彼女は私が嫌いです
ブクマ、感想等有難う御座います。ブクマの多さに驚いてます。
マクスウェル公爵家には男女の双子が居る。男児は公爵家の跡取りに、女児は同じ年に産まれた王子の婚約者に、と王家と公爵家で取り決められたのは、彼らが産まれて僅か一ヶ月後のことだったという。
そのマクスウェル家の双子の片割れが私、クリスであり、
「君にはガッカリだよ、クリス」
「まさか貴女がそんな事をするような人だったなんて、ね」
「昔馴染みとして、せめてもの情けだ。潔く罪を認め、謝罪をしろ!」
何故か今、何事かの追求を受けています。
……いや、これ本当に何。ちょっと意味が分からないのだけれど。
訝しげに眉を潜め、先程から人を睨みつける失礼な輩共と一緒に居る殿下を見やれば、彼もまた呆れたような顔で私へと解説をしてくれた。
「君がナタリーに嫌がらせをした、と彼らが主張していてね。その事実確認がしたいそうだよ」
貴族の子息令嬢その他学費が払える程度の上流階級庶民の子らを集め、この世界の礎でもある魔術の基礎を学ぶ機関に現在私たちは所属している。習うのはあくまでも基礎のみ、それも座学をメインとした授業ではあるがそれでも学び終えるのに三年ほどかかる。14歳でこの学び舎の門戸を叩き、この春には晴れて卒業……という、出来れば問題を起こしたくないこの時期になんだって揉め事を起こすのだ。それも人前で。
そもそもナタリーとは誰のことか、と思って視線を動かせば、なるほど、でかい男どもに囲まれているからよく見えていなかったが、守られるように確かに愛らしい少女が立っていた。こちらに怯えた眼差しを向けながら、殿下の服の裾を握っている。誰の庇護下に入るのが一番良いか見極めるのは良いけれど、心底面倒くさいと顔中に書いてある殿下は多分貴女を庇護してはくれないと思うよ。
心中お察しします殿下、と労うヌルい視線を送れば、彼は疲れた顔で頷いた。
「空惚ける気かい? 大人しい顔をして、まったく女性というのは怖いもんだ」
「君の双子の弟とは違うと思っていたけれど……やはり姉、内面は似ていたということかな」
「醜い嫉妬でナタリーに当たるだなんて最低だ! 昔はあんなに良い子だったのに……」
彼らを無視して殿下と視線のみでやり取りしていたせいか、糾弾三兄弟がまた喚きだす。お嬢さんも不満そうな顔で殿下を見上げながら握る手に力を込めたようだ。
宰相様の次男坊に近衛隊隊長の甥に辺境伯の跡取り息子。それに加えて殿下。……豪華な顔ぶれだ。今年度の学舎の中では家柄ベスト5の四人である。ちなみに最後のひとつはマクスウェル公爵家、我が家だ。
さて、その彼らに守られているお姫様、ナタリー嬢。顔を見て思い出した。
ナタリー・ドロッセル子爵令嬢。幼い頃、旅行をかねた他領視察の際に父母とはぐれ、不幸なことに悪い大人に身ぐるみ剥がされて路地裏で泣いている所を近くの孤児院院長に偶然保護され、以来その孤児院にて市井に混じって幼少を過ごす。ショックでだろうか声が出なくなり、自身がドロッセル子爵令嬢と主張出来なかった為に発見が遅れ、彼女が両親と感動の再会を果たすのは学舎入学の二年前、12歳の秋であったという。
やっと見つかった愛娘であるナタリーを溺愛し、甘やかす両親の元で彼女は『自分は特別なんだ』と思い込んでしまったようだ。また彼女の容姿が群を抜いていたのも一因か。
自信に溢れる性格は本来の美貌をより輝かせ、市井育ちの逞しさと強かさは他の令嬢よりも己を魅力的に映させる糧となった。その結果が、この年上の上位貴族の子息を侍らせる現在のようだ。
殿下以外の男に興味はないので彼女が様々な男の隣を彷徨うのを放っておいたが、いつの間にか彼らまで誑し込んでいたのか。ああ情けなや、男の性よ。そこの娘は数多の男にちやほやされないと気がすまない性質だと何故気付かない。お前ら三人の中から一人が選ばれる事などないというのに。
