黒の代償『真実は桜の木の下に眠っている』
黒の代償『真実は桜の木の下に眠っている』
○昔住んでいた駅の周辺
私は、久々に思い出を辿っていた。
司法試験に現役合格してからの柵で、そろそろ次の道を探さないと自分が潰れる気がしていた。気持ちの整理に選んだ場所は、昔住んでいた街の駅前にあるバッティングセンターのビル。そして、そこから少し戻って坂を上がったところにある公園だった。
私「思ったより変わっていないな! でも、マンションは増えたか。細い道、急坂、崖地、変わらないものには変われない理由があるか!」
だが、目指したビルのバッティングセンターは改修中で、少し駅方向に戻って、右手に車と交差しながら走る都電を見ながら坂道を上った。普段はあまり走りはしないが、子供の頃を思い出して公園の入口の石敷き階段を駆け上がったら、途中で右脚が攣った。膝に手を添え、ゆっくり上った視界の先には、前とあまり変わらない広場が見えた。
私「人より、ハトの数の方が多いかなー!」
晩冬の昼下がりのベンチには、高齢者等が疎らに座っていた。特に何をするでもなく、陽射しを受けても楽しむ様子はない。私は、もっと沢山の人が訪れれば広場の新しさに馴染むだろうにと、勝手な思いを巡らせていた。背中から都電のレールのキシム音がする。
私「たしかこの先に、見晴らしのいい高台があって、JRの電車と都電が両方見えたはずだ!」
曖昧な記憶をたよりに高台に向かうと、途中で工事中の『立入禁止』に阻まれた。私は、少し右肩下がりに傾いた立入禁止の看板に一瞬ため息を漏らしたが、「また来るよ!」と言って振り返った。
私「きっと春になれば、ここから一面の桜が見えて、お祭の飾り付けで賑わうんだろうなー! 今年は見られるといいけど」
このところの異常気象とコロナ禍で、去年のことが頭を過ぎる。
見渡せば、少しだけ咲きかけた紅い蕾みだが、毎年見られるとは限らない桜を、今年もまた人の手を入れて冬を越えさせた都会の公園に、私は何故か寂しいと感じ取った。何とか見られないものかと願ったが、枯れ葉溜まりのゴミの多さがその思いを邪魔して見えた。
そして、忘れないうちにと写メを一枚!……振り返って、さらに二枚。
私「平和だなー。でも、これが普通なんだよな!」
何も考えず公園の中を道なりに進み石敷きの階段を下りると、都電が坂を登るキーキーという音が耳に障り眉をひそめた。その道の脇には交番があるが、中の警官は欠伸を殺し退屈そうな顔をしていた。
○帰り道の状況
私「人は、坂を登るより下りたがるものだ! いや、このまま帰るのもつまらない」などと、帰りは同じルートを戻らずに、坂の上の地下鉄を目指した。
ここは変わった地形で、JRの駅は崖下にあり、地下鉄の入り口は高台にあるのだ。
そのまま坂道を歩き、警察署があったと思ったら、突然、道のカーブの死角から消防のレスキュー車と救急車が現れた。その一団は赤信号を突っ切り、派手にサイレンを鳴らしてスピードを上げて行ってしまった。
遅れること数秒、パトカーが3台連なって警察署を出て行った。
私「事件か事故か!……お勤めご苦労さんだな。また無理やり吐かすのだけはやめてくれよ!」
すると後を追うように、スーツ姿に『捜査』と入った茶色の腕章を着けた太った男が息をはずませて走って行った。坂道を転がるようにとは当にこのことかと、思わず笑ってしまった。
そんな事件の匂いのする光景に、何があっても休みは休みと言って坂を登り切ろうとしたのだが、人の不幸は辛く悲しく迫るもの。目線を下げて道を進むと、私に『お仕事です!』と言って、警官が地下鉄の入口で職質をやっているのが見えた。
私「まずいな! せっかくの休みが台無しになる」と、信号の変わり目に道路の反対側に行く。私が道路を渡りきると、いきなり「あの人が犯人です。早く捕まえろ!(不明者)」
私の体はその声に反応し、耳に聞こえた意味を少し疑いつつも、自分が疑われているような気になって自然に足が止まってしまったのだ。当たり前のように周りを見回すと、何人かが同じ様にキョロキョロしていた。すると、誰が誰を犯人と言ったか判らないまま信号が点滅しだした。
私は、警官が見ている手前、このタイミングで立ち去るわけにはいかないと、暫く様子を窺っていたら、案の定、職質を中断して5、6人の警官が赤信号を警笛を鳴らしながら渡って来たのだ。
「止まりなさい。ちょっと止まりなさい! あなただ!(警官)」
そして、私ともう一人の男性を取り囲んだのだった。
私は、楽しい休みが一瞬で終わるにはあまりに出来すぎていると、これを苦笑して覚悟を決めた。
○警察署への同行(任意)
久々に乗るパトカーは、目と鼻の先に警察署があっても中央分離帯の関係で迂回できず、200メートル先の消防署の前をUターンして警察署の横に着けられた。乗った時間は僅かに1分ほど。同乗の警察官の任意同行に関する説明は的を外れ、後でサインをくれと言う事だけが理解できた。
私「分かりました! 協力します。明日は宿直勤務ですので出来れば手短にお願いします!」
「いや、それは私が決めることじゃないです! 個人の都合は通らない場合がありますから。(同乗警察官)」
◯警察署内
警察署の中はバタバタしていた。何かの事件の初動だと分かったが、他の警察署の雰囲気とはかなり違って見えた。私は、二人の警察官に連れられてエレベーターで4階に上がり、取調室とは別の小部屋に通された。そして二人は、反対側の物置から引っ張り出してきた机にバイプ椅子を並べ、私に座るようにと言った。
私「分かりました! ちょっとカバンいいですか?!」
あいにく、免許証は自分の車に置いてあり、人定に関するこを言われても直ぐに出せるものが無い。早くしてくれるかと期待して始めから携帯電話を出し、電話番号と着歴、勤務先の名前とメルアドを見せた。
私「これをご覧いただけますか! 職務用と個人の携帯です。認証がありますのでメモをお願いします!」
調書担当「おたくさんは、二つも持っているのか! 認証番号書いて早くこの脇に置いて!」
すると、調書担当の一人を残して、私の携帯を取り上げたもう一人が身分照会に出て行った。ところが、30分以上経っても戻ってこない。私は、警電(警察専用の電話)で地裁の専用受付に電話をするよう頼んだが、同席の警察官は理解できないのか、はたまた警電の電話番号を知らないのか、全くこれに応じようとしない。
それから暫くして、当務責任者の警備課長を従えて、何人かが狭い部屋に入って来た。そして何の言葉を交わすこともなく、警備課長はこう言ったのだ。
「では、状況を説明します。ご同行頂いただいた件ですが、私共が警戒中に、犯人を意味する緊急の対応要請がありまして、任意にご同行いただきました。そしてこれ(携帯電話)も任意にご提示頂きました。ご協力ありがとうございます。以上です!(警備課長)」
私「警備課長さんでよろしいでしょうか? 正当な行政行為、お疲れ様でした。明日、当番なので、これで帰らさせて頂きます。それ以上は聞かないので宜しくお願いしますよ!」
私は、対応した警察官の話しの中に警備課長が対応するという一言を耳にし、その職名を口にしたのだった。そして帰り際、署の玄関まで付いて来た課長警備課長が、自宅まで送りましょうかと言ったようだったが聞こえない振りをした。そして、玄関先で「お疲れ様でした!」と彼を労い、地下鉄の入口に行っていいのかと確認して、そのまま電車で帰宅した。
勿論、こんなことが明るみに出ると、何人かの警察官が処分を受けることになる。でも、そこは分かってあげないと彼らもかわいそうだと不問に付し、一件落着にしておいた。だが、重ね重ねの不手際をこの後も平気でやられるとなると、巷の警察嫌いが加速するのも気になったのだった。
○地裁(翌日の関連業務)
翌日の地裁では、午前中は特に案件はなく、申し送り資料に目を通して昼になった。予想どおり警察電話で私に警察署長から電話が掛かってきた。
昨日の部下の警備課長の対応については全く触れず、緊張ぎみにいろいろ話してくれたが、掻い摘んで言うとこういう話だった。
①詳細は言えないが、他殺、自殺の両面で対応する事案だ。
②緊急配備をかけ、交通拠点で不審者の確認をしていた中での、偶然の任意行為(同行)である。
③その任意同行の端緒となった叫び声の者は、立ち去って不明だ。
④あなたを対象にしたのは、警官の静止を避けて信号を渡ろうとしていると思われたからだ。
私は、丁寧な説明を感謝し、ガサ(家宅捜査)の準備中かと尋ねると、私が今夜、宿直当番だと伺っているのでと署長が答えた。
無用の電話である。私事の休暇でたまたま居合わせた事案を伝える配慮は、司法警察としてはいかがなものかと思ったが、署長に仕える部下の立場を慮り聞き流すことにした。
○ガサ(家宅捜索)の申請
夜の7時過ぎに届いたガサの申請資料には、昨日、私が見た公園の高台に行く途中の立入禁止の看板があった。そこから、その先の高台までの状況と、縊首行為の状況写真が添付されていた。
ガサの住所は、警察署の先にある消防署に合築された、消防職員住宅502号室とあった。
私「ここは、パトカーで昨日Uターンした場所の消防署か!」
これほど早いタイミングでガサに入るには、前段階から追いかけていたヤマ(事件)だと思ったが、ガサの目的欄には『捜査妨害事案』とあり、あの信号待ちの時の『あの人が犯人です! 早く捕まえろ!』を対象とする説明があった。
昼間の電話で、署長が不明と言っておきながら、私が任意同行した事案をあえて捜査対象にするのかと、これもまた呆れたが、何かの初動の不手際が見え隠れしていた。
【公判(裁判)開始・冒頭手続】
それから約二ヶ月が過ぎた。図らずしもあのときの事件を私が裁判官の一人として、地裁法廷で扱うことになったのである。
刑事事件の裁判では、最初に『冒頭手続』という、ある意味形式的なやり取りをする。先ず被告人の人定という本人確認や、犯罪として何をやり、どんな法律に違反したかなどが記された起訴状を検察官が読み上げ、罪状認否として、被告人に犯行をやったと認めるか否かを聞く。また、検察官が証拠として示したものについても意見が求められる。もちろん黙秘権も説明される。
この冒頭手続では、検察官も弁護士もお互いの手の内を見せないのだが、今回は被告人から認否確認時に不満の声が上った。裁判官である私も、めったに無いことで驚き、被告人の取り乱す状況が不自然であると思ったが、立場上の冷静さを貫いた。
その時の被告人が発した言葉はこうだ。
「どうせ、裁判なんかやったって、おれがやったことにされんだろ。おれが寝てる間に死んじまったんだ! 催眠術にでも掛かってたなら殺っちまったかもしれねえが、おれは殺ってねえ!(被告人)」
裁判長「被告人は静粛に願います!」
裁判長の緩やかな声がその場を収めた。
【公判、証拠調べ手続】
そして一月後、いよいよ裁判の基になる証拠を、検察官と弁護士との間で出し合う『証拠調べ手続』という段階に入った。
実は、裁判官はこの段階にならないと、双方の主張する詳細を見ることも聞くこともできないことが一般的だ。仮に公判前整理として事前に見たとしても、あくまで中立の立場で先入観を捨てて、事実に基づく判断をしなければならないのである。このことは、起訴状一本主義という曲げられない原則だが、今回の事件は例外中の例外で、私が当時の状況をある程度知っている。仮に私が重要な証拠を持って審理に関わることになると、公平さを保つために裁判官を降りなければならないのだ。
この証拠調べ手続における検察側と弁護側双方の冒頭陳述と、その主張理由とする証拠請求が終わり、私がもう一度、当時の状況や経過を突合していると、検察側の資料に気になる点があった。
もちろん、被告人は無罪を主張し、全面的に争う姿勢である。
○検察側の証拠
殺害は、被害者発見の当日12時00分から14時00分(推定、司法解剖及び供述による)。被告人は被害者を自宅アパートで殺害し、その遺体を公園の高台に搬送した。そして、縊首による自死を装う目的で、木の枝にロープを掛け渡し、その一端を遺体の首に掛けて、吊るした。
・・と言うことは、私が公園にいた時は既に殺害されていたのか!
被告人が殺害した遺体の搬送手段は、公園作業用の軽四輪車(車種、車両番号等は別添え)で、その荷台に遺体を積載し、当該樹木の下に車を着けて、車の荷台に遺体を置いたまま、ロープを首に巻き、丈夫な枝を選んで、その枝にロープの先端を投げ掛けて渡し、枝を支点に被告人が遺体を引き上げた。(再現記録として動画を添付)
・被告人
職業 土木作業員 氏名 田沼 修吾郎(48)
殺害当日の被告人の行動は、仕事を急に休み、江戸中競艇場に行き、自宅に戻ったところで殺害に及んだ。(被告人の移動履歴は競艇場の録画、携帯電話による舟券購入記録、交通機関利用履歴により確認)
・・被告人は自宅で殺害したのに、なぜ公園にまで運んで自殺を装うとしたんだ?
・被害者
職業 スーパー店員(非正規) 氏名 王 周華(23)
※被告人と面識あり。
殺害時に売春行為を前提に、被告人宅を訪問中だった。それを立証する当時の携帯メールの履歴、同様の訪問サービスを以前にも行っていた記載が被害者の筆跡で書かれたダイアリー、及び同訪問行動の連絡履歴のある別の携帯電話を確保済み。
→主たる証拠
・被害者体内から検出された、被告人の体液(鑑定済)
・被告人宅から発見された、被害者の陰毛と血痕(採取、鑑定済)
・殺害に用いられた結束バンド(調書及び購入事実の証拠資料)。但し、結束バンドが被告人宅内に複数本現認され、犯行使用物の特定に至らず。被告人は仕事で使うために購入したと供述。
・被害者の首に残った血腫の痕と、当該結束バンドの形状が一致する。司法解剖時に計測(別添え写真ほか)。
・上記に関する物的証拠380点、写真1,300枚
・・検察は、競艇で金を使い果たした被告人が、性的欲求を満たすために、被害者を自宅に呼んで行為をし、金を支払うことが出来ないので殺害したという供述調書を根拠にしている。 しかし、金だけで殺害すのは不自然だ。殺意と動機は自供だけか!
ここまでの内容に、幾つか疑問はあるものの極端に不自然な点は無い。だが、どうしても被告人が自宅からあの公園まで、何のために遺体を運んだのかが気になった。
→その他の状況証拠
被告人は、縊首による自死を装い、遺体を存置した際、被害者の人定を妨げようと遺体にガソリンを掛けて燃やそうとした。
しかし、ライターが風で着かなかったことに加え、何者かが現場に近づき、工事中の立入禁止の看板の前に立って現場を覗き見て、写真を撮ったのを知り、被告人は慌てて逃走して公園の管理用倉庫に隠れていた。その後、同倉庫にて警察官により身柄を確保されている。
遺体の衣類に付着した可燃性液体は鑑定済み。第一発見者の消防救助機動隊長が、救助のため遺体を下ろす際に可燃性液体の付着を確認した。(消防の活動記録と同隊長の供述調書)
その引火性液体は、公園のエンジン付き掃除用具に使用するため、公園の管理用倉庫に置いてあるものを被告人が無断で持ち出し、首を吊るした後で掛けた。そのため、下半身にだけに付着していた。被告人は当該公園の清掃を請け負う会社に障害者雇用枠で勤めており、容易に当該犯行に同倉庫に常置する車両を運転して、合わせてガソリンを持ち出すことができた。
※以上の証拠として、被告人の供述及び現場を覗き見したとされる者の特定、同救助隊長の供述と消防の到着時の写真、被害者着衣の写真、他52点等、一連の証拠物を保管
・・私の他にも、あの時間に立入禁止の看板前に誰かがいたのか。ガソリンを掛けるのに、どんな物を使って、わざわざ吊るした遺体の下半身に掛けたのか? いや、これが不自然だと言うよりは、普通そこまで用意周到にやるだろうか?
・・また、燃やせば犯行は判り難くなるが、直ぐに煙や臭いで周りが気付く! 殺害したなら普通に考えれば何処かにそのまま遺棄するはずではないか?
何故ガソリンという物に拘ったのか? 他に燃やせる手段がありそうなものだが? 何故あの場所じゃないといけなかったのか? 被告人と被害者はどういう経緯で知り合ったのか?
・・状況証拠や供述、動機も決定的とは言えないのは、いったいどういうことなんだ?!
○身柄確保の状況
被告人は、一連の犯行を行った後、何者かに犯行を目撃されたのではないかと心配になり、犯行に使用した車両を戻しに当該公園の管理用倉庫に行って、その場に潜んでいるところを警察官三名により身柄を確保された。同確保時点では、本件起訴に係る犯行を被告人が行ったことを裏付けるものはなく、倉庫内への不法侵入が想定される状況を、偶然にも警察官が目撃した中での身柄確保である。また、同確保にあたり、最初に被告人を発見した警察官は、被告人が縊首による自死行為を装った100番通報場所に向かう途中で、これを同警察官が偶然発見したものである。
○弁護側の証拠要旨
・・弁護人は国選弁護か! 被告人は前科あり、で、執行猶予期間中! 逆に、よっぽど感情的になって恨みでも無ければ、金だけで殺害するとは思えないし、それに、売春行為を前提としても、暴行のうえ殺害した(婦女暴行殺人)を立証出来ないというのは、何か事情でもあるのか?
弁護人は、被告人が犯行そのものを認めていて、証拠は決定的ではない状況でどう出るかだな!
前科の内容は、傷害と窃盗と、殺人未遂(精神鑑定で犯行当時は、判断能力有り)
私「まあ、いろいろあったが、先入観を捨てて冷静に見極めよということか!」
▶被告人を無罪とする証拠及びその根拠(証拠調べの時点)
更に弁護人側の主張を再度確認し、被害者が残したメモの存在を知る。
・被告人と被害者とされる女性は、殺害当時は内縁関係にあった。当該女性は何らかの理由で、他の男性と性的行為をすることがあったが、それは何者かから脅迫されていた可能性が高い。
(被告人の記憶)
・犯行当時とされる時間帯に、被告人は自宅で寝ていたところを、何者かにより犯行現場の公園に連れていかれた。その際、目隠しをされ、結束バンドのようなもので縛られ、抵抗できなかった。
・当該女性は、被告人と愛情をもって、殺害される前に性行為に及んだ際、これで最後かもしれないと言い残し、脅迫により相手の要求する場所に行かなければならないと言っていた。
・被害者は、被告人と最後に分かれる際に、自筆によるメモを残していた。そのメモ書を被告人が受け取る際に『何かあったら弁護士に渡すように』と言って渡された。
・当該メモ書は、本公判全般に係る内容が含まれる可能性があるため、現時点で原本は提示できない。
・・被害者もそこまで手が混んだことをしないと、身の安全が図れない状況だったのか? 被告人が犯行を認めていても、これで弁護側の主張が一つでも立証されれば、かなり有利ではあるが!
