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 幽霊屋敷に突入する──。

 こんなことをするのは生涯で一度としてないだろう。……そう思っていたのに、たったの14歳で幼女とお姉さん三人を伴ってそれを実行することになるなんて、誰が思っただろうか。


「うーん……自力で登るのは無理そうかな」


 高い高い塀を見上げ、腕組みしながら僕は唸っていた。

 苔むした石で出来たそれは3メートル以上の高さを持ち、塀というより壁に近い。

 手をかけて登る場所もなく、そもそも取っ手があったとしても苔で滑ってしまうため積極的に行くのは避けるべきだろう。

 では、どうするか。こんな時に必要になるのは……。


「……こんな時のための《魔法》です。トーヤ、シェスティン、ベアトリス、そしてクー。あなた達は私の前に固まって立つようにしてください」


 短杖を腰から抜くモアさんが指示を出す。

 このメンバーの中で最も魔導に優れるエルフの彼女の言葉に、僕達は素直に従った。

 モアさんの魔法は屋敷での生活では殆ど目にしたことはないが……果たして、どんな魔法でこの状況を打開してくれるのだろうか。

 不安がるクーの手を引き、僕は残りの二人に体を寄せる。


「……トーヤ、魔法ってなに?」


「魔法っていうのは、人や亜人の魔力から発動される力のことだよ。分かりやすく言えば、超能力みたいなものだね」


 だがその説明がかえってややこしくしてしまったのか、クーは首を傾げてしまっていた。

 苦笑しつつ、彼女の体を抱き上げて胸に抱いてやる。ろくに食べてこなかったらしく、ものすごく体重は軽かった。

 それに、エルフなのに魔法を知らないなんて……一体この子は、これまでどんな暮らしをしてきたのだろう。想像を絶するようなものが予測されるも、それを詳しく考えるのは止めておいた。


「準備は出来たね。では、モアさん、お願いします」


 杖から紫の光を放つモアさんに、僕はみんなが準備万端となったのを確認してから合図する。

 頷いたモアさんは杖を掲げ、魔法の呪文を唱えた。


浮遊魔法ナタトゥス!」


 高らかに詠唱が響き渡ると、次いで僕は驚きに見舞われた。

 僕達の全身を紫光が包み、体がふわりと軽くなる感覚。

 地面から足が離れ、重力を無視してどんどん上昇していく。

 あっという間に塀の高さを越え、顔を下に向けると外からは見えなかった館の庭の全景が明らかになっていた。


「すぐに下ろしますね」


 自らにも魔法をかけていたモアさんが隣で言う。

 これが、浮遊魔法──内心で感心、驚愕していた僕はその言葉に小さく頷いた。

 腕の中のクーが興味津々といった様子で周囲を見回しているので、余計に名残惜しく思えたが仕方がない。

 

「クー、ここに君のお母さんがいるんだね……」

 