なんで私がこうして冤罪を受けているのか理解出来ないのか? 彼女は私を糾弾し追い落とすのは、殿下を誑し込む為だろうが。
確かに最近、変な娘がうろついているとは思っていた。殿下は相手にしていないし、それよりも懸念すべき事柄に頭を悩ませていた所だったから。婚約者にちょっかい出しても私が何も言わないのを良い事に、彼女は冤罪をなすりつけることにしたようだ。物静かな私なら、男共に糾弾されたが最後、怯えて何も言えなくなるだろうと。……見くびられたものだ。
はぁ、と大きく溜息を吐き、主張を言ってみろと顎で促す。私の高飛車な様子に三人は鼻白み、一人は憎々しげに顔を歪ませ、一人は苦笑してみせた。
「巻き込んで御免よ、クリス。どうにも彼らが俺の話を聞こうともしないで君を疑うものだから」
「えっ……? ロビン様?」
「ロビン!? 何を言うんだ!」
「だから最初から言ってるだろう? 俺とナタリーの関係を疑ったクリスが嫉妬して彼女を苛めるなんて有り得ないって」
俺とクリスの信頼を甘くみないで欲しいね、と殿下は肩を竦ませ、笑顔で私に同意を求める。
勿論、私もそれに笑顔で頷いた。二人に嫉妬するなんて、そんな事ちらとも考えたことありませんよ。
「いや、だがクリスは昔っから嫉妬心が強い娘だったろう? お前とトファーの間にいつだって割って入っていた」
「双子の弟に対してすらそうなんだ、いくら大人しくなったからって根っこは変わらないだろう」
「いや、ティナとの間に割って入っていたのがトファーの方なんだが……。いや、まぁそれはいい。第一、お前らにナタリー嬢がくっついているから俺も一緒に居ただけで、嫉妬されるほど第三者の目で仲良く見える程に近づいた記憶はない」
「そうだったか……? いや、でも昔はそうでも今は分からないぞ? 女の嫉妬は恐ろしいもんだからねぇ」
私たちはそれぞれクリスティーナとクリストファーという。そして彼らは幼い日の思い出を勘違いしているようなので主張させていただこう。
割って入ったのは殿下の主張通りクリストファーであり、嫉妬したのは殿下に対してであった、と! 片割れたるクリスを取られる気がしたから、と!
……まぁそれも幼い頃の他愛無い思い出である。勿論今はそんな気持ちは露とも思っていない。
しかし、そうか。幼い頃から私たちを知っているというのに、彼らはナタリー嬢へ一方的に肩入れするというのか。
ディオニス、オルガ、サリュー。とても残念だよ。ナタリー嬢に入れ込むまでは、殿下の友人である君たちとも上手くやっていたと思っていたのに。
少し気落ちしたのが分かったのか、掴まれていた裾を振り払って殿下が私の隣へとやってきた。
「というわけで、お前らがナタリー嬢を信じるのと同じように、クリスの弁護をするとしよう」
「そんな!? ロビン様!?」
怒気をはらむ彼らの視線を意に介さず、隣に立った殿下は私だけに聞こえる小声で呟いた。
「あと少しで援軍が来る筈だから、もうちょっと茶番に付き合ってくれ」
援軍とは一体何のことか。だが殿下がそう言うのなら何かしら状況打開の手があるのだろう。いまいちよく分からないが、小さく頷いた。私の了承に礼の意を込めて軽く肩を叩く。
「お前がクリスを信じるのは構わないが、事実ナタリーはクリスに怪我までさせられているんだぞ」
「怪我、ねぇ……」
「ああ。それまでも、人目のない所で罵倒や嫌がらせをしていたようだがな。先日、裏庭に呼び出された際にはとうとう手を上げた。突き飛ばされたナタリーは今でも脚を引きずっているんだ!」
「罵倒された、か。……ナタリー嬢? それが本当にあったというならば、とても辛いと思うけれど、君の言葉で何があったか教えてくれないかな?」
穏やかに、優しげな言葉で殿下が促す。三人の心配そうな顔をそれぞれ見渡してから、実に健気な様子で笑いかけ、それから私を見た。