【公判、被告人尋問】
被告人尋問は、テレビや映画などでよく見る光景であるが、検察官から犯行の証拠、証人が示され尋問された段階でも、被告人は一貫して無罪を主張した。検察での供述内容もデタラメだと言い放ったのである。
▶検察官の主たる尋問の要点は次のとおり。
検察官「被告人は、被害者と内縁関係にあったと主張していますが、その内縁関係はどういうものか、説明してください!」
被告人「おれは、彼女と一緒に住んでいた。生活費は6、4でおれの方が多く払っていた。週に1回以上セックスをして避妊具は付けないときもあった。それ以外にも、前に日本国籍を取るのに相談にのってやった」
検察官「被害者のダイアリーに、週に1回程度あなたの名前が記載されているのは、どういうことを目的としていたのか記憶にありますか?」
被告人「知りません。たぶん会う人や、電話する人を書いていたと思う。おれの名前は漢字で書けるが、彼女は漢字をあんまり書けない。日本に子供の頃からいたが小学校も行っていないと言っていた」
検察官「殺害当日、被害者のダイアリーに被告人の氏名の田沼 修吾郎の記載がありましたが、被害者が何を目的にあなたの氏名を書いたか知っていますか?」
被告人「分かりません。でも、競艇に行くとは言いましたが、他に約束はしていない」
検察官「被告人は、競艇場から自宅に戻った時に、被害者の王 周華さんは家に居なかったと供述しています。では被害者があなたの家に来たときから、あなたと性行為に及ぶまでの時間はどのくらいでしたか?」
被告人「たぶん、5分くらいです。あの女が何か急いでいるみたいだったんで、一緒に缶ビールを飲んで直ぐにセックスして、おれはそれからは、あんまり覚えていません!」
検察官「被告人は、性行為の前後に被害者にお金を渡しましたか? また、過去に渡した記憶はありますか?」
被告人「その時は渡していない。その前は、おれが金を持っているときは渡すこともあった。生活費とか小遣いというつもりで渡していた」
⇒そして、検察官の鋭い追求がこのように行われた。
検察官「では被告人は、精神的な興奮を抑えるために、常用する精神安定剤があると聞いています。被害者が殺害された当時は、薬が手元になくて飲むことができず、興奮状態にあったのではありませんか?」
被告人「たしかに薬は切らしていました。薬をどこかに入れっぱなしにして、見付らなかったので飲めなかった。でも、そんなには興奮してなかったと思う!」
検察官「被告人は、その薬を服用すると、暫くは何をやったか記憶がなくなると供述していますが、殺害前に興奮を抑えるために服薬したのではありませんか?」
被告人「覚えていません。気が付いたら警察官に捕まっていました。それ以外はあんまり覚えていません。おれには殺す理由もありません」
弁護人「異議あり! 誘導的な質問内容を含みます」
裁判長「検察官は誘導的な質問の仕方を注意して下さい!」
検察官「すみません。では、質問を続けます! 被告人は犯行の当日に、誰かに目隠しをされ、結束バンドのようなもので縛られた状態で、犯行現場まで連れて行かれたと主張しています。その記憶があるのに、先ほどの警察官に捕まるまで覚えていないと言われた説明とは矛盾しませんか? また、被告人は殺害の犯行現場とする場所は、被告人の自宅ではないと主張していますが、記憶が無く、且つ目隠しをされている状態で、そのことを確認できたと言うこととも矛盾しませんか?」
弁護士「異議あり!」
裁判長「異議を却下します。被告人は答えて下さい」
被告人「だから、おれはセックスしたあと、なんとなく女の声が聞こえていて、その女が誰かに抵抗していたように思いました。目隠しと結束バンドは間違いなくされていた。ほんとうだ。ときどき記憶が途切れたが、ぜったい間違いありません!」
検察官「それでは、被告人が犯行当日に警察官に身柄確保された状況について伺います。先ほど被告人が言われた、目隠しと、結束バンドはその時点で、被告人の体にされていましたか?」
被告人「いいえ! ありませんでした。いつの時点かで取れたと思います。分かりません」
検察官「以上で質問を終わります!」
公判が進むにつれて、私は改めて自分が当時犯行現場の近くにいて、別件とは言え警察署に任意同行したことに意識が行くようになっていた。特に、縊首を装ったとされる現場の近くにいて写真を撮ったとされる人物が、当時の私と同じ行動をしたとされていること。また、犯行当日の警察署の体制から、偶然警察官が被告人を発見したとしても、身柄確保までの展開があまりに迅速で、それに伴う特別な動きが警察署内に感じられなかった中で、翌日のガサ(家宅捜索)の申請までいきなり進んだことは、明らかに手際が良すぎる。そして、犯行当日の署内の状況を私がこの目で見ているからだ。
私は、裁判長である上司(佐伯主席判事)に相談した。
私「この段階でお話しすることを、先ずお詫びします! 本件発生時、休暇でたまたま現場近くにおりました。現時点では私の行動等が公判の審理に影響しておりませんが! ただ、状況によっては関わる可能性も否定できないもので、ご相談にまいりました」
佐伯「そうだったんですか! 解りました。その時はそのときで公判に集中しましょう。ああ! ところで私の疑問は、被告人の身柄確保までが上手く行き過ぎだと感じていました。たまたま、縊首の現場に向かう途中だったとしても、誰が公園の倉庫にいるかは、普通は分かりませんよね!」
私「私も同じことを思っておりました。当時、私は最寄りの地下鉄の入口で職質をしていた警官に警察署まで同行を求められましたので!」
佐伯「ええ! あなたがですか?! またそれは驚きですね。というと、どう見ても警察署の当務体制では、当時被疑者の被告人を確保するには、そいつを尾行でもしていないと難しいと! なるほど、で、他には?」
私「偶然ですが、縊首現場の近くまで行って工事の立入禁止の近くで写真を2、3枚撮りました。犯行の縊首偽装と同じ時間帯です」
佐伯「ほうー! 検察官は同様行為の証人は立てていませんよね。どうしますかねー! それをあなたは聞きたいでしょうし。もしかして、その人物があなたなら捜査時の進め方に正確性が欠けるのか! まあ、ついでと言ってはなんですが、その写真ありますか?」
私「はい! 私用の携帯に入っているので、直ぐにお見せできます」
佐伯「日時は分かるでしょ! 写真のね」
私「はい、入っています!」
佐伯「あっ、それとね! 弁護側のあの被害者が書いたと言ってるメモは、不思議な暗号みたいですね! 被害者の女性は漢字が不得意で、あんな文章を書いて残すには、誰かにあれを見られても分からないようにするためなのかなー?! だから、あの意味が分かれば何か流れるような気がするなー」
私「分かりました! こちら(裁判所)からの証拠内容の確認調整と、あのメモが何を言おうとしたか調べてみます。結果は山本判事にも共有します」
私は裁判長とのこの話を、公判の裁判官のうちのもう一人、山本判事に説明した。
山本「なんだ、そうでしたか! 納得、納得! だって弁護側の言ってることが本当なら、ひっくり返る話でしょう。物的証拠は少なくても、被告人の主張が一つでも正しいと分かれば、これはまた所轄(警察)が犯行を形にするためだけに、被告人の主張を完全に無視したことになりますからね! 分かりました。結果は裁判長と一緒に伺います」
私「はい! よろしくお願いします」
○地裁での証拠調の再確認
・一点目:縊首現場の近くで写真を撮影した者の証言
当日の工事関係者が見回り中に撮影した。写真はあるがデーターは残っていない。撮影時刻は見回りの開始時刻から推定したもの。その際、縊首状況を発見し、110番通報ではなく、119番通報を先にした。工事業者の写真と私の写真の相違点は、工事業者の写真に枯葉の中にゴミ(ビールの空き缶や乳製品の紙パック)が無かったこと、及び雲の形が異なること。
・二点目:被告人の身柄確保の状況
身柄確保の現場は当該公園の管理用倉庫内で、確保に当たった警察官は三人。被告人が中に居るという事実は、縊首現場に行く途中で、警察官のうちの一人が、たまたま倉庫のシャッターが半分程度開いていて、中を確認したところ不審な行動をする者が確認できたことによる。
その確保に当たった警察官
①警部補 木下 実(41)
②巡査 田中 良治(23)
③巡査 伊豆 香(22)
被告人が倉庫の中にいたときの第一発見者は、木下警部補。同警部補から所轄無線で応援要請により、残る二名は地下鉄の近くの駐輪場付近から、要請現場まで自転車で向かった。木下警部補は警察署内での出動指令の時点で、縊首現場まではパトカーより徒歩経路の方が近くて行きやすいと自ら進言し、一人で現場に向かった。
木下警部補が被告人を身柄確保した時点では、被告人の意識はあったが、質問をしても呂律が回らず興奮状態だった。その時点で目隠しや結束バンドはされておらず、周囲にも無かったことは木下警部補が確認している。
・三点目:被害者が被告人に殺害される前に渡した自筆のメモの記載内容『真実は桜の木の下に眠っている』に関して
私は、被害者の女性が誰かに脅迫されていた前提でこのメモを暫く見ていた。しかし、これとは別に、犯行当日、自分が見た現場の状況によって、先々の公判の中で謎が解き明かされた場合、公判の審理に影響するのではないかということに意識が向いていた。
私「この案件で、どうしてこんな形で私が関わるのかだなー! 私の真実は、偶然にもあの休みの日に現場の近くに行き、事件と関わることになった。……まさに運命のいたずらか! 自分のことは自分でもう一度見て決める。だな!」
私は、子供の頃の思い出に浸った場所に仕事目的で行くことに戸惑いはなく、バッティングセンターで汗を流して気持ちの整理が出来ればよいと考えていた。
○もう一度辿ると見えること
後日、私は休暇を申請し、本当は思い出を辿るはずだった同じ場所にいた。
何も考えず、ただあのとき行けなかったバッティングセンターでボールを打ち、子供の頃を懐かしんでいた。山積みのコインが無くなり掛けて親指の皮がむけ始め、空振りが増えて限界を感じたとき、たまたまバットに重たい打球の感触を覚えた。と、そのとき、被告人の自宅がバッティングセンターの隣のゴルフ練習場の先にあることを思い出した。私は、ゴルフ練習場は行ったことはなかったが、照明が通勤電車からも見えていて、日中から深夜まで営業しているとの前提でそこに向かうと、何台かの防犯カメラが被告人のアパートに向かって設置されていた。
当然、犯行当日の録画データーは所轄で押えてあるはず。直ぐに、裁判所から検察の証拠確認の手続きに入った。しかし、検察からは資料提出に時間を要するとの回答があり、そのカメラ映像が公判進行に何らかの影響があることが推察できた。
○地裁会議室
私「前に山本判事に、多くの映像が抑えてはあるが、検察が証拠として全部見切れていないのではと言ってたことに関係するんですが!」
山本「なるほど、どうしてですかね! あれだけ大きなゴルフ練習場の防犯カメラでしょう。半年とかは記録を取っているんじゃないかなー! 脇の駐車場で何かあっても遡れないですしね。ましてや、検察側が証拠として当時のデーターを持って行っているのに!」
私「そこなんですよね!」
山本「あっ、佐伯さん! これから連絡しようと思っていました」
佐伯(裁判長)「映像の件でしょう。まあ、とりあえず待ちましょうか! 関連の映像を全部見るには時間がかかるしね。あと、例のメモは検察側で何か言ってきてますか?」
私「いえ! ただ、被害者が何らかの意図を持って残したという考えは、向こう(検察)も持っているようです」
佐伯「分かりました! しかし、次の公判までの時間もあるから、弁護側にも話してもらえますかね!」
私「はい!」
○弁護側の証拠確認(追加)
やはり、弁護側も被害者が残したメモと被告人の自宅アパートの周辺の映像について、動いていたのだった。
佐藤(弁護人)「いや、どうもお疲れ様です! ちょっと別件で地裁に来てまして。例のメモのことですか?!」
私「ええ、そうなんです。例の暗号解読ですが、あの文面から紐解いて何か分ることが出たならですが! 証拠として予想外に重要だったような場合ですね!」
佐藤「ああー、骨董品の鑑定みたいにね! ただの紙と見るなかれ。亡くなった被害者が犯人に殺される可能性を感じながら考え抜いて、そいつ(加害者)にメモが見付かっても分らないようにする、でしょう! それも日本語が苦手な在日中国人の若い女性がですから! まあ、それが本当ならって誰もが思いますしね」
私「うむ、何か掴みましたね、佐藤さん!? この場は正式な証拠調べの場にします。長い付き合いですが、そこは割り切ってお願いします!」
佐藤「仰るとおりです! いま、検察に被告人の自宅近くのゴルフ練習場のカメラ映像を見せろって言ってはいますが、見せてくれないどころか、その練習場にまで見せるなって言ってまして!」
私「こちらもです!」
佐藤「そうですか! じゃあ検察もあのメモの意味が見えて来てるってことですかね! まあ、お立場的には裁判官から言えないでしょうから、こちらの見立ては私から説明しましょう!」
▶佐藤弁護士の説明(要約)
・被害者が残したとされるメモは、自筆によるものと鑑定された。用紙はコピーで使うA4中質紙に水性ボールペン(被害者のバッグにあった青のペンとインクが一致)で書かれたもの。
内容『真実は桜の木の下に眠っている』を
実行犯の氏名が含まれると仮定して漢字を組み合わせると「眠」は外す。残る漢字「真、実、桜、木、下」で名前を考える。
・被害者の性歴から男性とみて、氏名の下の名として用いられる漢字は「桜、木、下」は名の組み合わせても一般には使わない。
・残る「真、実」で名を構成すると「真か実」で「真実はまこと」とも読むが「実真」はない。
・名字(姓)に真と実の汎用数が極端に少なく、残りの「桜、木、下」で用いられる姓を構成すると「桜木、桜下、木下、木桜、下木、下桜」この中で氏で多いのが「桜木と木下」
・氏名として考えられるものは、次の6種類
「桜木真、桜木実、木下真、木下実、桜木真実、木下真実」
・この他には、中国語のイメージで、これが真実ですと言う意味で頭に「真」と付けて強調することがある。桜はよく分からないが風俗的な隠語で警察を意味する場合もある。
・最後に「眠」は、眠らせるや、殺す、殺されるの意味。
私は、複雑な分析に何度か確認を繰り返し、一応の納得を示した。
私「佐藤弁護士が、何が仰りたいか大体分かりました。ただ、あくまでメモの解釈に過ぎないので、それを裏付ける必要性は残りますね!」
弁護人「そのとおりです。言われなくてもちゃんとやってますよ!」
○野球道具の忘れ物
弁護人の佐藤氏と会った翌日、バッティングセンターの近くの交番から私に電話があった。何かと思ったら、私の野球道具の入っているバッグを預かっているというのだ。たしかに、親指の皮がむけるほどボールを打ち、ふと被告人のアパートが近くにあったと思った時点から、いろんな思いが交錯してすっかり置き忘れてしまったのだった。
私は、受話器を持つ手に、未だマメのあとが残ることを子供のようだと苦笑して、その日の仕事帰りに交番に立ち寄ることを伝えた。
そしてまた、昔住んでいた街の駅前にある交番に足を運んだのだった。
私「お世話になりました。野球道具を取りにきました!」
警察官「ああ、これですね! 間違いありませんか?」
私「どうも! これです。安物で古くて捨てられても文句が言えない物です!」
警察官「そうですか。これは本署経由で必ずお返しするようにと言われてまして。グローブに住所とお名前がありましたから!」
私「ああ、なるほど! ところでどなたが持って来られたんですか?」
警察官「はい! たぶんあなたがお聞きになられると思って、ご本人にも了解をいただいております」
私「そうでしたか! ありがとうございます」
警察官「支配人さんがわざわざここに持ってこられました。そして、持ち主さんはバッティング教室の生徒さんだった方ではないかと言われてましたよ!」
私「ええ、そうなんですか! なんでそんな昔のことを覚えておられるんだろう!」
警察官「もう30年以上とかって言っておられました。支配人も呆れるくらい打っても打っても止めない子で、なかなか上手くならなくて、最後には支配人が付いて、お金無しでマシーンを打てるようにしてあげたとか!」
私「そうか! あのときの方が支配人さんになられたのか! いやー、行って挨拶してきます! ありがとうございました!」
○バッティングセンターのビル
私「大変申し訳ございません! これから事務所に伺って支配人にご挨拶させていただきたいんですが! 野球道具を忘れたら者です。名刺をお渡ししますので!」
受付「少々お待ち下さい!」
私は、名刺の肩書と、忘れ物の野球道具のバランスを度外視しても、なんとか直接会ってお礼を言いたかった。
支配人は、間違いなくあの時に私を見守ってくれた人だった。
私「ああ! ほんとうにその節はお世話になりました! それに、あの頃使ってたこの野球道具をお届けいただくなんて!」
支配人「いやいやー! 懐かしいの何のってね! 僕もこのバットとグローブを見た瞬間に、あれ!って。 30年前にタイムスリップでしたよ!」
私「いやー、覚えています! こういう事が起きるのは何だか不思議ですが、あるんですねー!」
支配人「またこの名刺が、僕の余計なお節介を打ち消すなー! 裁判官になられたんですねえ。あの野球少年がね!」
私「ええ! ほんとうにお陰さまです。ボールは当たらなくても、あの頃のモヤモヤを打ち飛ばすことができたのは、ここがあったからです!」
支配人「そうでしたね! 話してましたねー。 思い出すなー! でもね、ここも残念ながら建て替え計画に上がっちゃって、隣の練習場と一緒にね!」
私「あー、それは残念だな〜! お隣(ゴルフ練習場)も経営は一緒でしたですね!」
支配人「ええ、そうです! よく知ってますねー」
私「ちょっと仕事の関係で扱ったもので! 申し訳無いですが! これ以上は話せないんで!」
支配人「そりゃそうだ! うちも最近、話せないことが急に増えて、話せた方がどれだけ楽か分かるから、裁判官は大変な仕事だと分かってますよ!」
私「すみません。悪く思われないで下さい。あっ、ねえー! 支配人は、警察とお付き合いがあるんでしたら、私がここに来たら署の誰かから知らせてほしいとか、言われてますか?」
支配人「ええ?! さすが裁判官だなー。そのとおり! あちらの庶務の警務課長さんから! でもね、野球道具のお礼に来た話じゃないよ! あちらの署員が映ったビデオの話のことでね!」
私「まあ! 迷惑になるといけないし、言わなくてもいいですから! せっかくの感動の再会ですからね!」
私は、支配人の気遣いを心の中で詫ながら、正式に証人指定をさせていただき、後日再び会うことになった。
○野球道具を受け取った翌々日
忘れ物の野球道具を受け取った翌々日、出勤間も無く山本判事が私の自席に来た。
山本「届きましたよ。ご所望のものが!」
私「やはり届きましたか!」
山本「えっ! 何かありましたか?」
おそらく私が一昨日、バッティングセンターの支配人と会ったことで、警察署から検察に情報が流れ、それで被告人宅が映ったビデオを提出すると予想できたのだが、それは山本判事には言えなかった。
私「いいえ! 虫の知らせです。佐伯さん(裁判長)は?」
佐伯「おう! いま行きますよ。ことが一つでも流れると早く進むけど、まあ観てみましょう!」
山本「技術担当に準備して下さいって言ってきました。受領と現物確認をOA室でやりましょう。とりあえず三人立ち会いで!」
私「あっ、はい! 書類を片付けたら直ぐにいきます」
山本「了解! 先に行ってますよ」
何か、不思議と堰を切ったように感じられた。山本判事も後で同じことを思っていたと話していた。
◯被告人宅のビデオチェック
佐伯(裁判長)「さあー、はじめますか! 技術チェックはいいですか?」
技術担当「念の為、二分の一(の速度)で映して、3台のカメラの時間の同期を確認します。時間がかかりますが、ひと通りチェックでやるので最後まで通しでいきます!」
佐伯「オッケー! どうぞ!」
私はメモを持った。ポイントとなる映像の時刻を書き取るためだ。
二時間後。
山本「おわりましたね!」
佐伯「ああ、そうだね! 終わったね」
