夏に見る、春の夜の幻想 其の壱
僕がのろのろとベッドを這い出したのは、正午を一時間も回った頃だった。
寝過ぎた日によくあるこめかみの鈍痛にうんざりしつつも、ふらふらとした足取りでダイニングへと向かう。寝たり起きたりを繰り返したせいか、あまり疲れが取れていない。身体が重い。
ダイニングのテーブルには、メモが一枚置いてあった。
メモには、可愛らしくはあるのだがイヌだかネコだかわからぬ生物のイラスト(母作)付きで、両親そろって夕方まで不在にする旨を記載してあった。
大方、連れ立って映画でも観に行くのだろう。
「仲良いなあ」
今まで考えたことも無かったが、あののほほんとした二人にも、互いを想い、葛藤した時期があったのだろうか。照れくさくて聞けないけれど、少し気になった。
冷蔵庫でキンキンに冷やした水を一気に呷る。食道から胃へと液体が浸透してゆく感覚とともに、次第に意識が覚醒してゆく。
昨日の放課後、つまり僕が初めて尊と言葉を交わしてからまだ丸一日すら経っていないと言うのが信じられない。もう何日も経っているような気がする。それだけ密度の濃い一日だったということなのだろうけど、つまりそれは普段がスカスカ過ぎるという証左でもあるわけで、何となく残念な気分になる。
「そんなことよりも、だ」
気持ちを切り替えるために、小さく独りごちる。
誰もいないダイニングは、いつもより広く感じる。テレビ好きな両親とは異なり、ほとんどテレビを観ない僕しかいないその空間は、しん、と静まり返っている。
外は相変わらずの空模様。雨脚こそ弱まっているものの、鈍色の雲が空いっぱいに立ち込めている。
思索を巡らせるにはもってこいだ。
アイスココアを啜りながら、頭に思い浮かべるのは尊の言葉・・・・・・ではなく、もっともっと昔。 今からちょうど三年前、僕が小学校の六年生だった頃のこと。
***
私は周囲に比して、早熟だったように思う。身体の成長もそうだったし、精神的な面でもだ。
あの一連の出来事の最初のピース。それは、私が六年生への進級を控えた春休みのことだ。
背伸びしたい年頃だった私は、父に「字だけの本を読みたい」とせがんだ。
夜、お酒を楽しみながら本を読んでいる父がとても格好良く、それが私にとっての大人像であったので、その真似をしてみたかったのだ。
口癖のように、本は良い、つーちゃんも本を読めと話している父は大層喜び、高価なものがたくさんあるからと言う理由で、父不在時には出入りを禁じられていた書斎への自由な入室の許可が下りた。
今だからこそ解るのだが、父の好みは極めて偏っている。蔵書はいわゆる奇書と呼ばれる部類の本が大半であり、話題のベストセラーや、映画化がなされた作品など、万人受けするようなものは殆ど存在しなかった。中には澁澤龍彦の「エロスの解剖」など、子供にはオススメ出来ないような内容のものもあり、これが出入り禁止だった理由なのかと妙に納得したものだ。
春休みの間、私は一日中父の書斎に籠っては、澁澤龍彦のエッセイ、夢野久作や倉橋由美子の小説を読み漁っていた。今読んでもろくに理解出来ない本を当時の僕が理解出来るわけがないのだが、その怪しげな装丁や挿し絵はもちろん、たったワンフレーズからでも滲み出る特有の禍々しさや妖艶さ、それでいて豪奢に彩られた世界に浸るだけでも満足だった。
春休みを経て、私は変わった。アイドルや芸人の話しかしないクラスメイト達は幼稚に思えたし、こんな連中と付き合っていてはバカになると考えていた。そんな私の他者を見下したような態度が気に入られるわけがなく、私が孤立するのに時間はかからなかった。
孤立するのは構わなかった。休み時間は昨夜の本の内容を反芻するだけで楽しかったし、放課後も教室や帰り道でだらだらくだらない話をして過ごすより、まっすぐ帰宅して早く本を読みたかったから。
ただ、クラスメイト達から被る嫌がらせの類には辟易していた。
無視を決め込んではいるものの、悪口はやっぱり傷付くし、何より持ち物に悪戯されるのが一番困った。母が買ってくれたALGONQUINSのバッグを隠された時には、思わず泣いてしまったこともある。
その出来事以来、私は学校へ行くのが憂鬱になった。私自身が暴力を振るわれたり、悪口を言われるのは平気だ。私が我慢すれば良いのだから。しかし、服やアクセサリーなどの、両親がプレゼントしてくれたものをバカにされたり隠されたりするのは我慢出来なかった。