「あの……せ、先日の放課後、人づてに裏庭に呼び出されて……現れたのはクリス様でした。そして私に、子爵程度の身分で殿下に話しかけるなんて身の程知らずだと……酷い言葉も交えながら罵倒され、て……で、殿下は、ただ私みたいな人にも、ひっく、声を掛けてくださるぅ、とてもお優しい方な、だけだったのに、うぅっ、クリス様は、私が色目を使って擦り寄ったんだって、金切り声で怒鳴って私を突き飛ばして……!!」
話しながら辛くなったのだろう、途中から彼女はぽろぽろと涙をこぼし、最後には顔を覆って泣き出してしまった。
さりげなく『先日の放課後』という曖昧な時間を告げるあたり話上手な娘だと思う。それから嘘を吐きながらのこの涙。面倒の当事者じゃなければ素晴らしいと絶賛したい演技力だ。教室に残ってこの茶番を眺めている人々からの同情の視線と、私への非難の視線を感じる。
「あぁナタリー、泣かないで」
「せっかくの可愛い顔が台無しだよー」
「身分を笠に着て、気に入らない相手を貶しめるなどと……!!」
ころっと騙された彼らは口々に彼女を慰める。彼らの言葉に彼女は涙を拭い、気丈に顔をあげ、ありがとうと彼らへ微笑みかける。
なるほど、これは落ちるわ。演技でなければ、あの健気そうな顔は大層男心をくすぐるものがある。
「先日というのはいつのことだい?」
「えっと、それは……」
「5日前だ。そうだよな? ナタリー」
「……はい」
口ごもる彼女に助け舟を出したつもりなのだろう。だが彼女の顔が一瞬、余計な事をしやがって、と言いたげに歪んだのを私は見逃さなかったぞ。仕方あるまい、そこのサリューは三人の中で一番の脳筋だ。知ってるだろうけど。
「だとすればナタリーの主張は嘘だ」
「なッ!?」
きっぱりはっきりと殿下が告げた。色めき立つ一同を尻目に殿下は私へと振り返り、持っている? と問いかけた。私は頷き、自身の机に向かうと一枚の書類を取り出した。
「これが証拠だ」
「……特別談話室の使用許可書控?」
「そう。5日前の日付と使用時刻が書いてあるだろう? 正確な入室時間と退室時間は談話室前の記入表に書いてあるし、その場で管理室の職員の確認印を貰うから証人もいる」
「だが、途中で席を外してその隙に、ということも考えられるじゃないか!」
「トイレに行くにも管理室前を通るんだ。管理室前は窓が開いていて廊下がよく見える。この日は他の使用者は居なかったから、入室退室以外で人が通ったかを尋ねればいい。きっと誰も通らなかったと証言することだろう。ついでに一緒に居たのは俺だ、クリスも俺も入室してから互いに席を外してはいないと断言する」
「クリスを庇うロビンの証言は信用できない」
「それを言ったらナタリーに盲目になってるお前らこそ信用できないってことになっちゃうだろうが。そもそもナタリーの証言以外にクリスが何かしたっていう証拠も目撃証言もないんだろう?」
「……仮に5日前の件が嘘だとしても、クリスがナタリーを罵倒したことがないとは言い切れないだろう」
それこそが一番有り得ないことなのだけれど。
「クリスがナタリーを罵倒したなど、神に誓っても有り得ない」
「はぁ!? おいロビン、正気か?」
「なんでそうと言い切れるんだ」
「いくらなんでも盲目が過ぎるぞ、お前」
「なら聞こう。ディオニス、オルガ、サリュー。……お前ら三人とも、この学舎で再会して以来、クリスの声を聞いたことがあるか?」
何を言っているんだ、とでも言おうとしたのだろう。だが三人は、口を開いたままで硬直する。殿下の問いを聞いた教室の生徒たちも、心なしかざわついている。
まぁ、それもそうだろう。
私は今の今まで、一言も声を発していないのだから。
「クリスはとある事情で声を出すことが出来ないんだ。学舎で過ごすこの三年、笑い声すら上げていない。俺が全部クリスの意向を汲み上げて代弁したり、クリスの身振りや表情で大体言いたいことは分かるから『無口な娘』としか見えなかっただろうけどな。気づかなかったなら、俺の振る舞いはまずまずだったということかな」
