プロローグ
「アルマ!お前は後ろ足を狙え!」
パーティのリーダーに俺の名前が呼ばれ、指示を受ける。俺は黙って指示に従い、アングラレックスの傍を走り抜ける。
他のメンバーがアングラレックスの気を引いて戦っている隙に、俺は隠れて移動してアングラレックスの動きを止めるという作戦だ。
完全に俺には気付いていない。このまま行けば難なく巨大な図体の後ろ足まで近づくことが出来るだろう。
しかし懸念されることが一つある。
俺が今持っているこの剣で、果たしてヤツの足を斬ることが出来るのか。ミスリル加工のしていない剣だ。魔法付与もされてはいるが、大した効果は見込めない。それに、アングラレックスの皮膚は硬いことで有名だ。
失敗は許されない。
ここでアングラレックスの動きを止めるのに失敗すれば、まず俺が狙われる。そうすれば作戦は失敗。他のメンバーは俺を見捨てて逃げるだろう。即席で出来てまだ五日しか経っていないパーティだ、大した情など存在しない。
そうこう考えている内に、後ろ足に剣が届くところまで来た。他のメンバーと戦闘中なため、後ろ足といっても激しく動いている。近づきすぎるのは危険だ。
「仕方ないか、勿体ぶったら死ぬしな」
俺は腰に下げた袋に手を当てる。”特魔障薬”。三ヶ月前に買った高級な丸薬だ。一時的に自分の持つ武器や扱う魔法に強力な魔力を付与する。それだけじゃない、その魔力は使い手と最も相性の良い魔力に変換されるのだ。
つまり、より効率の良い魔力付与が可能になるのだ。
俺はそれを口に含もうと、手で摘まむ。その時だった。
「アルマァ!早くしろォ!」
パーティ内で一番声の大きいアルが俺を催促する。五日間の中で、こいつの声のデカさにはウンザリしていた。
そしてこのとき、俺の中で二つ目の懸念が生まれた。
「そんな声で叫んだら…」
アングラレックスは、アルが声を発した方向へと顔を向けた。その方向は言うまでも無く、俺がいる後ろ足付近だ。アングラレックスと目が合った。改めて見ると草食動物のような骨格をしているが、立派な肉食動物だ。
「グゴオォオオオオ!」
アングラレックスは俺の存在に気付き、素早く方向を転換する。その拍子に振るわれる巨大な尻尾が、洞窟内の岩壁を破壊する。
先ほどまでアングラレックスと対峙していた他のメンバー達は、アングラレックスの突然の異変に狼狽えていた。
「まじか…」
俺はとりあえず一目散に洞窟の奥へと逃げようとした。しかし先ほどの尻尾の影響で岩が崩れ、道が完全に塞がってしまっていた。
万事休す…と言いたいが簡単に諦めることは出来ない。
「馬鹿が!」
アルが遠くから俺を見てそう叫んだ。相当苛ついているようだが、苛つきたいのはこっちの方だ。何様のつもりなのかは知らないが、お前のせいで俺は今命の危機に瀕しているのだ。
アルは魔法陣を描いた。助けてくれるのかと微かに期待したが、そんなはずはなかった。アルが行使した魔法は、”酸魔爆弾”。複数の酸性の爆弾を生み出す魔法で、逃走の際に使われることが圧倒的に多い魔法だ。
運良くアングラレックスが倒れてくれたら良いな…なんて思いながら使ってるんだろうな。少なくとも俺の命は考慮していない。
無数の爆弾が激しい音を立てて爆発を繰り返す。案の定アルは崩れ落ちる洞窟から逃げるように去って行った。
崩壊の一途をたどる洞窟内。アングラレックスは俺への攻撃を止め、その場から動かなかった。洞窟内に潜む魔物だ。この程度の爆撃や崩壊では何の問題も無いのだろう。硬い身体には通用しない。
俺はとりあえず岩に当たらぬように動き回る。しかし、崩壊は止まない。
やがて、地面が崩れた。俺はそのまま、どこか地下へと落ちていく。空洞があったことは驚きだが、相当な高さを落下している。
このまま落下すれば間違いなく死ぬ。
しかし、対処しようにも辺りは暗闇に包まれていて何も見えない。
死ぬのか?
―――――――――もうだいぶ時間が経った。
そろそろ地面に叩きつけられるか、運良く水に落下するかしても良い頃だ。もう落下して一分は経っている。
一体俺はどれほど深くまで落下するんだ?それとも、もう既に死んでいるとか?
しかし身体の感覚もある。時々意識を失いそうになるが、不思議と目は開けていられた。
やがて、俺が落下する先の彼方へ青白い光が見えた。花が開くように輝く光は、その中央から何かが飛び出してきた。
長いそれは、俺の方へと勢いよく伸びてくる。
はっきりと目視できた。それは、青く光った手だ。五本の指がある、人間の手に似ている。しかし少し丸みを帯びている、女性の手だろうか。
そんな考えを巡らせている最中、その手は俺の胸を貫いた。
生々しい音が響いた。左胸に目をやると、その青い手は完全に俺の心臓を貫いていた。
「かっ…!」
痛みはないが、激しい吐き気が襲った。
しかしその瞬間、猛スピードで地下深くへと落下していた俺の身体は落下を止め、その場でふわふわと留まった。
左胸から青い光が溢れる。胸を貫いた手は煙のように消えていく。漏れ出る青い光は、やがてその色を紫色に変えた。
どくん、どくん、ドクン――――――――――――。
瞬間、激しい脈動が俺の身体で巻き起こる。
身体が反動で動いてしまうほどの激しい脈動…いや、拍動だ。
心臓が途轍もないスピードとパワーで拍動してる。気を失いそうな程の勢いだった。
『適合に成功しました。”飛行”の行使を勧めます』
綺麗な女の声が聞こえた。心地良い、神秘的な声だ。
なんだろうか、この感覚は。
俺は不意に手を掲げた。そうして、女の声が運んで来た一つの言葉を口にした。
「…飛行」
瞬間、俺の身体は黒い光に包まれる。この光は、魔法行使の際に溢れる光に似ている。暗闇の中でも黒だと認識できる不思議な光だった。
俺は不意に上を見る。
俺の目線の先には、一つの穴が見えた。俺が落ちてきた穴だろう。
かなりの深さを落下したと思ったが、そうではなかったようだ。
だとしたらあの感覚は、一体何だったのか。先ほどの青い光と手、そして激しい拍動と何か関係があるのだろうか。
俺は足に意識を集中させ、ユラユラと穴に向かって飛んだ。今俺は宙に浮いており、上方に飛んでいたのだ。
そうして、着地した。
先ほどのアングラレックスの姿があった。
洞窟の崩壊は止んでいたが、辺りは崩れ落ちた岩で溢れかえっていた。
『あの巨獣を討伐することを勧めます』
再び女の声が響いた。
「誰だ…?どこにいる?」
『その質問に答えるためには、目の前の巨獣を討伐する必要があります』
機械のような喋り方だったが、どこか優しさが感じられる本当に不思議な声だった。
『必要なモノは過去から転生することを勧めます』
過去…?