 伸びきった芝の庭に降り立った僕は、クーを地面に下ろすと呟いた。

 モアさんら三人も揃って着地、すっかり荒れ果てた庭園を眺める。


「主を失った館の成れの果て、ってところか……。リューズ邸もいつかはこうなっちゃうのかな……」


「縁起でもないことは言わないでください。しかし、たった三年放置されただけでここまで変わってしまうだなんて……」


「ウルズ家が館を手放した後にも、館を引き継げるだけの人はいたはずなんだけどね。やっぱり、《呪い》を怖がって避けたのかな……」


 彼女らの声を聞きながら、僕は一歩踏み出して庭の観察を始めた。

 花壇の花は枯れ果て、代わりにそこには無数の雑草が我が物顔で鎮座している。庭の中央にはまだ水を出し続ける噴水があり、そこから放射状に敷かれた小川が流れていた。

 カサカサと草を揺らしているのは、どこからか迷い込んだ夜行性の野性動物だろうか。と言っても、あの壁を越えて侵入できる動物がいるのかは定かではないが……。


「人の臭いはしないね。《彼ら》も、ここにはいないみたいだ」


 森や川、自然の中でよく聞こえる《精霊》の声も、今は聞こえない。

 ストルムの街区でさえごくたまに聞こえるというのに、人の手から離れた館に彼らがいないなんて。やはりここは少々おかしいな、と僕は認識し直した。


「夜ってこともあって寒いねー。もう少し、着込んできた方が良かったかな」


「なーんか、さっきから妙に首筋に寒気がするんだよな……」


「だからっ、変なことは言わないでくださいと言っているでしょうっ。何もありませんよ、何も」


 館の本館に向かう僕とクーの後ろに、モアさん達がわずかに遅れてついてくる。

 建物に近づくにつれて足を早めるクーに手を引かれ、躓かないよう気をつけながら僕は庭を横切っていった。

 そして、館の大扉の前まで辿り着こうとした、その時。


「うわっ!?」


 ぐっと足から前へ引っ張られる感覚がして、思わず声を上げる。

 視界が反転し、次の瞬間には僕は背中を激しく地面に打ち付けていた。衝撃と痛みに顔を歪ませる。


「ぐっ……! な、なに……!?」


 頭だけ起こして足元に目を向けると、右足首に輪っか状になった細い草が結び付いていた。

 どうやら、これに足を取られたらしい。

 光源が月明かりしかない今、あんなに早足で歩いていてはこうなるのも当然だ。自分を戒めつつ、僕は立ち上がるために地面に手をつこうとする。


「トーヤ君、大丈夫!?」


「ええ、僕の不注意で転んだだけですから、平気です。心配かけて──てぇっ!?」


 駆け寄ってくるシェスティンさんにそう声を飛ばし、起き上がろうとしたが──出来なかった。


 引っ張られている。足に絡み付いた草が、僕という人間を誘おうと館へと引きずり込もうとしてくる。

 待って、何だよこれっ……!?

 抵抗しようにも、仰向けに倒れた姿勢では満足にそれが出来るわけもなかった。

 それに、どれだけじたばたしても効果を成さないほど、草が僕を引きずるスピードは速かったのだ。


「うわああああああ!?」


 絶叫する。

 地面に背中を思いっきり擦られ、激痛が走り抜けた。

 

「トーヤっ!?」


「今、助けます! えっと、相手は草だから……」


 クーの鋭い悲鳴と、困惑混じりのモアさんの声。

 人を引きずり込む植物なんて彼女も見たことがなかったのだろう。咄嗟に対処法を思い付けず、モアさんの呪文が放たれるのは遅れてしまった。

 結局僕は彼女の魔法が届く前に、いつの間にか開いていた館の扉の中へ投げ入れられる。


「うっ、がッ……!」


 何度も視界が反転し、僕は埃の積もった床を転がった。

 直後、ギーッと扉が閉まるような音が無情にも響き渡る。


「トーヤっ! わたしも、行かなきゃ……!」


 と、そこでクーの涙声が聞こえた。

 ……ダメだ、来ちゃ。クーには危険すぎる。


「クー……、来るなッ!」


「やだっ、わたし、お母さんに会わなきゃいけないの! だから……」


 何とか体を動かして、彼女の方に顔を向けようとする。

 扉が完全に閉まるまで、あと何秒か──横開きの扉が軋みながら閉まるのは、信じられないほどゆっくりに感じられた。


「クー、一旦止まりなさい! 何も考えずに飛び込むのは浅慮すぎます!」


「っ、あいつ、なんであんなに速いんだよ! お、追い付けない……!」


 ようやく視界に扉が映る。

 クーが全速力でドアの隙間に滑り込むのと、それが重々しく閉まるのはほぼ同時であった。

 モアさん達の焦燥に駆られた声の残響が、空しく耳を打つ。

 やがてそれも聞こえなくなり、僕とクーがいるこの場所は静寂に満たされた。


「……トーヤ、だいじょうぶ?」


 小さな手が僕の肩におそるおそるといった風に触れられる。

 窓から差し込む月明かりに照らされる顔は、クーのものだった。


「えっ……うん、多分大丈夫」


 彼女に心配はかけたくなかった。早く起き上がって、この状況をどうにかしないと。

 そう思って体を動かそうとすると、クーは僕の手を握って悲しそうに呟く。


「ごめんね、トーヤ。わたしのせいで、わたしがトーヤ達に、ここに連れて行ってって言ったから……トーヤが傷ついて、今も無理してる」


「……クー。お母さんを助けるため、そう君は言ったよね。その気持ちは、間違ったものじゃない。だから、自分を責めるのはやめてほしい」


 クーの瞳は潤んでいた。彼女の白い手を握り返し、僕は笑みを浮かべてみせる。

 目を瞬かせる彼女はどうにか涙をこらえ、頷いた。


「……トーヤ、立てる?」


「どうだろう、体が痛いから……あれっ?」


 何か変だ。さっきまで感じていた激痛が、何だか引いてきたような……。

 クーと手を繋いだまま上体を起こし、僕は首を傾げてしまった。

 つられたのかクーも同じ仕草をしていて、そのことに苦笑できるくらい痛みは感じられなくなっている。

 

「どういう、ことだろう? 急に痛みがなくなるなんて……」


 背中に空いた手を回すと、流れているはずの血はついていなかった。

 困惑したが、思い当たることもある。以前エルにかけてもらった「治癒魔法」は、傷口もそこから流れた血も綺麗に元の状態に戻していた。それと同じことが、今起こったのだろうか。