実際は一度も声を出したことがないわけではなく、殿下と二人きりの時や、事情を知っている教師との一対一の口頭試問、これもまた事情を知っているほんの一握りの女生徒とだけなら会話もしていたのだが。
少なくともこの三人の前では一度も会話をしたことがない。全部殿下がフォローして先回りしてくれたので、声を出さずとも何とかなっていたのだ。素晴らしい手腕である。
ここまでくれば流石に盲目の三人であってもナタリーに疑惑の目を向ける。
「……ナタリー、これは一体……」
「ねぇ、なんだってこんな嘘をついたの?」
「教えてくれ、ナタリー。どういうことなんだ?」
「……うるさい!!」
口々に言われ、ナタリーが切れた。
ぎょっとする彼らには目もくれず、彼女は弱々しい印象など吹っ飛ぶ程に猛々しい目で私を睨みつけた。
「何よ……何よ何よ何よっ!! その見下すような目が気に入らないのよアンタッ!!」
「な、ナタリー!?」
「優しそうなふりして周りのこと冷めた目で見てるのも! スカした顔して大した努力もせずに色んなもの手に入れて! そのくせどうせ何にも興味なんて持ってないんでしょう!? そういうところも大嫌い!」
「はは、凄いねクリス。この言われよう」
「それにねぇ……私、知ってるんだからね! アンタの秘密!!」
よくご存知ですこと。殿下とクリス以外はほぼ興味の範疇外だ。あぁ勿論、家族の事はその次くらいには興味はある。
そして……確かに私には、とても大きな秘密がある。いずれバラす予定ではあるが、ここでバラされるのは時期尚早だ。殿下を見上げれば、少し困った顔をしているも止める気はないようだ。良いんだろうか?
「クリス! アンタのその胸! いーっぱい詰め物してるって知ってるんだからね! このペチャパイ!!」
……よしオッケー!! セーフ!! いや微妙にいい着眼点なんだけど、大丈夫これはまだセーフ!!
だが教室内に残って居た全員が一斉にざわついたのは……うん、まぁ本当におもいっきり詰めてるから言い訳しようもないけれど。
「え……クリス、それは……」
「だとしたら流石に盛り過ぎだと思うよ、クリスちゃん」
「大丈夫だ、ロビンは胸の大きさにこだわるような男じゃないぞ!」
おいお前ら、ナタリーの豊満な胸と見比べながら言うんじゃない。ドン引きした顔をするな。
あと殿下。聞こえたからな、『いや小さいよりは……』とか呟いた事。クリスに告げ口してやる、あとで覚えておけよ。
「それにドレスのデザインで誤魔化してるけど、ガリガリで全ッ然可愛くないのよ! 筋張ってるし固そうだし!」
「確かに細いけど、意外と肩幅あるんだな。クリスちゃんって」
「オルガもそう思うわよね!? あとその顔! 元がいいのは悔しいけど認めてあげるわ! でもねぇ、そのさも『少ししか化粧してません』みたい顔! 厚塗りも良いところじゃない、男なら騙されるかもしれないけど、私の目はごまかせないわよ!!」
「えっ、クリスってすっぴんじゃ……」
「違うわよ、ディオニス! あれはスッピン風厚塗りメイクよ!!」
断罪するように彼女は私を指差して、高らかに宣言をする。
「クリス・マクスウェル! アンタみたいな作り物の令嬢なんか、ロビン様には相応しくないわ!!」
……素晴らしい。実に素晴らしい目を持つ娘じゃないか、ナタリー・ドロッセル。
ああ、でも惜しい。あと一歩、こんなにも沢山気付いているのにあと一歩が足りないなんて。
きっと私の目は輝いていることだろう。使い所さえ間違えなければ、そして上手く手綱を握れるのならば、彼女は今後うまく社交界を渡り歩いて情報戦の勝者になり得る素質がある。この男にちやほやされたがる浮気な性さえなければ、すごく取り入れたい人材だ。
私の様子に殿下は苦笑し、ナタリーは戸惑うような顔になる。指差した手は徐々に降ろされた。
「だからといって君が俺に相応しいということは絶対にないよ? 俺の隣に立つべき人は、たった一人だと決めているんだから」
「……そんなにも、クリス様を愛していらっしゃるんですか!? こんな、こんな擬物みたいな……!!」
