0.記憶の欠片「1」
少し書き足しました。
「婚約破棄をしましょう。」
少女は、目の前に座る少年に告げた。深淵のようなまるでどこを見ているかわからない彼女の暗いブルーの瞳と目が合う。少年が彼女と目を合わすのは、7年の付き合いで初めてだった。
「お待ちください。私は何かしてしまったのでしょうか」
少女はこくりと首を横に傾けた後、少しだけその人形のような表情を崩した。
「あなた、あの子のこと好きなんでしょう?」
「な・・・一体いつから?」
「さあ。興味ないわ。でも、いいと思うわ。そういうの。あの子がどう思っているかは知らないけれど。」
少年は投げやりで本当にどうでもよさそうな様子に少なからずショックを受けていた。彼女との間には恋愛感情はなかった。けれども、ここまで関心がないとこれまでの信頼関係もなかったことのように感じた。彼はとある少女に心はあっても、全く婚約破棄する気などなかった。絶対にこの想いは誰にも伝えるつもりがなかった。それを最も知られてはならない相手に知られた上に、あちらに身を引かせてしまった。
「あなたのお心遣いはわかりますが、彼女のことはもちろん忘れます。だから、私はあなたとの婚約を継続させていただけたらと思います。本当に申し訳ございませんでした。」
「ごめんなさい。」
彼女は目を逸らした。間髪入れずにそう返され少年は戸惑った。
「私、元々誰とも結婚したくないつもりなのよ。このことがなくても貴方との婚約はなくそうと思っていたのよ。だからあなたは気にしなくていいわ。あなたなら私との婚約が無くなっても、あの子じゃなくても、いい相手が見つかるでしょう。」
ごめんなさいともう一度彼女は謝ると、席を立った。
「お父様には私から伝えます。最後だから私のワガママ聞いてくれますね?ディーノ?」
ディーノは目を下に落としてうなずいた。彼女には何を言っても無駄だと感じた。
「最後に聞いてもよろしいでしょうか。」
「はい。」
「あなたは俺が嫌いだったのですか?――俺は貴女にとってなんですか?」
少女は驚いたように目を一瞬見開いたが、すぐに元の無表情に戻った。
「・・・いいえ。嫌いではないわ。私のことはもう忘れてください。さようなら。ありがとうございました」
もう一つの問いかけには答えず、立ち去っていく彼女の背を見つめながら、彼はつぶやいた。
「さようなら、スノウ。俺のお姫様」
彼は気づいていない。彼女がなぜ解消ではなく、破棄と言ったのか。立ち去っていく彼女の身体が凍えるように震えていたのか。彼と彼女との繋がりが少女にとってどれほど大切だったのかを。
―目の前が真っ暗になる。黒い黒い海の底に意識がずんと落ちていくような気がした。いや、実際に落ちているのだろう。逆さまになった身体は何かを掴むこともできず、ただひたすら終わりのない底に向かっていく。
重い泥になったような身体をキュッと抱きしめて私は考える。何が間違っていたのだろうか。何もわかっていない時点で、私の人生は間違いしかなかったのだろう。友もおらず、愛する人もおらず、家族さえも信じられなかった。手を伸ばすことをしなかったくせに誰かに認めて欲しかった。唯一手を差し伸べてくれた彼女、彼女の手さえ握っていれば運命は変わっていたのだろうか?
ああ、きっと変わらない。この結末は変えられない。でもお願い、誰か、誰か、私の声を―――