女神リーベ
「どういうことだ?」
俺が女の声に聞き返すと、女は何かを答えようと声を出した。しかしその時、アングラレックスがこちらに気付いた。休んでいたのか、地面に任せていた身体を起こし、完全に臨戦態勢に入ったようだ。鼻息が荒く、俺をじっと見ている。
『説明している暇はないようです』
「どうやったらあいつに勝てる?もう武器もない」
先ほどまで持っていた剣は、崩壊と落下に紛れていつの間にか手放してしまっていたようだ。高価な剣でなかったのが幸いだが、武器の無い状態でアングラレックスにはまず勝てないだろう。
『武器は過去から転生することを勧めます』
「過去から転生?そんなことが―――――」
アングラレックスが会話を遮って噛みついてくる。俺は間一髪でそれを躱す。強靱なアングラレックスの顎が、岩をかみ砕く。顔を上げて、逃げる俺を睨み付けながら、岩を飲み込む。普段岩ばかり食べているという話は本当だったようだ。
「どうすればいい?」
『イメージすることを勧めます…あの巨獣を倒すために何が必要か…』
イメージ?
アングラレックスを倒すために必要なもの…そう言われ、俺が真っ先に連想したのは、あの硬い皮膚を打ち砕く程の強力な武器だ。
『今です』
そう言うと、俺の目の前に黒い渦が浮かび上がった。不気味な渦だが、僅かな光を帯びている。魔法陣の類いではなさそうだ。まるで空間が歪んでいるようだった。
『もっと強くイメージすることを勧めます』
そう言われ、俺は更に強いイメージを固める。武器の種類、形、色、重さ、質感、温度…。
すると、目の前の黒い渦から何かがゆっくりと飛び出してきた。それは、剣の柄のようだった。黒と灰色で彩られている。
「これか…!」
俺はその柄を握り、思い切り引き抜いた。
すると、スルスルと簡単に引き抜くことが出来た。抜ききると、渦が弾け飛ぶ。と同時に、俺は片手で引き抜いたその武器の重さに、思わず腕を下ろした。
足下の岩を砕く音が響いた。
俺の手には、巨大な武器が握られていた。それは、分厚い金属で作られた巨大な剣だった。禍々しさすら感じるその武器は、感じたことのないオーラを纏っていた。
『それは”万砕鋼”。千年前、巨人族が扱っていた大剣です』
女の声の説明には引っかかる箇所がいくつかあった。万砕鋼などという名の武器は聞いたことが無いが、千年前巨人族が扱っていたと言われても、意味が分からない。
しかしとにかく今はそんなことを言っている場合ではないようだ。アングラレックスは次の攻撃を仕掛けようとしている。
「くっ!」
俺は両手で万砕鋼を持ち上げる。何とか持ち上がるが、長時間振るうことはまず不可能だ。俺は万砕鋼を再び下ろし、地面に引きずりながら走った。アングラレックスが攻撃するよりも先に、懐に入り込みたい。
しかし、間に合うか怪しい…。
『”雷脚”の行使を勧めます』
「雷脚!」
俺は躊躇わずに走りながら唱えた。すると、両脚の腰から下が全て黒い雷で覆われた。瞬間、身体が軽くなったような感覚があった。
その直後から、走るスピードが恐ろしいほどに跳ね上がった。一瞬にしてアングラレックスの前足にたどり着く。
俺は万砕鋼を両手で握り、アングラレックスの前足目掛けて思い切り振り上げた。その斬撃は凄まじく、簡単に前足を砕くように切断した後、胴体にまでその衝撃が及んだ。アングラレックスの身体は、一瞬にして砕け散ったのだ。
「嘘でしょ…何この威力…」
思わず声が出る。アングラレックスは洞窟の岩と同じように力無く崩れ落ちた。
アングラレックスが倒れたと同時に、万砕鋼は煙のように消えた。役目を終えたからだろうか。
『お疲れ様でした、主人』
「お疲れ……ってか、なんだよ今の」
俺は暗い洞窟から出た。久しぶりの陽光が五臓六腑に染み渡る。
『私の名前はリーベ。千年以上前より存在する女神です』
「女神…?」
本当に存在していたとは…。
『訳あって、今は主人の身体から出ることが出来ません』
「全部説明してくれ。あの青い腕もお前か?」
『はい。…私は主人の心臓を最初に奪い取りました』
俺は頭を掻く。説明の初期段階で口から発せられたとは思えない内容だ。