「いいや?」
何を言っているのか、と誰もが殿下に視線を投げる。私もまた、驚きに目を見張る。
「このクリスの事は大好きだ。だが愛なんてこれっぽっちも無い」
穏やかに言いながら、彼は教室の入り口の方を見遣る。
援軍が来る。確か彼はそう言っていた。ああ、それならば、この高らかに聞こえる足音は、まさか。
「クリス!! クリストファー!!」
「……クリス!!」
私の名前を呼ばわりながら教室に飛び込んできたのは、美しい人だった。
やや長い金髪はオールバックにしたその人は、教室を見渡し、私を見つけると小気味良い笑顔を浮かべた。
形良い蛾眉、その下に輝く榛色の瞳、すっきりと通った鼻筋、そして柔らかな桃色の唇。白皙の顔にそれらを調度良い塩梅に配置したその人は、立ち居振る舞いから実に貴公子然としている。
だが、それでも。明らかにその人は男装の麗人……女性にしか、見えなかった。
そして、初めて私の声を聞いた教室の面々は、誰もが驚愕を顔に浮かべていた。
それもそうだろう。華奢な娘から、明らかに男の声が発せられたら驚きもする。だが今はそんなことはどうでもいい、何故なら久方ぶりのクリスが目の前に居るのだから。
誰もが唖然として私たちを見つめるも、その視線を何一つ意に介さず、真っ直ぐに私の元へとやってくる。
「ただいま、私の愛しい片割れ」
「おかえり、私の愛する片割れ」
彼女に言葉を返しながら、私はその抱擁を受け取った。
「どうしたのさ、クリス。留学を切り上げるには中途半端すぎやしないか?」
「どっかのアホ共が子猫ちゃんに骨抜きにされていてロビンの周りまでうろついていると手紙で知らされてね。トファーに何かあっては大変だと急いで帰ってきた」
「最高のタイミングだよ。流石はクリスだ」
「そうかい? なら校舎内で迷った甲斐もあったな。此処、ちょっと広すぎやしないか?」
「かもね。なぁ、これって一時帰国? またあっちに戻るのかい?」
「いや、やることやったし、もう大丈夫。卒業まで間もないけど、こちらへ通う予定だ」
「なら、あとで殿下と一緒に校内を案内してあげるよ」
私たちが久しぶりの再会を喜んでいる間に、ようやく教室は我に返ったようだ、どよめきが教室内を埋め尽くす。
「く、くくくっクリス!? ま、さか……!?」
「こっちのクリスが女だと……!? 嘘だ、嘘だと言ってくれ……!!」
「信じない! 俺は信じないぞぉぉぉ!!」
「現実を見ろ、お前ら。俺の婚約者の代役を演じていたのはマクスウェル家の双子の『弟』だ」
さて前述したが、マクスウェル家には双子の男女がいる。
ところが、育ってみたらこの姉がとんでもない娘だった。貴族社会の女性としての礼儀作法を完璧に習得した上で行わない。それよりも馬術や剣術、狩猟、盤上遊戯や政治討論など、およそ男性らしい趣味ばかりを好んだ。逆に弟の方も、いずれの領地経営の為の能力を備えておきながら、活発な姉に引きずられる生活の中でいつしか控えめで大人しく、いつの間にかのんびりと茶会に交じって情報を得ては姉や父に渡すような子に育っていた。
学舎への進学を控えたある日、弟クリストファーへ隣国への留学の話が持ち上がる。人脈と見識を広めてこい、ということだ。
『クリストファー、これ私が行きたい。どう考えても私向きだろう、これ』
『俺は良いけど、ロビン殿下これからどうすんの? 正式に婚約者になったのに隣に居ないのは人前に出る時に色々不味いんじゃないの?』
『ふむ……ならトファー、代わりに女装してロビンの虫除けになっておくれ』
『クリスが望むなら。じゃ、陛下にこじつけの理由を一筆記してもらおう』
こんな、軽いノリで入れ替わりは決定した。父は頭を抱えていたが、諦めてもらった。勿論、教師には通達済みだ。ばれないように生活するのは結構大変だった……トイレとか。基本、学舎では行かないようにして、どうしてもの時は教員用トイレに飛び込んでいた。男子トイレで遭遇とか、嫌でしょ。