山本「一週間に3回ですか! そして事件当日は2回! でも被害者と二人で被告人を案内してるような感じはしないねえ! それにちゃんと歩けてるしねー」
佐伯「大柄で柔道とかやってそうだな! 当日の2回目は証拠品を陳列にでも来たかな?! それに制服で入っているしねー。そうそう、被告人が飲んだビールの缶と中身のビールが証拠品のリストから漏れていたので追加指定したら、検察はそれも時間がかかるって言ってましたよ!」
私「じゃー、こちらから保管確認に行きましょうか!?」
佐伯「いやね! 検察官の言うには品目には上がっているが、個々のリストとしては多すぎて埋まっているとかでね!」
私「それは、どこにあるんですか?」
佐伯「なんだか、まだ所轄(警察署)預かりみたいで、ゴミ袋に入っているようなこと言ってました! まあ、ポイントの一つになりそうなので見てきて下さい。分かってると思いますが、中のビールの残りの分析結果もね!」
私「はい!」
私は直ぐに警察署長に電話した。山本判事は検察官に電話で証拠品の保管確認と、リストの再整理を要請していた。
○所轄保管品の確認
直前の公判までの間に、証人尋問や弁護人の調査が進むと、急に証拠品が増えることがある。しかし、この事件の場合、被告人が犯行当日に偶然とは言え身柄確保されており、それ以降に自宅に戻るのは、犯行の再現の証拠取りくらいである。現場は24時間警察官が立哨しているのだが、その警察官が目を離した隙に誰かが証拠を隠蔽や追加するとなると別である。嫌な予感がした。
私「署長自らのお出迎えですか! お忙しいところ恐縮です。今日は私とこの度の公判の担当者を2名連れてきました」
署長「ああ、はい! その節はご迷惑をおかけしたようで、まさか先般のお電話の方が、この山(事件)の裁判を担当されるとは驚きです。あ、あっと! 野球道具の件は支配人から聞いておりますよ!」
私「お忙しいと思いますので、準備ができ次第やりましょう!」
署長「まあ、ちょっと署長室で準備が出来るまでお待ち下さい。そんなにかかりませんから! それに弁護人さんも来られましたし、検察官の代理も間もなく来るでしょうから!」
○署長室
署長「どうぞお入り下さい!」
私「弁護人とは、検察官の代理の方が同席されてからの方がいいので! 署長さんは地方警務官のお立場で同席願います」
署長「はい、心得ております!」
署長室の中は無言の時間が続いた。署長の経歴は知らないが、この手の対応に不慣れであることは容易に推察できた。そして、検察官の代理の者は30分ほど遅れ、身分証明書を見せて私たちに挨拶した。
検察の代理「よろしくお願いします。まだ所轄にいろいろあるようで!」
私「いたしかたないでしょう!」
▶道場に並べられた証拠品
事前に証拠確認の対象としていたものが次の6点。
①被告人が犯行前に飲んだとされるビールの残り(ビール缶と当該ビール缶に付着した被告人のDNA特定に関する資料を含む)
②当該ビール缶に付着した指紋と当該指紋の人定結果
③被告人の自宅方向が映るビデオ映像に映る人物のうち、公園管理用車両(車両番号×××××)に乗降した者の人定結果
④前②及び③に同一者がいる場合の証明資料
⑤被告人が常用し、定期通院する医療機関の医師から服薬指定された精神安定剤の所在と残りの数
⑥前⑤の薬がビール内に含まれた場合の推定量と、その量による成人男性への身体への医学的影響程度
証拠品は、警察署の道場にビニールシートを敷き、私が以前任意同行で同署に連れて来られたときに使われたものと同じテーブルの上に置かれていた。確かに多い。だが、まだまだ増えるのにも関わらず、その整理は遅れていた。
一連の確認が終わると、検察官の代理人からビールの残りから、約10錠分の精神安定剤の含有と、飲用の場合の若干の意識喪失を説明された。状況から被告人本人が飲用したと特定できるが、事件当日の何時頃飲んだかは不明であると説明があつた。そして、一言、敗北を認めるような話も聞こえてしまったが、私は素知らぬ顔で流した。
検察の代理「ここは造幣局を守るために置かれているようなもんで、刑法犯はほとんど無いんです。実務経験の少ない者が多くて、なんだか仕事が遅くてご迷惑かけてます!」
私にとってはそんなことより、バッティングセンターの支配人のことが気になった。そこで、私と一緒に来た事務官二名を証拠品確認後に地裁に帰し、私は支配人のところに顔を出した。だが、あいにく支配人は不在で、時間も空いたので被告人の家まで行ってみた。
私は、ゴルフ練習場のカメラの位置を確認しながらアパートに近づくと、地裁で見た映像が頭に残っていて、犯行当日の状況をイメージした。礼を失してはいけないと、立哨の警察官に一言挨拶の言葉をかけた。
私「お疲れさまです! 先ほど本署で証拠確認をしてきました。ついでに立ち寄らせていただきましたが、外から見るだけです!」
そう言って身分証明書を提示すると、警察官は直ぐに携帯電話で何処かに連絡していた。
被告人が住んでいたアパートは2階建てで、ここも再開発になるような古さに見えた。敷地には老木の柿の木があり、緑の新芽を吹いていた。
私「ありがとうございました! これで一応見終わりました」
警察官「お疲れさまでした!」
私はアパートを一巡して警察官に挨拶し、駅の方に向いかけた。そして2、3歩、そのまま歩きかけ、何となく気になり、また振り返るとあの映像から消えている物に気付く。
私「うむ、なんで無いんだ?!」
また戻って記憶を辿る。
警察官「どうかされましたか?」
私「あっ、いえね! このあたりに桜の木がありませんでしたか?」
警察官「さあー! 自分は初めてここで勤務にあたっています。どの辺りですかねー?」
警察官は庭を端から見回し、足で落ち葉をかき分けた。
警察官「確かにこれは桜の葉っぱですね! 間違いなくありましたね!」
丁寧に探す彼の反対側に、ビールの空き缶と乳製品の紙パックを見付けた。一瞬の風に落ち葉が数枚飛んでいく。
私「ちょっとわるいけど、後ろの空き缶の辺りを見てくれませんか!」
警察官「はいはい!……あっ、ありました。ここに切り株が! たぶん桜ですね」
私「そうですか! あのー、ここから写真とって、その場所だけ記録したいんですが。この前見たビデオの映像には桜の木があったもので!」
警察官「はい、いいですよ! 建物の中に入らなければ。他の人も出入りしてますし! じゃあ、ちょっと葉っぱ退かしますね!」
私「いや、わるいですね!」
警察官「あれ! 何だこれ! えっ、うえー……指だ! 人の指だ!」
彼は慌てたが、さすが警察官。直ぐに100番で状況を通報し、周囲は間も無く警察の規制監理下におかれた。私は状況を直ぐに地裁の佐伯裁判長と山本判事に伝えた。
山本「うーん! それは何とだなー。それより凄いタイミングだよ! 今さっき検察から連絡があって、本件の同一事案で内容を変えて再度立件する意向なんだそうだ。だから今の状況では、この公判は一旦中止して、正式にいけば取り下げることになるところだよ!」
私「この件は、先ほど佐伯さんには伝えましたが、じゃあ、警察官の木下と殺された王 周華でやり直すと言う話になっていた! なら、被告人の田沼は白にですか?!」
山本「まあ、そういう流れだが、だがだ! その、君の方の埋まっている死体がこの件と関係しているとなると、またまた振り出しに戻る! とりあえず佐伯さん(裁判長)に話してから、また連絡するよ!」
そして、それから1時間ほどして、警察署長と本庁の捜査一課長が現場に現れた。捜査一課長は中学のバスケ部の先輩で、彼の官舎は地裁の近くにある。
私「ああ、どうも!」
一課長「あら! 偶然ですなー、裁判官どの!」
警察署長「えっ! お知り合いですか?」
一課長「ちょっと、昔からの友人でね!」
警察署長「いやー、そんな話は一言も仰られませんでしたから!」
一課長「何か失礼なことしたんじゃないの?」
私「いやー、とんでもないです! ここの立哨の警察官が極めて迅速かつ適切な対応をされたもので、何とか無事に進むと思います!」
一課長「う〜ん、そう来たか! ナイスフェイクだね。相変わらずだな!」
私「はい! そろそろ地裁に戻ります。また、そのうちに!」
一課長「ああ! そうそう、さっき佐伯さん(裁判長)から電話もらったよ! ナイスパスって。タイミング的にもね!」
私「ああ、なんだそれで! 分かりました」
その現場からの帰り道、偶然バッティングセンターの支配人と会って挨拶を交わした。近くで大騒ぎになり様子を見に来たと言っていた。これも不思議なタイミングだと感じていたが、私には支配人と話す余裕はなかった。
駅に着くと、山本判事から緊急の電話があった。
山本「いやー、出るわ出るわ! 検察の話では、実は、王 周華は双子で姉には太腿の内側に蛇の刺青があるんだって。この双子は無戸籍者でね! 去年、妹の周華がスーパーに勤めるにあたり戸籍を取得したんだって」
私「ええ? もしかしてあれですか! 埋まっているのはどっちです?」
山本「まあまあ、これから話すから! あれ、今どこにいるの?」
私「すみません、駅にいます! 戻りますから一旦切ります!」
山本「ああ、わりと複雑だからその方がいいな! 待ってるよ」
○地裁の自席
私は戻ると直ぐに、山本判事と佐伯氏(裁判長)に戻りを伝えた。既に再捜査の話しが進んでいて、本件は警察本庁の捜査一課が所轄から事案を全て引き継ぐことになっていた。
山本「いやーお疲れさま! さっきの続きだけどね。結論からいくと、埋められた遺体はDNA鑑定中です。まだ、どっちか分からないけど姉は無戸籍で名前は王 周蘭。母親が名古屋にいて、向こうの地裁経由で照会かけたら、いろいろありましたよ!」
私「さすがですね! やることが早い。それで刺青は妹というか、縊首した方にありましたっけ?」
山本「うん! それも確認済みです。無かったですよ!」
私「じゃあ、妹の周華が公園で縊首させられた方ですか! それじゃあ、誰が彼女を殺ったんだろう?」
山本「まあ、それもおいおい分かると思いますが、たぶん双子の違いが太腿の刺青の有る無しで分かっていた奴が殺ったんじゃないかな! だから下半身にガソリンを掛けて、焼いて判らなくしようとしたとかだね!」
私「なるほど、そうか……あっ、佐伯さん!」
佐伯(裁判長)「まあ! ここまで縺れたら捜査一課に任せて、今後の参考値が沢山あるから、こちらは最初から見直して、検証事案で残しますか!」
【仕切り直し公判第一回(経緯説明)】
後日、この事件の展開は、警察内部の問題としても世間を騒がせたが、推理小説のネタのようだとマスコミが様々な情報を掻き立て、公判傍聴の申し込みは列を成した。これで真実が明らかになるという達成感より、再び同じ内容の証拠調べを仕切り直せば、また違った展開があるのではないかと疑念にかられ、検察、弁護、そして我々地裁も慎重に成らざるを得ないと感じた。
私「やっぱり降ろしてもらって良かった! 裁判官が事件の展開にこれだけ関わると、マスコミに何を書かれるか分からないからな!」
私は特別傍聴の席から、仕切り直しの第一回公判を見守っていた。
検察官「起訴状読み上げの前に、本件の特異性に鑑み経緯説明を致します。でわ……」
検察官は、様々な憶測を打ち消すかのように淡々と経緯を説明したが、法廷内は若干どよ
めいた。被告人席には、警察官の木下 実と、田沼 修吾郎の二人が座っていた。
罪状は共謀正犯による殺人罪(刑法第199条及び第60条)
被告人両名は共謀して、姉の王 周華と、その妹の王 周蘭を殺害したと言うのだった。そして罪状認否は両名ともこれを認め、傍聴席はまたどよめいた。あっという間に第一回公判が終わり、私は地裁の自席に戻った。
私「まだまだそんなに甘くはないということ。偶然は必然の始まりだな! つまらん柵は捨て来いってか!」
すると、完全に山本判事に不意を突かれた。
山本「何をブツブツ! 外野で気楽に見ているのに。退屈だったら何時でも変わるから!」
私「あっ、すみません! 大変でしたね」
山本「ありがとう。それで、だ! 一連の話は検証事案確定で、君が高裁説明の担当だってさ。急いでこれまでの資料に目を通しーの! 新しい動きも頭に入れておいて、おくれ! ついでに、これが一番下の妹の供述調書で、王 周桜のだ!」
私「ええ、まだ下に妹がいたんですか?!」
山本「そう! 二つ下の、王 周桜。こいつも無戸籍ですって!」
私「いや、本当ですか?!」
実は、この王 周桜も無戸籍者で姉の周華に成り済ましていたのだった。二人の姉が殺害されたことを知り、警察に保護を求めて来たのだった。彼女も被告人の木下と田沼と面識があり、無戸籍で医療費や税金等を免れていたのだ。そして、姉妹3人は被告人の二名から、そのことをネタにされ違法風俗や医薬品の密売をやらされていたと王 周桜の供述書に記されていた。
【第三回公判(真実への足掛かり)】
この前の第二回公判は、被告人両名がほぼ全て犯行を認めた関係で、公判そのものはかなり早く進み、被告人の犯行と証拠の確認に関する追加証拠の説明が行われただけで、あっさりと終わった。だが、共謀正犯の首謀側が絞り切れておらず、問題はこの第三回公判以降だったのである。
第三回は、被告人の情状についての証人尋問が行われていた。被害者二名の末の妹、王 周桜は、検察側の証人として出廷していた。
周桜「私は殺された二人の被害者の妹の王 周桜です。命を奪われた二人の姉は私にとって掛け替えのない存在でした。私も日本人じゃないのと、戸籍を嘘ついていたので何度かこの二人に脅され、嫌なことさせられました。姉を殺されて、私も殺されたらどうしようと思って別の場所に隠れていて、新宿の警察に相談に行きました。私は二人が憎いし、とても怖いので死刑になってほしいです!」
この末尾の一言を聞いた以降、被告人二人のうち、警察官の木下は泣きながら、そして田沼は上を向きながら、王 周桜の話を聞いていた。
検察官「では、証人は被告人両名に極刑を望むということですね!」
周桜「はい! そのとおりです」
検察官「それでは、あなたと被害者の二人のお姉さんの関係についてお話しください!」
周桜「はい! 二人とは小さい頃は仲が良かったです。私が16のときに名古屋から東京に3人で引っ越しました。お母さんは名古屋にいます。はじめは3人でマッサージで働いていたけど、お客さんがいつも嫌らしいことするので辞めました。それから暫くして、姉の周華は真面目にスーパーに勤めました。でも、田沼に脅されてお金持っていかれて、ときどき殴られました。スーパーに勤めるときに戸籍を取るのに100万円要ると言われて、田沼の知り合いに借金しました。それで、姉の周欄と私はお金が無いので、もう戸籍が取れないと思っていました。私が働くときにも嘘つきました。姉の周華の戸籍を借りました」
検察官「では、あなたはそのことで被告人から脅迫されましたか?」
周桜「はい! 私のお金も持っていかれて、姉の周華と私二人が田沼のアパートに住めと言われ、お金が無いので田沼からときどきお金をもらっていました。私は、あそこの田沼の横に座っている警察の人に紹介されて、ときどきアパートとか電車の中で体を変なことされました。田沼から警察にも知り合いがいると言われ、私がいろいろ嘘ついたので連れて行かれると思い、何度も我慢して触られました」
検察官「証人、王 周桜さん! あなたは、被告人席にいる田沼 修吾郎の隣の人が、どうして警察官だと分かりましたか?」
周桜「はい! いつも田沼のアパートに来るとき、警察の格好していたから! ピストル持っていました。服も帽子も着けていました」
この証言の直後、マスコミ関係者と思われる何人かが傍聴席から出て行った。更に検察の証人尋問は続いた。
検察官「王 周桜さん! あなたは、一番上の姉の王 周蘭さんが殺害されたときは、どこに居ましたか?」
周桜「はい! 私は、その時は怖くて田沼のアパートの押入れに隠れていました。私の姉の周蘭は田沼に金を渡せと言われて殴られました。それで声が聞こえなくなったので、もしかして死んだと思いました。周蘭は私と周華をかばうために、体を売ってお金稼いでいた!」
裁判長「証人は落ち着いて話して下さい。落ち着いてゆっくりでいいですよ!」
検察官「裁判長! 証人の精神的負担に配慮して、休廷をお願いします」
裁判長「検察官の申し出を認めます。暫時休廷に入ります!」
裁判長の休廷の発声と同時に、王 周桜は気を失いかけて椅子にもたれた。
開廷予定時刻は、証人の状況に配慮され指定されないと思われた。裁判長としての佐伯さんの配慮が沁みた。傍聴席には、その後予定時刻として概ね30分後が伝えられていた。
◯開廷
裁判長「それでは開廷します!」
開廷は40分後に行われた。法廷は静寂に染まり、裁判長の佐伯氏の声が重かった。
裁判長「検察官は先ほどの続きをお願いします!」
検察官「はい! それでは初めます。……証人が姉の王 周蘭さんの殺害を目撃したときの状況について。証人は、姉の王 周蘭さんが被告人の田沼 修吾郎から殴られたことを目撃しましたか?」
周桜「はい! 押入れの隙間から見えました。私の携帯で、周蘭が殴られるとこちゃんと撮りました。怖くて手が震えて音しか入っていないところもあるけど、何回も殴られたのを撮りました。動かなくなっても、あの男に殴られていました!」
検察官「本件の携帯電話の録画については、既に証拠指定しております! では証人は、姉の王 周蘭さんがその時は本当に死亡されたとは分からなかったということになりますが、王 周蘭さんが亡くなったことを、どうして判ったのですか?」
周桜「それは、田沼は自分の携帯で木下と言って、直ぐに来いと言っていました。それから暫くして、何時も私に変なことする警察官が来て、その人が倒れている周蘭の息と心臓を聞いて、そこにいる二人が念の為だと言って、周蘭の首が半分になるくらい細いバンドで絞めていました。絞めたら戻らないプラスチックの紐です。もう死んでるのに、周蘭を、また殺した。可哀そう。……周蘭の顔は青黒くなって、絶対死んでしまった! なんで、そんなに苦しめるか。人間じゃない。悪魔!」
同席の裁判員の中に涙する者や、傍聴席で気分を悪くする者が出たが、王 周桜は気丈に話し続けた。
検察官「それでは、その王 周蘭さんの首に掛けられたプラスチックの紐を、被告人の二人が一緒に絞めたということですか?」
周桜「はい! 田沼が頭と肩を押えて、警察官が紐を引っ張りました。ライター使った。死んでるのに何するかと思った」
弁護人「異議あり!」
裁判長「弁護人は異議の内容を簡潔に申して下さい!」
弁護人「裁判長! ご出席の裁判員の中に、体調を配慮しなければならないと窺われる方がおられます。休廷をお願いします!」
裁判長「異議を認めます! 30分後に開廷します」
私は、その時の思いを忘れないようにとメモに残した。『法の番人でも人は人。嫌な仕事を誰がやるかは、自然に決まるべくして決まるものだ』と。
30分後に開廷された内容は凄惨なもので、度々休廷を挟み続けられた。真実を求めてやり抜く覚悟を、法廷全体で共有するかのように感じられた。
私「佐伯さん(裁判長)も、さすがとしか言いようがないな! 顔色一つ変えてない。殺害して桜の木の下に穴を掘って埋めたどこまで携帯で撮られていたなら、弁護人も厳しいとしか言いようがない! 反対尋問はどうするかだなー」
その後、姉の王 周蘭殺害及び死体遺棄に関する尋問は検察側の一方的な内容に終始した。弁護人からは反対尋問として、例のメモ(真実は桜の木の下に眠っている)について質問があった。
弁護人「証人、王 周桜さん! あなたは、名前の最後の一字に桜という文字を使われています。殺害された姉の王 周華さんが、被告人の田沼 修吾郎に、亡くなる前に何かあったらそのメモを弁護士に渡すようにと言ったことを知っていますか? また、その内容についてどう思われますか?」
検察官「異議あり! 弁護人の質問は本件の審議とは関係ないと思われます」
裁判長「異議を却下します。証人は弁護人の質問に答えて下さい!」
周桜「はい! ……あのメモの字を周華が書いた鑑定で同じことを聞かれました。周華は一度、流産しています。たぶん田沼の子供だと思いますが、分かりません。ときどき田沼が優しいので一緒に居るけど、キレると怖くて逃げたくなるって言っていました。……私は一番上の周蘭が田沼に殺されたことを周華に電話した! それで、二人で泣きました。どうしていいか分からなくて、死んだ周蘭は生き返らないし。でも、田沼は生きてるし、周華は田沼のこと好きだし。周蘭をあいつが殺したことは周華は違うと言っている。だから、だから田沼に本当にあんたが、あんたが殺したのと周華は聞きたかった! 私の姉さん殺したか聞きたかった。でも怖いし、周華は田沼のこと好きだし、ちゃんと聞けなかった!……メモは、ほんとは桜のとこに埋めたのはあいつ(田沼)と言っている!……あいつは悪魔!」