 ならばその原因はなんだろう。そう考えた僕は辺りを見回した。


「トーヤ、どうしたの?」


 きょろきょろと周囲を眺め回す僕の様子を、どうやらクーは奇妙に思ったらしい。

 彼女の問いを聞き流しながら、しばし黙考する。

 今僕達がいるのは館の玄関ホールだ。これが玄関なのかと驚くほど広い空間で、壁際に壺などの美術品があり、タペストリーにはウルズ家の家紋が描かれている。

 天井にはもう光を灯さないシャンデリア。立ち上がって足元に目を向けると、埃の下の絨毯の柄がうっすらと見てとれた。何かの紋章──恐らくはタペストリーの家紋と同じ──と、その周りを彩る花の柄だ。 

 

「トーヤ、聞いてよーっ」


「……えっ? あ、ああ、何だい?」


 はっと意識を引き戻される。

 うっかりしてたなーと頭をかきながら答えると、クーは頬を膨れさせていた。

 きっと何度も僕を呼んでいたに違いない。何かに意識を取られるとそこからすぐに戻れなくなる悪癖に、僕は深く反省する。


「わたしのお母さん、一緒にさがしてくれる?」


 クーは胸の前に手を当てて、不安げに訊いてきた。

 僕が突然彼女から意識を離したから心配になったのだろう。


「もちろん捜すさ。二人で捜せばきっと見つかるよ。……あと、ちょっといいかな」


 安心させるように言い、それからクーの手をそっと握る。

 少し驚いた素振りの彼女に笑いかけ、やっぱりそうかと僕は確信した。


 ──この子からは、治癒魔法のものと似た魔力が常に流れ出している。

 それも、触れているだけで大怪我が完治してしまうほど強力なものが。


「と、トーヤ……?」


「クーの手は、温かいね。……ありがとう」


 魔法を知らないと言ったことから、たぶん自覚はないのだろう。この子は僕なんかと違って、将来ものすごい魔法使いになるかもしれない。

 軽く感嘆しつつ、僕は彼女の手を離して玄関扉へ歩み寄っていく。

 扉に手をかけ、どうにか開けられないかと試してみた。


「んっ……だめ、か」


 押しても引いてもびくともしない。

 外からモアさん達も同じように試しているはずだが、それらしい音は聞こえてこなかった。扉に耳を当てても、外の音は全く聞こえない。

 

「この館自体が特殊な領域にあるのかもしれないな……《神殿》と同じような」


 幽霊の噂、そして《呪い》とシェスティンさんが溢した言葉。 この館は来る者を取り込んでしまう《呪いの館》なのかもしれない。そう認識せざるを得なかった。 

 脱出できるかは不明瞭。でも、今は先にやるべきことがある。


「クー。じゃあ、行こうか?」


「うん! お母さんを助けて、それから紹介するの。わたし、トーヤっていうお友達ができたんだって」


 本当に嬉しそうにクーは言った。

 この広大な館をどう探索するか迷った僕は、先の疑念が真実であることを願いながら彼女に訊ねた。


「クー、君はこの館の構造は分かるの? えーと、部屋がどこにあるかとか、そういうことなんだけど……」


「うん、分かるよ。でも、お母さんがどこにいるかは分からないの。だから、そうじゃないかなって場所を当たってくしかない……けど、わたしが案内するから心配しないでね」 

 

 よかった、それなら道に迷うこともなさそうだ。

 安堵する僕は、玄関ホールの正面にある二階への階段へと歩くクーの後を追っていく。

 階段を数段上り、ふと気がついて足を止めた。


「ねえ、クー。ここは月明かりがあるからよかったけど、この先は灯りがないと困るんじゃない? 何か使えそうなものとか持ってないかな」


 僕に魔法が使えたら、光魔法で照らしてあげられたんだけど……ここに来る際に《懐中魔力灯》を持っていたのはシェスティンさんのみであったため、今の僕には何もない。

 あるのは、小さなナイフ一本だけだ。

 

「……やっぱりないか。ごめんね、僕が不用意だったから」


「ううん、あるよ。トーヤ、これ使って!」


 しかし、驚いたことにクーは《懐中魔力灯》をどこからか取り出していた。

 クーの出で立ちで懐中ランプよりも小型のそれを持っているとは思わなかったから、本当にびっくりした。

 

「あ、ありがとう! いやー助かった~」


 ほっと安堵の息。僕はクーの元まで階段を上って灯りを受け取り、彼女を前に立たせて先へ歩かせる。

 

「どういたしまして! お母さんは、いつもわたし達とお食事するのが好きだったの。だからまず食堂まで行くよ!」


 金の美しい髪が、魔力灯のオレンジの光を受けて煌めく。

 振り向いて笑うクーに頷き、僕はこの二階にあるという食堂へ彼女と二人で向かうのだった。

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