私が声を出さなかったのも声変わりが原因だ。一声で確実にバレる。
ついでに先日の談話室での二人きりの極秘会議も、身体が育ってきている所為で食事の必要量が増えているにも関わらず、女装の為に食事制限をしないと体型を保てない為どうやって残りの期間をやり過ごすべきか、という議題だった。そろそろ限界だったのでクリスが戻ってきてくれるというなら、これほど嬉しい話もない。
「……おい、ティナ。弟大好きなのは知ってるけど、俺には何も言ってくれないのか?」
「ふふ、例えるならクリストファーは真っ先に飛びつきたくなる大好きなお菓子で、殿下はゆっくり味わいたいメインディッシュといったところかな? お楽しみは最後にとっておく派なんだ」
どこか拗ねたような声で、ロビン殿下がクリスへ声をかける。私から身体を放し今度は殿下へと向き直る。くすくすと笑うその声音はどこか甘さをはらんでいる。
「ただいま、ロビン。息災で何よりだ」
「ああ。お帰り、クリスティーナ。君も」
きっと、ナタリーも理解したことだろう。殿下が婚約者を裏切る真似、天地がひっくり返っても有り得ないことを。
この学舎で、一度でも見たことがあるか? あの殿下の、誰よりも愛しいと言わんばかりの、あの笑みを。こんな顔をあの人にさせるのは、婚約者たる姉ただひとりだ。
なにせあの男は、少年のクリスに憧れて、少女のクリスティーナに恋をしたのだ。ヒーローとヒロインを兼ね備えた相手に、たかが見目が良いだけの娘が勝てるわけがない。
まぁ男装の所為で、見目麗しい男同士がぴったりと抱き合ってるような絵面にしか見えないんだけど。ヒソヒソ言ってる一部の女子よ、いいもの見れてよかったな。
「さてナタリー・ドロッセル」
ひとしきりイチャついて満足したのか、クリスがナタリーへと話しかけた。殿下から離れ、今度はナタリーの目の前に立つ。名残惜しそうな顔をするんじゃない、殿下。
小柄なナタリーは、状況についていけないのか、呆然とした顔でクリスを見上げた。
「私はね、君の報告を受けた時、良い人材だと思ったのだよ。彼らの若気の至りとは言え、学舎で尤も地位のある男たちを捕まえたのだ。その手腕は素晴らしいと素直に感嘆した。事と次第によっては側室に取り立ててあげてもいいとすら思ったんだ。だが」
艶然と微笑み、ついと人差し指でナタリーの顎を持ち上げる。
「君はロビンを好きなわけじゃない。ロビンを惚れさせる自分が好きなんだ。そんな娘は、残念ながら取り立ててやるわけにはいかないなぁ」
「あ……あ、の……」
「敬愛すべき我が主を侮辱し、私の最愛たる弟を陥れようとするなど言語道断! この落とし前、どうやってつけてくれようか!!」
「ひぃっ!」
ああ、ナタリーってば怯えすぎて腰抜けちゃった。それにしてもやはりクリスは格好良い。
そして私を最愛と言ったことに不満があるのだろう、殿下がジト目で私を見遣る。ふふん、優越感。
「く、クリス、その、もうちょっと落ちt」
「喧しい! そもそも一番腹立たしいのはお前らだ、このボケ共が!!」
止めようと勇気を振り絞ったのはいいが、かえって矛先が剥いてしまったようだ。どんまい。
「貴族社会に慣れてない娘を甘やかして増長させてどうする! お前らは自分の地位をなんだと思ってるんだ! 諌め導くのが務めだろうが!! この結果を招いたのはお前らだ、恥を知れ!」
「うっ……」
「しかもこの娘に入れ込んだ挙句、あっさりトファーを疑いおって! 幼い頃から見ていてそれか!? お前らの目は節穴か!?」
「それ、は……」
「あぁ、そうだろうなぁ節穴だよなぁ! 昔ならいざしらず今の今までトファーを本気でティナだと思っていたくらいだからな!」
可哀想に、幼い日の彼らは私たちを姉妹だと思っていたという。そして後から姉弟と知った時、思い出の中のクリスをトファー、私をティナだと勘違いしていたようだ。空白期間の後、再会した私が女装していたのだからその勘違いは払拭されなかったらしい。
