分何十年たっても忘れないと思う。ついでに輝凛奈の前向き思考も。
輝凛奈が中学生になって何を極めるのか、すごく楽しみだ。
(了)