スライム
街を北に出ると森がある。行方不明者も多数出るほどの巨大で複雑な森だ。この辺じゃたぶん一番の広さだろう。
俺は常に魔王の魔眼で辺りを見回す。所々に人の魔力や魔物の魔力を感じられる。ここまではっきりと、広く、細かく魔力を感知するのは初めてだ。
これがあればトラップにはまることも、擬態した魔物にやられることもなくなるだろう。正直、魔王様々だ。
「…どうですかアルマさん。娘さんの魔力は見つかりましたか?」
「いや…たぶん、森の中なんじゃないか?この辺にはそれらしい魔力は無い…」
「娘さんの魔力が小さすぎる…ということは考えられませんか?」
「いや、それはない」
俺は足下にある花を一輪摘んだ。紫色の花びらが特徴的な花、ペティである。どこにでも生えている花だ。
「この花に含まれている僅かな魔力も、俺の魔眼は見極めることが出来る。いくら子供って言っても、その魔力が見つけられないなんてことはない」
心底自分でも驚いているが、平静を装わなければセンナに勘づかれる。何となくだが、こいつは頭が良さそうだ。たぶんメガネと喋り方のせいだろう。
「そんな繊細な魔眼を…」
「まあな」
あんまり調子に乗らないでおこう。ボロが出る。
俺はセンナと共に走って森に入った。昼間だというのに鬱蒼としている。怪鳥の鳴き声も聞こえてくる。
この森には強力な魔物も多数存在している。
だが、今の俺にはどこに魔物がいるかも全て把握することが出来る。
人間の魔力と魔物の魔力は根本的に色が違う。それは知っていたが、魔王の魔眼を使うとより分かりやすい。
「…魔物がいない道を出来るだけ歩きたい。センナ、お前は俺の死角…後ろの方を見張りながら俺についてきてくれ」
「分かってます。命令しないでください」
「命令じゃねえだろ別に」
プライドがお高いようだ。そんなにぴりぴりしなくてもいいと思うんだがな。
センナは剣を抜いた。刃と鞘が擦れる音が綺麗に響いた。その刀身は細いが鋭く、鬱蒼とした森の中でも銀色に輝いていた。
「その剣…めっちゃ光ってんな」
「貴方には分からないでしょうね、この剣の価値は…」
知るか。
剣など詳しくは無い。斬れれば良い派だ、俺は。
それから、特に魔物と遭遇することもなく森を進み続けた。センナも後ろを見張っていたが、背後から奇襲を掛けてくる魔物などいなかった。
『主人、この先に水の音を確認しました』
「ああ、この先には緑魔湖っていう湖があるんだ」
「え?なんですか?」
センナが反応を示す。しまった、ついリーベの声に反応して普通に話してしまった。センナからすれば俺が勝手に喋り出したみたいになってる。
「いや、なんでもない」
「それよりこの先には緑魔湖と呼ばれる湖があります。そこで休息を取りましょう」
「は、は~い」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺はセンナと共に湖の畔で休んでいた。
水の色は森の木々の新緑を反映した緑色だ。魔力に満ちた木々、その魔力が色となって湖に浸透する。実際に手で水を掬えば緑色だし、飲めば美味い。
俺は一度魔眼を伏せていた。慣れないせいか、少し目が疲れてきた。それに、左胸の拍動が速くなっているのが、手で触れずとも分かった。使いすぎ注意ということだろう。
センナは湖の水で顔を洗ったりしていた。メガネを取ったその顔は、意外にも美形だったがあの性格では宝の持ち腐れというやつだ。
センナは片手に握った剣を水面に当て、何やら魔力を操作している。緑魔湖の魔力を水ごと吸い取っているようだ。
「自然破壊はやめとけ」
「ち、違います!少し力を分けて貰っているだけです!自然破壊というのはそもそも――――」
「はいはい、分かった分かった」
いちいち面倒くさい女だ。冗談も通じはしない。
俺はセンナに背を向け、森を眺めた。
『主人』
「ん?」
俺は思わず喋りそうになり、慌てて口を抑える。
『センナ様に注意を促すことを勧めます』
「注意って…なんの?」
『これ以上の緑魔湖の水の吸収を止めさせることを勧めます』
センナをチラと見るが、特段変わった様子も無く、一人ただ水を吸収している。水系の剣であることは間違いないだろうな。
俺は立ち上がり、ゆっくりセンナに歩み寄る。
「な、なんですか?!まだ自然破壊とでも――――」
「水の吸収はもう止めろ」
「は…?貴方何を――――」
「それ以上は危険だって言ってんだ」
俺はおもむろに魔王の魔眼を発動する。ふと、センナの腕から剣の柄、鍔、刀身、湖へと視線を移す。その時、異様な魔力がセンナの刀身を伝って這い上がってきているのが分かった。
「剣を放せ!」