殿下も巻き込んでクリスに女装させられたり、クリスが男装したりと、性差が曖昧な幼少期により曖昧になるような姿をしていたから余計なのだろう。しかもあの頃の私たちは互いに互いを頑なにクリスとしか呼ばなかった。
……ああ、可哀想に。
「ついでに言うならお前ら全員こっちのクリスが初恋だったことも知ってるんだからな!」
「ヤメロォォォォ!! それ以上言うなぁぁぁ!!」
「抉るなッ! 傷を抉るなぁッ!! これだから嫌なんだよコイツは!!」
「仕方ないだろう!? どう見たって美少女だったのはクリスの方だったんだから勘違いしたって!!」
「はっはっは! マクスウェルの双子と知った時点で失恋し、剰え惚れていた方が実は男だったと数年越しに知った感想はどうかね諸君!? 黒歴史がまた一枚埋まったな!」
幼馴染みってこういう時に嫌だよね。色々と負の歴史を知られているから。
ああ、高笑いを浮かべるクリスが輝いている。すごく楽しそうで実に可愛い。
崩れ落ちている野郎共? 別に興味ないです。
「確かにあの頃の二人は美少女姉妹と言われてたからな、お前らのこと知らない奴らからは」
「へぇ初耳」
「お前、クリスティーナのことしか興味ないもんな」
「うん」
さて、そろそろ腹も減ったし止めようかな。
「クリス。もう良いよ」
「……でも、クリス。お前がいらんことに巻き込まれたのは全部こいつらのせいじゃないか」
「巻き込まれはしたけれど、大きな実害を受ける前に君が来てくれたから。それにこれだけ醜聞ばら撒いたんだ、馬鹿じゃなければ流石に反省して大人しくなるだろうさ」
「いや、でもこいつら相当の馬鹿だぞ?」
「そうだね、私も馬鹿だと思う。でもこれだけ馬鹿だ馬鹿だと言われて馬鹿なままでいるほど、彼らのプライドは安くないと信じてやろうよ。昔馴染みのせめてもの情けとしてね」
「……こっちの娘は?」
「どうせ勝手に孤立するから捨て置きなよ。それよりも食事に行こう。もう女装止めていいんだからお腹いっぱい食べたいんだよね」
「それはいけない! ロビン、急いで食堂へ行こう!!」
「そう急くなよ」
殿下の腕を取って、クリスは足早に教室を出る。私もその背中を追い、入り口で振り返る。
「ナタリー・ドロッセル」
顔を上げた彼女へ、出来得る限りに極上の笑みを投げかける。
「貸し一つだな」
見逃してやるんだから有り難く思え。
言葉の裏を正確に読み取った彼女は、燃えるような怒りの目を向けた。
「クリストファー! 何をしているんだ?」
「ああ、今いくよクリスティーナ」
きっと彼女は大人しくなんかならない、次はどんなことをしてくれるだろうか。
わくわくしながら、私はクリスたちの後を追った。
「クリスティーナ様ぁ! どうぞお待ちになって!!」
「ええい、しつこい! 喧しい!!」
「いいえ! 私もう男なんかウンザリです!! クリスティーナ様についていきます!!」
まさかこうなるとは予想外だ、と殿下の呟きに頷いた。
何が彼女の琴線に触れたのか分からないが、あれ以来すっぱりと男共への媚をやめ、クリスティーナの追っかけへと変貌した。
いずれ王妃になるだろう彼女の傍に侍りたいと、今まで力を入れていなかった授業も熱心に聞いているらしい。貴族としての礼儀作法も、未だ身につくには至らないが、以前より気をつけ、無礼と窘められたら素直に聞き入れ逆に問いかけて学ぼうとする意欲を持つようになったとか。
「待ても知らない犬など要らん!」
「ならば待てを覚えますから、どうぞ子飼いに!」
「あぁもう揚げ足を取って! クリス! 助けてくれ!!」
ほとほと困ったという様子でクリスティーナが私を盾にする。こういう彼女は貴重だ。かわいい。
そしてナタリーはといえば、邪魔をするなとばかりに私を睨みつけてくる。
「ロビン様といいクリスティーナ様といい……私の邪魔ばかりしますわね、貴方は!」