裁判長「弁護人は他に質問はありますか?」
弁護人「いえ、ありません!」
裁判長「それでは、これで第三回の公判を終了します! 静粛に、静粛にご退場下さい!」
それから何日かして、私は宿直勤務に就いていた。机の上の手帳に、公判の予定を書きながら、何となく王 周桜の答弁に根拠のない違和感を覚えていた。
私「人の不幸は辛く悲しく迫るもの! もうこれ以上何事も起こらないように願うだけだ」
○第四回公判の前日
急きょ山本判事が私のところに来て、拘留中の木下が舌を噛み切って自殺を図ったと言ってきた。遺書と思しき手紙を母親宛に残していて、その概略を私に話してくれた。
山本判事の説明は次のとおりだった。
・さいわい彼は一命を取り止めたが、話が適切にできないと公判に支障を来す。
・警察官の木下 実と、田沼 修吾郎は共謀して王 周蘭を殺害。田沼のアパートの脇の桜の木の下に死体を埋めた。ここまでは公判で明らかだが、木下 実が双子の妹の王 周華の殺害にどう関係したかが、この遺書と思しき手紙にあるというのだ。
・木下の書いた手紙によると、彼が直接被害者に危害を加える行為はしていないが、いわゆる最後の息の根を止めることを自分がやってしまったと言っている。また、田沼の身柄確保は田沼に首謀者として罪を着せるために考えたもので、犯行後に警察署に戻り、木下の気が変わって、公園の管理倉庫に隠れている田沼の姿を見付け身柄を確保した。
・一方で、田沼の方は供述調書の中で、自分のアパートの部屋で、王 周華の首を絞めて気を失わせた後で、結束バンドで窒息死させた方が抵抗されないため、その方が縊首を装うには都合がよく、傷や着衣に乱れがないと考えたと言っている。ただ、田沼は縊首を装うことは警察官の木下に言われて合意したので、首に痕が残らない程度に絞めた。従って、自分は傷害行為のみを行ったと主張したのだと。
・それを根拠に、殺害した場所は公園の木の下で、木下 実が王 周華が生きている可能性を知りつつ、周華の首の結束バンドを外してから、木の枝に回し掛けたローフを彼女の首に掛けて吊るした。そして、王 周華を絶命させた。田沼 修吾郎はこのように主張している。
【第四回公判(異なる主張)】
自殺を図った木下の精神的回復を待って四回目の公判が行われた。既に被告人相互の異なる主張が量刑を大きく左右することから、二人別々での審理となったのである。
《田沼 修吾郎の公判》
田沼の尋問はのらりくらりで、時折喚き散らすため時間を要した。ポイントは次のとおり。
・王 周蘭と、王 周華の双子の姉妹の殺害に関与したことと、両名に対して発作的に殺意が芽ばえたことは認めている。
・だが、両者を殺害する直接の行為は自分はやっていない。全て警察官の木下 実の具体的な指示でやった。例えばその指示は、結束バンドで王 周蘭の首を絞めるときに肩と頭を持っていろとか、王 周華の縊首を装うときにロープを首に掛けたら車をゆっくり前に出せという指示だった。王 周華殺害のときは、頭や顔を誰かに叩かれ、その叩かれた時は覚えているだけで、具体的にどうやったか、どういう指示を受けたかまでは覚えていないと言っている。
・田沼は、一番上の王 周蘭を殺害したときの記憶はハッキリ覚えている。しかし、二番目の王 周華の記憶は木下に身柄を確保されるまではあまり覚えていない。
・覚えているのは、王 周華とセックスをした後までで、それも記憶が途切れ途切れで何となく覚えている程度だ。その後は、周りがぼやけていて、変な音がしたり、大きな叫び声がしたりしたかもしれないが、何がなんだか分からなかった。
《木下 実の公判》
木下の王 周蘭(三姉妹の一番上の姉)殺害、死体遺棄の主張は次のとおり。
・田沼から勤務中に突然電話で呼び出されて田沼のアパートに行くと、はじめは田沼と同居する王 周華が気を失って倒れていたと思った。だが、実際は双子の姉の王 周蘭だったことを後で田沼から聞いて驚いた。
・田沼から、たぶん死んでいると聞いた。でも、生きかえったら殺人未遂、死んでも傷害致死で、お前は執行猶予中で当面出て来れないぞと言ったら、お前も同罪だと言われ犯行を共謀することに決めた。しかし、思い直して王周蘭の首の結束バンドを外そうとしたが、首が締まる方にしか動かなかった。それで、持っていた電子ライターでその結束バンドを焼いて切断を試みたがライターが上手く着かなかった。
・その死体は、暗くなるのを待ってアパートの庭に埋めるつもりでいたが、田沼が自分と同居する王 周華が帰って来て気付くといけないので、庭の端にビニールシートで巻いて置くと言った。その作業は田沼と二人でやった。
・木下は、犯行当初、田沼が仕事で使っている道具を使って二人で穴を掘ると言った。田沼はその時、怪しまれないように死体遺棄と一緒にアパートの庭の桜の木を伐って、埋める作業をやると言った。それで、その作業をはじめは二人でやるのかと思っていたが、田沼の指示で自分だけで埋めることになり、田沼が妹(王 周華)の方も殺さないと気付かれるので、何処かで首を吊ったように見せかけて殺すと言った。それで、その妹は翌日には殺すのではないかと思った。
・そのため、田沼の身柄確保を私が行い、警察署で取り調べを受けていたので、桜の木を切って穴を掘ってアパートの庭に王 周蘭を埋めたのは私一人だ。その死体を埋めた日は、同人が庭にシートで包まれ遺棄されてから二日後で、妹の王 周華を殺した次の日だった。
・埋めた日は、私が田沼のアパートの立哨勤務で、その間にアパートの庭の桜の木を伐り、穴を掘って埋めた。埋めた痕が分からないように、落ち葉を掛けて埋めた部分を隠した。
○第五回公判の延期(木下の母の自死)
第四回公判の一週間後、拘留中の山下のところへ訃報が届いた。母の自死であった。既に第五回目の日程は決まっていたが、状況に配慮して一週間先延ばしされた。
木下の担当の坂下弁護士によると、山下は母子家庭で育ち、子供の頃から近くの警察署で柔道を習っていた。その影響もあって警察官は彼の憧れであり、何処かで道を踏み間違えたとしか言いようがないと話してくれた。そして、母親の遺書の最後に、天国で待ってるからまた会えるように正直に務めを果たしてと書いてあったとのことである。私は、この件の検証を担当していたので、その話は第五公判の前日に聞かされた。
【第五回公判(真実は形になるのか)】
法廷内の空気は重く感じた。
検察官「被告人の尋問に際し、一言お悔やみを申し、亡きお母様のご冥福をお祈りいたします。それでは、被告人尋問に入ります。先ず、これまでの供述、或いは関連する証拠等による事実関係に、被告人が知り得る事実と異なる点がありますか?」
木下「あります。どうもすみませんでした!」
検察官「では、王 周蘭さん殺害について、あなたは具体的にどう関わったか、当日の状況をもう一度説明して下さい」
木下「はい。私は田沼 修吾郎に言われたとおりにアパートに行き、私は、王 周蘭さんの遺体を運んで埋めただけです。あの日私は、女の調子がおかしいから直ぐに来いと田沼に電話で呼び出されて、田沼のアパートに行きました。その時は一番上の周蘭だとは分かりませんでした。ですので、田沼と同居する王 周華だと思いました。周蘭は私が行ったときは呼吸も脈もありませんでした。たぶん首を絞められて死んだのだと思いました。首に結束バンドがしてあって、人工呼吸をするため結束バンドを外そうとしましたが、手では外れないのでハサミを持って来るように田沼に言ったら、田沼はそんなもの要らないと言って私が外そうとしている逆の方に肩と頭を引っ張りました。結束バンドは更に閉まり、周蘭の顔が紫色になりました。私は持っていた電子式のライターで結束バンドを焼き切ろうとしました。そしたら田沼が、お前が息の根を止めた。俺はやってないと言いました。私は思わず、もうどうしょうもないから死体を何処かに埋めるように言いました。そうしたら、田沼がアパートの庭に埋めると言いました」
検察官「では、あなたは殺すつもりは無かったということですか?」
木下「はい、ありませんでした! 私には王 周蘭を殺す理由がありません」
検察官「それでは、被告人が死体を何処かに隠す理由を教えて下さい」
木下「はい! あのとき、田沼からお前が結束バンドを勝手に絞めてやったんだと言われ、何も説明出来ないと思ったからです。そして、田沼と関わっていることが明るみに出ると、おそらく警察官を辞めないといけないと言うか、懲戒処分を受けて、退職金も貰えないと思いました」
検察官「被告人は、何故そのような問題になると予想されるにも関わらず、本件のもう一人の被告人、田沼 修吾郎氏と関わる必要があつたのですか?」
木下「……それは、それは! 私が田沼に脅されていたからです。私の性癖について脅されていました」
検察官「それはどの様な性癖に対して、どう脅され、この共謀行為に及んだのか説明して下さい」
弁護人「異議あり! 性癖より、具体的な脅迫内容に対して、被告人がどうしたのかで十分足りる内容ではないですか!」
裁判長「本件の審理に、被告人の性癖が関係すると認められます。よって異議を却下します。被告人は検察官の質問に答えて下さい!」
木下「はい! 私は高校生の頃から通学途中で痴漢をやっていました。……それは、警察官になっても月に1、2度の割合でやってしまい、当然捕まれば立場上、大変なことになると思っていました。それで、ある風俗雑誌に痴漢プレイとあつたので、もしこれをやって、普段やらなくても済めば助かるので申し込みました。そしたら、王 周桜が相手になってくれて、それで痴漢をしなくて済むようになりました。でも、彼女の後ろには田沼がいて、電車の中で行為をしたり、マンガ喫茶などで触ったりしたあとで、田沼にお金を渡していました」
検察官「では、被告人が田沼 修吾郎から具体的にどの様に脅されたか説明して下さい」
木下「はい! 一番辛かったのが、彼女(周桜)に呼び出されて田沼のアパートで制服を脱いで、裸になってセックスをしていたところを田沼にビデオで撮られ、それをネタに脅されました。それからずっと言うことを聞かないと、警察署にそのビデオを送ると言われて脅されていました」
検察官「ではそのとき、王 周桜さんは、あなたの求めに素直に応じようとしましたか?」
木下「いえ! 最初は触らせてくれていたのですが、そのうち嫌がりました。私は彼女が田沼のアパートの部屋に呼んだので、やってもいいと思っていたので、押し倒してセツクスをしてしまいました。それを田沼にビデオに撮られて、何日か後で田沼に呼び出されて見せられました」
検察官「では、その際のやり取りを具体的にお話し下さい」
木下「はい! 私は非番で昼めしを田沼から誘われ、田沼のアパートの近くの駅前にある居酒屋で一緒に食事をしていました。そのとき、田沼が携帯でそのビデオを私に見せて、どうしてくれるんだ! かわいい義理の妹に手を出しやがってと怒鳴りまくり、周りが驚いてしまって! それで、もし警察を呼ばれたら、それこそバレてしまうと思って、田沼が直ぐに20万持ってこいと言ったので、私が一度に10万円しか下ろせないと言ったら、次の日でいいから持って来いと言われて、アパートに持って行きました」
検察官「では、王 周桜さんとはその後、どうなりましたか?」
木下「彼女に、悪いことしたと謝ろうとしたら、名古屋の母親のところに帰ったと姉の王 周華さんから聞きました。本当に悪いことしたと心配になりました。それから、彼女の携帯に電話しても出てくれないので諦めていたら、三ヶ月くらいしてからまた田沼から電話が来て、アパートに呼び出されました」
検察官「それは田沼 修吾郎から呼び出されたと言うことですね! どの様な内容で呼び出されたのですか?」
木下「はい! 私の仕事中に田沼から電話があり、周桜が妊娠してお腹に赤ちゃんがいる。名古屋の母親のところで産みたいから、当座の金を何とかしろと言われました!」
検察官「被告人は、そのお腹にいる子を自分の子供であると認めて、出産に必要な費用だと思って、金額を幾ら、誰に渡しましたか?」
木下「田沼から、田沼と周桜にどちらも50万円と言われましたが、田沼には内緒で周桜に80万渡しました」
検察官「そのお金は現金で渡したのか、他の手段で渡したのか、その時、誰がいたのか教えて下さい」
木下「はい! その金は全て現金です。貯金をほとんど使い果たしました。田沼のアパートで田沼が渡せと言った金額を渡しました。たぶん周桜のお金を田沼に渡すと、半分は田沼が持っていくと思いました。ですから、内緒で周桜に30万円渡しました」
検察官「被告人はそこまで王 周桜さんに配慮するということは、何か特別な事情があったからですか?」
木下「……私は、こんな私に我慢して付き合ってくれる周桜のことが好きで、子供が出来たことを知って彼女と結婚したいと思いました。でも、それは無理だと断られました!」
検察官「被告人は、名古屋の母親の所で王 周桜が出産したことを確認しましたか?」
木下「はい! 周桜から予定日がメールで来ました。そのあとで、小さな赤ん坊が写った写真を見ました。幸せな気分になり名古屋にお祝いを送りました」
検察官「では、その赤ちゃんを、あなたが直接見たり抱いたりしたことはありますか?」
木下「いいえありません。でも、見たいと思います。抱っこしたいですが、未だです!」
検察官「被告人! あなたは田沼 修吾郎の王 周蘭さん殺害に共謀したと認めますか?」
弁護人「異議あり! 誘導尋問」
裁判長「異議を認めます! 検察官は質問の内容を変えて下さい」
検察官「では! 被告人は田沼 修吾郎と一緒に王 周蘭さん殺害、同死体遺棄に関わってしまったことをどう感じますか?」
弁護人「異議あり! 誘導尋問です」
裁判長「異議を却下します! 被告人は簡潔に答えて下さい」
木下「はい!……今は何も感じません。ただ正直に自分がした罪を話して、そして罰を受けたいだけです!」
○新たな展開(真実の意味)
第五回公判の木下の検察側の尋問に引き続き、弁護側から王 周桜の証人尋問が行われた。王 周桜は検察側の証人に指定されており、殺害された二人の被害者の妹であり、彼女も脅迫により田沼 修吾郎から性的被害を受けていたからだ。
弁護人「証人、王 周桜さん! あなたは被告人木下 実のあなたへの一連の行為を、先の公判で嫌らしいことをされたと言われておられましたが、木下被告人はあなたと、あなたのお子様に愛情を感じでおられると言っています。お子様を出産された後で、被告人木下 実と連絡を取っておられますか?」
周桜「はい! 何度か連絡しています」
弁護人「証人は、木下 実の性癖、つまり痴漢をすることが病気であるということを知っていましたか?」
検察官「異議あり! 証人の個人的な認識に過ぎません」
裁判長「異議を却下します。証人は質問に答えて下さい!」
周桜「知っていました。でも、はじめは知らなかった! あるときプレゼントでお菓子をもらって話を聞きました」
弁護人「では、どんな話をされたか、覚えていることをお話し下さい」
検察官「異議あり! 本件に関係のない質問かと」
裁判長「異議を却下します! 証人はお話し下さい」
周桜「木下は、私に触ると気持ちがスッキリすると言っていました。私に嫌らしいことしないと他の人にするかもしれないと言いました。木下は一度お医者さんで診察受けている。マザコンと、女性を知らなかったから頭がおかしくなって、それで痴漢するようになったと言われた。風俗で気持ちを楽にさせようと思ったと言っていました」
弁護人「それでは、証人は、被告人木下 実があなただけにそのような行為をすることを、どう思っていましたか?」
検察官「異議あり! 強制わいせつを軽減する質問」
裁判長「異議を認めます。弁護人は質問を変えて下さい」
弁護人「では、質問を変えます! 証人が木下被告人の子供かもしれないと分かっていて、お子さんを出産されておられるのは何故ですか? 被告人の木下 実から結婚を申し込まれたからではありませんか?」
検察官「異議あり! 強制わいせつ罪、軽減質問」
裁判長「異議を却下します! 質問にお答えください」
周桜「わたしも木下を好きです! でも、子供が居なくなってどうしていいか分かりません。周華に預けて仕事に行ったら、さっき名古屋のお母さんが来て、田沼に言われて名古屋に連れて行ったと周華に言われた!」
裁判長「証人は落ち着いて下さい! 大丈夫ですか?……一旦、休廷に入ります!」
法廷内は事態の急転を予見し、何一つ話し声は立たなかった。私はまた、背筋のあたりに嫌な予感を感じた。そして10分後。
裁判長「それでは公判の審議を再開します。証人は先ほどの話しを覚えていますか?」
周桜「覚えています! 大丈夫です。みんな話します!」
裁判長「はい、それではゆっくりと話して下さい!」
周桜「はい! 私の子供が名古屋のお母さんのとこに居ると思ってお母さんに電話しました。でも、知らないって言われて、周華におかしいじゃないか聞きました。周華は泣きながら謝りました。あの子が泣いてうるさいと言って田沼が踏み付けたって。それから暫くしてあの子、息しなくなった! 顔が青くなって死んだと周華が言いました。それで、私は気を失ってしまいました。気が付いたら病院のベッドにいて、実(みのる、木下 実)が心配して来てくれていました」
裁判長「みのるとは、木下 実、被告人のことですか?」
周桜「はい、そうです。……でも、でも私! 話せませんでした。私があの子を周華に預けたのがいけないから。死んじゃったと言えませんでした。私は赤ちゃんが名古屋に居ると嘘つきました。私は嘘つきです!」
弁護人「では、宜しいでしょうか! 質問を続けます。……証人はお子さんが死亡されたと姉の王 周華さんから聞いて、それで気を失って、それからお子様のことを王 周華さんに聞いたりしませんでしたか?」
周桜「あの子が死んだなんて嘘に決まっているし、周華が嘘ついてると思ったし、全部怖くて、田沼が怖くて、聞けば周蘭みたいに殺されるから聞けなかった!」
裁判長「証人! 大丈夫ですか?……」
周桜「大丈夫、話します!……田沼はそれから、いつも周華をイジメて殴ったり蹴ったりしてました。私が周華に一緒に名古屋に逃げようと言ったら、あそこに居たいと言いました。どうして一緒に逃げないのかと聞いたら、ここには姉さん(王 周蘭)が一緒に住んでいる。私の赤ちゃんもきっと帰ってくるから周華はアパートに居たい。一緒に行かないと言いました。田沼を好きかと聞いたら、あいつがもし姉さん殺したとしても好きと言いました。頭おかしいんじゃないと言ったら、周華は殺されても一緒がいい。田沼のこと好きだし一緒にいないと他の人に何するか分からない。だからあんたは一人で逃げろと言いました。それで私は、いろんなとこに泊まりました。田沼のアパートに帰りませんでした。新宿の街にいて周蘭と周華のことがニュースになったこと知りました。もし実が捕まって私のこと言ったら、私も悪いこと沢山してるし、疑われると思って新宿の警察に行きました……」
弁護人「では証人! あなたは、あなたの実の子がどこに行ったか知らないと言うことですか!」
周華「……はい! 怖くて知りたくないと思っていました。でも、今は一人ぼっちにすると、かわいそう! 直ぐにでも知りたいです。早く会ってかわいい、かわいいって! 言いたいです!」
あまりに証人、王 周桜の話す内容が辛辣で、うつむく人やすすり泣く人がいた。これを気遣い、係員が増員された。保健士も急きょ呼ばれ、証人の体調に配慮された。
そうして、無戸籍の女性が産んだ子供に対する傷害致死及び死体遺棄容疑で捜査が行われ、後に田沼 修吾郎の罪状に加えられることとなったのである。
○第五回公判が残したもの
新たな展開に、私と山本判事は疲れを感じていた。そしてまた、事態は動き始めていたのだった。
山本「重いなー! あの日から今日までのことを予想出来たらな……。でも、こういう経験が出来ることが意味あることなんだろうね?!」
私「……はい……、うむ!」
山本「おーい! 魂がどこかに行ってるぞー。戻ってこーい!」
私「あっ! すみません。お疲れさまでした」