例えば、今でも愛用している小物を入れるこのポーチ。母が大好きなウサギのようなキャラクターがプリントされた、クラシカルなポーチだ。あまり自己主張をしない母が、去年の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。
「ちょっと子供っぽかったかな・・・・・・?」
と、包装を開ける私を心配そうに見つめる母の姿を、今でも覚えている。
取り出したポーチを見て、思わず、可愛い!と声に出した私を見て、母は嬉しそうに微笑んでくれた。
それを、「ダサイ」だの「安物」だの言うあいつらを、私は許せなかった。
プレゼントは、心の交流だ。単なるモノのやり取りではない。母は・・・・・・私を喜ばせようとしてくれた。優柔不断で、おっとりしている。きっと、何時間も、もしかしたら何日にも渡って悩んでくれていたのかも知れない。何度も何度も店に足を運んでくれたかも知れない。
「子供っぽいかな」「気に入ってくれるかな」「喜んでくれるかな」
そんな気持ちのこもったポーチを、あんな奴らの薄汚い言葉で穢されたくはない。
結局、その一件が私と数人のクラスメイトとの喧嘩に発展し、両親は学校へ呼び出しを喰らってしまった。イジメまがいへの行為を、教員たちが見て見ぬふりをしていたことに対する謝罪が主な理由だったのだが、その中には、春休みを経て私の社交性が一層失われてしまったことに対する、両親への質疑も含まれていた。
途中、私は校長先生に退室を促されてしまったため、肝心の話の内容に関しては知る由はなかったし、知りたいとも思わなかった。
その夜、父が私の部屋を訪れた。
「学校は、楽しいかい?」
ベッドに潜り込んでいた私の傍へ腰かけて、父は言った。
私は首を振る。当然だ。もう二度と行きたくない。
「ううん。楽しくないし、行きたくも、ないよ」
正直に答える。どうせ、隠しても無駄だ。父は黙って頷いた後、妙な質問を私に投げかけた。
「クラスで、塾に通っている子はいるかい?」
塾?質問の意図がイマイチ理解出来なかったが、とりあえず回答をする。
「うん、いるよ。多分、クラスの三分の一ぐらいは行ってると思う」
父にいつもの柔和な表情が戻る。
「そうなのかい?多いね。では、その塾と学校の違いは何だと思う?両方とも基本的には勉強をする場だよね」
違い、違い・・・・・・。
「んとね、学校には体育とか、図工があるよ」
とりあえず思い付いた答えを父に伝える。
「せいかーい」
おどけた様子で父は笑い、ぽんと私の頭に手を置いた。暖かくて、大きな手だった。
「正解なんだけどね、百点ってわけではないんだよね」
今の答えじゃ八十点だ、と父は言う。
「後の二十点は難しいぞー。よし、ヒントだ。体育や図工、後は・・・・・・音楽に、家庭科とかもあるのかな。さらに言うと、道徳や、修学旅行、遠足なんかもあるよね。それらは塾には無いものだ。さあ、どうして学校にはそれがあり、塾にはないのかな?それぞれの目的を考えるんだ」
私は身体を起こす。
「目的、かあ」
私は母からもらったポーチから、小さなペンとメモ帳を取り出す。
メモ帳の真ん中に一本の縦線を引き、左に学校、右に塾と書く。
そんな時、
「うふ、楽しそうねー」
と、母があったかい紅茶を持って部屋へやってきた。夜に甘いものはダメ、といつもは頬を膨らませる母なのに、今日ばかりは特別なのだろうか。何だか誕生日の夜みたいでくすぐったい気持ちになる。
「ねえ、おかーさん。塾は、勉強しに行く為の場所だよね。学校は?」
どうにも、甘えたい気持ちになってしまう。胸の奥があったかくて、少しだけ目頭が熱い。
「もしかして、お父さんに質問されたのかな?」
「そーだよ。どうしてわかったの?」
「お母さんもね、まだつーちゃんが生まれるずっと前に、同じ質問をされたことがあるの」
それは少し驚きだった。照れたような顔でそっぽを向く父。
「じゃあ、答えを教えてよ」
母はちらりと父のほうを向き、悪戯っぽい顔で笑う。
「待て待て、俺が言う、言わせてくれよ」
父が自分のことを俺だなんて呼ぶのは珍しい。少し、気持ちが昔に戻っているのかも知れない。
何だかそれがおかしくって、私は母と顔を見合わせて笑った。
父はわざとらしい咳払いを一つした後、少しばかり真剣な面差しで私を見る。