「えっと…その主人ってのは俺のことで良いんだよな?」
『はい』
俺は左胸に手を当てる。確かにあの時、あの青い腕は俺の左胸を貫いた。だがその後に、激しい拍動が俺を襲った。
『それとほぼ同時に、主人の心臓とは違う心臓を適合させました』
「違う心臓?」
『はい。…魔王の心臓です』
リーベの言葉に、俺は言葉が出なかった。リーベが機械みたいに喋るもんだから、どういう気持ちで今その発言をしたのかも全く見当が付かない。信憑性もはかれない。
「魔王の…心臓…?」
俺は上半身の服を脱いだ。左胸周囲の皮膚は僅かに黒ずんでおり、血管よりも太い黒い管が浮かび上がっていた。その拍動音が耳に響く。拍動する度に、左胸がドクドクと蠢く。見ていてグロテスクな光景だ。
「気持ち悪…」
『魔王の力を行使した直後は心臓の動きが活発になります。少し経てば元の外見に戻るでしょう』
「魔王の力…?」
またしても引っかかる言葉だ。
『はい。魔王の心臓を適合した主人は、ある魔王の力を行使することが可能になりました。その力とは、過去から万物を転生させる力です』
「過去から…」
先ほどからリーベが言っていた言葉の意味がこれか。つまり先ほどの万砕鋼は、魔王の力によって過去から引き出したものってことか。
『転生できる対象は武器、魔法、衣服、食料など様々です。ただし――――』
リーベの声が一瞬止んだ。そしてまた聞こえる。
『…やはり、人間や魔族や魔物、その他植物以外の命あるモノは転生できないようです。魔王の力の行使が可能にはなりましたが、完全ではありません』
「…魔法も転生できるってことは…さっきの飛行とか雷脚とかいうのもそうか?」
『はい。全て千年前に人間や魔族が使っていた魔法です』
魔法を転生するとは、驚いた。そもそも転生なんてこと自体、話には聞くことはあるが半信半疑なところがあった。しかし、その存在が今さっき身をもって証明された。
「なんでリーベ…が、魔王の心臓を持ってたんだ?そして、なんで俺に適合させた?」
『千年前、魔族は魔王を筆頭に圧倒的な力で世界を支配せんとしていました。そこで我々神族が動き、魔王を封じ込むことに成功しました。心臓は、その時に奪い取りました』
何ともダイナミックな行動だ。
それにしても、魔族とか魔王などと言うモノの存在は、今の時代では殆ど信じられていない。実際目で見たことなど無い。俺も、その存在を全否定しているわけではなかったが、今こうして身をもって体験していると、信じざるを得ないというか…。
「なんでそれを、俺に?」
『…申し訳ありません。明確な理由はありません。ただ、私の中の何かが主人を呼んでいました。だから私は…主人・アルマに魔王の心臓を託しました』
「託した…?」
『…私の姿をお見せしましょう』
そう言うと、俺の左胸が青白く光り、そこから人の形をした何かが飛び出し、俺の目の前に現れた。
それは、全身青い光のようなモノで構成されており、肩くらいまでの髪の女の姿だった。これが女神リーベ。全身が青いと言うこと以外、普通の人間と変わりは無い。地面に足を着けることはなく、ふわふわと浮いている。裸足だ。
それにしても美しい、清楚で神聖な雰囲気を醸し出していた。さすがは女神。
『主人。私の、最初で最後の願いを託してもよろしいでしょうか?』
「…願い?」
『私の希望を、過去から転生させて欲しい。…それが私の願いです』
「希望…って、なんだ?」
『それがなんなのか…私にも分かりません。ただ、主人と共にいれば、分かるはずです。これは女神として、責任を持って断言いたします』
リーベはゆっくりと頭を下げた。
『私、女神リーベは最後まで貴方に忠誠を誓い、貴方の力となることをここに誓います』
リーベは頭を下げたまま動かなかった。
正直、よく分からない。
だが、心強いのも確かだ。先ほどの万砕鋼や他の魔法を使っても分かる。魔王の力とやらは圧倒的だ。
これならば、どこまでも武勲を上げることだって、可能だ。
「とりあえず、試用期間ってことで…しばらくはよろしく」
俺はリーベに手を差し伸べる。リーベはゆっくりと顔を上げ、少し微笑んでその両手で俺の手を包んだ。
それと同時に、数多の光の粒となって消えた。