山本「佐伯さん(裁判長)からの宿題! 無戸籍の亡くなった赤ちゃんを、仮でもいいから名前を付けてもらって、戸籍登録して名前指定してくれだってさ!」
私「あっ、はい! 確かに、あの子の名前が無戸籍でも、何か呼び名がありそうなものですよね!」
山本「検察は状況からAでもBでもいいって言っているけど、あの状況でAだBだはないなー! あまりに悲し過ぎるだろう」
私「まあ、おっしゃるとおりですが、三姉妹の中でもあの赤ちゃんの名前を言ってたはずですしね! じゃあ、赤ちゃんの母親の周桜は名前をどうするって言っているんですか?」
山本「それがねー、あまりのショックで考えることもしなかったって! 姉たちは何個か候補に上げていたらしいんだが、名古屋の母親。つまり、おばあちゃんと木下の意見を聞いて決めるって言ってたらしい。まあ、今となっては悲し過ぎるから! だからお願いだ!!」
私「んむー、それじゃあ名古屋の母親、いや、おばあちゃんに聞いてみるということですね! ちゃんと亡くなったことも説明して」
山本「そう! それを検証に役立てると言うより、この一連の事件にピリオドを打たないと、君もスッキリしないだろう!」
私「ええ! 確かにそのとおりです。じゃあ名古屋の地裁に連絡入れて行ってきます。できるだけ早く!」
◯名古屋地裁(真実の糸口)
翌日、私は名古屋の地裁にいた。既に王三姉妹の母親、吉田 周子さん(旧姓、王 周子)は地裁の会談室にいた。
私「東京地方裁判所の裁判官の長瀬と申します。この度は真に悲しいことが起こってしまい、お気持ちを察しますと、こんなお話しを聞きづらいのですが、どうぞお許しください!」
周子「あのー、わざわざ名古屋までお越し下さりありがとうございます。失礼かと思いますが、もしかして真実のことでしようか? あの子も実は無戸籍で、いろいろかわいそうでして!」
私「あのーまみちゃん? 周桜さんのお子さんは、まみちゃんと言う名前なんですか?! ちなみにどんな字を書くんですか?」
周子「はい! 名前は仮の名前ですが、真実って書きます!」
私「真実で、まみちゃん! ちょっとお待ち下さい。東京に名前を聞いてくれと言われていまして、直ぐに戻りますから!」
私は廊下に出て山本判事に連絡した。手が震えて、涙が目に溢れてきた。
私「山本さん。あの、名前はまみちゃん! 真実と書いてまみちゃんです。だから、まみは桜の木の下に眠っているです。最後に、殺される前に周華が残したメモは、あそこに、あの桜の木の下にもう一人埋められている。そう残したと思います。直ぐに調べていただけませんか!」
山本「了解! 納得、納得! 結果は電話するから。おばあちゃんのケアーはしっかりやってな! ご遺体が見付かったら早くご供養に来られるように。そう真実ちゃんが言ったんじゃないかって!」
私「分かりました! そうします」
山本「あれ! 長瀬くん花粉症だったっけ?」
私「ええ! 急性の裁判官アレルギーです。鼻かみます。それじゃあまた後で!」
その時、私に何か不思議な感情が生まれた気がした。人が人を法律で裁くというより、様々な感情に縛られて裁く自分が何故か格好良く思えた。バッティングセンターで空振りを繰り返す自分が、子供の頃の自分が誇らしかった。
私「それでは、吉田 周子さんのこと。名古屋の皆さんに引き継ぎします。いろいろありがとうございました。犯罪被害者のご家族のケアーをどうか宜しくお願いします!」
そう言って私は名古屋をあとにした。真実ちゃんの亡骸は、ものの30分もしないうちに、あのアパートの桜の切り株の近くで発見された。毛布に包まれた肌着に『木下 真実』とハッキリ書かれ、その筆跡は王 周華が残したあのメモの『真実は桜の木の下に眠っている』の真実の字にそっくりだった。だが、木下 実は真実ちゃんの肌着の姓に、自分の木下が付けられていたことはその先も知らされなかったのである。
【第六回公判(真実の詰め、山場)】
この一連の殺人及び死体遺棄事件について、被告人田沼 修吾郎の通し尋問が行われた。最初に殺害されたのは王 真実(女児、生後4ヶ月)、次は王 周蘭(女性、26歳)、そして3人目の王 周華(女性 23歳)である。最後に殺害されたとする王 周華は事実上の内縁関係者である。その妹、王 周桜の実子で、生後間も無い女児を殺害し、その後、また伯母に当たる周蘭までも殺害し、二人を同じ場所に埋めて遺棄した。更にはその後、被告人の内縁関係の妹の、王 周華を殺害し、縊首による自死に見せかけようと企んだ。
検察側の尋問は鋭かったが、田沼は精神状態の不安定さを強く見せ始めていた。
検察官「被告人は、精神状態がときどき乱暴になる。だから通院して医療機関から定期的に薬を処方されていると供述されています。その精神状態を安定させるための薬は、医師の指示どおり服用されていましたか?」
田沼「ときどき飲むのを忘れていたが、大体は飲んでいる」
検察官「では、被告人は指定暴力団の元組員、坂本 大樹と言う男性に、被告人が処方された精神安定剤を定期的に渡していたと言う記憶はありますか?」
田沼「いや、忘れちゃいました!」
検察官「では、被告人は被告人と同じ医療機関に通院する男女3人から、同様の薬を受け取り、先ほどの坂本と言う男性に渡して金銭をもらってはいませんでしたか?」
田沼「思い出しました。ときどき薬を渡してお金をもらって、生活費にしていました。同じ様なことを一緒の病院に通う知り合いにやって、お金をもらうこともありました。でも、全部が生活のためですから!」
検察官「被告人がその薬を坂本と言う男性に渡して、その男性が御徒町の薬問屋に持ち込むのに同行した記憶はありますか?」
田沼「あるかも知れませんが覚えていません!」
検察官「証拠として、御徒町のその薬問屋の防犯カメラの映像を提出します。同問屋は不正に薬剤の売買を行った関係で、薬事法違反により既に起訴され、同押収ビデオ内に14回ほど被告人が坂本と一緒に薬を持ち込み、現金に換えているところが確認されております」
裁判長「当該映像の証拠指定を認めます!」
検察官「では続けます! 被告人は、福祉法指定の障害者であると供述されております。収入は年間どの位でしたか?」
田沼「分かりません! そんなこと分からねえよ!」
裁判長「被告人は、言葉遣いに気を付けて下さい!」
検察官「では、被告人の年収と福祉関係の助成金等の内訳を証拠として提出します。その収入額は年間にして143万9800円です」
裁判長「証拠指定を認めます!」
検察官「年間収入約144万円の被告人。あなたが競艇での勝ち負け含め、年間どの位の収入があるのか記憶にありますか?」
田沼「詳しくは計算してません。かなり負けていると思いますが! 役所に寄付してますから」
検察官「そのとおり、競艇舟券の販売履歴と販売機の録画を約2年間確認したところ、被告人は同2年間で690万円、最近1年間で430万円の負け越しです。では、そのお金の工面はどうしていたのですか?」
田沼「盗んでねえし! 友だちから貸してもらったり、他に王の3人が家賃やお礼だと言って俺に持ってきた金を使ったりした。別にどうでもいいだろ!」
裁判長「被告人は落ち着いて! 静粛に願います」
検察官「では、被告人が今言われた3人とは誰のことですか?」
田沼「分かっていることを、いちいち聞くな!」
裁判長「被告人はしっかり質問に答えて下さい! 静粛に!」
田沼「一緒に俺のアパートに住んでた王 周蘭、華、桜、らん、はな、さくらだ! もういいから死刑にでも何にでもしろっつんだ!」
裁判長「被告人は質問に冷静にお答え願います! 静粛に」
検察官「質問を続けます。被告人はその3人と金銭についてトラブルになったことはありますか?」
田沼「ないと言ったら、また証拠だろ! あります。だってあいつらの体を売った金だからな!」
裁判長「被告人は質問に簡潔に答えてください!」
検察官「では被告人! そのトラブルの際に暴力を使って、相手に怪我を負わせたことはありますか?」
田沼「あります! あいつらうっせーから殴りました! そしたら気を失いました! 死んだと思って埋めました! 赤ん坊も、姉ちゃんの方も桜の下に埋めたんだ。姉ちゃんを埋めねーと、木下に下の妹たちもどうなるか分からねえぞって言ったら、あいつが素直に埋めたけどな!」
検察官「裁判長! 被告人の今の答えを整理して、関連事項の質問を分けます!」
裁判長「では、検察官はもう一度質問して下さい!」
検察官「今の回答で被告人が赤ん坊と言ったのは、誰のことですか?」
田沼「一番下の桜の付くやつの子供だ! 名前は知らねえし、ピーピーピーピー煩くて踏んづけたら泣き止んだ! そんな誰の子供か分からねぇのに我慢できませんよーだ!」
検察官「では、その子が被告人に踏みつけられ、瀕死の状態になって、救急車を呼ぶなどの考えはありましたか?」
田沼「あると言ったら嘘だって言われるので、ありません! 外に出て隣のババアに見つかっちまい、嘘で救急車とは言いました。あいつのことだから騒音とか、虐待とかで録音してるんでしょ!」
検察官「裁判長! ただいま被告人自らが言った録音は、既に証拠指定しております」
裁判長「検察官は質問を続けて下さい!」
検察官「では、被告人がその踏み付けた女児の、女の赤ちゃんを毛布に包んで、被告人のアパートの庭に埋めたということで、間違いないですね!」
田沼「そうです! 私が殺して埋めました! でも、毛布に優しく包んでやってとは周華が言ったし、場所も桜の花があいつが好きだからって言っていたので、あそこに埋めました! 以上」
検察官「この、被告人が今証言した、女児の死体遺棄の状況は、ビデオ撮影の証拠指定を既に行っております。では被告人! 王 周蘭さん殺害について伺います。被告人は王 周華さんの姉の王 周蘭さんが、王 周華さん殺害の前日にアパートに来た際、殴る蹴るの暴行をはたらき、被告人が仕事で使う結束バンドで周蘭さんの首を絞め、結束バンドを緩めようとする木下 実の行動を邪魔し、首が締まるように周蘭さんの体を故意にあなたが動かした。そのことに間違いませんか?」
田沼「そのとおりです! ビデオのとおりです。首絞めろって木下に言ったら、あいつがライターで溶かして切ろうとしたからです!」
検察官「では、その際、つまり木下 実を電話で呼び出す前に、王 周蘭さんとどういったやり取りがありましたか?」
田沼「姉ちゃんの方が、赤ん坊のお祝いを持って来たと言ったんで、俺が先に子供を殺したって言えねえから、その金を預かるって言いました。10万位あつたかなー! どうせ最終的には俺がもらう金だからと言ったら、怒り始めたんで何様だって言ってぶん殴りました! そしたら白目剥いて息しなくなった。呼び出した木下は心臓マッサージやるとか言いやがって! 細かいとこは下の妹がビデオ撮ってるから、そのとおりです! そういうことやるのは一番下しかいねえからな! 以上」
検察官「でわ、姉の王 周蘭さんの遺体を木下 実に、アパートの庭の桜の木を伐りながらその近くに埋めるように言ったのは被告人、あなたですか?」
田沼「細かいやり取りは覚えてない! あのときも隣の部屋のババアが聞いてるといけないと思って、おれだとまずいから、制服着ている木下にやれって言ったような気がします。桜は虫が集ると庭に職人が入るから、埋めた死体が見付かるかもしれないので、伐った方がいいって言ったと思う! 以上です」
検察側の主要の証拠がビデオや録音による反論し難いものであり、明らかに被告人田沼修吾郎は次の作戦を考えていて、自ら墓穴を掘らないつもりだと思えた。私は、一連の事件の山は、これから尋問が行われる王 周華の殺害事件だと考えていた。確かに二人を殺害し、その状況や経緯から田沼 修吾郎の極刑は免れないにしても、公園の高台に於いて山下 実が王 周華殺害を首謀したと田沼 修吾郎に論破されることを恐れていた。
検察官「それでは引き続き、王 周華さん殺害、及び死体遺棄事件に関する質問です。被告人は王 周華さんとはどういう経緯で知り合い、内縁関係になるまでどの様な付き合いをしていましたか?」
田沼「昔の話なんで覚えていません! 誰かの紹介だったかもしれないが、何処かで働いてたのをナンパしたか! あとはいろいろ関係が深まれば一緒に住むでしょう」
検察官「こちらの資料に、被告人がよく通われたマッサージ店の常連だった方から、王 周華さんと、姉の王 周蘭さん、そして被告人を含む、計5人が写った写真の提供が有りました。被告人は、双子である王 周蘭さんと、王 周華さんをよく指名していたと聞きました。お二方と、この頃からお付き合いされていたのではありませんか?」
田沼「忘れました!」
検察官「では、被告人は、そのマッサージ店に従業員として採用されるために、うつ病とPTSDによる精神疾患を理由に、障害者の指定申請を行ない。障害者に認定された直後に障害者枠として同マッケンジー店に採用されています。このことに間違いありませんか?」
弁護人「異議あり! マッサージ店の採用目的で障害者申請しているとは言えない点」
裁判長「異議を認めます!」
検察官「では! 当該マッサージ店の店長から、リネン関係の仕事は障害者を優先雇用すると言われた2週間後に、友人の元指定暴力団構成員の岡田 哲也から紹介された元十条クリニックで診断された結果により、それに基づいて障害者申請を行ない、障碍者二級に認定された。そのように、質問の当該部分を変えます」
裁判長「弁護人! よろしいでしょうか?」
弁護人「……はい!」
裁判長「被告人は、質問内容に疑義か無ければ答えて下さい!!」
田沼「ああ、そのとおりです! よく調べたこと」
検察官「被告人! あなたはそのマッサージ店の社員寮に住む王 周蘭さんと妹の周華さん二人の住む部屋に深夜侵入して、元十条警察署に連行された記憶はありますか?」
田沼「忘れました!」
検察官「この際の被害届と、被告人の再発防止の顛末書を証拠として追加指定をお願いします」
裁判長「検察官の申し出を承認します!」
検察官「質問を続けます! その後、被告人は王三姉妹が無戸籍であることを知り、マッサージ店の当時の店長の織田 学さんに、違法だと詰め寄り、税金泥棒と罵倒した記憶はありますか?」
田沼「あります! 安い金で働かせて税金を払わせないからだ! だって、おかしいだろう!」
裁判長「被告人は簡潔に答えて下さい!」
検察官「では、質問を続けます! 被告人は無戸籍者である方が戸籍を取得する場合の相談窓口に、被告人自らが無戸籍者と偽り、何度か相談に行った記憶はありますか?」
田沼「あります。あの王三姉妹に戸籍を取らせてあげたかったからで、人助けですって!」
検察官「では、漢字が苦手な王 周華さんに戸籍を取るために100万円が必要だと言って、被告人の口座に入金させ、そのことを知らなかった双子の姉の王 周蘭さんを連れて、戸籍取得の手続きに行き、被告人が王 周華さんの家族と偽って代筆した記憶はありますか?」
田沼「忘れた! 覚えてない」
検察官「では、戸籍取得時の直筆の申請書類と、筆跡鑑定の結果、及び王 周蘭さんの勤めていた個室蒸気浴場のロッカーから見付かった、100万円の領収書の原本を証拠として追加指定をお願いします。なお、同領収書にも被告人の氏名及び認印があり、筆跡については被告人のものと鑑定されております」
裁判長「検察官の申し出を認めます!」
検察官「では、質問を続けます。被告人は浅草の松中ビルにある『文身工房よしの』に、王 周蘭さんと一緒に行き、周蘭さんの左太腿部、いわゆる内股部分に蛇の刺青をするよう強要し、被告人も同じ日に右下腿に、竜の刺青を施した記憶はありますか?」
田沼「ありますだ。どうせ写真を彫師が撮ったとでも言うんだろ!」
裁判長「被告人は、冷静に答えて下さい」
検察官「では、その刺青は双子である王 周蘭さんと周華さん、そしてその二人に良く似た王 周桜さんとを見分けるためだと供述していましたが、そのことを知っているのは他に誰かおりますか?」
田沼「知りません! 周蘭が妹等に言ったかで、木下のやつにも言ったんじゃねーの!」
裁判長「被告人は簡潔に答えて下さい!」
検察官「被告人は、王 周華さんは木下 実が殺害したのだと供述しています。仮に木下 実が双子の見分け方を知らなかった場合でも、あなたが木下 実を首謀者とする殺害を企てた時点で、木下 実が逮捕されてから、二人の姉妹殺害の犯行に係る供述をしたときに、誤って双子の名前を取り違えたとしても問題が無いよう、あなたしか知らない双子の姉妹の見分け方である刺青を隠せば、どういう供述をされたとしても説明できると考えたのではありませんか?」
田沼「よく気づきました! おれも後であいつ(木下 実)が華と蘭を勘違いしていたら、俺しか知らない見分け方で、俺がやったとバレちゃうと思いました。いやー頭いいこと!」
裁判長「被告人! 簡潔に」
裁判長の佐伯の一言が、怒りに聞こえた。
検察官「質問を続けます。それでは、王 周華さんの遺体の下半身にガソリンを掛けて燃やそうと考えた。それは、被告人が王 周蘭さんを殺害した後で、被告人しか知り得ない双子の姉妹の見分け方を隠す必要性を感じたから。そういうことで間違いありませんか?」
弁護人「異議あり! 誘導的かつ実態のない質問」
裁判長「異議を却下します! 被告人は質問に答えて下さい」
田沼「……質問の言ってる意味が分からないので、お答え出来ません!」
裁判長「検察官は、質問を具体的に示して下さい!」
検察官「分かりました! では、具体的に説明いたします。先ず、今回の一連の犯行の最初に現認されたのは、王 周華さん殺害の事実です。その後、2ヶ月あまり経過してから、王 周華さんの双子の姉の王 周蘭さのんの死体が被告人が住んでいたアパートの庭で偶然発見されました。本来、二人を外見だけで正確に見分けられるのは、名古屋の実母と妹の王 周桜さんだけです。そもそも双子のうちの何方かを殺害したということは、被告人が殺害の首謀者だと主張する木下 実には判別できないはずです! それなのに被告人は、はじめから妹の王 周華さんだと身柄確保後に警察署の取り調べで断定して話しています。この点間違いないでしょうか?」
裁判長「被告人は質問に答えて下さい!」
田沼「……間違いない! 何度も聞くな」
検察官「被告人は、王 周華さんの犯行の首謀者が被告人本人だと思われるのを避けるため、被告人だけが見分られる刺青の有無を隠そうとした! それも、未だ姉の王 周蘭さんが遺体で発見される前の段階で、木下 実がわざと姉妹の名前を言い間違えたら、被告人、あなたが首謀したことを否定できなくなると考えた。そして、木下 実は姉妹のどちらかも知らないのに殺害を首謀することはないと、明確に言い切られる。従って、木下 実にはガソリンを被害者の下半身に掛ける理由はありません。また、被告人が木下 実に、王 周華さんだと殺害前に説明しないと、木下 実には見分けられない。そもそも、被告人が双子のどちらかを殺害したか、その目的も具体的な殺害状況も木下 実は分からないまま被告人の犯行を手伝った。そのことに間違いありませんか?」
田沼「ぜんぜん知りません!」
検察官「では、被告人! あなたと木下 実は、あなたが当時、姉の王 周蘭さんを殺害したと言ったから木下 実はあなたに説明されるまでもなく、周蘭さんだと信じて遺体をアパートの庭に埋めた。当然、次に殺害されたのは妹の周華さんだと分かる。その経緯を誰かに気付かれると木下首謀の殺害ストーリーは崩れる! そう思ったのではありませんか?」
裁判長「被告人! 答えてください」
田沼「あん時は、意識が飛んでて覚えていない!」
検察官「では、仮に木下 実が、王 周華さん殺害の前日に殺害された姉の王 周蘭さんのことを、間違いなく周蘭さんご本人であると、一連の殺害を自供したとして、被告人が無関係だと言い切るためには、木下 実が双子の姉妹のどちらを殺害したのか区別できると言わなければなりません。あなたが王 周蘭さんだと特定し、周蘭さんの持参したお祝い金を奪い取ろうとして、抵抗する周蘭さんを暴行した。さらに結束バンドで首を絞め、その行為を木下 実に首謀させしめようとした。それも、共謀者である木下 実の供述まで想定していた。更に、王 周華さん殺害においては、あえてガソリンで下半身を焼失させ、双子のいずれかを判らないようにした。この計画性と判断能力に疑う余地はありません。そして被告人は、その発覚を恐れて薬物による意識不全を偽装証言し、事実を覚えているにも関わらず、覚えていないと偽って訴えたのではありませんか?」
