第8話
「よし。こっちもいい感じだね」
シズリーは満足げに頷き玄関を開閉させる。
古ぼけていた木製のドアも、オイルを差され開閉がスムーズになっていた。
「シズリー」
10年も聴き慣れた低く優しい声色に、唐突に声をかけられ、彼は少し驚き振り向く。
「マスターどうしたの?」
「異世界に帰る件だが……」
「うん。何?」
シズリーは大きな耳を立て、首をかしげる。
「……いつ旅立つ予定だい?」
ルイは少し沈黙したのち問いかける。
「……明朝…太陽が出る前にはと思ってたよ。善は急げってね」
「……急がば回れという言葉は通用しないみたいだな」
「急すぎる……って言いたい?」
「いや……」
呟き、何かを考え込むようにしてルイは頷く。
「え、やめておいた方がいい?」
申し訳なさそうな顔をしてシズリーはルイへと問いかける。
「止めたら辞めるのかい?」
「まさかそんなはずないでしょう?」
シズリーは微笑み瞼を伏せる。
「冗談だ。帰る場所があるなら引き止めはせんさ。ただ……」
「ただ?」
「馬車を用意しようかと思ってな」
「馬車を?」
シズリーの驚きの含まれたこの言葉に、ルイは微笑み頷く。
「最後のプレゼントだと思って甘えてくれないか」
「最後って……何言ってるんだよマスター」
困った顔をする彼にルイは真面目な顔をする。
そして
「シズリー。君は異世界に戻ったら、もう人間界には来ない……いや、正確には来れないんだろう?」
だから、最後だよ。と付け足すルイに
「なんでそう思うの?」
怪訝そうにマスターを見つめシズリーは問いかける。
「ココの傷がな。わしには傷には見えないんだよ」
ココ。とルイは自身の額をトントンと指さす。
シズリーの額には5センチほど横に伸びた傷があるからだ。
その仕草に己の額の傷わ触りながら
「………どこまで知っているのマスター?」
ニヤリとして聞き返す彼に
「ジェイクから昔聞いた話でな」
こちらもニヤリとして、垂れた瞳で緑色の瞳を見据える。
「あの人は本当に口が軽いんだから……」
耳を垂らしシズリーは項垂れる。
「その言葉は、肯定ととらえていいのかね」
「……それはどうだろうね」
「ほぅ……?」
ルイは興味を示し片眉を上げる。
「5年。いや……早くて10年かな…必ず、答えが出るはずだ。この傷がただの傷か…はたまたマスターの考えていることか……」
楽しみにしててよ。と悪戯っ子のような笑みをたたえる。
「食えない男だよ。全く」
「お互い様でしょ?」
クックッと、シズリーは喉を鳴らし、大きな尻尾をゆったりと揺らす。
「さて、シズリーは準備しないと。だな」
ルイは、壁にかかる時計を見つめ呟く。
「まぁ、さほど持っていくものも無いけどね」
冗談をめかして彼はルイに背を向け部屋に戻ろうとする。
「ぁ、シズリー」
そんな彼をルイは引き留める。
「……何?」
「アイレンには言ったのかい」
「どれを?」
「どれをって……帰ること以外に何かあるのかい?」
ルイは質問に質問をする。
「………いや。ないけど…」
バツの悪そうな顔をして、頬を掻きシズリーは視線を逸らす。
そんな彼にルイは一つ溜息を付いて
「混合種と、人間の恋愛。無いわけじゃない」
と微笑む。
「恋愛!?…何言ってるんだよ!?」
シズリーは声を荒げる。
「なに。シズリーにならアイレンを任せられる。と言ったんだ」
「………そんな資格俺には……」
苦しそうに彼は呟く。
否定的な彼の発言をルイは遮る。
「ほらな。やはり気持ちはそうなんだろう?」
腕組みしてルイは問いかける。
その問いにシズリーは
「まぁ………でも、この気持ちは伝えるつもりはない」
「なぜ?」
「……混合種との恋愛なんてリスクが高すぎる。夫婦になったら…絶対子供が欲しくなるに決まってる」
そう、苦々しく呟いてシズリーは拳を握る。
「………まぁ、子孫は残せんと言うしな。わしの気持ちでもない。好きにしたらいい」
と言って、シズリーの肩を叩き続ける。
「恋愛感情抜きにして…あの子に何かあった時は宜しく頼むぞ」
「……何かって…異世界には連れて行くつもりはからね?」
「……ま、頼んだぞ」
と、少し間を置きルイは言い捨て厨房へと向かう。
「ぁ、ちょっと、ルイ!?今の間何!?」
ルイの背中にシズリーは声をかけるが
「引き留めたな。夕飯になったら呼ぶよ」
人の良い笑顔でルイは完全に厨房に引っ込んでしまう。
「え…ぇぇぇぇぇ?」
着地点を見失った彼の疑問の声は宙に舞う。
厨房へ完全に入ってしまったルイを見送る。
なんとなく察した彼は
(………まぁ…頼むも何も守るけどさ)
胸中で呟いたのち、自身の部屋へ歩みを進める。
(アイレンは……初めて俺にとって損得関係なく側にいてくれた娘……そして、何よりジェイクさんの娘)
シズリーは、己の手のひらで拳を握りしめる。
(まさか、あの人の娘をこの10年で好きになってしまうなんて……)
胸中で呟く声を一度止め彼は、食堂の窓からヘリクサムの町を眺める。
オレンジジュースの様な眩しいほどの西日が、彼の瞳を刺激し
「……っ」
彼は右手で己の視界に影を作る。
今朝の喧騒など、何事もなかったかの様ないつもの景色に彼は微笑む。
そして
「だからこそ……俺はいつまでもここにいてはならないんだ」
呟いて、自身の服の上から胸元を握りしめる。
「巻き込むつもりなど……毛頭ない筈だったのにな」
寂しげで、どこか悔しそうな彼の声だけが静かに紡がれたのだ。
次回更新は、明日
2/27 18時更新となります。
次回予告
「……アイレン、俺なんかしたかな?」
「別に。黙っているなら黙っていればいいのよ」
「アイレンは寂しいんだろう?」
「二人して何言ってんのよ!!」
久しぶりに三人一気に登場です。
ルイの出番は間もなく終わります。
彼の渋さは枯専の私の癒しです←