僕のルート
鳴り響くチャイムが、放課後の始まりを告げた。授業から開放された生徒は、その顔にご機嫌な笑みを浮かべて教室から出て行く。直に俺は一人ぼっちとなる。
ま、いつも一人ぼっちのようなものだが。
教室の真ん中、俺はぼーっとしていた。そして、今日の出来事を振り返っていた。それは、彼女を助けるためにアイツとの縁を切ろうとした。
そして、周りの奴らとも縁を切ろうとした。いや、切った。
それはきっと自分のためだ。自己満足だ。
目の前にある時計を確認してみると、みんなが帰ってから、さほどの時間は経ってはいなかった。
グラウンドは部活をやっている生徒が沢山いて騒がしい。
なのに、不思議と静かに感じた。
「赤梨、何暗い顔になってるんだ?」
不意をつくその声に驚くあまり、少しだけ変な声を出してしまった。声の主、先生は後ろの方にいたらしい。振り向いてその存在を確認すると、先生は保健便りを壁に貼付けていた。俺の表情を見たような口ぶりであったが、実際は壁を向いている。そんなところに俺の顔があるはずがない。もしかして、俺の顔を認識できていないのか。
「見てもいないのに暗い顔と言うのですか」
「私が知るかぎり、お前は目は腐っているが感情を表に出さない人間だろ?」
まて、最後のは認めるが最初の『目は腐っているが』はいらねぇだろ。てか俺そんなに目腐ってんのかよ。
「お前らしくない。何か悩みでもあるのか?」
「別に。放っておいてくれませんか」
「放っておくとは私の性分に合わんのだよ。数学教員というのはね、どいつもしつこいもんでな。何でもとことん食いついてしまうんだよ。数式の考えを解かずしてはいられないのと同じでね」
なるほど、だから先生はいろんな男に食いついてしまうのか。で、計算間違いでフラれると...
フラれるのかよ。
「俺は言いたくないです」
はっきりと言った。俺と先生の間の、大きな見えない壁を示したのである。俺は誰かと何かを共有したくない。それは相手に弱点を見せてるようでとても怖い。それで人間関係が壊れてしまうときもあるから。
大きく、わざとらしい先生のため息が聞こえたが、
俺は気にならないふりをする。
「ならば、かまわんよ。代わりに私の悩みを聞くか?」
それは突然。どう返事をしてくるかと思えば、妙なことを言うのだ。この人もアイツらと同じタイプで、自分の悩みを言う事により相手に共感を持たせ仲間を作っていく。そんなのは偽物でしかない。すぐに崩れてしまう関係だ。昔の俺みたいに。
俺は振り返りそうになったのをぐっと我慢し、そのまま思うことを口にした。
「いいっすけど、変なことを言うんですね。先生が生徒に悩み相談だなんて」
くす、と笑い声が聞こえた。はじめは自虐の笑いだと思ったが、間もなく、実は私を嘲笑う声だと気付くことになる。
「なぜ?人が人に相談するのはごく自然なことでだろうに。ただ相談相手がお前であった、それだけだ。赤梨。私の悩みを当ててみろ」
はぁ...どうせ結婚できないとかだろうに...