田沼「そんな難しいこと、俺には考えられません!」
検察官「被告人は、二人の被害者殺害への強い関与が露呈することを恐れ! 加えて、木下 実の首謀であると示唆するために、殺害前に王 周華さんにメモを書かせた。もともと、漢字が苦手な王 周華さんがメモを残し、あなたに手渡すことがあったとしても、その文章の謎解きを周華さんが事前に思いつき、漢字を含む文章の構成を考えられることはあり得ません。被告人! あなたがそのメモの作成に関与した記憶はありますか?」
田沼「はー? 何のことか記憶にございません!」
検察官「では、王 周華さんが使用していたダイアリーに、あなたの筆跡で『真実は』と、『木の下に』、それに『眠っている』と鉛筆の消し跡があるのを知っていますか?」
田沼「……何かの都合で書いたかもしれません! そんなこと覚えているか!」
検察官「では、質問を続けます。殺害された王 周華さんは姉と妹の名前をそれぞれ漢字で書けたと思いますが、被告人はそのことを知っていましたか?」
田沼「知っています。当然です!」
検察官「では、被告人が消して残した王 周華さんのダイアリーの消し跡に、桜の一文字が抜けているのは、その抜けた部分に入る漢字が王 周桜さんの名前の桜の一字であると王 周華さんに説明したので、被告人が書く必要がなかった。それで、『真実は 木の下に眠っている』と書いた。違いますか?」
弁護人「異議あり! 誘導尋問」
裁判長「異議を却下します! 被告人は質問に答えて下さい」
田沼「ああ! 一緒に住んでいたから周華が周桜の名前の漢字を書けるのは知っていた。でも、メモを周華のダイアリーに書いたことは覚えていません」
検察官「では質問を続けます! 被告人は、王 周華さんが被告人と事実上の内縁関係にあったと供述されています。しかし、王 周華さんは殺害された前日に、姉の王 周蘭さんが既に殺害されていたことは知らなかった。王 周華さんが知っていたのは被告人が周華さんの妹の王 周桜さんのお子さんの傷害致死と死体遺棄を行ったことです。ところが、どこかの時点で被告人が姉の王 周蘭さんを殺害したことも気付いたのではありませんか?」
弁護人「異議あり! 誘導尋問」
裁判長「異議を認めます! 検察官は質問を変えてください」
検察官「では、質問を変えます! 被告人は、王 周蘭さんが妹の王 周桜さんのお子さんのお祝い金を持って来られたと言っておられます。あなたと内縁関係にあった王 周華さんは、殺害された前日に予定されていた姉の王 周蘭さんの訪問を、あなたに確認しませんでしたか?」
田沼「聞いていません!」
検察官「王 周蘭さんが殺害された推定時刻の前後一時間に、被告人の携帯電話に王 周華さんから4回にわたって着信がありました。また、それと同時間帯に王 周蘭さんの携帯電話にも王 周華さんからの着信が6回残っています。その後、周華さんが周蘭さんに送ったメールの送信済履歴には『あのこしんじゃった。ごめんなさい』と残されています。被告人は、王 周華さんと一連の殺害に関して口論となり、周華さんを殺害しようと考えた。違いますか?」
弁護人「異議あり! 誘導尋問の繰り返し」
裁判長「異議を認めます! 検察官は、質問内容に注意してください」
検察官「失礼いたしました! では、被告人が王 周華さんが殺害された当日に運転していた公園管理用の車両に、全方向式のドライブレコーダーが設置されていることをご存じですか?」
田沼「……知りません!」
検察官「そのドライブレコーダーは、王 周華さん殺害の前日に公園の高台部分の崖の改修工事を請け負った業者が、頻繁にその車両が無断で持ち出されているので、工事期間のリース契約で同車両に設置したものです。そのドライブレコーダーは盗難等の犯罪の可能性も想定して音声録音機能を有する機種を設置してありました。この録画された映像に被告人と、共謀の木下 実、それに被害者の王 周華さんの殺害された前後の状況が録画されていました。その映像と音声では、被告人が車内で王 周華さんの首を絞めて意識を失わせ、その後、結束バンドを周華さんの首に付けて、絞まり具合を確認している状況が記録されています。被告人は、前日の王 周蘭さんと同じ手口により、妹の王 周華さんを殺害した。又はその殺害を首謀した。違いますか?」
田沼「よく覚えていません! 薬のせいで覚えていません」
検察官「その映像は、設置された車両の全方向が映し出され、荷台を含め半径約6メートルを映し出すことができます。残念ながら車外の音声は取れませんが、その録画映像には被告人が車両を運転し、王 周華さんを同乗させて公園内の縊首の現場まで連れて行って、周華さんの首を絞めてから、被告人が木下 実に指示して作業を首謀している状況が残されています。被告人は、王 周華さんを殺害する目的を以って、木下 実に指示して周華さんの首をロープで木下 実に吊るすように指示し、殺害を首謀したのではありませんか?」
田沼「よく覚えていません! その時は気がおかしくなっていたと思います」
検察官「では、殺害場所について質問します。被告人は、縊首を偽装することも含めて、殺害場所として当該公園の工事中の高台の木の下を選んだ。そこは、過去にも縊首があった場所であると記録にあり、被告人も過去の縊首の後処理を行っていた。また、共謀の木下 実の勤務する警察署からも容易に来ることができるという計画性を以って、その場所を選んだのではありませんか?」
田沼「……あそこは桜がきれいに見えるので、周華が死んでも喜ぶと思って選んだ! ただそれだけだ」
検察官「以上で質問を終わります!」
田沼「うるせー! おれの心を見透かすようなこと言うな」
裁判長「被告人は静粛に!……それでは一旦、休廷とします!」
○求刑前の地裁
私と佐伯氏(裁判長)と山本判事は、公判中は必要最少の情報交換に限って話をしていたが、求刑を前にして、その気持ちの堰が切れたように話が飛び出た。
佐伯(裁判長)「あの話はどうなりましたかねえ!?」
山本「裁判長! あれが多すぎて、私のあの話は明日の検察の求刑のことでいっぱいです!」
佐伯「あっ、そう! 検察はたぶん死刑でくるか、無期で来ると思いますよ。3人殺害されて残ったご親族を思ったときにね! もし長瀬くんが担当していたらどうしますかね?」
私「……やはり佐伯さんと同じだと思います。たとえ刑務所にいても生きていてくれるだけで、被害者の家族の生きる力になるなら、木下の方は検察も配慮するでしょう! そう願いたいものです」
佐伯「確かにね! この件は、長瀬マジックみたいな感じでね。真実ちゃんのご遺体の発見は長瀬くんの直感だったけど、鳴き声の異変に気付いたアパートの住人が、外に出たら田沼から救急車を呼ぶから大丈夫だって言って、いつまで経っても来ないから外を見ていたら、田沼が出て来て真実ちゃんを埋めるところを見ていたんでしょう。慌てて携帯で映した映像に赤ちゃんの足が映っていたって!」
山本「いやー、私もなんだかんだ! あの庭から王 周蘭の指が見えたと言われた瞬間に、長瀬くんが何か持っている気がしました。そもそも、子供の頃の思い出に浸りに、あのタイミングで現場の近くには行きませんよね!」
私「そうですね! ほんと、僕も不思議な気がしています」
佐伯「あっ、そうそう! いや聞き忘れていたことがあって。ところで長瀬くんは、何であそこのバッティングセンターに、子供の頃の思い出に浸りに行こうとしたのか知りたくてね! 僕も子供の頃、野球少年だったもんで」
山本「ええ、佐伯さん(裁判長)がですか? 見えない! 職務上嘘はないでしょうけど」
佐伯「うーん、こう見えても夏の県の予選で決勝まで行ったんだ! 控えの捕手で最後のバッターになったけど」
私「あのですね! 確かに偶然がこうも重なると、僕の裁判官の仕事の見方も変わります。まだ判決もありますし、論告求刑を聴いてからお話しさせてください!」
佐伯「はいはい。ごもっとも、ごもっとも!」
山本「あー分かるなー! 検証事案の取りまとめが、これだけ複雑だと大変なのが。もしよかったら、次の泊まり替わるよ!」
私「そうですか! あいや、また何かあるといけないので、予定通りでお願いします!」
私は、これまでの流れで検察側の求刑はほぼ想定できた。ただ、共謀の量刑に関しては評価が割れると考えていた。しかし、この案件には更に先があったのである。
【論告求刑(非情の真実)】
私はまた、特別傍聴席から論告求刑を見守っていた。
3人殺害の長い経緯と、複雑な内容に加え、被害者側の王三姉妹の名前に『周』がいずれも入るため、解りにくさと読みにくさに、かえって集中が途切れなかったが、一部の報道関係者は途中で居眠りをしていた。
すると流したような論告の読み方の最後の『なお、』以降に、不意を突くような一言があり、その意味することの大きさに気付き、私は思わず息をのんだのだった。
検察官「被告人(田沼 修吾郎)は、当時、王 周華さんが抱いてあやしている生後約4ヶ月の女児、王 真実さんを、泣き止まないことを理由に取り上げ、煩いと言って両手でその女児の脇を掴み、ゆすって罵声を浴びせた。そして、更にその女児の寝ていた布団の上に高さ約1.2メートルの位置から放り投げ、女児に意識を失わせるほどの怪我を負わせた。………更には、瀕死の状態であることを見て認識しているにも関わらず、相応の救急措置を怠り、放置して当該女児の呼吸が無いことを確認すると、女児の布団の上に置いてあった毛布に女児の体を全て包むように包み、被告人が住んでいたアパートの庭に抱いて運んだ。なお、当該女児は被告人によってその庭に埋められ遺棄されており、その後の女児の人定の段階で、被告人と王 周華さんの妹の、王 周桜さんの間にできた子供であることが、鑑定の結果で明らかになったものである」
田沼が自分で殺害した女児、生後4ヶ月の王 真実は、DNA鑑定の結果、田沼 修吾郎の実子であることが判明したのであった。
もう一方の被告人席にいた木下 実は緊張してこれに気付かなかったようだが、傍聴席の王 周桜の顔は凍り付いた。
私「キツい! キツ過ぎるだろ」
実は私は、求刑の前日に真実ちゃんが桜の切り株の近くから掘り起こされた時の写真を見ていたのだった。それには、胸骨が折れて首の向きが反り返り、頭蓋骨から虫が湧いて出ている凄惨な状況と、肌着に書かれた名前が書かれているものだったのだ。
《求刑》
・田沼 修吾郎 (死刑)
・木下 実 (懲役25年)
私は、『真実』の二文字の意味するところの偶然を、この時ほど虚しいと思ったことはなかった。そして、木下 実の求刑が比較的軽いと感じても、木下が王 周桜との間に出来たと信じて、真実ちゃんに愛情を感じていたことから比べたら、この田沼 修吾郎という男が自分の子供を手に掛けたという真実が知れることが、あまりに痛すぎると思ったのであった。
そして暫く、私は真実という文字に敏感になっていた。
◯判決を一週間前にして
求刑を聴いてからは、私のところに裁判長の佐伯氏も裁判官の山本判事も顔を見せなかった。私を含め、この一連の事件と裁判に関する思いは一言では語れないからだと思った。
そして偶然、私が地裁の宿直勤務に就いていると、またこの事件の管轄警察の署長から電話があった。
署長「大変恐縮ですが、御裁判所で公判中の事案に関係すると思われる者が、今しがた自殺を図り、病院に救急搬送されまして!」
私「あのー、電話で恐縮ですが、差し支えない範囲で教えていただけますか?! 署長さん! 以前、そちらに証拠確認にお邪魔した長瀬です。野球道具を忘れてお世話になったあの長瀬です!」
署長「えっ! 捜一課長の後輩の長瀬裁判官どの。いや、失礼いたしました。偶然ですが、あなたもご存じの王 周桜が、例の公園の高台で首を吊ったんです。真実ちゃんのところに行くと遺書を残て!」
私「それで、搬送先は?」
署長「こちらの意向を救急隊に伝えて、女子医大の救命に運んだんですが、既に死斑硬直があって!」
私「そうですか、ご配慮ありがとうございます! 今日、宿直で詰めていますのでまた何かありましたら、ご連絡いただけると助かります」
それから間もなく、王 周桜の死亡確認の連絡が入った。
私は、時間帯も考えて、佐伯氏(裁判長)と山本判事と鈴木判事の公判担当者にメールを入れた。そして直ぐに、三人とも「了解」の一言で返事をくれた。あの公園の高台の景色が私の頭をよぎり、そのまま当直の朝をむかえた。
【判決(真実を伝える)】
私は、この事件の検証を行う一連の資料の取りまとめをほぼ終了していた。そして、判決を自分が何の迷いもなく受け止めて、最後に自分が作成した検証資料に意見を付すことに決めていた。
法廷では、開廷に先立ち特別な人の配置や説明もなく、判決の内容に向けて主文の内容が淡々と読み上げられた。
《判決》
・被告人 田沼 修吾郎 死刑に処す。
・被告人 木下 実 懲役25年に処す。
いずれも、求刑通りの結果であった。
そしてその中には、明確に『被害者の一人 王 真実(推定生後4か月の女児)は、人定を行うに際し医学的鑑定を行った結果、被告人 田沼 修吾郎と、その被害者 王 周蘭、同じく被害者 王 周華の妹の 王 周桜の間に出来た子である』と告げられていた。
その一文に対し、被告人の田沼 修吾郎は口元を微かに動かしたように見えたが、傍聴席からは言葉の確認には至らず。また木下 実は、首だけ振り返ってこちらを見ながら王 周桜がいないことに気付いたと見えた。そして振り向き直って裁判長に正対し、震えながら上を向いていた。
佐伯裁判長の読み上げた主文の最後は『三人の姉妹と子供の生きた証と、曲がりなりにもその子との幸せを願った被告人 木下 実を、4名の追悼を行える者としてこの世に残す』とあった。本来は、被害者3名のみの人数を追悼するという主文標記であるところを、佐伯さんはあえて王 周桜も入れて4名と言ったのだということが後でわかった。
○地裁の自席(判決の翌日)
私は、この一連の事件から公判における自分自身の関わりをさて置き、判決には納得できたことを顧みて、再び全部の資料に目を通し評価を取りまとめていた。
その検証結果として『振り返れば三人を殺害した犯人が死体を遺棄すると、事件の発覚は誰かが偶然見聞きしたか、犯行を一緒に手伝うことが無ければ、発覚は極めて難しい。ましてや、生活の拠点や地域と殆ど関わりのない無戸籍者を同一犯が殺害した場合は、関わる人の少なさから犯行を誰にも止めることができなかった。その意味では、木下 実がたまたま警察官という社会性の高い職業で、首謀した田沼 修吾郎と関りがあったことで、一連の犯行は明らかにされた』と残すことを考えたが、いっこうに次の文章が出てこない。
私はm田沼 修吾郎という生き物が、本当に人としてこの世に存在していいのかと感じていたからだ。そんな私に、山本判事から言葉がかけられた。
山本「あー、やっと片付いた! お疲れ様でしたねーえっ、長瀬くん?!」
私「お疲れさまでした! 最後の最後まで」
山本「ほんとだね! ところで検証の方は進んでる?」
私「いちおう、資料の方は全部!」
山本「あー、やっぱりシメの中身につまずいたかな?!」
私「ええ、まあー!」
山本「でもね! 君にとっての真実を残さないと真美ちゃんが浮かばれないと思わないか?! 一人の人間として、僕はそう思うな」
私「偶然を必然に置き換えられないから、僕も迷いはあります!」
山本「だろー! ところでこの前に言ってた、何で桜の前の時期にあの公園に行ったのか、そこから見えるんじゃないか! だから、何であそこに行ったのか教えて!」
私「佐伯さん(裁判長)にも言いましたが、子供の頃の思い出に浸りに行ったらではー、ダメですか?」
山本「はいはい、真実ちゃんがそれを聞いて真実だと思うかだねー!」
佐伯「おいおい! 二人で何話しているの?」
私「いや、この前の何で僕が例の公園にたまたま行ったかの話です!」
佐伯 「おうー、そうそう! 今それを聴きに来たんだ。だって君が高裁の検証報告のときに、たぶん聞かれると思ってね! いや、必ず聞かれるよ!」
私「はー! 言わないとダメでしょうか?」
佐伯「ダメ! 報告義務。真実に基づくだ!」
山本「そうそう! それが最後に残った謎だ。僕にも納得させて!」
私「いいですが、こんな話を高裁の検証報告で言わないといけないんですか?」
佐伯「ああ、それが真実ならね!」
◯検証報告の前の整理に
高裁への検証報告予定は、上告期限の14日以降に佐伯主席判事(裁判長)によって定められた。私も、この一連の事件と公判がここでピリオドが打てるようにと願っていた。
そして、上告期限になっても被告人 田沼 修吾郎、そして木下 実の両名からは上告の申し立てはなく、これで刑が確定したことになった。
山本「ねえ! 長瀬くん。休みは取るの?」
私「またまた、この報告が終わるまでは無理ですって!」
山本「そっか!」
私「ええ! 何かあったんですか?」
山本「いやね! 佐伯さんから、高裁報告の前に追悼兼ねて現地に行かないかって! 君が忙しいのは分かるけど、区切りの儀式はしておきたいってね」
私「分かりました! ちょうど僕もそんなこと思っていたとこなんです。実は、やっぱり最後の意見書きが、何度やっても纏まんなくって!」
山本「それもあるだろうけど、佐伯さん的には久々にバッティングセンターで汗を流したいのと、君の本音を聞きたいんじゃあないかな!」
私「そうですか、解りました! じゃあ、僕が休みの候補日を調整します」
山本「ああ、任せた! 頼んだよ」
◯昔住んでいた駅の周辺(事件のあった現場)
この公判の裁判官であった鈴木判事は宿直だったので、午前中のみの参加となった。
私と、佐伯、山本、鈴木の4人は駅からの坂道を上がらず、公共用のエレベーターで公園まで上がった。私がこの公園を事件当日に訪れてから二回目の春が訪れ、桜の木は全て新緑の葉に包まれていた。
佐伯「ここですか! ここなんですね」
山本「いい公園だね!」
鈴木「そうですねー! 実はわたし、この先の高台通りの近くに実家がありまして」
私「ええ、本当ですか!」
鈴木「でもね! 僕の実家は区境で、幼稚園の友だちはほとんど別の小学校に行ったんです」
私「僕は、家の引っ越しで、結果的にどこに引っ越してもいいようにって私立に行かされました。野球もそれで小5で止めたんです!」
佐伯「さあ、じゃー皆さん! 一緒に坂を上がって、お花をね!」
私たち4人は、工事が終わって整備された高台までの坂道をゆっくりと上った。道端に桜の枯れ葉が僅かに残っていた。
佐伯「あれー! 誰か別の人もお花を持って来てるんですね」
鈴木「ああー、ここですか! ここが長瀬くんの見た景色ですね。佐伯さん! そこに手向けられたお花は、きっと公園に咲いたお花でしょう! 粋な心遣いだなー」
4人は、事件のあった木の下に仏花を置き手を合わせた。春の緑の香りが大木の茂りを何事もなかったように包んでいた。無言の時間の中で、在来線と新幹線の音が並んで聞こえてくる。
私「皆さん、いろいろ有難うございました!」
山本「おい! 何を改めて言うかと思ったら」
私「いやもう、いい経験積ませていただいたので!」
佐伯「来年は、ここから桜が見えるといいですねー!」
鈴木「見れますよ! 見に来ましょう」
鈴木判事は、そのまま歩いてご実家に顔を出し、地裁の宿直業務に入られた。
それから残った私と、佐伯、山本の3人は、もう一つの仏花を持って駅前のゴルフ練習場の先に向かった。ここは、私にとって忘れられない景色が残っていると思ったのだが、現地の近くは工事の養生板が街区ごと建てられていて、以前の状況は見ることはできなかった。
支配人「あーー長瀬さーん。先だってはどうもー!」
私「あー、支配人さん! またまた奇遇ですね」
支配人「いや、ほんと!」
私「改めて、ご紹介します。こちらが主席判事の佐伯さん、そして先輩の山本判事さん! こちらは、いま通ってきたバッティングセンターの支配人の近藤さんです!」
佐伯「いやいや、いろいろ公判にもご協力いただきまして!」
支配人「いやー、めったに無いことですので、ご迷惑になって! あのー、今日はどうしてこちらに?」
佐伯「はい! 今日は休暇を取ってお邪魔してます。ご承知のとおり、この先にお花を置かせていただこうと思いまして!」
支配人「それは、またまた偶然ですねー! 今しがた、工事人から連絡があって、アパートの植栽を処分するんで立ち会ってほしいと言われましてね!」
私「ええ、あそこの事件があったアパートのですか?!」
