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 夜も更けた人気のないとある路地で、その男は見た。

 月明かりに浮かび上がる巨大な古屋敷。そして、その門の前に佇む《影》を。

 周囲に人気はなく、そこにいるのは男と《影》のみ。こんな夜遅くに何をしているのだろう、そう男は呟きながら《影》の元に歩み寄っていく。

 

「おい、そこで何をしている?」


 彼はこちらに背を向けている《影》に声をかけた。

 背中に流されているブロンドの髪に、豪奢な装飾が施されたドレス。高貴な家の出の女性だ。

 貴婦人が一人で寂れた館の前に立っていることを奇妙に思った男は、声をかけても返事すらよこさない彼女の肩をぽんと叩いたが――すぐに強烈な違和感に襲われて手を引っ込める。


 ……冷たい。まるで、死人のように。


「……お前、まさか」


 彼はそう口にしてすぐ、脳裏によぎった一単語を無理やりかき消そうとした。

 だが、男の声に今度は《影》も答えた。

 振り向き、美麗な顔に薄い笑みを浮かべて彼女は頷く。

 そして何事か囁き――。


「――――!!」


 男は声にならない悲鳴を上げ、ぐしゃりとその場に崩れ落ちた。

 スウェルダ王国随一の大貴族、ハミルトン家当主のアーベルが死んだとストルム市内に知れ渡ったのは、その二日後のことであった。


* * *


 僕達がスウェルダ王国首都・ストルムにある《リューズ邸》で働き始めてから、早くも二週間が経っていた。

 最初は慣れない仕事に苦戦していた僕だったが、今では頼れる先輩達に支えられながら何とか大体のことは出来るようになっている。

 共に働く獣人のシアンやジェード、不思議な魔道士の少女エルも一緒に日々頑張るなか、「その噂」は唐突に僕達の耳にもたらされた。



「ねえ、トーヤ君。ハミルトン家のアーベル氏が死んだって話、知ってる?」


 広大な屋敷の掃除を終えて使用人室に休憩に戻ろうと廊下を歩いていたその時、ハーフドワーフのシェスティンさんが僕を呼び止めて訊ねてくる。

 時刻は夕暮れどき。一日の仕事で疲れきっている僕は、うーんと伸びをしてから彼女の話に応じた。

 シェスティンさんはいつも面白い噂話を僕にしてくれる。今回もそうなのだろうけど……人が死んだなんて、ちょっと嫌な話だ。

 

「知ってますけど……それがどうかしたんですか?」


「それがね、アーベル氏の死に方が普通じゃないって噂になってるんだって。死体からは血も流れてないし、アーベル氏は死ぬ直前までこのリューズ邸でパーティーに出席していて健康そのもの。多分ショック死なんじゃないかって囁かれてるんだけど、アーベル氏が何にショックを受けて倒れたのか気にならない?」


 彼女の言うことが全く気にならないというと、嘘になる。

 僕とアーベル・ハミルトン氏は一切繋がりはないが、パーティーの給仕を務めた時に彼とは挨拶と軽い会話に応じているのだ。

 僕のような異邦人、それにドワーフやエルフ、獣人など《亜人》にも隔てなく接する彼が亡くなったという訃報には胸が痛んだ。

 だからシェスティンさんの話に、僕は引き込まれざるを得なかった。


「それは、一体……?」

 

 僕が話に食いついたのを見て、シェスティンさんは神妙な顔になって口元に手を当てる。

 幼女のように小柄な彼女に合わせて身をかがめ、僕はその口元に耳を近づけた。

 

「……幽霊。アーベル氏はそれを見て、ショックで死んだらしいんだって」


 しばし凍りつく。

 幽霊。死してなおこの世に未練を残し、魂だけとなって彷徨う存在。

 そんなものが本当にいて、アーベルさんの前に現れた……?


