■ 前 編
それは、3月の初めのとある土曜日だった。
リョウが急に逢いに来ると言い出したのは、前日、金曜の昼すぎ。
マドカのケータイに、たった1行の簡素なメールが届いた。
”明日、ちょっと帰るんで時間つくって下さい ”
いつもは事前に電話で予定の有無を確認し合ってからの事が多かった為、
なんとなくそのメールに違和感を感じたマドカ。
1ヶ月に1度くらいのペースで地元に戻って来ていたのだが、
先週末に来たばかりでの再訪というのも、勿論嬉しいけれど何かあったのかと
わずかに首を傾げていた。
朝一番の電車でリョウがやって来た。
いつものやわらかく穏やかな表情で、駅のホームで出迎えたマドカに
車窓越しに微笑む。なんだか今日は、いつにも増してやさしいその顔。
思わずぼんやり見惚れてしまうマドカ。
くすぐるように胸をきゅっと掴むリョウのその笑顔にマドカも微笑み返した。
『ねぇ、今日はどうする~?』
電車から降りて来たリョウの腕にからみ付き、マドカが覗き込むように訊く。
すると、リョウは言った。
『今日は、一日、僕に付き合ってください。』
『ん? ・・・いいけど。』 マドカはリョウの大きな手に繋がれた手を
揺らして嬉しそうに目を細め笑った。
駅を出て、休日の午前の街をふたりでのんびり歩く。
まだ混雑する時間には少し早いのか、穏やかでゆったりとした街並み。
リョウが向かった先は、自宅近く3丁目のわかば幼稚園だった。
土曜のため園児の姿はなく、ひっそりとした園のグラウンドを少し離れた
場所から眺めるリョウ。
決して広くはないそこにはカラフルな遊具が並び、しまい忘れた小さな
スコップが砂場に転がっている。 なんだかやけに眩しく感じ、目を細めた。
『ココは、マドカさんのお母さん・・・ミキ先生もいた僕の幼稚園です。』
『うん、知ってる!』 マドカが嬉しそうに微笑む。
『初恋は、ミキ先生で・・・
僕は ”なんで?なんで? ”ばっかり言ってたなぁ・・・
あの、グラウンドにある赤い象の形の滑り台。
”なんで象なのに赤いの? ”って訊いたら、
”滑り台の会社がそう造ったから ”って、ミキ先生に言われました。』
ふたりで顔を見合わせて笑う。
『そんな質問する僕も僕ですけど・・・
ミキ先生も、こどもにそんな返ししますかね~? ふつう・・・。』
『ウチのお母さんらしいわ。』 マドカが呆れたようにケラケラ笑った。
幼い頃の記憶が甦り嬉しそうに微笑むリョウをマドカはそっと盗み見ていた。
すると、静かにリョウは言った。
『ここが、僕が4才から6才まで過ごした場所です・・・。』
リョウはマドカの手をやさしく取ると、再び歩き出す。
次は15分ほど住宅街の中を歩いた先にある、小学校までやって来た。
『ここが、僕が通った小学校です。』
そう言って、懐かしそうに遠く眺める。
休日のため閉ざされた校門の可動式フェンスのすぐ横には、大きな桜の樹が
そびえ立つ。春は満開の桜が咲き誇るそれ越しにある、少し日陰になって
薄暗い昇降口を見つめた。
『小学生の頃から勉強は得意だったなぁ・・・
その代り、体育とか図工とかはあんまりダメなこどもでした。』
『あたしとは真逆だね。』 マドカが可笑しそうに笑う。
自転車に乗れないくらいだったのだから、よっぽど運動系はダメだったの
だろうと小さい痩せっぽっちのメガネ少年を思い、マドカの頬は勝手に緩む。
『小学校では好きな子いなかったの・・・?』
『えーぇと・・・
小学校4年の時に同じクラスだった女の子に、
はじめてバレンタインにチョコ貰いました。
でも、クラスメイトがいる前で渡されて、恥ずかしくて恥ずかしくて
”要らない ”って、僕、返しちゃったんですよ・・・。』
『ひっどー! 鬼だな。』 マドカが目を見張りつつ、頬を緩める。
『嬉しかったくせに、それより恥ずかしい気持ちが上回っちゃって・・・
その後、その子、卒業するまで一度も口きいてくれませんでした。』
ふたりでケラケラ笑う。
そして、どこか遠い目をしてリョウは言った。
『あの子もそう言えば、なんか気が強い子だったなぁ・・・。』
『 ”あの子も ”ってなによ?!』 マドカがジロリ横目で睨んで、笑った。
こっそりフェンスの隙間をすり抜けて、校舎裏にまわったふたり。
そこにある茶色く煤けた焼却炉を指さして、リョウが言う。
『僕・・・ 6年生の時に、ちょっとイジメってゆうか・・・
クラスの一部の男子から意地悪されて、
僕の内履きが焼却炉の中に隠されたことがあったんです。』
『なにそれ!』マドカがあからさまに怪訝な顔を向ける。不満気に尖った口。
『僕の内履きを隠した子の一人は、友達だと思ってた子だったから・・・
それ以来あんまり人と関わりたくなくなった、ってゆうか
裏切られたみたいな気分だったんですよね、こどもながらに・・・。』
寂しそうに小さく笑ったリョウの手を、マドカがぎゅっと力を込めて握る。
その手の平のぬくもりで、マドカが言いたい事は充分すぎるほど伝わる。
『だけど、あれが無かったら、きっと・・・
僕は人ギライにもならず、高校にもちゃんと通ってただろうし、
そうしたら歩道橋にもいなかった・・・
だから、僕にとっては必要な経験だったんですよね。』
リョウのやわらかい笑みに、マドカが嬉しそうに口角をあげる。
『そーだよ!
じゃなかったら、”人の気持ち講座 ”は開講されてないからねっ!』
そして、想い出を懐かしむように呟いた。
『ここが、僕が7才から12才まで過ごした場所・・・。』