支配人「そうそう! あの辺りもうちの会社で買いまして。やっぱり事件の影響で住む人も居なくなって、再開発に入れることになったんです!」
私「じゃあ、今日が見納めだったんですね!」
支配人「そうなんですよ!」
一緒にいた山本判事は、この休暇の日程を決めるに当たり、真実ちゃんのご供養のためにと、おもちゃと子供服を自前で買って来ていたのであった。話を聞いた山本判事の目には、あふれるものが見えていた。
◯アパートのあった場所
バッティングセンターの支配人を含め、私たち4人は誰が案内するでもなく犯行現場となった元アパートの場所に着いた。既に建屋は取り壊され、残った庭の柿木は高枝のあたりに小さな緑の実を着けていた。
私「やっと着きました!」
佐伯「そうだねー!」
山本「良かったよ、間に合って!」
支配人「さー、中に入りましょう!」
既に、現場責任者が支配人を待っていて、私たちを工事用の小扉から入れてくれた。その扉には、一連の事件発覚の場所となった公園の高台で私が見た『立入禁止』の看板と同じ形のものが付いていた。
扉を開けて入ると、中は基礎の掘り返しが進み、庭の部分も柿木と桜の切り株の周囲を残して土が掘り返されていた。王 周蘭と真実ちゃんが埋められていた場所を、わざわざ業者が残してくれていたのである。
支配人「あのね! 二人の仏さんのご家族に連絡を取ったんだけど、こっちの方は不案内で来れないとか言われたんです。名古屋にお住まいだったかなー!」
私「そうでしたか! そうしますと、ここに来たのは我々が初めてですか?」
支配人「いやね! 騒がれていた時期には地元の人もお悔やみにちらほら来てたんだけど、どうしても庭に重機を入れる段階になって、工事人もご供養したいって言ってね。これから簡単に手を合わせてお線香でもと思っていたんですよ!」
佐伯「良かったじゃないですか! 本当に不思議な結びつきがあるんだね」
私たちが話をしているうちに、工事人たちが手際よく白木の台に布を敷き、小さな燭台と線香立ての脇に、二対の仏花を備えていた。佐伯氏はその並びに持って来た花を手向け、山本判事は袋に入ったおもちゃと子供服を添えた。
私は、何を添えるか考えたが、真実ちゃんの祖母の吉田 周子(旧姓 王 周子)さんの似顔絵を描いて添えることにした。
現場責任者「あのー、すいません支配人! この切り株、たぶん桜だと思いますが新芽拭いているんですよね!」
支配人「ええ、そうかい! どれ。ほんとだ、かわいいなー」
現場責任者「これ! たぶん株の具合から20年くらいの桜なんで、工事で潰すのも可哀そうだから持って行って植えますわ! あっ、柿木はゴルフ練習場の支配人から、パーシモンは縁起物だからって、どこかに植え替えてほしいって言われています!」
支配人「わるいが、是非そうしてくれると僕らも気持ちが救われるよ!」
山本「あれ、長瀬くん! 花粉症の薬を飲み忘れたの?」
私「はい! 忘れました」
佐伯「ああ、そうだ! 帰りは久々にバッティングセンターにでも行ってみませんか? ね! せっかくだから」
支配人「あれ! 聞こえましたよ。皆さん是非よって下さい」
◯バッティングセンターの近く
私たちは、支配人の勧めと、佐伯主席判事の気持ちを汲んでバッティングセンターで汗を流すことに決めた。支配人は、そのまま植栽作業を見守り、遅れて合流すると言わたので、私は他の二人を先に行かせ、手のマメ防止用のテーピングテープをもとめて薬局を探していた。
警察官「お疲れ様です!」
私「あー、いやご無沙汰しておりますね!」
警察官「どうかなさいましたか?」
私「ちょっと例の現場だったところを見に来たんです。変わりましたねー!」
警察官「そうですね! 今日はあそこの植栽の撤去で、たしか重機とトラックが道路に止まるんで道路使用許可が下りていました。でも、懐かしいです!」
私「ほんとうに! あなたが足で葉っぱをどけたら、いきなり見えたんでしたね」
警察官「はい! ああ、そうだ! もしお時間があったら、そこの交番にご一緒頂けませんか?! 変な言い方で失礼ですが、ちょうどあいつも一緒の交番勤務です。会ってあげて下さい!」
私「もしかして、野球道具の彼ですか?」
警察官「はい! そのとおりです」
私「分かりました。あっ、でも、この辺に薬局ってありましたっけ?」
警察官「何か、お薬とか?!」
私「いえいえ! マメができないようにテーピングするだけです」
警察官「なんだ、そうでしたか! これ、僕のですが良かったらお使いください。ちょうど稽古の終わりで持ってました。使いかけでよければ!」
私「いやー、ありがとうございます!」
警察官の彼と話しながら程なく交番に着いた。
交番に一緒に向かった彼は、あのとき現場で立哨勤務に就いていて、桜の切り株の近くに埋められた王 周蘭を発見したのだった。
◯近くの交番
後輩警察官「あっ、お疲れ様です! 異常ありません。」
私「はい! お疲れ様です。その節は大変お世話になりました!」
後輩警察官「いえ! とんでもありません。野球道具のお話は支配人さんから伺いました。感動の再会だったんですね!」
私「ええ! 本当に驚きました」
警察官「じつは、裁判官どののお口添えのおかげで、我々2名は、昇任試験に合格することができました。有難うございます!」
私「ええ、本当に! いやー、おめでとうございます。よかったですねー! 署長さんも大喜びでしょう」
私のこの一言に、二人の警察官は顔を曇らせた。
警察官「本当はお話しない方がよろしいかと思いますが、さっきお会いしたのも僕は何かのご縁のような気がしまして、それで交番にお連れしたんです」
私「署長さんは、どうかなされたんですか?」
警察官「はい! 署長は、一連の事件の処理や、警察官の不祥事の報告など、激務が重なって倒れられて、昨日、亡くなられたんです!」
私「えっ、それは本当ですか!」
警察官「はい! 本当にいい方で、面倒見がよくて、現場堅気の方で、不器用で、優しくて!」
私「……残念です! 本当に残念ですねー」
私はまた、この瞬間を心に刻んだ。一連の事件に関わった中で、警察署長に対する自分の一方的な見方が誤りだったことを後悔したのだった。そして、二人の警察官との出会いも、偶然にしては何か引き寄せるものがあったのではないかと思ったのである。
私「じゃあまた! このテープは記念に頂いていきます」
私は、警察署長が昨日亡くなられたことを、佐伯氏と山本判事に話すかどうか迷いながら、バッティングセンターのあるビルの3階に向かった。
◯バッティングセンター
支配人「あれ! 遅かったじゃないですか」
私「ああ、すみません! そこの交番の前を通りかかったら、たまたま野球道具の時のご担当がおられまして、話してました!」
支配人「あー、じゃあ署長さんが亡くなられたことは聞きましたか?」
私「ええ、聞きました! 部下思いでいい方だったって、残念がっていました」
支配人「そうでしたか! 先に来られたお二人にはチラッとその話はしたんですがね」
私「いやー、本当に今日は人のご縁だったり、これまでの思いを結び直すような日です。本当に来てよかった!」
支配人「さあ、準備ができたら、好きな打席に入って思い切ってやってください!」
私「はい! じゃあ、テーピングをして」
支配人「おー、本気ですね!」
山本「あー、長瀬くん! ちょうどいい。僕にも貸して!」
私「どうぞ! もうかなりやってるみたいですね?」
山本「あー! でも、佐伯さんには全然かなわないよ」
支配人「では、真打登場で打ち放題にしますから! いや、ほんと懐かしいなー」
それから私たち3人は、手にマメを作ることが目的のようなバッティングを延々と続け、それを見ていた子供たちから笑いを集めるほど楽しく、真剣にバットを振り続けた。私は、久々に何も考えずにこの3人で時間を共にすることを、とても懐かしく感じていた。
◯居酒屋にて(愚直でいい)
バッティングセンターには小一時間は居ただろうか。3人とも打ち続け、お互いに話もしないで黙々と打席でバットを振っていた。そんな私たちに支配人が、近くの居酒屋の割引券をくれた。夕方6時までは全品半額で、ビールが大生100円という安さにひかれ、私たちはバッティングセンターを後にした。
居酒屋に到着すると、佐伯氏が地裁からメールが入っていたということで、折り返しの電話を掛けた。内容は高裁への検証報告の日程が決まったというものだった。
山本「検証の日程の件ですか?」
佐伯「そう! 急で悪いがって言ってた。ちょうど人事異動との関係で今のメンバーがいるうちにっていうことらしい!」
私「で、いつですか?」
佐伯「来週の木曜日、午後一。13時30分からだ! 長瀬くん、検証初めてだっけ?」
私「はい! よろしくお願いします」
佐伯「そうだな! 案件としてはボリュームがあるが、逆に、この複雑で中身の濃い内容をちゃんと頭に入れて臨めるのは、君しかいないと思わないか?!」
山本「確かに私もそう思います! 普通のレベルの関わり方ではありませんし、何て言うか私なんか、展開の節目節目で鳥肌が立ってましたから!」
佐伯「あっ、ビールが来た! さあ、乾杯しようか」
私「はい!」
山本「じゃー、ここは長瀬くんですね!」
私「あ、はい! では、今日はありがとうございました。いろいろな方の支えがあることを光栄に思います。一つの公判ではありましたが、その影響の大きさや、ご冥福をお祈りする気持ちに、こんなにもご縁が重なりますと感無量です。それでは、乾杯!」
山本「あーうまい! いやージョッキの重さがマメの痛さに効くなー!」
私「ほんとですね! 僕もマメをおつまみにしたいくらいです。あのー、ついででお話しますけど、最初にあの公園の高台に行こうとしたとき、バッティングセンターが改修中だったんです。それで、なんで子供の頃の思い出に浸りに行ったかなんですが!」
佐伯「ええ! それって聞いたと思っていた。この仕事を辞めたいって思っていたんじゃないの?!」
山本「そうそう、僕もそう聞いたような気がするな! でも、今はどう思っているか聞いてないけどね」
私「あっ、いや、それは勿論ですけど!」
佐伯「まあ! 顔を見れば今の気持ちも解るがね。長瀬くんは愚直だから、それでこれだけの繋がりが出来ているし、魅力があると思うな!」
山本「そう、愚直でいいから! 納得、納得、うむ! 納豆も食うかー」
私たちはお清めというより、お互いの気持ちを察する場に酔っていた。あっという間に時間が過ぎていった。私は、居酒屋で二人と別れた後、そこからの帰るルートをあの時と同じにすると決めていた。
佐伯、山本の二人をJRの駅で見送り、私はまた、右手に都電を見ながら駅からの坂道を上り、左手の公園、交番の先の風景を見ながら歩いていた。
私「酔い覚ましにはちょうどいい。あれ、またサイレンの音がする!」
前方からあの時と同じようにサイレンが聞こえ、チカチカと赤色灯の光が見えた。私は、今度は迷うことなく足を止め、向きを変えて坂道を下った。
◯高裁検証報告
検証報告は予定通りの日程で行われた。この一連の事件と公判の審理状況、量刑、その他社会的影響等について検証し、既存判例や手続きにおける留意点など、様々な視点で今後の公判に生かすための場である。報告は、私と佐伯、山本、鈴木の計4名で臨んでいた。
高裁判事「またこれは、佐伯さん! 例の偶然が必然化した過去の事例に並びますね!」
高裁主席判事「確かにね! まあ大変だったと思うが、こういう事例はそうそうあるものではないから貴重だね! ちょっと質問していいかな?!」
私「はい!」
高裁主席判事「先ほど説明があった、被害者が残したメモ『真実は桜の木の下に眠っている』だが、被害者が亡くなった今では、どうして残したか、何故この文章にしたのかは分からないということなのかね?」
私「はい、そのとおりです! 先ほどの説明にもありましたが、初めの段階では文章を暗号文のように見て、言葉をパズルのように当てはめて作成意図を推し量りました」
高裁判事「いやー、そこに普通は行ってしまいがちですよね! それが、パズルではなく実際に桜の木があった場所で犯行が行われていたことに切り替わった! メモを作成した被害者は在日中国人の女性で、学校にも行ってなくて読み書きが苦手だったのにね!」
私「おっしゃる通りです! おそらく被害者の女性が、一連の殺害の最初に致死遺棄された女児の名前を知っていたとしても、その子の名前を書いたメモをその女児を手に掛けた犯人にあえて渡すとは考えられません!」
高裁主席判事「そうか、それでか! 犯人がメモを書かせたという状況(証拠)を検察が必死に見付けようとした。だからダイアリーの消し跡か。犯人が首謀者を警察官だった方にすり替えようとした証拠をだね! まあ、検察も所轄(警察)もよくあのダイアリーの消し跡を見付けたものだなー!」
私「はい! 私も後で話を聞いてそう思いました」
高裁主席判事「そうか、それでだ! その後にまた偶然が必然に変わったんだなぁ、佐伯さん!」
佐伯「はい! また余計な温情が働きまして、女児の名前を確認して戸籍登録させてあげたいと思いました。そこから偶然が必然になったやに思います」
高裁主席判事「それで真実と書いて、真実ちゃんに行くわけだな!」
佐伯「はい!」
高裁判事「いやこれは、真実ちゃんが天国からそう仕向けたとしか思えませんね!」
高裁主席判事「うん! そうだね。まあ、立証責任の要素も無いし、これ以上の証拠の出現も先ず無いでしょう。いいんじゃないかな、これで!」
佐伯「ありがとうございます!」
高裁主席判事「じゃあ、評価委員に回しておくから! あっ、立証責任で思い出した。報告者の長瀬くんは何であのバッティングセンターと犯行現場の公園に行ったんだっけ?」
佐伯「客観的に立証不能な人間の内面上の事実とは言いますが、本人は直ぐに顔に出まして、辞める気持ちがあったと申しております!」
高裁主席判事「ほうー! それもまた偶然が必然だね。僕と佐伯さんと一緒のパターンじゃないか!」
佐伯「はい! 先週、あそこのバッティングセンターで、この3名で汗を流してまいりました」
高裁主席判事「そうですか! 懐かしいね。辞表を書いたんですよね!」
佐伯「書きました。私が2回!」
高裁主席判事「そう! 私は3回。判決がひっくり返りましたっけね!」
◯最終とりまとめ
私は、最終のとりまとめとして高裁報告の議事録作成と、この事件の特異性を今後の参考とするため私見を付すように言われていた。裁判官という職に就いた一人の人間が、偶然ではあるが事件の解明に関わることになり、どの様に公判やその過程の審理に関わったかということを、法の番人としてではなく、自身を含む『人の番人として意見を残せ』という宿題をもらったのである。
また、山本判事はその課題とは別に『立証責任と蓋然性』という難しい意見書きを、高裁の主席判事から言われたのだった。
山本「さあ、やりましょう! 熱が冷めないうちにね。長瀬くんの意見は一生の宝にするから、あとで直筆サインでくれる?!」
私「もう、冗談はやめてくださいよ! でも頑張ります」
そして、それから二日後に山本判事が直筆サイン入りの意見文を私にくれた。
私「早いですね! プレッシャーというより、先輩力士に胸を借りてる感じです」
山本「ああ! 正直そのつもりだ。僕の意見を含めて人の番人として君の意見を付してほしいから!」
私「はい! ありがとうございます 」
山本判事の意見は、かなり大胆で強いものであった。
◯山本の思い
本件に関する『立証責任と蓋然性』に関する考察
(客観的に立証不能な人間の内面上の事実について)
検証に際し、一言意見を付す光栄に感謝します。
私は、図らずしも、本公判の裁判官の一人として貴重な経験をさせていただきました。本件の特異性はその凶悪さと、被害者が無国籍者を含む姉妹とその子の3名で、その子の殺害を皮切りに順を追って殺害、遺棄され、犯行の首謀者が居住するアパートの庭に発覚を免れるために埋められたものです。その複雑な過程や、人間関係を審理し結果を導くことは、通常であれば困難を極め、おそらく立証責任を果せない部分もあって、真偽不明な状況の逐一に十分な証拠を以って証明することは出来なかったと推察いたします。
従って、疑わしきは被告人の利益にという原則によって、蓋然性が多分に含まれたものになりかねなかったと思慮いたします。
では、その蓋然性について私の考察を加え、本件検証結果に添えさせていただきます。
▷先ず、本事案の幹になる部分の蓋然性について
司法及び検察の権力及び責任の行使に内部関係者が悪意をもって関わった場合、立証責任には多大なマイナスとなる。本件では、共謀者は警察官であり、その管轄区域において職務中を含め犯行が行われている。当然、首謀及び共謀者両名とも当初より証拠隠蔽、抹消等を行う意思を持ちつつ犯行を行っていたこと。
▷次に、被害者3名の特異事情による蓋然性について
被害者は無戸籍者と無戸籍から成人になって戸籍を取得した者、及び無戸籍者が生んだ無戸籍の女児(殺害後に戸籍取得)であり、地域社会との繋がりは極めて低い。その弱者的立場の者に対して犯罪を行うことは犯罪行為が立証されにくいという客観的な状況があるが故のもので、首謀及び共謀者ともその点を巧みに利用し犯罪行為を行ったこと。
▷更に、首謀者の刑罰に対する認識の低さと犯行の計画性の高さについて
本件首謀者の過去の犯行には、通常では考えられない高い計画性が認められる部分がある。しかし、その都度の量刑に関して言えば、立証責任の限界によって解明できなかった事実があると仮定できないこともない。これにより、疑わしきは罰せずの基本を適用したとして、被害者にとって不利益であるとともに、計画性に長けた犯罪者がその犯行に値する刑を受けなかったことになる。そうなれば、当然、刑罰に対する犯罪者の認識は下がり、更に巧妙な犯行を企てる危険性を生じさせる。本件に関しては、殺害時に一定の感情の高まりがあったことは認められるが、その後の死体遺棄や主犯の事実を共謀者に転嫁したことなどは、明らかに過去に行った凶悪犯罪から計画性を学び取ったものであること。
▷最後に、女児傷害致死等の事実不詳の危険性について
生後間もない幼児の殺害や死体遺棄が社会問題視される中、今回の女児殺害に関しては直接その事実発見に地裁担当者が関わることとなった。その端緒は、無戸籍者で既に死亡が見込まれる女児の名前が無いことに対する配慮の念から生まれ、これを戸籍登録することにより偶然にも発見の糸口を生み出したものである。仮に、この配慮がなければ無戸籍であり保健福祉制度の枠外で、地域と殆ど関わらない幼児の行方は長期に不明となり、この凄惨な事実が不詳のまま残されたと考えられること。
以上、謹んで意見を述べさせていただきます。
刑事主任判事 山本 俊史
◯黒の代償(人の番人でありたい)
私は、山本判事の意見を読んだが、それによって自分が書きかけていた『黒の代償』という題名の意見を変えるつもりはなかった。私は今まで、法の逐条解説や判例、過去の類似事例に依存し、時にその知識のみを基準とする審理に終始してきた。裁判官であるという驕りと、検察や弁護側から示された証拠、証人の存在に拘り、真実を見抜く人としての役目を疎かにしていた。
特に、疑わしきは被告人の利益という周知の解釈においては、自ら極刑の裁断に向き合うだけの覚悟があったのかと言えばそうではなく、あえて疑わしいことを望んで、罰を与えずに済むことを期待してしまったことは否定できない。だから、この裁判官の重責を柵と捉え、勝手な解釈や思い込みの罠にはまり掛けたのだと感じたのだ。
黒の代償『真実は桜の木の下に眠っている』
(法の番人及び人の番人であることの真実に関する意見)
検証に際し、謹んで意見を申し上げます。
私は、職を辞するつもりで本件発覚の現場近くに赴いたところ、警察官から任意同行を求められ、これに応じました。そのことを端緒として、私が複数回に渡って犯行の発見に直接関与したことは、あたかも殺害された被害者3名が自らの無念を晴らすかのように、私に犯罪の事実を伝えようとしたのではないかと、未だに思っております。
また私は、殺害された3名の後を追うように自死を選んだ末の妹の意思も、地裁の当直時に最初に連絡を受け、感じ取りました。