「いやいやいや、ないですよそんなの! あ、ありえないって幽霊なんか。た、多分そういう見た目のモンスターとか、ただの見間違いとか、そんなんですよ!」


 思わず大声を上げてしまい、通りかかる先輩メイドから半眼を向けられてしまうがそんなことは気にしていられない。

 幽霊がこの街に出る、そんなことがあってはまともに夕暮れの街を歩くこともできないじゃないか。

 ありえない。……そんなこと、あっちゃいけない。


「あははっ、トーヤ君怖がりすぎだよー。あくまでこれは噂だよ? 本当なのか怪しいし、まともに考えても仕方ないことだとは思うけど……」


 笑い飛ばすシェスティンさん。……けど、と意味深に切られた言葉が気になる。

 

「けど、なんですか……?」


「だけどこういう噂って、全くの嘘から作られてる訳じゃないんだよ。だから、もしかしたら……」


 前髪で目を隠すようにして、シェスティンさんは胸の前に両手をぶらりと下げた。

 ぞっと背筋に寒気が走る僕は、彼女の台詞の続きを聞くまいと耳を塞ぐ。


「いいです、もうやめてください」


「えー、つまんないの。あんまり臆病だと、エルちゃん達に呆れられちゃうよ?」


「……そ、それも嫌だなぁ」


 やれやれと肩をすくめる彼女にむー、と思わず唸ってしまった。

 しかし廊下の向こうからやって来た一人の女性を見て、僕は顔を輝かせる。


「モアさん! 良かった、いいところに……!」


「? トーヤ、それにシェスティン。どうかしたのですか?」


 金髪のセミロングを払いながら歩いてくるのは、ハーフエルフのモアさんだ。エルフの血を引く彼女の相貌は美しく整っており、男なら誰でも魅せられてしまうような魔力を持っている。

 小首を傾げる彼女に僕は《幽霊》の噂を語って聞かせた。

 すると彼女は、「ああ」と腑に落ちたように頷く。


「使用人の中でも持ち切りになっている話題ですね。アマンダ様もお話になっておられましたし、トーヤがそれを知っているのは至極自然なことですが……その件について、私に何か訊きたいことでもあるのですか?」


「は、はい。あの、一つ確かめたいんですけど、モアさんは幽霊の存在って信じてますか?」


 この人が信じるって言ったらどうしよう、そんな危惧を抱きつつ訊ねてみる。

 だが案の定、モアさんは僕の問いを一蹴した。


「人間が死んで幽霊になる、そんなことは決してありません」


 だが、良かったと安心する間もなく彼女は言葉を続ける。


「しかし、モンスターの中には《アンデッド型》と呼ばれるものが存在します。ゾンビやスケルトンなどがその例ですが、恐らくハミルトン氏はそれらを幽霊だと勘違いしたのでしょう」


「あ、アンデッド型……」


 これまで見たことのないモンスターの種類に、遭遇したくないなと僕は至極まっとうな感想を抱いた。

 モアさんが言うならそうなんだろう。そう納得して彼女に呼び止めてしまったことを詫びる。


「忙しいなか呼び止めてしまって、すみません。お話ありがとうございました」


「力になれたのなら良かったです。……ですが、実は私も少し引っ掛かっている部分がある」


 僕が下げた頭を上げると、モアさんは細い顎に手を当てて思案する仕草をみせた。

 

「モア、何か感じたの……?」


 シェスティンさんがここで初めて不安げな表情になった。

 幽霊の話を平気でしていた彼女が笑みを消すほど、モアさんの「引っ掛かり」は大事に繋がるものなのだろうか……?


「ええ。アンデッド型のモンスターとハミルトン氏が遭遇したとしたら、流血がないというのが違和感があります。アンデッド型には大きく分けて二種あって、一つ目は人を襲って殺す種類、二つ目は人に憑依して生命力を吸う種類があり……死体がある以上、一つ目の性質を持つアンデッドが氏を襲ったということになります。殺人種のアンデッドは狂暴なので襲われれば血は確実に流れるものなのですが、ハミルトン氏は無傷で倒れていました」


 確かに、それだとハミルトン氏の死は不可解なものになりうる。

 健康であった氏がショックで心臓を止めてしまうなんてことも、ありえない訳じゃないけど考えにくい。自信に満ち溢れ、豪胆そうだった彼に限って、ショック死なんて死に様はあるはずがなかった。

 