「結婚できないとかですかね?」
「ほう、なんでそう思う?」
「俺が先生と同じ立場だったらそう考えます。」
「...よく見ている。やっぱり君は人の心理を理解してるな。」
そんなことはない。俺は人が怖いから、その人の心をちゃんと読み取ってあげないとその人のことを傷つけてしまうから...だから必ず人の心理を読まないと...予測しないといけない。そんなのは想像でしかない。
そう言い返すと、先生はすっと人差し指を立て、言葉を制す。そして、俺の目を見つめ、諭すようにゆっくりと言葉を継ぐ。
「けれど、感情は理解していない。」
核心を突かれたと感じた。俺の悩みの正体に気づいてしまう。別れた友達に言われたその言葉、人の気持を考えろと、そう言われたはずだ。
頭の中ではいろんな感情が交差している。
「心理=感情ではないんだ。時には全く不合理に結論を出してしまうのはそのせいだ。...だから君はいつも間違った答えをだす。」
しかし、人の感情は見えない。人の気持を考えて、推測でしかないそれを真実だとし、行動する。
それは自己満足でしかない。勝手な自己満足は不幸しか呼ばない。ソースは俺だ。それ以外の答えがあるなら聞きたい。
「けど...それって考えても分かるもんじゃないっすよね?」
醜い感情に基づいた行動心理なら推測できるのだ。
そんな心情は自分の中にいくらでもあるからだ。だからすぐに想像できる。でも、それ以外は難しい。
好意とか、友情、愛情。そんなものを抱いていた時期があるが、それらはいつも勘違いを生み、自分を追い詰めていく。そして、これがそうだと思う度にまた間違える。
メールが届いたり、少しだけ体の一部が触れたり
よく話したり、いつも変える時間が同じだったり、
一緒に笑ったり、その度に勘違いをし、間違える。
でも、その中に本物があったのなら。
俺はそれを信じることはできない。結局それを信じて間違ってきたから自分に自身が持てない。
だから、俺には感情が読めない。
先生は俺の言葉を聞いて微笑み、それから厳しい目つきで俺を見据える。だが、その中には優しさも見えたような気がした。
「読めないか。わからないか。ならもっともっと考えろ。沢山のルートを見つけろ。その全てのルートを出して1個ずつ、消去法で消していけ!最後に残ったものが君の答えだ。それは間違いでも何でもない、本物だ。」
熱い眼差しが注がれる。言ってることは滅茶苦茶だ。
この人の言ってることを簡単に言うと、思いつくことを消去法で潰していけと。
なんて、効率の悪い方法なのだろうか。
しかもそれが100%とはいえない。
「それでも...分かるもんじゃないんですか?」
「なら、またルートを探すしかない。」
先生はおどけて見せて、サラッと言った。
つい乾いた笑いが出てきてしまう。
「アンタは破天荒すぎる。いや滅茶苦茶だ。」
「馬鹿が。感情が簡単にわかったら苦労しないだろ。最後のルートが人の気持をというものだよ。まぁ、私もルートを沢山間違ってきたきたから、結婚できないんだろうけどなぁ...」
ここで自虐ネタたかよ。
でも、先生は言いながらハッとどこか自虐的な微笑みを浮かべている。
いつもなら俺も適当なことを言うのだが今日はそんな気分じゃない。
「いや、それは相手に見る目がないからっすよ。」
先生は驚いて。気恥しそうにゴニョゴニョ何かを言いながらそっぽを向く。
お世辞ではない。実際先生はとても綺麗な人である。
もし俺が先生と同い年なら心底惚れていただろう。
「特別に君にヒントをあげよう。」
そう言って俺に向き直った表情はさっきのやつとは違う顔だった。諭すように先生はゆっくりと口を開く
「考えるときは、いろんな角度から考え、考えるべきポイントを間違えないことだ。例えば、君が蒼井を避ける理由、これについて考えてみよう。」
唐突な例えばなしと、不意に上げられた名前にギョッとする。
「見ていればわかるよ、実はな彼女から相談を受けてなその件の出来事を全部きいたのだよ。」
「あー...」
適当に言葉を濁そうとしたが、先生は返事を待たず、言葉を紡ぐ。
「もし、君がイジメを見たとすれば、彼女たちを傷つけないために遠ざけるという答えに行き着く、かもしれないな。例えばなしだがな。」
「まぁ、そうですかね。例えばなしですけど。」
「だが、考えるべきポイントはそこではない、この場合、なぜ傷つけたくないかこそを考えるべきなんだ。そして、その答えは簡単だ。大切だから傷つけたくない。」
俺の目を見つめながら、先生は最後の言葉を言い添える。そして、暖かな声でそっと囁く。
「でもな、赤梨。傷つけないなんてことはできないんだ。人間だもの。存在するだけで無自覚に誰かを傷つけてしまう。必要なのは自覚だ。大切に思うから傷つけてしまったと感じるんだ。」
言い終えて、先生は黒板の前に立ち、ポツリと言った。
「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ。」
「それなら俺は...」
先生は俺に近づき肩に手を置く。先生の声もさっきより近くかんじる。ふと、俺の肩を掴む手にぐっと力を込めているのが感じた。
「考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。」
言うと、先生は俺からぱっと離れた。
「じゃ、また明日な」
先生は教室をあとにする。
体にはまだ温もりが残っていた。
結局は悩みなんてもんは解決はしていない。だが、問いはできた、後は答えを見つけるだけだ。