蝉の鳴く小径にて
肌を焼く日差しは太陽が傾きかけてもなお健在で、五時を過ぎた今でも、まだ抜けるような青空が広がっている。
僕が暮らすここK市は、西側に海、東側に山を臨むことが出来るベッドタウンだ。その自然に加え、80年代のバブルに乗じて、南北に伸びた国道及び鉄道の恩恵を最大限に活かした街作りを推進した結果、不況が長引くこのご時世にあっても、ベッドタウンとしては勿論、大都市と大都市とを繋ぐ中継地点の街として、それなりの知名度を誇っている。毎夏執り行われる花火大会や祭事の規模から察するに、それなりに財政は安定しているのだろう。
こういう中途半端な、都会でも田舎でも無い街というのは若者にはいかにもウケが悪そうだが、僕は、存外この街を気に入っていた。
国道沿いの歓楽街から少し離れた住宅地のはずれ――――僕の通う中学校から歩いて五分ほどのところにある、住宅よりも田畑や溜め池が目立ち始める地区。喧騒が嘘のように消え、入り組んだ細い道路を進めば進むほど、長閑な田舎町の様相を呈し始める。
交通量はぐんと減り、飲食店や量販店、スーパーマーケット等の人が集まる施設が無いためか、通学時間を度外視すれば人通りも極めて少ない。そういう、賑やかさの裏にある寂しさが、僕がこの街を気に入っている理由の一つであった。
そしてその道を、僕は桐野と並んで歩いている。
予想だにしなかった展開に最初こそ少し狼狽したものの、必要最小限の干渉しか行わない桐野の無関心さは、他のクラスメイトや友人たちからは感じられない心地良さで僕を包んだ。
「アイス、ありがと」
バニラアイスを持った右手を軽く掲げてお礼を言う。
「いや、私、今までも学校休んでいただろ。面倒極まる掃除当番をずっと押し付けていたわけだし、そのお詫びも兼ねてだよ。コンビニのアイスなんかで申し訳ないけれど」
困ったような、照れたような顔で微笑む桐野。日焼けの後をまるで感じさせない白い肌、形の良い桜色の薄い唇、猫科の生き物を思わせる釣り目気味の目、そしてそれを覆うほどに伸ばした長めの黒い前髪。桐野はクラスの女の子たちの中ではそれなりに可愛い部類であると思うが、図抜けた美人であるとか、アイドルのようなとびきり目立つ容姿をしているわけではない。ただ、彼女の醸す雰囲気がどことなく神秘的で、月並みな表現ではあるが、まるで控えめながらも品の良い人形のようだな、と、僕はそう感じていた。
「あのさ、聞いてもいい?」
俄かに抱いた疑問を、彼女へぶつけることにした。
割れんばかりの蝉しぐれが降り注いでいる。しかし、そんな蝉の大合唱の中にあって、彼女の澄んだ声はよく通る。
「何だい?」
何でも聞いてくれ、とばかりに、大きな猫のような瞳を細め、僕の顔を覗き込む。
ふわりと、良い香りが漂ってくる。ヘアコロンの類だろうか。
思えば、桐野は凄く綺麗な肌をしているし、眉や爪や髪だって整えられている。僕が思っている以上に、桐野は身なりに気を遣っているのかも知れない。そう考えると、心がずんと重くなった。そして、半引きこもりだから、彼女はお洒落に関心なんて無いだろうと考えていた自分の浅ましさに嫌気が差す。
クラスの女の子の中にも、ばっちりメイクを施して登校してくる子がいるが、そういった子とは気後れしてなかなか話せないのが僕だ。派手な子に、「こいつはダサいな」なんて思われたくないという気持ちが根底にあることは、自分が一番よく知っている。
その上で、僕は桐野とは「話が合う」と思っていた。
僕は、途端に恥ずかしくなってしまった。色々な感情が綯交になり、上手く舌が回らなくなる。
「いや、あの、……何でもない。ごめんね」
やっとのことでその一言を絞り出したものの、次に何を話せば良いか解らなくなる。
ついさっきまで話したいことはたくさんあった筈なのに、全部、全部どこかへ飛んで行ってしまった。
鳴り止まない蝉の声が、少しだけ有り難かった。