第5話
ギィィ…と、鈍い音を立て扉をアイレンは開ける。
彼女が見上げると、澄み渡った雲ひとつ無い空が広がっている。
湿り気のない心地よい夏の風がアイレンを包み撫ぜていく。
ヘリクサムの夏はとても短い。
「いー天気っ」
一つ伸びをしてその流れで深呼吸する。
肺に新鮮な酸素が取り込まれては、出て行く。
(天気は申し分ないけれど、さっきのシズリーなんなのよ)
ルイとの会話を遮られたことを思い起こし、彼女は眉に皺を寄せる。
うつむき、苛立ちを覚えた時だった。
ーーーチリンッーーー
普段であればなんとも思わぬ鈴の音色が彼女の耳を掠める。
ハッとして辺りを見渡すが、
「…空…耳?」
呟く自身の声が彼女の鼓膜に響く。
既にヘリクサムの町は朝6時を回っていた。
気が付けばまばらではあるが、住人達の生活が始まって来ている。
しかし辺りを見渡せど、鈴の音らしきものが出るような物は見当たらない。
しかし、いつもと何かが違うと彼女の体は感じ取っていた。
(………誰かに見られている…?)
あくまで彼女は平静さを装いつつも、箒を持つ手には力が入る。
(夜の依頼失敗した?……いや…それは無い。首元を……頸動脈を私は確実に切った)
生温かい返り血の温度と頬を濡らした感触が彼女の昨晩の記憶を蘇らせる。
その時だった。
「無視しないでよーっ」
唐突に彼女の背後から声がした。
「……っ…‼︎」
脳で考えるよりも早く、脊髄が危険だと警告を出していた。
その警告に、彼女の体は箒と塵取りを声がした方へと投げ捨てて瞬時に動く。
それとほぼ同時にアイレンは跳躍し、声の主との距離をあける。
先程までよりも、少し強い風がアイレンの頬を……ヘリクサムの町を翔る。
ーーーチリンッーーーチリンッーーー
先程、彼女の耳を刺激した、鈴の音を風が運んでくる。
「驚かせちゃったー?」
右目はブルー。
左目はイエローというオッドアイ。
長いブラウン髪をツインテールにした少女が、アイレンを見つめる。
「…どちら様かしら?」
金色の瞳を鋭くし、アイレンは問うけれど
「すっごい跳躍力ね!驚いちゃった!」
少女は気に止めるでなく、もはや無視する様な形で、嬉しそうにパチパチと手を叩く。
「いいえそれ程でも」
淡々とアイレンは言葉を返す。
「随分と謙虚ね〜。人間で、そこまで飛べる子いないよ?」
この台詞に、アイレンは異様さを感じ取る。
「……人間で?…アンタ人間じゃないの?」
「ん?何か違うものにでも見えるー?」
ツインテールを揺らし、その場でクルリと訪問者は一回転する。
黒いレースのスカートがフワリと揺れる。
「いいえ。でも……とっても大きな秘密がありそうね」
金色の瞳で、頭の先から爪先までアイレンは視線を送る。
怪我……なのか。
はたまた武器でも隠しているのか……。
見た目は普通の少女。
華奢な腕には似合わない、手首から二の腕までの包帯を目にし、アイレンは眉根を寄せる。
その視線に気付いたのか、はたまた『大きな秘密』という単語にか、訪問者は
「ふふ。秘密だよーっ」
ケラケラと面白そうに笑いながらアイレンへと近づく。
少女が動くたびに、チリチリと鈴の音が響いては消えていく。
「……大きな鈴ね?素敵」
そんな、少女の首元にアイレンは目がいく。
黒いチョーカーから鎖骨にかけてぶら下がっている鈴が、先程までの鈴の音の正体だとアイレンは理解する。
「あぁっ!これ?猫みたいで可愛いでしょ?」
素敵。という言葉に喜びを覚えたのか、少女はとびっきりの笑顔を見せる。
首輪もさることながら、少女の履いている靴は黒猫がモチーフとなっているようだ。
どうやら、猫が相当好きらしい。
「えぇ。まるで飼い猫ね。何処の子猫ちゃんなのかしら?」
昨晩も使用した獲物を取り出すため、アイレンは腰のポシェットに手を忍ばせる。
「……飼い猫?ねぇ…今そう言ったの?」
先程までと一変し、少女からは笑みは消え冷徹な眼差しで、アイレンを見る。
一歩、少女が踏み出すのを見届け
(……くるっ‼︎)
収納式のナイフを右手に携えわ膝のクッションを利用し、少女の豊満な胸元へと踏み込もうとした時だった。
「リリア。ストップ」
突如、どこから現れたのか。
青い猫耳のフードを深く被る人物が現れ、少女リリアの右肩を叩き引っ張る。
「ひゃあっ⁉︎」
少女は両目を見開き体のバランスを崩す。
「……来てみればコレだ」
少し呆れたような声を出し、少女の体を支える。
その主を見つめ
「テアちゃん…」
少女が呟く。
好戦的だった瞳は既に無くなっていた。