「じゃあ、やっぱり幽霊の呪いが……」


 シェスティンさんが演出がかった低い声を出す。

 それにびくりとする僕、そして表情を変えることのないモアさん。

 モアさんは一度コホンと咳払いすると、シェスティンさんの恐ろしい意見を無理やり封じ込めた。


「幽霊なんて非科学的なもの、絶対いるわけがないでしょう。この話はもう終わりです。こんな所にいつまでもいないで早く部屋へ戻りなさい。いいですね? 幽霊なんて絶対いませんから」


 何故かやたら早口にまくし立てる彼女にたじたじとしてしまう。

 もしかしてモアさんも幽霊が怖いのか──僕はふとそんな考えを頭に浮かべた。

 それを言ったら彼女に強烈なビンタを食らわされてしまうので、決して言わなかったが。


「あたしは幽霊、信じたいけどなー。だって、もし幽霊がいたら死んだ人にまた会えるかもってことだろ?」


 と、そこで。

 僕達の会話を聞いていたのか、一人の銀髪の女性が頭の後ろで手を組みながら口を開いた。

 細く尖った耳に褐色の肌。ダークエルフの特徴を備える彼女はベアトリスさんだ。僕によくちょっかいを出してくる使用人としての先輩である。


「モア、シェスティン、それにトーヤ。ハミルトンさんが死んだ場所がどこか、あんたら知ってる?」


 面白そうに笑いながらダークエルフのお姉さんは言った。

 そういえば、死んだという事実だけ聞いてはいたが、どこで死んだかまでは知らなかった。

 それはシェスティンさんも同じだったらしく、彼女も首を左右に振っている。

 僕達が視線をモアさんへ移すと、彼女は当然のように答えてみせた。


「ウルズ家の館、ですね。かつては多くの貴族や商人たちが出入りしていた巨大な屋敷も、今では無人の館となっていると聞きます」


 無人の館。何だか、幽霊が出るにはもってこいの場所のような……。


「そう、その無人の館だ。そこに幽霊が出るのかどうか、確かめてみたいと思わない?」


「はぁ!? 何言ってるのベアトリス? いくらベアトリスでもそれはないってー。あたしは嫌だからね、怖いし」


「ちょっと、あたしは本気で言ってるのに……。トーヤ、どうかな? 今夜にでも行って見てみない?」


 シェスティンさんはベアトリスさんの爆弾発言を断固拒否した。

 やっぱりこの人も幽霊怖いのか……他人事のように胸中で呟いていた僕に、ベアトリスさんは矛先を向けてきた。

 ちょ、なんでそうなるんですか。モアさんに匹敵する美貌でそう迫られると、強く断れない自分が情けない。


「夜の無人屋敷デート、楽しそうじゃない? ドキドキしていいかなー、って思うんだけど」


「いや、それは、その……」


 廊下の壁に追い詰められ、腕と腕を強制的に絡めさせられる。

 あまりの距離の近さに赤面してしまう僕に、モアさんの氷の視線が突き刺さった。


「どうなの、トーヤ? あんたも本当は、幽霊がいるのか知りたいんじゃない?」


「えっと、その……。全く気にならない訳じゃないですけど、でも……」


「じゃ、決定ね。今夜8時、現地集合ってことで──」


「待ちなさい。そんなことはあってはなりません」


 ぐいぐいと迫るベアトリスさんに僕がどうにも出来ないでいると、モアさんが助け船を出してくれた。

 強引に決定してしまったベアトリスさんに、彼女は静かに言い渡す。


「……トーヤとあなたを二人きりにしては、何をされるか分かったものではありません。私も付いていってあなたを監視します」


 ……え?

 これは、どういうことなんだ……?


