失敗
結論から言うと、その目論見は功を奏さなかった。
翌日、柳真の屋敷にあらわれた文君は、小さな庭でしおしおと木の葉の掃除をしている秋玲を見て、ぶっと思い切り吹き出した。
「文君!」
「いや、···すみません。姐さんの顔が面白すぎて」
「なによ!ざまあみろと思ってるんでしょ!顔に出てるわよ!ほんとキライ」
苦虫を噛み潰したような顔で、秋玲は竹箒の上に顎をのせて文君を睨み上げる。
文君はますます声をあげて笑った。
「···金持ちくんは、お出かけですか」
「その言い方、完全にバカにしてる」
「まさか。名前を知らないだけです」
「―――出仕したわ。今日は夜番だから、朝まで帰ってこないんですって」
「ふむ。それは良かった」
意味ありげに文君は微笑むと、木から庭へ飛び降りて近寄ってきた。
秋玲は思いきり文君を威嚇する。
「···何よ。見ての通り色々やらかしてるけど!私はまだ諦めてないし、絶対に楊州には戻らないんだからね!」
「まだ何も言ってませんよ」
言って、秋玲が泣きそうになっている原因に、あからさまな視線を投げる。
こじんまりとした庭。
それに面する、部屋も三つほどしかないだろう、小さな小さな古ぼけた屋敷。
壁の一部はひび割れ、屋根からは謎の草が大量に顔を出している。
柳真いわく、屋敷の裏手には家庭菜園があり、食糧は基本的にそこでまかなっているとのことだった。
つまり、どう考えても、選択を誤ったとしか思えない。
「文君。―――ひょっとして、知ってた?」
「まさか。知っていたら、止めますよ。こんな貧乏武官のもとに行くなんて」
文君の言葉に、秋玲は深く息を吐き、再び庭の掃除を再開する。
「あんたってほんと最低。絶対に面白がってるでしょ。隠しても出てるわよ」
「さすがのあなたも誤算だったんですね。これはこれで····ぶっ、すみません。やっぱり面白い」
「殺すわよ。この竹箒、尻にさされたいの?」
「すみません。笑うのやめます。いだっ!」
秋玲は容赦なく竹箒で文君の脛をうち叩いた。
そして、昨日のことを思い出すかのように、遠い目になる。
「はー、だって、武官なのよ?科挙通ってるなんて、絶対貴族のボンボンだと思ったのに···」
ついに正直に落ち込み始めた秋玲は、しゃがみこんでしくしくと恨み言をこぼし始めた。
ぶちぶち、と庭の草をむしりながら。
「しかも、あんな高級娼街に頻繁に出入りしてるってことは、絶対に金持ちだって思うじゃない! こんなの反則よ! ····ねぇ、百歩ゆずって、ここって別邸なのかな?!得体の知れない女だから、ここに置いていかれたのかなぁ?!なんなの、このボロ屋敷!謎の家庭菜園!」
「···さあ、どうなんでしょうね。いいんじゃないですか?姐さんもちょうど、楊州でも家庭菜園してたじゃないですか。才能を発揮してください」
実際のところ、文君は、なぜ柳真がこんなところで暮らしているのか知っている。
それを押し隠しながら言って見せると、秋玲は涙でぐちょぐちょになった顔できっと睨んだ。
「···うるさい!黙んなさいよ!もうほんとは何もかも知ってるくせに!」
「··········」
文君は、こほん、と咳払いした。
「知りませんよ。本当に」
「·····良いわよもう。自分でなんとかする」
「···············すみません」
「ほんとに性格悪いわね」
「···まあ。良くはないかもしれませんけど」
適当な顔を言うと、秋玲は鼻を鳴らして、竹箒の周りに集まった木の葉に四川を戻した。
それから不意にハッとしたような顔になって、黙りこむ。
何を考えているのか。
そして、ややあって顔を上げて、言ったのは。
「···ねえ。これ、まともな人の生活になるのかなぁ」
「··········」
何かと思えば、そんなことをわりと真剣に聞いてくる秋玲の顔を見て、文君の全身の力が抜ける。
そういえば彼女の本来の目的はそこだった。
とりあえず同意してあげるのは、文君なりの優しさだ。
「まあ、山賊よりまともなんじゃないんですか?追われてないし」
「···そっか。うん、確かに」
ちょっと嬉しそうになる。
こういうところは本当にアホだな、と文君は思ってしまうが、仕返しが怖いので口には出さない。
「まあ、せいぜい、虫を怖がるフリ、頑張ってください。僕はそろそろ一旦楊州に帰って、経過報告をするように言われてますので、二、三日留守にします」
「ふん、相変わらず父さんの犬ね」
「まあ、お給料もらってますんで」
そのまま颯爽と去っていく文君の姿を冷ややかな目線で見送ると、秋玲は、再び庭掃除を再開しながら、ある考えを巡らせた。