「ちゃん付けやめろよな。仮にも俺は男なんだから」
と言って、その少年はフードを脱ぐ。
青いフードから現れたのは綺麗な金髪だ。
「だって背も私より低くて可愛いんだもんっ」
テアと呼ばれた少年は、少しだけリリアよりも背が低い。
身長155センチ…といったところか。
ため息まじりに少年は群青色の瞳でリリアを見つめる。
「…まぁ、それでリリアがいいならいいけど」
と呟き顔を背ける。
その、背けたテアの髪を優しくリリアは引っ張り、
「髪も結んでるしねーっ」
「触んなよ…これは、半端な長さで邪魔だから一時的に結んでるだけだって」
されるがままに少年は顔を背ける。
じゃれ合う2人を警戒しながら見つめていたアイレンに対し、
「俺たちはね、貴方に用事があるわけじゃないんだ」
突然少年は群青色の瞳をアイレンに向ける。
「…?」
怪訝そうに眉根を寄せアイレンは金色の瞳で二人を睨む。
「私たちはね、貴方でなく、混合種のシズリー・リーに用事があって来たのよ!」
突然のシズリーの名にアイレンは
「シズリー?それ誰かしらね」
様子を探るため知らないふりをしてみせたのだが、
「ここの宿屋に10年?居候してるって聞いたんだけど……今いるかなぁ?」
此方の様子を伺うように、リリアが聞いてくる。
「……」
アイレンが答えるか否か迷っていると、
「素直に教えてくれれば貴方に危害は加えないよ。アイレン・ストレシア」
教えてもいない自身の名をテアという少年の口から聞かされ
「……なんでも知っているって言いたいわけね?」
ジワリ…と冷や汗を感じながらアイレンは呟く。
それに対し、
「こっちの質問に答えてもらわないと俺らも手荒になってしまうんだけど」
幼い瞳が一変し、獲物を捕らえるものに変わる。
(……上っ等‼︎)
瞬時にアイレンはその場で右手にナイフを掴む。
野次馬たちが集まって来ていることにも目をくれずに彼女は、
ダンッ!
と音を立てヘリクサムの石畳の道を蹴り、テアの胸元に飛び込む。
アイレンは赤い髪を揺らし刃を翻す。
ガキィィィンッ……!
鼓膜を刺激する音がヘリクサムの町に鳴り響く。
アイレンの一撃は
「女性なのに凄いね!」
賞賛の声をあげテアが、ナイフを受け止め弾く。
少年の手には、どこから取り出したのかトンファーが握られている。
「チィッ‼︎」
弾かれた反動でアイレンは倒れかけるが、その遠心力を利用し、ブーツの先で顎を狙い蹴り上げる。
「おっと!」
おどけながらテアはその蹴りを軽々と避ける。
虚空を蹴り上げ背中から落ちる彼女は、
(間に合わないっ‼︎)
胸中で叫ぶ。
そんな彼女にテアが勢いよく突進してくる。
「楽っ勝ぉっ!」
楽しそうに笑みを浮かべ、テアが彼女の腹部にトンファーで一撃を入れようとしたときだった。
「我を守りし光の盾よっ‼︎」
10年も聴き慣れた声が彼女の鼓膜を刺激した。
彼女の横をその人物がすり抜けて行くのを、視界に捉えたかどうかのところで、一瞬の目映い閃光が世界を包む。
その眩しさに、アイレンは思わず目を瞑る。
次の瞬間、
ダァンッ!
と音ともにテアと彼のトンファーが宙を舞っていた。
アイレンが、目を開けると、サンダルを履き、掃除をし始めた姿のままの
「……シズリー?」
アイレンのことは見ようとせず、あくまでリリアとテアを見据えたまま彼は、
「皇子様の登場……なんてね」
と、冗談なのか本気なのか分からないが言葉を発する。
そんな彼の登場に、
「やっぱり居たわねぇ!?シズリー!」
目を輝かせ、人差し指を向けながら差しリリアは嬉しそうに声を上げる。
「人に、指を向けてはダメ…教わらなかったのかな?」
と、シズリーが聞いている間に、少年は、
「……ってぇ…」
足をよろめかせながらも立ち上がる。
高く天に舞い、石畳に落ちたようだった。
打ち所が悪かったのだろう。
「それなのに…立ち上がれるんだ?凄いね」
淡々と、しかし驚く様子も見せないまま、シズリーは自身の足元に転がるトンファーを拾い上げ、テアへと放り投げる。
「……っ‼︎あんたねぇっ‼︎」
そのトンファーを受け取り、リリアが叫ぶ。
彼らの騒ぎに、野次馬の数は続々と増える。
人間もだが、シズリーと同じ混合種も中にはいる。
それを見渡した後シズリーは
「ギャラリーが集まってきたけど…まだやるのかな?」
目の前の、少年と少女に挑発するのだった。
新キャラリリアの登場でした。
本日は3話分更新してます。
宜しければ続きも拝読頂けますと幸いです(*´∀`*)