「な、何よそれー! じゃああたしも行く!」


 シェスティンさんまで……。

 こんな展開、どう考えても間違ってる。間違いは、早急に正さないと。


「ベアトリスさん、モアさん、シェスティンさん。やっぱり止めた方が良いですって。ハミルトン氏を本当に幽霊が殺したのだとしたら、そこに行くのは危険でしょう? だからもう、この話はなかったことに……」


「あらあら、そんなの面白くないじゃない?」


 三人とは別の、新たな登場人物による声。

 僕にとって今一番来てほしくなかった人物──白髪の美姫、リューズ家長女のアマンダさんまでもがここに現れてしまった。

 

「あ、アマンダさん。これはそんな問題じゃあ」


「あら、トーヤ君……。《神器》使いとしての君の実力を計れるいい機会だと思ったのだけれど、お気に召さなかったかしら? 幽霊がもし本当にいるとして、人間を殺せるなら早く対処しないと大変なことになってしまうかも……そこであなたの力を借りれたら、私としても助かるのだけどね」


 高い位置から見下ろしてくる赤い瞳に、僕は上手く言葉を返すことが出来ない。

 確かに僕は力を持っている。この街で唯一の、いやこの世界で唯一の《神器・魔剣グラム》という名の力を。

 幽霊による殺人が再び起こるかもしれない。アマンダさんが鳴らず警鐘は決して無視できるものではなかった。

 

「さあ、あなたはどうするの? トーヤ君」


 鋭い瞳が僕の目を射抜き、逃がさない。

 小首を傾げて問うてくる彼女に、次には僕は頷いていた。


「第二、第三の犠牲者が出る前に、そいつを捕まえて殺人を止める。そいつが幽霊でもそうでなくても、関係ない。……《神器》使いとして僕が行かなきゃ、他の誰が行くっていうんだ」


 危険だから行かないのではなく、危険だからこそ行くのだ。

 街の人達にこれ以上被害を出させないためにも、神オーディンに認められた僕が戦って《幽霊》の正体を確かめる。

 怖がってる場合じゃない、アマンダさんの瞳に訴えかけられて気づかされた。


「……よく言ったわね。シェスティン、モア、ベアトリス、彼と一緒に行けるわね?」


 僕の頭をポンポンと撫でながらアマンダさんは三人に確認する。

 揃って頷き返す彼女達。一人で夜の館に向かわなくていいのだと安心感を抱きつつ、僕は若干の不安要素を口にした。


「でも、シェスティンさん達は万が一って時に戦えるんですか? 《幽霊》がアンデッド型モンスターで、戦闘になる可能性だって十分ありますよね」


 並外れた力や美貌、魔力は見られたが、戦闘能力の高さは普段の彼女達からは感じられなかった。

 どこにでもいるような、ごく普通のメイド。そんな印象だったモアさん達をアマンダさんは眺め、くすりと笑む。


「ここの使用人は訳ありの人が多いのだけれど、この三人はその中でもずば抜けて特別よ。あなたも共に戦ってみれば分かるわ」


 そ、そうなのか。

 あのアマンダさんをここまで言わしめるモアさん達って、一体何者なんだろう……?


「トーヤ君。ちょっと正面向いてね」


「? は、はい。……って、むうううう!?」


 前を向いたと思ったら突如顔面に押し付けられる柔らかな感触……これは、まさか。

 僕は自分が何をされたか気づき、アマンダさんの大きな胸の中で赤面してしまう。ぎゅーっと抱擁してくる彼女は耳元で甘い吐息と共に囁きかけてきて──。


「頑張ってね、トーヤ君。きちんと仕事してきてくれたら、後でお姉さんが『イイコト』教えてあげる」


 ぞくぞくと震えが背筋に走った。

 イイコトって何だろう──じゃなくて、僕にはエルがいるんだからアマンダさんに惑わされる訳には……っ。


「……はぁ、アマンダ様でなければ張り倒しているところですよ。ですが、まぁ……とりあえず、今夜8時にこの屋敷から皆一緒に出ることにしますか」


「決まりだね。じゃあ、あたしらはさっさと準備に取りかかろうか」


「長丁場になるのかな~? 軽食とか持ってった方がいいかなあ?」


「本当にあんたは食べることばっかりね……それで太らないんだから不思議だわ」


 談笑しながら去っていく三人分の足音。それは徐々に遠ざかり、やかて廊下は静寂に包まれ……。

 ──ちょっと待って、三人とも放置ですか!? 僕のこと、助けてくれないんですか……。


「あ、あの、アマンダひゃん……」


「んー? もうちょっとだけー」


 彼女に抱きすくめられ揉みくちゃにされた僕は、その後30分経ってからようやく自室へ戻ることが出来たのだった。

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