「君が追いかける相手がたまたま私の関係者というだけだよ」
「ああ忌々しい! クリスティーナ様と同じ顔なのが余計に! この女装趣味のシスコンめ!!」
「女装はしてたけど趣味でしてたわけじゃないよ」
「……シスコンは否定しないのね」
「むしろ重度の、という枕詞がいると思う」
「安心しろ、クリス。私も重度のブラコンだ」
「ありがとう、クリス」
「そんな双子だろうとまとめて受け入れてやろう」
「ロビン格好良い!」
「流石は殿下!!」
「クリスティーナ様もロビン様も無視しないでくださいよぅ!!」
「私は?」
「クリス様はどうでもいい!」
「口を慎め、ナタリー」
「もっ、申し訳ありません、クリスティーナ様!!」
クリスの叱咤一言でこれか。随分な変わりようである。……ふむ。
「浮気性でふらふらしてたのとは随分な違いだね?」
「だってあんなにチヤホヤしてくれてたのに、あれ以来男は誰も寄ってこないし。むしろ、最初はざまぁみろって言ってた女の子たちのほうが今は注意も含めて話しかけてくれるし。男なんてあっちからは挨拶すらないんだから! もうウンザリ」
「授業も真面目に出てるって」
「クリスティーナ様の前でこれ以上無様な姿は見せられないもの。それに理解出来るようになってきたら授業も面白いし」
「礼儀作法は身につきそう?」
「身につきそう、じゃなくて、身に付けるのよ! 目指すは王宮の侍女! そしていつかはクリスティーナ様のお傍に!!」
「ふぅん。ねぇナタリー」
「何よ!」
「結婚しない?」
私の言葉に三人が硬直するのが分かった。そんなに驚かなくってもいいのに。
「身代わりやってたから見合いとか全部断ってたし、決められた婚約者も私には居ないし。このまま結婚しないで、クリスと殿下の子供を養子にすれば跡継ぎは大丈夫って思ってたんだけどね」
「あー、ちょっと待て。色々と頭が追いつかないんだが、お前いつからナタリーに惚れたんだ?」
「惚れたってのとは違うんだけど。男に取り入る手腕、私の女装を見破る観察眼、図太さ、それに浮気性がなくなって、必要な教養や礼儀作法も身につけば素晴らしい人材だもの。クリスの次に可愛いし。何よりもこれが一番大事なんだけど」
「……なんだ」
「クリスティーナ第一主義! これ大事、何より大事!! クリスと殿下を再優先してくれる奥さんなんてそうそう探しても見つからないし!」
「このシスコンが!」
「褒め言葉だ!」
「……待て待てクリス! 私は認めないぞ!」
「私だって嫌よ! 誰があんたなんかと結婚するもんですか! それなら独身貫くわ!!」
「私と結婚したらクリスティーナを姉と呼べるよ?」
「く、クリスティーナ、お姉様……!?」
「こらナタリー! そんな言葉でなびくんじゃない!」
「ハッ! 申し訳ありません、お姉様!」
「姉になった覚えはない!」
「あ、予鈴が鳴ったね。それじゃ教室に戻ろうか。じゃあねナタリー、考えておいてね」
さっさと踵を返し、教室へと向かう。追いついてきた殿下は呆れた顔をしていたし、クリスティーナに到ってはもう少しよく考えなさいと半泣きである。可愛い。
けれども私はもう決めた。散々男を追いかけた彼女を、今度は私が追いかけると。
「まぁ、クリスと同じ顔してるんだから、迫れば結構簡単に落ちると思うけどね? あの子」
自分たちの卒業まであと二ヶ月だけど、それまでに落とせるかな?
企みながらニコニコと笑う私は大層可愛らしかった、と後日のクリスティーナは語っていた。
いずれナタリーはクリスに落ちると思います。お互いに最上は姉(と殿下)だから愛はないし打算まみれだけど、当人たちは意外と幸せな夫婦になるんじゃなかろうか。
1/24 『殿下の婚約者の名前を知らないのはおかしい』とのご指摘を頂きましたので、アレックス→クリスティーナ、クリス→クリストファーと変更いたしました。
1/26 誤字訂正
6/29 ご指摘頂きましたので『失語症』という表記を修正。ナタリーの場合は失声症とのこと。