「少し、難しいし、気が滅入る話だけどね。大切なことだ。この世の中はね、勉強が出来る人たちが動かしている。歴代の総理大臣は皆優秀な大学を卒業しているし、つーちゃんの持っているゲーム機、それらを作っている会社の社長もみーんなそうだ。もちろん、全員が全員そうだというわけではないよ。まあ、確率の問題だね。勉強が出来る人ほど、お金をたくさん持っている確率が高い(・・・・・)」
成功するには、努力が必要だってことさ。そしてそう付け加え、母が持ってきた紅茶を啜る。
「良い学校に行く為には、勉強が必要なんだ。その為の手っ取り早い手段が、塾だよね。塾は良い学校に行く為の教育を施してくれる。単に知識を詰め込むだけじゃない。具体的に行きたい学校があるならば、その学校の入学試験に出やすい問題や、傾向まで教えてくれる。そういう予想をどれだけ的中させ、何人の生徒を良い学校に送り込んだか、それが塾の人気や評判に関わってくるから、塾の先生たちは真剣だ。そういう熱意ある教育サービスを享受したい。その結果少しでも良い学校へ進学したい。それが塾に行く目的さ。みんな、将来お金持ちになりたいんだ」
大体、わかった。でも、
「でも、今やっているような勉強は、本当に役に立つの?たとえば、理科で生き物の身体の仕組みとかやってるけど・・・・・・」
どう考えても、将来役に立つとは思えなかった。
「良い質問だね」
父はにっこり微笑む。
「例えばさ、お医者さんは色々な機械を使ってつーちゃんやお父さんの身体を調べて、風邪ですね、とか、インフルエンザですねとか判断して、薬を出してくれたり、注射を打ってくれたりするよね。もし、お医者さんが間違った薬を打ってお父さんが死んでしまったら、どうかな」
そんなのは絶対、いやだ。私はぶんぶんと首を振る。
「はは、ありがと。だよね。お医者さんは適切な治療をするために、たくさん勉強をして皆の役に立ってくれているんだよ。さっきの話にしたってそうさ。政治家は法律のことをたくさん勉強しなきゃならいし、学校や塾の先生も、生徒にウソは教えられないから、必死で勉強をする。つーちゃんがやっていることは、その訓練なんだ。お医者さんや先生に限ったことじゃない。大人になれば、みんな勉強が必要なんだよ。学校でしている勉強は、役に立つ・立たないで判断しちゃいけないよ。将来、つーちゃんに夢が出来れば、その夢のために頑張らなければならないね?そんなとき、学校で習うような勉強すら出来なければ、どうかな。学校で勉強した基本的な知識と、勉強の仕方があって初めて、夢のために頑張れるんだ」
確かにそうかも知れない。澁澤龍彦も、確か東京大学の出身だった。あんな素敵な文章を書くには、知識がいっぱい無いと書けやしない。小学校の国語の教科書すら読めない人が、あんな文章を書こうとしたって、土台無理だろう。
「うん、納得」
私はうんうんと頷いてみせる。
「よし。続けよう。これで勉強の有用性は終わりだ。しかしだね、中には勉強があまり得意でない人もいるよね。そういう人は立派になれないのか、というと、そうじゃない。勉強以外にも立派になれる方法はたくさんある。例えば、画家や、ミュージシャン。もっと言えば、モデルや芸人、スポーツ選手なんかもそうだよね。売れっ子になれば、そこそこ頭の良い人レベルでは到底稼げないような額をあっという間に稼いじゃう。もちろん、そういう人たちにはその道の才能があるんだけどね。ただ、そういう才能は机に噛り付いて勉強だけしてても見出せないよね。もしかすると、学校の図工の時間に描いた絵がすごく上手で皆に褒められて、その影響で絵描きを目指して有名になった人がいるかも知れない。たまたま体育でやったサッカーが凄く楽しくて、サッカークラブに所属し、そのままプロになった人も、いるかも知れない。塾との違いはそこさ。なりたい自分を探すことが出来る場所、そこが学校なんだ」
・・・・・・何となく、言いたいことがわかってきた気がする。私は、家できっちり勉強することを条件に、学校をしばらく休みたいと申し出るつもりだった。
勘の良い両親は、それを察して先回りで釘を刺しに来たのだろう。単に勉強するだけでは駄目だ。学校に行って夢とやらを探しなさい、と。甘い筈の紅茶が、とたんに味気無いものに思えてくる。
もう、いいや。
「お父さん、お母さん。ありがと。私、もう寝るね」