「ふざけたことを言わないでください!」
俺は走り、センナが剣を握る右手を思い切り振り払った。センナの手から剣が零れる。
「何をするんですか!」
センナは怒りのあまり声を上げる。
宙を舞った剣からは、青緑色の水の塊が飛び出してきた。
それは地面に落下し、ドクドクと蠢いていた。
「こ、これは…」
「スライムだ…厄介な魔物が出てきやがったな」
スライムは魔物の一種だが、物理攻撃は一切通用しない。
「まさか…私の剣を伝って地上に…」
「スライムは好奇心旺盛だ。水の吸収なんてされたら、ワクワクしちゃって当然だろ」
俺はスライム目掛けて手を翳した。
「火玉!」
掌から火の玉が飛び出す。それはスライム目掛けて飛んでいき、着火した。
誰でも使える下級魔法だ。これでスライムを倒せたとは思ってない。
「今のうちに逃げるぞ!」
「待ってください!まだ剣がスライムの方に!」
「そんなの後だ!死にたいか!?」
センナの腕を引くが、センナは抵抗する。やがて土煙が晴れ、そこには二体のスライムの姿があった。俺の魔法を利用して分裂しやがった。
「離してください!!」
「あんな剣またどっかで買えばいいだろ!いいから今は――――」
その時、俺の頬に何かが当たり、パチンと音が鳴った。
見ると、センナの左手が俺の頬を殴っていた。これが俗に言う、ビンタというヤツだ。
センナの眼は僅かに潤んでいた。
「貴方に…何が分かるんですか…?」
センナは俺の手を振りほどき、二匹のスライムの元へ走って行く。センナの剣は丁度二匹のスライムの後ろにあった。
「返してください!」
センナは腰から短剣を取り出し、スライムに切りかかるが、切られたスライムの身体は何事も無かったかのように再生する。そして、二匹のうち一匹が、センナ目掛けてタックルを噛ました。
「がっ…!」
センナは勢いよく吹き飛ばされ、木にぶつかった。
スライムは身体こそ柔らかいが、その柔軟性と弾力性を利用して途轍もないパワーを発揮する。それに加え、その身体にモノを取り込む習性がある。
センナはタックルされた拍子に、上半身の服を奪われ、取り込まれたようだ。緩いノースリーブ姿のセンナが露わになった。
「くっ…外道が…!」
スライムは俺の方を見る。今度は俺から何かを奪いたいようだ。
だが俺は既に心臓を奪われてるんでね…これ以上は何も奪われないようにしなければ…。
『主人。イメージをしてください』
「分かってるよ…」
俺はイメージした。
ヤツを倒す武器を…。
すると、目の前にあの時と同じく黒い渦が発生した。そこに手を入れ、掴んだモノを俺は引き抜いた。
それは青い弓だった。
『エルフ族の族長が千年前に使っていた弓…双霹弓です』
相変わらず聞いたことも見たことも無い弓だが、その見た目は意外とシンプルだった。
左手を添えると、青白い矢が二本生み出される。センナはそれを信じられないといった様子でただただ見ていた。
弓矢は得意では無いが、今なら何とかなりそうだ。
俺はゆっくり近づいてくるスライム目掛けて弓矢を構えた。
そして、放つ―――――――――。
二本の矢は、目に見えぬスピードで、気付いたときにはスライムの姿はそこには無かった。
弾け飛んだスライムの肉片が、矢のもつ魔力に浄化され、灰のようになって消え去った。やがて、何事も無かったかのように森は静まり返った。
役目を終えた双霹弓は姿を消す。
その場には、スライムが取り込んでいたモノが吐き出されていた。大抵、どろどろに汚れてるけど…。
俺はセンナの服を取り、センナ目掛けて投げる。センナは驚いたようにそれをギリギリでキャッチする。
「洗って着とけ」
「あ、ありがとう…ございます…」
それから剣を手に取った。軽い剣だ。
それをセンナに手渡す。
「大事な剣だろ」
「…はい」
「悪かった、剣には疎いもんでな」
そうとだけ言って、俺は再びスライムがはき出したモノを物色する。
その中に、気になるものがあった。それは一枚の写真だった。それを手に取る。
気になったのか、センナが小走りで近寄ってきて、俺の横から顔を覗かせた。
「これって…」
そこに写っていたのは一組の親子だった。
綺麗な母親。そして、見たことのある父親の顔。
そうだ、他でもない。先ほど街で助けを求めていたあの男だった。
そして、二人の両親の前で満面の笑みを浮かべている少女の姿があった。天使のような顔だった。
「嘘でしょ…まさか…」
センナは酷く落ち込み怯えたような顔を見せ、口元を抑える。
俺はふと、背後の緑魔湖を見る。いつもと変わらぬ湖の姿がそこにはあった。
魔王の魔眼を凝らす。特に魔力は感じられない。
『…主人。湖の中を調べることを勧めます』