更に、殺害された姉妹と自死を選んだ末の妹の母親である方と名古屋地裁で面会し、その時点で既に殺害されていた末の妹の子(生後4ヶ月)の戸籍登録のために名前を確認したところ、真実であることが分かり、咄嗟に被害者のうちの次女が残したメモのことを思い出しました。それが『真実は桜の木の下に眠っている』です。この文の『真実』は、当初、被害者の女児の名とは思っておらず、名前に置き換えてみて、迷うことなく遺棄された場所がひらめき、それを伝え、ご遺体の発見に至ったものです。
私は、人が人を裁くにあたり様々な思いが去来し、自己の判断に迷うこともあると指導を受け、それを理解していたつもりでした。しかし、極刑相当の量刑の判断に際しては、迷いなく意を決することができず、自戒の念に駆られていたこともありました。そして、この度の公判に際しては、裁判官である前に一人の人間として、首謀した犯人に憤りを感じ極刑を望んでおりました。この憤りの感情を自ら素直に認めなければ、私が人の番人として人を裁く意味もなさないと感じたところであります。
実際、私は心の中で明確に黒でありグレーでもないとして、事件に関連して尊い命を落とされた方の無念を晴らすだけの代償を本件の首謀者に負わせたいと強く望んでおります。この代償という言葉自体は不適切かと思いますが、量刑の判断の根本には過ちに対する対価の償い(代償)を犯罪者に負わせることで、被害に遭われた方の人としての営みが担保されるということ。そして、人が自分の過ちを受け入れられなければ、人としてその営みに向き合うことが出来ないということを、本件を通して改めて肝に銘じたところであります。
以上が、私が一人の人間として思っていた嘘偽りのない真実であります。
結語といたしまして、今は、人間としての感情を自らが否定してまで、法の番人として適正に人を裁くことはできないという真実に、ようやく確信が持てたことをご報告いたします。
刑事担当判事 長瀬 亮
◯再出発(門出)
私のこの意見は波紋を呼ぶと思われたが、佐伯氏は訂正もなく、そのまま評価委員に回してくれた。やはり、予想どおりの結果になり定期異動を前にして私に転勤の辞令が下りた。
私「皆さんには、大変お世話になりました!」
山本「ああ聞いたよ。名古屋だって! それも奇遇だな」
私「はい! 転勤は覚悟していたんですが、まさか名古屋とは思いませんでした」
山本「そうか! 名古屋だものなー、初めて東京を離れるんだっけ?」
私「はい! 司法修習生のとき以来です。これから、佐伯さんのところに挨拶に行ってきます」
山本「あれ! 佐伯さんは今出かけてるんじゃないか。たしか、転勤の辞令を受けに!」
私「えっ、動かれるんですか! 佐伯さんも」
山本「ああ! たぶん退職前の最後の異動だって言ってたから、ご実家に近い新潟かな!」
私「そうですか!」
私は、佐伯氏の異動も自分の意見書の影響ではないかと心配していた。
暫くして、佐伯氏が私の席にやってきた。
佐伯「予想が外れました。まだまだ後輩指導が足りないって言われました!」
山本「ええ! 新潟じゃなかったんですか?!」
佐伯「そうなんです! 一緒に名古屋に行くことになったんです」
私「いや、本当ですか!」
私は、佐伯氏と一緒ということに対して、安堵と詫びの両方を感じて異動に臨んだ。
◯名古屋にて
そして、辞令から連休を挟んで10日。私は名古屋地裁で新たなスタートを切っていた。佐伯氏は、引っ越し業者の日程が合わず、休暇を取って3日遅れのスタートだった。
私「東京からこのたび参りました長瀬です。よろしくお願いします!」
渡辺「こちらこそ、よろしくお願いします! 僕たちはなんだか長瀬さんのこと、初めてって感じがしないんです。あのときのオーラみたいなものを皆が覚えていて!」
私「いやー、ほんとは僕も一緒です! 真実ちゃんの名前を知ったとき、自分が何をしにここに来たか直ぐにひらめいたんです!」
渡辺「そうそう! 偶然だと思いますが、僕が長瀬さんの異動を知った日の翌日、真実ちゃんの戸籍登録に合わせて、亡くなられた娘さんたちの戸籍登録が全部済んだと言って、吉田 (被害者実母及び祖母)さんから手紙が来たんです。今ここに持ってます!」
私「本当ですか! いやそれは良かった」
渡辺「それで、一連の事件に関係する説明を吉田さんにしていると、お墓を造るって言われまして、それが来週の土曜日に納骨と併せてご供養が行われると聞いているんです!」
私「そうでしたか! 名古屋に転勤になったことも何かのお導きかな!」
渡辺「それで、さっき佐伯さんに電話したら、是非とも長瀬さんと一緒にご供養に伺いたいって言われました!」
私「はい! 解りました。いろいろご配慮いただきまして、皆さんに感謝いたします!」
◯人の思いと真実の違い
名古屋に転勤となった次の週の土曜日、私と佐伯氏は光福寺というお寺にいた。私たち二人は記帳を済ませ列に並んでいると、私に吉田 周子(旧姓、王 周子)さんが気付いて、挨拶に来てくれたのだった。
私「ご無沙汰しております!」
周子「こちらこそ! お忙しいのに、わざわざお出で下さって」
私「あっ、ご紹介いたします! 私の上司の佐伯さんです」
佐伯「佐伯です! 先週、名古屋に異動してきました」
周子「そうでしたね! 裁判所の渡辺さんから伺っております。真実の戸籍を作るのをご指導いただいたそうで、本当にありがとうございました」
佐伯「恐縮です! せめてものご供養のつもりで、ここにいる長瀬に頼んだら、何かのご縁で見付かりましてね!」
周子「本当に見付かってよかったです。それに支配人さんから、埋められたところの掘り起こしの際にも、裁判所の方がお見えになられて、お花やら、洋服やら、それに私の似顔絵なんかも添えていただいたって言われてました!」
私「そうでしたか! 私と支配人は偶然、30年ぶりに再会したんです」
周子「私の至らなさで、子供3人と生まれたばっかりの孫とをああいった形で亡くしまして、東京に行って遺体の確認って言われましたが、実際、全然眠れなくなって倒れてしまいましてね!」
私「そうだったんですか! で、いまは大丈夫ですか?」
周子「なんとかしっかり供養するためにも、お墓を造ってあげないといけないよって言われて、戸籍も死亡届を出すから、しっかりしてあげないと浮かばれないって言われて!」
私「本当に大変でしたね! あのー、吉田さんは、今はどなたかと一緒に暮らしておられるんですか?」
周子「はい! 主人は一昨年他界して、今は娘夫婦と一緒に住んでいます。実は、前に結婚していて子供が三人いるっていうことは、なかなか話せませんでした。でも、いつかはちゃんと話さないといけないって!」
吉田 周子さんは、お子さんと思われる女性に肩を抱かれ、そのまま席へと戻って行った。
程なくして、私たちは墓石近くに移動し、白絹に包まれた4組のお骨が墓中に納められたのを見とどけた。順に従い墓前に移動し、線香を受け取り、それを立てて、手を合わせる。黙とうの後で、ふと首を垂れると墓石の名前が目に入った。そこには『木下 真実』と、一番右下に母親の王 周桜の隣に、間違いなく木下姓で名前が刻まれていたのだ。次に手を合わせた佐伯氏は、私の驚く顔を見て直ぐにそれを理解し、二人で顔を見合わせた。
すると、それを察して吉田 周子さんは私たちを呼び止めた。
周子「お気付きになられましたでしょうか?! 真実の名前です。あの子が生まれたときに、私のところに連絡もらって、この子は絶対に僕が守る! 周桜と一生面倒見るって言われまして、それで実さん(木下 実)にも了解もらって木下 真実ってお願いしたんです」
切なさがこみ上げて、再び墓石の名前を見た。私は何も言葉が見つからなかった。
真実の実は、木下の名前の一字でもあったのだ。
◯怒り再び
4人の墓を参った翌週の月曜日、佐伯氏は官舎のガスと電話の引き込みの関係で午前中を休みにしていた。私は、東京の山本判事に近況報告の電話を掛けた。すると、折り返すという一言で、電話を切られてしまった。また背筋に嫌な予感がした。
暫くして、昼前ごろにその折り返しの電話があった。
山本「いや、わるかった! 状況を説明するね。朝一で検察から連絡があって、服役に入った田沼 修吾郎が刑務官に、どうせ死刑になるんだから、もう一人やったことを話すって言ったらしい。それが、王 周華が生んだ自分の子供だって!」
私「ええ! そういえば、たしか周桜が姉の周華が田沼の子供を流産したって言っていましたよね!」
山本「そうなんだ! 王 周華は、ちゃんと母子手帳の受領に行って出産するつもりだったらしい。戸籍も周華は持っているしな!」
私「じゃあ、どこかの時点で出産したということですか?」
山本「ああ! 検察の話ではアパートの風呂場で王 周華が出産した子を、そのまま何処かに遺棄したんじゃないかってとこまで入っている」
私「でも、もうアパートも取り壊されているし、周りは全員無くなって全く証拠は無いんですよね! 田沼の供述だけで」
山本「そうなんだ! 検察も田沼がそれ以上言わないで、のらりくらり遊ばれている感じだって言っていた。でだ! 折り入って君に頼みがあるってわけ!」
私「あっ、はい! 引っ越しも、大事な用も先週片付きましたし、いいですよ! 何なりと」
山本「うん、あのさー、もし周華の産んだ赤ちゃんを田沼が遺棄するとしたら、どこ?!」
私「ええ、それですか?!……そうですね、あっ! 先週の土曜日に王三姉妹と真実ちゃんのお墓を新しく立てたっていうことで、佐伯さんと……いや、たぶんあそこです!」
山本「あそこって、どこに墓参りに行ったの?!」
私「いや、赤ちゃんが埋められている場所です! たぶん、あの木の下辺りに埋められていて、だから周華をあそこに連れて行って殺害して、縊首を装った」
山本「いやー、それがホントだったら、またこっちに戻ってこーい!」
そのとき、私は真実ちゃんの母親の王 周桜が、同じ場所で縊首して亡くなったことは、あえて口にしなかった。
それから、昼の1時過ぎに佐伯氏が地裁(名古屋)に出勤し、午前中の山下判事の話を説明していると、再び山下判事から電話があった。
山下「出ました、ご遺体が! 例の公園の高台の木の周辺から! 検察が何で分かったって聞いてきたから、適当に説明しておいたよ」
私「そうでしたか、よかった! あっ、すみません。ちょっと佐伯さんと代わりますね!」
私は、高揚する山下判事に墓石の真実ちゃんの姓のことを言い出せず、佐伯氏に電話を代わった。
佐伯「いやー、大変だね! また追加の公判処理か。私も、高裁に送った検証資料に目を通していたら、何となく流産の部分が気になってはいたんだが! それで、急ぐ必要はないんだけど、ご存命の唯一のご親族と、先週の土曜日にお会いしてね。かなり体調が悪そうだったんだよ。対応はこっちでやれるから、今の件は長瀬くんと調整してくれるかな! あっ、それと、真実ちゃんがお墓の中から山本さんに『よろしくお伝えください』って。木下 真実になりましたってね!」
山本「佐伯さん! また、泣けるような話をするなー」
私は、必要な要件を凝縮して伝えた佐伯氏に、人としての大きさを感じていた。
私「ありがとうございます!」
佐伯「そうだ! 肌着にも王 周華が木下 真実って書いていたんだよね。そう、そう! じゃあ今、長瀬くんに代わるから!」
私「あ~、もしもし長瀬です! でもご遺体は見付かっても、犯行を立証できるものが田沼の供述だけでは厳しいですよね!」
山本「ああ、そうなんだ! 検察は、田沼の供述に基づく関連場所の再捜索の中で発見に至ったっていうところだが、おそらく田沼は、こんなに早く遺体が見付かるなんて思っていなかっただろうから!」
案の定、その後田沼 修吾郎は、発見された幼児の遺体は、内縁関係にあった幼児の母親の王 周華が遺棄したと言いだした。そして、王 周華が自宅アパートの風呂場で産み落としたときには幼児は既に死んでおり、王 周華が勝手にどこかに持って行ったと言ったのだった。
私は山本判事の電話を切った後で、佐伯氏に話し掛けた。
私「佐伯さん! 私が調子に乗って勘だけで言ったから、検察も田沼に振り回されることになって! ちゃんと立場をわきまえた言動をすべきでした」
佐伯「まあーそういう見方もできる! でも、たまたまある人間の過去経緯や状況分析の優れた能力に基づき、遺棄された場所の特定が極めて迅速に行えたという見方もできる。違いますか?! めずらしく弱気だねー。どうしちゃったの?」
私「すみませんでした! また、あのお墓に入るお骨が増えますね。真実ちゃんの従妹だ!」
佐伯「じゃあ、今度、山本さんを名古屋に呼んで、3人でお墓参りにでも行きますか。あっ! そういえば光福寺さんの近くにバッティングセンターがあったのを気付きませんでしたか?」
私「いえ、ぜんぜん! じゃー今日、夕方にでも行きますか!」
佐伯「おっ! 復活したねー」
◯そしてまた
名古屋に異動して既に3年が経過していた。私は再び東京に異動することとなり、山本判事の後任として着任することとなったのである。異動の辞令を持って向かった先は、王三姉妹と山下 真実、そして『ハナ』と名付けられた幼児が眠る墓前だった。
その『ハナ』の名付けは、王 周華の華の字をカナ読みにしたのだと光福寺の住職から聞いた。気付けば、墓石の横に若い桜の木が風に揺れていた。『真実とハナ』がその下に眠っているのは、先々の自分にとって何を言おうとしているのかと感慨にふけった。
私「また、あいつと戦ってくる。頑張ってくるから頼んだよ!」
そして私は、仙台に異動することとなった山本判事の申し送りを受けに、東京に向かった。
検察は、田沼 修吾郎の一連の事件に対し専属チームを組んで対応に当たっていた。だが、この3年の間に、ハナちゃん殺害以外にも2件の殺害をほのめかし、いずれも当時から現在に至るまで、所在が分からない人のことを曖昧に言い出していたのだった。
山本「忙しいだろうから、さっそく説明に入る! 田沼は殺人鬼でもあるが知能犯だって検察が言ってきた。それはどうでもいい話だが、君が埋められた王 周蘭と真実ちゃんのことに気付かなかったら、おそらくは周蘭と真実ちゃんのことも小出しにして死刑執行を遅らせるつもりだったんじゃないかって! それにハナちゃんの件もだ」
私「まあ、田沼がそこまで考えていたにしても、あとから思い付いたにしても黒であることには変わりがないじゃないですか! 僕は自分の持っている勘でも何でも使って、徹底的に償いをさせるだけです。多分そのために、名古屋から戻って来るんだと思っています」
山本「ほー、言うな! 成長したじゃないか。時代劇のお奉行様が地獄の閻魔様に格上げした感じだな!」
私「はあー! 受け売りじゃないですが田沼 修吾郎がこの世で何人手に掛けたは知りません。でも、結局、今は死ぬのが怖いだけで命を長らえようとしている。僕は、何度空振りしたって、あいつに代償を払わせてやりますから!」
◯空振りと振り逃げ(黒の代償)
山本判事の申し送りを受けてから1週間後、私は東京の山本判事のいた席に座っていた。3年前に座っていた席は後任が座っている。机の上も、中も申し送りの資料がファイルに整理され、整然と置かれていた。不思議な感じがしていた。
私は異動の挨拶状を何人かの方に送っていて、個人メールなどで返事をいただいていた。昼に入り仕出し弁当を食べながら携帯のメールを開けていると電話がかかってきた。バッティングセンターの支配人だった。
支配人「お忙しいときに電話をかけてすみません! ご無沙汰しておりました」
私「いえいえ、こちらこそすっかり! お元気ですか?」
支配人「ええ、元気です。ご栄転おめでとうございます! あっ、お忙しいでしょうから手短にお伝えします。うちのバッティングセンターが暫く残ることになりまして。是非また皆さんで!……で、私は来月からシルバー社員で再雇用です」
私「そうでしたか! それで、ご異動先は?」
支配人「ここの親会社の製紙会社の本社で、警備の仕事に就きますんで!」
私「そうでしたか! で、いつまでそちらに?」
支配人「今週いっぱいで、40年の幕を閉じます」
私「いやー、寂しいですね! 本当にいろいろお世話になりました」
そんなやり取りの中、不意を突くように自席の電話が鳴った。
私「すみません! 電話が入っちゃて、後で掛けなおします!」
支配人「いえいえ! お忙しいでしょうから、これで失礼します。お体に気を付けて下さい!」
私「もしもし、長瀬です!」
警察本庁の捜査一課長だった。
一課長「おう! ご栄転おめでとうと言いたいとこだけど、ちょっと耳に入れておきたいことがあってね! 君が三年前に扱った田沼 修吾郎のことだ。さっき警察病院から電話があって、亡くなったって!」
私「もう一度、いいですか!」
一課長「田沼 修吾郎が! あの山下 実と共謀して殺人、死体遺棄をやった田沼 修吾郎が自殺したって!」
私「わかりました! 詳しい話、いいですか!」
捜査一課長の話はこうだった。
『ちょうど一週間くらい前から、田沼 修吾郎が拘置所で毎晩夢を見るようになって、食事もできない状態で、警察病院に収容されたのが三日前だ。それで病院では、点滴と安定剤でベッドに寝ていたかと思うと、突然、自分で自分の首を絞めて、……』
そこから先は、真実ちゃんとハナちゃん、そして王三姉妹がどの様に田沼によって苦しめられ、死んでいったのかが私の心に憑依した。そして、それを田沼が夢で見て苦しんだのだと思っていた。
一課長「おい、長瀬、長瀬! 聞いているのか?!」
私「あっ、はい! よく聞こえます。どんな状況で田沼 修吾郎が警察病院で亡くなったか、苦しんで死んでいったか手に取るように解りました。最後に非常階段で肢体拘束用のベルトで首を吊ったのもよく!」
一課長「いや! そこは未だ言ってない。どっからか情報が入ったのか?」
私「いえ! この件は先輩から伺ったのが初めてです。いまのは僕の勘です!」
その後で、何を説明されたのか確認するため、捜査一課長との会話の録音を再生した。そこにはこう説明されていた。
『……自分で自分の首を絞めて、だれかに謝ったり、今度は赤ちゃんの様な格好して、ごめんね!先に死んじゃってって言って泣き出す。そうかと思えば土の中は汚い虫がいっぱい。早くきれいなところに移してって騒いだりした。発作的な自死の可能性があったので、肢体を縛って様子をみていて、落ち着いたと思って食事を田沼に食べさせてみたら、突然嘔吐して看護師がその対応をしている隙にいなくなった。いなくなってから約一時間後に、病院の屋外非常階段の隙間から体を出して、手摺に肢体拘束ベルトを掛けて、それに首をかけて自殺を図った。だが、その後で苦しくなって失禁をし、また階段の手すりに掴まったが登れず、助けを呼んでいて、力尽きて落下して地上の植栽の上に落ちた。その様子が防犯カメラに写っていたよ! 植栽は偶然かもしれないがクッションの役目をしないで、枝が身体を何か所も貫通していた。死因は脳挫傷と同時に心臓と肝臓、それに膀胱に枝が貫通した高所転落による多発性外傷だ』
私は、捜査一課長の説明の合間に相槌を入れているが、その記憶はなかった。
そして彼は最後に、こう言っていた。
一課長「これで、やっと安心して異動ができる! 前回の異動内示の直後に、田沼が拘置所で追加の殺害をほのめかして、直ぐにその遺体が発見されただろう。それで、異動が取り消された。でもこうやってお前が戻って来て、あいつに黒の代償をちゃんと払わせてやれるって思っていたら、こうなった! 本当に不思議なもんだなー」
気付けば、また桜の花を見忘れていた。
私は、公園に咲く桜は人の手によって手入れをされ、人が愛でるために咲かせていて、それを見ても見なくても桜は咲き、そして散る。ただそれだけのことだと思っていた。野に咲く桜は強く人が手を加えた桜は弱い。人の死や不幸を自分事として捉える不器用さは優しさの一つだと勘違いして、自分は愚かで、こんな自分でも法の解釈や裁量を間違えないために判例や解説書があるのだと思い込んでいた。だが私は、間違いなくこの事件の代償としての結果には納得できない。本心から田沼 修吾郎のやった罪だけを憎み、彼を憎まないような人間がいるのなら、私は、その人間も共謀者だと思う。あたかも、理性だけで人を裁けるような人間がいるというのなら、客観的事実や法の解釈、判例を積み上げて、AIやスーパーコンピューターを使って、感情を形にしない代償を宛がうだけの知能に置き換えることだってできる。だが、それは嘘である。なぜなら、人間は罪ではなく人を憎むものだからだ。疑わしきは被告人の利益に期するのではなく、被害者の利益や幸せを一番に考える心ある司法があってもいいのではないか。
私の辞めない理由は、そこにあるのだ。
~~おわり~~
作者 Kazu. Nagasawa